最終話・T.End
まだ夜の気配を色濃く残す空の下を、俺はいつまでも歩き続けた。
歩きたいと思っているわけではなかったが、立ち止まりたいわけでもなかったし、行きたいところなど、どこにもなかった。ただ漠然とした意識の中、時折道を変え、閉まった店や学校を横切り、高架下を抜けた。一度だけ人とすれ違ったが、当然のことながら、何かが起きるわけではなかった。
ふと、自分が知らない道を歩いていることに気が付いた。それと同時に足に重みを感じ、すぐ傍にあった、低いコンクリートの塀に腰を下ろした。足元には捨てられた缶コーヒーと煙草の吸い殻が落ちていた。しばらくの間、それらを見詰めていたが、やがて興味を失った。空はいつの間にか青白くなり、遠くの方に僅かな赤みを帯びていた。
俺は一体何をやっているのだろうと思った。こんな所に来ても、何の意味もないというのに。いや、どこであろうと意味はない、という何度も反芻した結論を、もう一度思った。
俺の人生の全ては無駄だった。そう思うことしか、もう出来ないのだ。何もかもがどうでもいいことだ。どのような希望も、どのような可能性も、その僅かな一筋すらもうありはしない。あるはずがない。
『本当にそうか?』
「…………ブラーゼ? いた、のか……?」
『フハハハッ! 我輩はずっと貴様を視ていたぞシンイチ。はて、一筋の可能性もない? ……そんなことはなかろう?』
「……何を」
『可能性ならあると言っている。だが貴様はあのデンシャとやらの中で、自らそれを慰めにしかならぬ虚構と切り捨てただけなのだ』
「…………」
それはそうだろう。それは可能性と呼ぶには、あまりにも自分都合な、それでいて儚いに過ぎる考えなのだから。
異世界への転移などというものがあるのだとしたら……異世界からたまたまこの世界へ転移することもあり得る、などと。
『それが虚構であるか、真実であるか。確かめるのは簡単なことだ。──魔力を探せ、シンイチ』
ミルは言っていた。あの異世界において、魔力を持たない者は俺だけであると。それがこの世界から転移したことに起因するのであれば、おそらくこの世界には魔力そのものが存在していないのだろう。であれば、魔力を探知することは、何の意味もないことだ。もしも魔力が見つかったのであれば、それは別の世界から来た存在を意味している。
「だが、俺は」
『今のシンイチは実に下らないな。貴様の心境を言ってやろう。貴様は恐れている。この世界で生きてきた、どうしようもない無能な自分を、今一度奴に知られることを。それは我が身可愛さというやつだ。他者を気にしているようで、そこに他者はいない。自己完結された下らない精神性だ。……まあ、貴様にとって奴が、その程度の自分都合で諦めが付く人間であるならば、確かにどうでもいいことだが』
「……そんなわけが、ないだろう」
『ならば何も問題はないな。シンイチよ。人間はそれがどのような形であれ、可能性というやつが好物だ。力の可能性を求め、美食の可能性を求め、認められる可能性を求め、助けられる可能性を求め、満たされる可能性を求めている。だからこそ欲する可能性がそこにあるならば──』
探し求める姿を我輩に見せてみろ、シンイチ。
・
早朝を迎えた空の下で、俺は走り続けていた。
俺は、きっと何かが変わったわけではない。人が変わることなど、早々ないのだから。
どうあがいても、俺はどうしようもない無能であり、これから先もそれは変わることはないだろう。
だからこそ、幸せや理想などというものは、どこまでもほど遠いものだ。誰よりも俺自身がそのことを知っていて、近付くことすらままならない。
それでも、今だけは、何かを追い掛けることが出来ているように、そう思えたのだ。
遠くの道に、何かが見えた。それが何か──倒れている彼女が誰であるのかを、俺は知っていた。
End.




