山雨来たらんと欲して風楼に満つ
「ん?ルテなら家で眠っているのだ。結界台明けで、疲れているから」
「ふぅ~ん」
黒白目を細め、りくたっぼは勾異紫陽花を見上げた。
不穏な何かを感じ、名月は「……どうしたのだ?」と問う。
「いやね、一瞬だけ、『苛立ち』を感じた気がするんだよ。眼鏡のお兄さんの家がある方角から。……ああ、眼鏡のお兄さんがイラついている、という意味じゃないよ?間違えないでね?」
「分かっているのだ」
名月はそう答えた後、「ただ――」と続ける。
「あたしたちのような存在は、恨みを買っていることが多いのだ。過去……人間界にいたときに追い払った疫病神や、人間嫌いな者たちからな。……何百年経っても、どこに行っても変わらないのだ」
淡々と話す名月に、りくたっぼは「そういうのとは、また違う気がしたけど、結界の中じゃ、どうも勘が上手く働かないからなぁ」とぼやく。
「てか、それでもこの町に住むんだね」
「住み良い場所に、あたしたちがいるのだ」
「なるほど。その土地は好きだけど、上の連中は好きじゃない感じか」
「そうなのだ」
「……そんな、苛立ちを向ける者も、守らないといけない」
「そうなのだ」
「面倒くさいし、嫌じゃない?」
「面倒でない仕事などないのだ」
「嫌ではあるんだ」
「正直なところ、あまり考えたことはないのだ」
名月は「毎日を平穏に送っているなら、それでいいのだ。……ただ、白蛇様や町に害をなすなら別なのだ」と胸に手を当てた。
「そういうときはどうなるの?追放?封印?それとも、……人知れず処刑でもするの?誰にも、白蛇様にさえ気づかれないように、ひっそりと……」
「有難いことに、町の住人でそういうときがきた者はいないのだ。外部の者は、……教えられないのだ。ただ、伝えることは伝えるのだ」
「へぇ、健気なこって。白蛇様……いや、町のトップの者たちは、『一将功成りて万骨枯る』というヤツだね。多くの『犠牲』の上に立っている」
「しかし、『頭』がいなければ、『町』は回らないのだ。どの『世界』にも、率いる存在がいるのが世の常。それによって『差』が生まれてしまうのも。でも、互いにりすぺくとし合える『ピラミッド』なら、あたしはそれでいいと思うのだ」
「ほぉ、……やっぱり、窮屈な生き方だ」
「うう~ん、あたしはそう感じたことはないのだがなぁ」
りくたっぼの歯に衣着せぬ物言いに、名月は微苦笑を浮かべる。
それを気にする様子もなく、りくたっぼは「でもまぁ――」と口を開く。
「話を戻すけど、本当に気をつけてね。妖力、神力、霊力、の強さと、単純な戦いの力は、また違う場合もあるんだから。眼鏡のお兄さん、神力はまあまあ強いけど、『単純な力』となると……強いっちゃ強い、くらいなものでしょ?」
「そこが、今一つよく分からないのだ。あたしなんかの場合は、何をするにしても、自然と神力が大なり小なり流れてしまうから」
「『単純な力』がどんなものなのか、分からない、と」
「うむ。……でも、一路の里で、近いモノを感じたことはあるのだ」
名月の脳裏に、車輪の妖怪との戦闘がよぎる。
熱で体が溶かされ、治療を終えた後も、暫く動くことができなかった。
「神力を限界まで消費してしまって、かなりしんどかったのだ」
「……う~ん、中らずと雖も遠からず、かな」
りくたっぼは「まっ、言ってしまえば、神力が尽きないように戦わないといけない、ということだ」と続ける。
「アンタの言う通り、神力が尽きるのはかなりしんどい。それこそ、『苦痛』と言ってもいい。となると、単純な力……人と戦うような状況になったとき、苦戦を強いられることになる。最悪、逃げるしかない場合も……」
「……さっきから、一体どうしたのだ?」
難しい顔をして話し続けるりくたっぼに、名月は怪訝な表情を浮かべた。
「いや、りーにもよく分からないんだ。なんかこう、うなじがぞわぞわするというか、……これ以上口にすると、本当になってしまいそうな」
要領を得ない言葉に、名月は「お前らしくないのだ」と笑う。
晩稲とはまた違う飄々さが売りなのに、と。
「ええーっ!?なんか嫌だな、それ」
「おい、なんだその無礼千万な言い草は!」
苦虫を嚙み潰したような顔をしたりくたっぼの背後に、二階に向かったはずの晩稲が現れた。至近距離で声を出され、りくたっぼの眉間に皺が寄る。
だが、晩稲の後ろにいる涼多たちに気づき、すぐに皺を緩めた。
奏が、「あの――」と小さく手を上げる。
「ルテさんがどうの、と聞こえたんですけど、何かあったんですか?」
「いいや、家で休んでいる、と言っただけなのだ」
無意識のうちに、真偽を判断するような視線を、奏は名月に向けた。
名月は、「マジなのだ」とおどけたように肩をすくめる。
「ねぇ、ルテさんだけ先に、一路さんの里に行くことはできないの?」
「できないこともないが、ルテは絶対によしとしないのだ」
夢と会話を始めた名月に、りくたっぼは「何の話?」と問う。
名月はりくたっぼに向き直ると、売店に置かれた勾異紫陽花の枝を指さした。
「一週間後、一路の宿と、前に、薄氷と飛花がお世話になった村長の家に届けに行く予定なのだ。……そういえば、その時、お前からすごく大きな魚を貰った、と薄氷が言っていたのだ。ほら、年が明けて間もない――」
「あー、思い出した!雪まみれの森を歩いていたときね」
りくたっぼは、手をポンと鳴らすと、何度も頷いた。
「んで、それと眼鏡のお兄さんの関係性は?」
「一路の里にある宿」
「なるほど、先に温泉にでも浸かっていろ、というわけか」
「なんでそんなに命令形なのだ……」
「まぁまぁ!……んじゃあ、様子を見に行くとするか」
言うが早いか、美術館の床にドリームキャッチャーのような紋様が出現する。
りくたっぼは、編み笠につけているお守りの一つを掴むと、何やら呪文を唱えだした。それに応えるように、赤い紐が解けてゆく。
「すごい!生きているみたい!!」
弾んだ声を出す夢の胴に、紐がしゅるりと巻き付いた。
紐は、他の三人の胴にも、同じように巻き付いてゆく。
一纏めにされた四人は、何が始まるのか、と疑問符を浮かべる。
(様子を見に行く、って言っていたけど……)
赤い紐に触れ、叶望は「まさか……」と呟いた。
「蕉鹿、涼多たちについて行ってほしいのだ」
「了解っス!」
若草色の目を細め、蕉鹿は名月に向かって白い歯を見せて笑う。
笑みを浮かべる二人とは反対に、晩稲は僅かに動揺を見せる。
「ちょっと、大丈夫なの?思いっきり担ぎ上げられているけど」
「大丈夫なのだ。あいつも、加減は分かっているから……」
「そういうこと!!」
快活な笑みを浮かべ、りくたっぼは勢いよく紋様の中へと飛び込んだ。
驚きに眼を瞬かせている、涼多たちと共に。
蕉鹿も、彼らの後に続くように飛び込んだ。
「……まぁ、今日はもともと(颪のお宿にお客が大勢泊っているから)二十時までには家に帰る予定だったのだ。喫茶店に入れなかったのは残念だが……」
「次のお楽しみ……だね。じゃあ、帰りの船旅、よろしくお願いします!」
「ふぅ、調子のいい奴なのだ」
舟を曳いてもらうこと前提で話す晩稲に、名月は苦笑いを浮かべた。
次いで、勾異紫陽花を見上げ、先程の会話を反芻する。
「『苛立ち』……か」
彼女は窓に近寄ると、ガラス越しに、梅雨しとどの空を仰いだ。




