雨と勾異紫陽花
「……あれから、もう一ヶ月以上経つんだもんなぁ」
堀を流れる屋形船の上から、勾異紫陽花の並木道を見上げ、涼多は、何の気なしにそう呟いた。絶え間なく降る雨が、川の水面に模様を描いている。
「ね、りーの言った通り、あっという間でしょ?」
隣にいたりくたっぼは、焼き魚を頬張りながら目を細めた。
と言っても、りくたっぼは、堀の上を歩いている訳でも、涼多たちと一緒に乗船している訳でもない。
川に、逆さにした赤い和傘を浮かせ、その上に乗っている。
細い柄に体重を預け、胡坐をかいている状態だ。
だが、どういう力が働いているのか、沈みもせず、落ちもしない。
しとしとと降る雨が、りくたっぼの被っている編み笠を鳴らす。
「ああ、そうそう!あの時は悪かったね。アンタの腕を見誤っていたよ。武将さん(飛花)には、遠く及ばないけど、それでも凄いよ!」
「……あまり、褒められている気がしないです」
「おやぁ?曖昧に笑って流す仕事は廃業したんだ」
僅かに眉を顰めた涼多を見て、りくたっぼは意地悪く笑う。
噛み砕かれてゆく魚の骨が、嫌に大きく、涼多の耳に届いた。
「……う~んと、この魚は、アンタが獲ったもんだっけ?焼いたのもいいけど、これは、踊り食いした方が美味しいから、今度やってみなよ」
りくたっぼから話を振られた叶望は、「……すみません、大きすぎるので、ちょっと」と控えめに頭を下げた。
「ええ、美味しいのに」
「だって、500mlのペットボトルくらいの大きさですし……」
叶望の隣に座っていた夢が、魚を掲げてそう言った。
りくたっぼは、「不便なもんだ」と掲げられた魚を一口で平らげる。
「いや、ボクが知る限りだと、それをできる方が少ないっスよ」
「知る限りって、範囲が狭すぎるよ」
堀の両側に設けられた小道を歩いている蕉鹿に、りくたっぼはそう返した。
蕉鹿がつけている鞍の上には、(当たり前のように)晩稲が乗っている。
「そりゃあ、途方もない時間、化生界を旅している方と比べれば……ねぇ」
「おやおや、援護射撃を受けてしまった」
柄をグッと掴み、りくたっぼは立ち上がった。
思い切り伸びをし、勾異紫陽花並木を見上げ目を細める。
「あーあ、視界が赤みががっていなかったら、もっと綺麗に見えるんだろうけど、ままならないもんだ。結界の外だと、上手く育たないし」
「……そうなんですか?」
夢の問いに、晩稲は「そうみたい」と答えた。
「一応、芽は出るし咲きもするよ。でも、今見上げているような、綺麗な色はつかない。……結界内を流れる、妖力や霊力、神力の影響なのか、はたまた、大地を流れる『気』が良いのか」
「まぁ、その『良い気』が流れる場所流れる場所に、町ができている、ともいえるけどね。誰だって、快適な場所で過ごしたいし……」
じとり、と恨みがましい視線を向けられ、名月は肩をすくめる。
次いで、「結界を張っていない『町』もあるのだぞ?」と首を傾げた。
「それはそうだけど、りーの知る限り、掟のない町はない。もっと言うと、里も村もない。言ってしまえば、面倒臭い!」
「集団生活をするのだ。ある程度は、仕方がないのだ。……それから、如何に『良い気』が流れていても、育たないモノは多くあるのだ。色んな場所を見てきたお前なら、知っているだろう?」
「どれだけいろんな場所を見て来たって、その時の気分次第で変わるよ。何も頭に入らない時もあれば、やたらと細部まで覚えていることもある」
「ふぅ、ああ言えばこう言うのだ……」
名月は、顎に手を当てると、どう話を変えようか、と迷う。
その時、叶望が「あの――」とりくたっぼに声をかけた。
声をかけられたことが意外だったのか、りくたっぼは眼を瞬かせる。
「少し前、ルテさんに教わった透明粘土で、勾異紫陽花を作ったんです。……ええっと、木の根から全てではないんですけど、『枝』が、美術館の売店にあります。それと、小さいですが、盆栽のような物も……」
「ああ、田の神様たちの家にある、藤の盆栽みたいなもんか。あれも見事ではあるけど、りー個人の感想としては、何年か前、躑躅百貨店で見た、彼岸棚の方が好きだけどね。……真っ赤な血の海を見上げているみたいでさ」
当時を思い返すように、りくたっぼは、自身のこめかみに指を当てた。
脳裏をよぎるのは、ガラス細工のように透き通った花。
(ああ、軽率なことを言うんじゃなかった。「それで我慢しろってこと?」って言われたらどうしよう。……考えてみれば、直ぐに枯れるものじゃないんだから、枝を切って結界の外に出れば済むだけの話だったのに)
叶望は、首を左右に傾げるりくたっぼを見て、膝の上で微かに拳を握る。
残念そうに目を細めたりくたっぼを見て、気づけば言葉を発していた。
だが、今何かを言うと、言い訳のように聞こえてしまうかもしれない。
かえって、気を悪くさせてしまうかも――。
平静を装いながらも、叶望の心臓は大きく脈打っていた。
悪い想像だけが、みるみると膨らんでゆく。
だが、それら全ては杞憂に終わった。
りくたっぼは、「じゃあ、美術館に行くか!」と魚を頬張る。
叶望は、安堵の胸を撫で下ろすと同時に、あれやこれや、と歪な想像してしまった己を恥じて目を伏せた。
「……郁子が言わなかったら、俺が言っていた」
奏が、こそり、と叶望に耳打ちをする。
「だから、そこまで考えこまなくても大丈夫だ」
「…………ごめん、ありがとう」
奏の配慮に申し訳なさを感じつつ、叶望は礼を言った。
それに合わせたように、屋形船が停止する。
「あたしたちも一緒に行くのだ!ちょうど、おやつの時間なのだ!!」
いうが早いか、名月は、「ほいっ」と船着場に飛び移った。
◇◇◇
「……ほぅ、これは見事な」
透明粘土で作られた勾異紫陽花を見て、りくたっぼは感嘆の声を上げた。
美術館の玄関を潜って直ぐ、畳半帖ほどもある巨大な盆栽鉢の中に、透明粘土で作られた勾異紫陽花の木が一本植わっている。
色付きガラスのように透明なそれは、館内を舞う光鈴の光を受け、涼し気な光を放っていた。
「木の部分はルテが作って、紫陽花は涼多たちが作ったのだ!」
「うへぇ、考えただけで、肩が凝ってきた」
「笛さんたちにも、協力していただきましたけど……」
りくたっぼに「やるじゃん!」と言われ、涼多は、照れ笑いを浮かべて言った。
「……木だけみると、桜の木っぽく見えるんだけどねぇ」
「桜の花が、紫陽花に変わった感じっスね」
蕉鹿が、売店で売られている勾異紫陽花の枝を、りくたっぼに渡す。
甚く気に入ったようで、りくたっぼは、足を売店へと向ける。
その様子に、叶望は安堵の息を吐いた。
次いで、ショルダーバッグに吊るしたキーホルダーに視線を落とす。
初日に作った、まだまだ歪な、売り物にはできない勾異紫陽花だ。
作った記念に、という事で、四人揃いのキーホルダーにした。
「……しっかし、颪からの依頼でしょ?にしては、数が多すぎない?」
「話を聞きつけて、私も俺も、となったのだ」
名月は「ちょうど、『仕事』もなかったし」と長椅子に座る。
帯留めの紫陽花が、きらり、と光った。
「ふむ、この時期は、勾異紫陽花の見物も兼ねているからか、いつもよりお客さんが多いのだ。待っている間、のんびりと時間を潰すのだ」
喫茶店を見つめた後、名月は涼多たちにそう言った。
それを合図に、四人は蕉鹿たちと共に、館内へと散る。
「さて、と。あたしも――」
「そういや、眼鏡のお兄さんは?」
歩き出した名月の背中に、嫌に硬い声が当たった。




