血雨
恵みの雨の中に、砕け散った鉱物と真っ赤な鮮血が舞う。
涼多の目の前で、ルテの顔が半壊した。
◇◇◇
数時間前――。
一行は、予定通り(もう少し里をスケッチしたいと言った晩稲と、湯治に来ていたヤツデを残して)一路の里を出立し、駕籠の中で談笑していた。
勾異紫陽花とランがいたため、少々狭くはあったが、乗れないという事はなく、アリの巣テーラーの店長である鸚鵡に、全てを委ねていた。
一路の里から村までは、かなりの距離があり、加えて、険しい道や、危険な生物、植物が多く生息している場所を越えなければならないため、涼多たちは駕籠に乗ることになったのだ。
「……この時期じゃなかったらなぁ」
トランプをしていた手を止め、蛍は物見から外を見る。
「この時期って、何かあるの?」
「常に毒液を出している、『メラウ』って花があるんだ」
首を傾げる夢に、蛍はそう言った。
並みの存在が触れると、ひとたまりもないような毒だ、とも。
「……薄氷さんから聞いた話なのですが、ずっと昔は、この辺りにも『町』があったそうなのです。とても、豊かな町であった、と」
だがあるとき、音波魚兎が大量発生した。
涼多たちが知っている音波魚兎よりも、ずっと小さく凶暴だったらしい。
常に超音波を発しているため、ソレに弱い者は倒れ、そうでない者も体調を悪くし、何も手につかなくなってしまった。
加えて、音波魚兎は、好き勝手家に侵入し、食べ物を漁ってゆく。
糞の所為で水は汚れ、噛みつかれ、怪我を負う者も出だした。
だが、それでもなお、離れがたい土地だったのだ。
たかだか音波魚兎に、尻尾を巻いて逃げるのも、また癪であった。
それに対抗すべく作られたのが、メラウだった。
何度も実験を繰り返し、即効性のある毒にまで仕上げた。
しかし、強すぎた。
メラウを食べた音波魚兎の死肉を、他の魔物や動物が喰らう。
すると、体内に残っていたメラウの毒で、あっけなく死んでしまった。
対策を考える間もなく、被害は拡大してゆく。
毒を喰らい死んだ毒を持つ生物から流れ出た毒が、大地に染み込み、周囲の動植物にも影響を及ぼす。
ある種は死に絶え、ある種は、それらを超えるほどの進化を遂げた。
だが、その超えた存在を、利用することは叶わなかった。
あまりにも毒が強力すぎて、近づくことすらできないからだ。
町からは、一人、また一人、と住人が去って行った。
残ったのは、メラウを作り出した者たちと、行く当てのない者たちだけ。
後悔と慰めの声だけが、町に木霊する毎日が続いた。
『音波魚兎たちに悪意があれば、……なんて、言っても仕方がないか』
ルテの脳裏に、薄氷の、やりきれなさを孕んだ声が響く。
※この一件が起こったのは、彼がまだ『この世界』に来る前の話である。
薄氷も薄氷で、文献を読んで知ったに過ぎない。
閑話休題。残った者たちは、『最後の大仕事』として、自分たちの命と引き換えに、様々な毒で浸されてしまった場所を囲うように結界を張った。
それで、全ては終わったはずだった。
だが、結界の中、様々な『澱』を吸収し、メラウは蘇った。
彼らが作り出したものより強力で、時期により強弱はあるものの、常に毒液を吐き出す、皮肉なほどに美しい毒花。
「……それが、この周辺なのです。なので、多くの方々が、こうして空を行くか、迂回する道を選んでいます」
しかし、毒の弱まる時期だけは違う。
花の美しさを一目見ようと、この地を訪れる者も多いらしい。
「えっと、見に行って倒れちゃったらどうするんですか?」
「一応、町や里の人に、一言いれる決まりがあるよ」
夢の問いに、蛍は「告げた日までに戻ってこなかったら、石火隊みたいな人たちが、救助に行くことになっているの」と話す。
「もっとも、無断で行っちゃった人は……あれだけど」
「へ、へぇ……」
何とも言えない沈黙が、駕籠の中に降りる。
話題を変えるように、蛍は「村ってどんな所なんですか?」とルテに問う。
「実を言うと、私もよくは知らないのです。一路さんの里とそう変わらない、と薄氷さんから聞いているのですが――」
そこで、ルテはピタリと会話を止める。
少し遅れて、ランも触角を揺らしながら顔を上げた。
と、同時に、頭上から、鸚鵡の叫び声が聞こえてきた。
だが、どうしたのか問うよりも早く、駕籠が落下する。
叶望が即座に、夢と蛍を庇うように引き寄せた。
涼多と奏も、そんな彼女を庇うようにして、腕に力を籠める。
「………………っ!」
険しい顔をしたルテが、駕籠を浮かして地面へと下ろす。
「皆さんは、中にいてください!!」
鋭い声でそう言うと、ルテは戸を開け、駕籠の外へと出た。
顔を上げると、駕籠の上に、巨大な胴のない鳥の足があった。
視線を逸らすと、アリの巣テーラーの店長が倒れている。
鮮やかな白い羽は、血で真っ赤に染まっていた。
苦しそうに息を吐いている店長を、ルテは駕籠まで運ぶ。
治療をランに任せ、薄氷たちに連絡を入れ終えたその時――。
ルテの目の前に、一匹の巨大な成淵が現れた。
涼多たちが刈り取ってきた成淵が、豆粒と思えてしまうほどに大きい。
加えて、目に宿る光には、激しい怒りを孕んでいた。
「……っ、なんで」
かちかち、と歯の根を鳴らしながら、蛍は声を絞り出す。
『あんなにデカい成淵がいるだなんて……』
ぎぃぎぃ、と鸚鵡は痛みに顔を歪ませつつも、そう呟いた。
(だが、俺の足を吹き飛ばしたのは、成淵ではな――)
口を開こうとした瞬間、先程よりも鋭い痛みが走る。
「ああ、暴れないでください。……羽が当たっては危険ですから、涼多さんたちは駕籠の外に出て。ああでも、私の胴の中から出てはいけませんよ」
自身の半身を蛇のように巻き、ランはその中に涼多たちを入れた。
慌てふためく彼らとは対照的に、ルテは冷静だった。
自身に向かい突進してくる成淵を、彼は難なく躱す。
地の底から響いてくるような雄叫びが、ルテの耳朶を打つ。
(……私たちに一矢報いるために、仲間を喰らって力をつけたのですね)
仲間が望んで喰われたのか、そうでないかまでは分からない。
だが、途方もない怒りを受け、彼は粗方察してしまった。
目の前の成淵、一匹だけではないという事も――。
(大きくなった分、気配も強くなっている)
ルテは、目の前に左手、何もない空間に右手を掲げる。
瞬きの間に、口の周りを血に染めた成淵が現れた。
その二匹を宙に浮かし、ルテは互いをぶつけ合わせた。
心臓ともいえる鉱物に罅が入り、あっけなく砕け散る。
力をなくした胴体を、ルテは地面へと寝かせた。
少しの静寂の後、涼多たちは安堵の息を吐く。
が、ルテの瞳は鋭いままだ。
「どこかに、まだ一匹います……」
そう呟いた瞬間、鸚鵡が激しく暴れ出した。
「ああ、どうか落ち着いて……」
暴れる体を抑えつけようとしたランの体制が崩れる。
その拍子に、涼多たちの周りにあった胴体の壁が解かれてしまった。
鸚鵡の巻き起こす強風に、四人は思わず目を閉じる。
「わっ!?」
風圧で蛍の体が浮き上がり、ころころと地面を転がってゆく。
「蛍く……って、わぁっ!!」
蛍の叫び声で目を開いた涼多も、同じように吹き飛ばされてしまった。
ルテが彼らを背に庇うと同時に、目の前に成淵が出現する。
先程の二匹よりも巨大で、目が爛々と光っていた。
「…………ぐっ、おぇっ!!」
蛍が急に、喉を押さえて苦しみだした。
「えっ、蛍君!?」
「蛍さん!?」
……きいいいぃぃいいんんん……
ほんの、ほんの一瞬、ルテの視線と注意が、成淵から逸れてしまった。
成淵の鉱物諸共、赤黒い澱みを纏った何かがルテの腹を貫いた。
それが何かを確認する間もなく、成淵がルテの顔に牙を突き立てる。
最後の力を振り絞ったのだろう。
涼多の目の前で、ルテの顔が半壊した。
……きいいいぃぃいいんんん……
(不味い、また来る……っ!!)
何かの音が聞こえたような気がして、涼多は咄嗟にルテに手を伸ばす。
ルテの手を掴んだ瞬間、砕け散った鉱物が眩い光を放つ。
目が眩むほどの光に、その場にいた誰もが目を瞑った。
◇◇◇
暗闇の中、ぱらぱら、と鉱物の欠片が地面に打ち付けられる音が聞こえる。
続いて、雨の音と湿気を含んだ風の音。
恐る恐る、奏たちは目を開ける。
視線の先には、座り込んだまま呆然と宙を見つめる蛍。
その周りに散らばる、成淵の鉱物の欠片。
……そして、夥しい量の血が、地面に赤い花を咲かせているのみであった。




