晴好雨奇
「ほいっ、到着!!」
りくたっぼの声を聞き、涼多は恐る恐る目を開けた。
目の前に、道を割るように岩が鎮座していた。
ルテの家へと続く道にある巨石だ、と涼多たちは理解する。
「凄い。体感的には十秒も経っていないのに……」
奏は眼を瞬かせ、梅雨雲で覆われた空を見上げた。
「まだ、三時前くらいのはずだけど、かなり暗く感じるね」
「うん、この雨と、生い茂っている木々の所為かな……」
叶望の言葉に相槌を打つと、涼多は自身の二の腕を擦る。
吐く息こそ白くはないが、奥の歯が、かちかち、と微かに鳴った。
「……大丈夫?」
声を潜め尋ねる叶望に、涼多は笑顔で「大丈夫」と返す。
「たぶん、歩き出したら、熱くなってくるだろうし……」
「そう?」
「うん、心配してくれて、どうもありがとう」
涼多の笑みを見て安心したのか、叶望はゆっくりと首を横に振った。
景気づけのように腕を強く擦り、涼多は大きく深呼吸をする。
次いで、「あの、どうしてこの場所に出たんですか?」とりくたっぼに問う。
「……ああ、家の前や中に出て、前みたいになったら怖いからね~」
りくたっぼは、揶揄いまじりの笑みを、涼多へと向けた。
(クリスマス前の、僕が寝込んでいたときのことか……)
涼多の脳裏に、短刀を構える名月と、自身を取り囲む朝顔がよぎる。
「で、でも、どうしよう。アポなしで来ちゃったけど……」
「ボクがひとっ走りして、様子を見てくるっス」
蕉鹿はそう言うと、持っていた傘を夢に差し出した。
彼の手を、りくたっぼがやんわりと止める。
「ちゃ~んと、傘の用意はしてあるよ」
りくたっぼは、落ちていた木の葉を数枚拾うと、空へと放った。
瞬く間に、木の葉は和傘へと姿を変える。
涼多たちは礼を言うと、さっそく傘を開いた。
「半日しか持たないから、元に戻ったらゴミ箱か森に捨ててね」
舟代わりにしていた和傘を広げ、りくたっぼは蕉鹿を見る。
「んじゃあ、ちょっと様子を見てきて……と言おうと思ったけど、その必要はなさそうだ。ナイスタイミング!」
黒白目を細め、りくたっぼは沢へと続く道に視線を移す。
ぺちゃ、ぺちゃ、と雨でぬかるんだ道を歩く足音が、涼多たちの耳に届く。
「……皆さんの気配がすると思ったら……」
生壁色の外套を羽織ったルテが、木の陰から姿を現した。
いつぞやの、熊耳少女の絵が描かれた傘をさしている。
散歩にでも出ていたのだろうか、と涼多たちは思った。
次いで、「何はともあれ、姿を見れて安心した」と胸を撫で下ろす。
涼多たちが挨拶を終えたタイミングで、りくたっぼは口を開いた。
「やっほ~!元気……かどうかはさておいて、普通そうじゃん!!」
「……お陰様で」
吊り上がった口から覗く赤い歯に、ルテは苦笑いを浮かべる。
続いて、彼は説明を求めるように蕉鹿を見た。
だが、微苦笑を浮かべている蕉鹿が口を開く前に、りくたっぼが「あ~、りーが説明するよ!」と自信満々に胸を叩く。
「風呂に入ってほしいんだって」
「………………?」
あまりにも端折られた説明に、ルテはただただ困惑する。
結局は、蕉鹿が一から説明する羽目になってしまった。
「――なるほど。お気遣い、ありがとうございます」
目を伏せ会釈をするルテに、涼多たちは、慌てて首を横に振る。
顔を上げたルテを見て、奏はハッとした。
薄っすらとではあるが、目の下に隈が引かれていたからだ。
(……あんまり、眠れていないのか?それとも、この冷たさが原因か。もしくは、長い時間、調べものをしていたのかもしれない)
奏は、心中で腕を組み、思案に暮れる。
ルテの体調を案じてはいるものの、どう話を切り出せばよいのか分からない。
「散歩っスか?」
悩んでいる奏を置き去りに、蕉鹿がルテに問う。
彼は、自身の目の下を、人差し指でそっと撫でる。
奏と同様に、隈に気がついているのだろう。
「……ええ、そんなところです」
ルテは僅かに肩をすくめ、ばつが悪そうに視線を逸らす。
「さて、これからどうする?家に行く前に、会っちゃったわけだけど」
じゃらり、じゃらり、とお守りを揺らし、りくたっぼは涼多たちに問う。
だが、彼らは「どう、と言われても」と心中で呟く。
涼多たちが答えを出す前に、ルテが「あの、実は――」と口を開いた。
「今、家の中が薬草で溢れていて、足の踏み場もない状態なのです。ですから、皆さんをお招きすることができなくて……その、代わりと言っては何ですが、この辺りを見て回りませんか?冬に来たときとは、また違う景色が広がっていますよ」
答えを示され、四人は顔を見合わせることなく頷いた。
それを受け、ルテも安心したように微笑んだ。
「雨は雨で、ロマンチックだもんねっ!」
夢は早くも、『違う景色』に心を躍らせている。
「ふぅ~ん、そういうものかねぇ」
雨に打たれる草花を見つめ、りくたっぼは顎に手を当てた。
◇◇◇
「はぁ、毎回毎回、何かしら引っ搔き回してゆく奴なのだ」
勢いよく茶を飲み干し、名月は大きな溜息を吐いた。
同時に、居酒屋『めまい』に置かれている時計が、午後七時を告げる。
涼多たち以外に客はなく、一同は小上がりに腰を下ろしていた。
名月が『塩』を発注したからか、店長も厨房奥に籠っている。
曰く、一路の里に持って行く分も含まれているのだそうだ。
故に、店内を流れるのは、夢たちの弾んだ声と雨音ばかり。
「しかも、飽きたらほっぽり投げるし……」
眉間を押さえる名月に、向かいに座っていた夢が身を乗り出す。
「でもでも、色んな体験ができて面白かったよ!」
「……ふぅ、それが、せめてもの救いなのだ」
「りくたっぼさんも、夕飯一緒に食べればよかったのに」
夢は、一時間ほど前に別れたりくたっぼを思い、そう呟いた。
「まぁ、颪さんの宿に、夕飯が用意されているっスからね。……しかし、紋様の中に飛び込むのは二度目だったんスけど、相も変わらずぐらりとくるっスね」
「前回は、どうして飛び込んだんだ?」
奏の問いに、蕉鹿は「晩稲さんの所為っス」と遠い目をした。
「二人なら怖くないよね、とか何とか言って、無理やり飛び込まされたんスよ。りくたっぼさんも、妙にノリノリで……確か、躑躅百貨店の屋上から、颪さんの宿の前まで移動したっスね。距離的にも、そこまでが限界みたいで」
この場に晩稲がいないことに、蕉鹿は心底安堵していた。
また遊ぼうね、と言われかねないからだ。
「どこまでも、とはいかないんだな……」
蕉鹿の話に相槌を打ち、奏はぽつりと呟いた。
「どこまでもなんてされたら困るのだ!」
名月はそう言うと、奏に向かってメニュー表を差し出す。
次いで、彼女は、隣の席で眠そうにしているルテに視線を向けた。
舟を漕いではいないが、先程から何度も欠伸をしている。
「今日はもう、あたしの家で寝るといいのだ」
「……ええ、そうさせてもらいます」
ぼんやりとした声音と瞳で、ルテは答えた。
それを見て、名月は「もう!」と腰に手を当てる。
「何をするにも、体が資本なのだぞ。……お前たちもなのだ!」
名月は涼多たちに向き直ると、料理の注文を促した。




