柳は緑花は紅
颪の宿から十分ほど歩いた先に、涼多たちが仕事をする建物はあった。
黒い瓦屋根を持つ木造二階建ての、殆ど家、と言ってもいい建物だ。
颪は「昔は、幽霊さんが住んでいたんですけどねぇ。黄泉路に行っちゃって、住む人もいないんで、何時の頃からか肥料置き場になっちゃって」と説明した。
「郵便局と、似たような感じでしょうか?」
涼多の言葉に、颪は「そうです!そうです!」と頷いた。
「ただ、あちらと違って、お茶をするには不向きですね。精々が、今からやっていただく作業をするくらいで、他のことに使われた試しがありません」
扉をガチャリと開き、颪は涼多たちを中へと通す。
部屋の中なのに、土の匂いが鼻を突く。
だが、四人が想像していたような『薄汚れている』という訳ではなかった。
肥料の入った桶も道具も、雑に扱われることなく、丁寧に置かれている。
「ささ、どうぞ!」
涼多たちは、一階の最奥にある部屋に通された。
部屋の中央には長机、周りには、椅子が四脚置かれている。
棚に入れられていたエプロンをつけ、涼多たちは作業を開始した。
内容は、卵の殻によく似た何かを延々と細かく砕いてゆく作業だ。
颪曰く、最終的には、(企業秘密)な液体と混ぜて完成らしい。
時折、颪が「もう少し細かく」と言う以外、これと言った会話はない。
薄氷はというと、部屋の隅で、眠そうに本を読んでいた。
玉虫色のブックカバーが日に光を受け、時折、キラリと光っている。
少しのむず痒さを覚えながら、涼多は手を動かし続けた。
◇◇◇
「やっほー、夢ちゃん!久しぶり!!」
十六時過ぎ、夢の姿を見た笛は、開口一番そう言った。
涼多たちに会う前に、以前のように妖力を弱らせてきたのだろう。
手を取り抱き合っても、夢の背骨が折れたりすることはない。
篳と篥、鼓も、涼多たちと互いに挨拶を交わす。
笛たちは、「じゃあさっそく、美術館に行こうよ!」と薄氷を見上げた。
次いで、「今日は、名月さんたちはいないんですね」とも。
四匹の視線を受け、薄氷は肩をすくめた。
「ちょっと、用事があってね。今日はいないんだ」
にこり、と笑う薄氷に、四匹は素直に頷いた。
この『用事』というのは、以前刺した杭の様子を見に行くことである。
そして、鼠たちの両親の、琵琶と琴も同行している。
「ふふふ、今日は、お宿が賑やかになりますね!」
颪は嬉しそうに目を細めると、朝顔電話を薄氷に渡した。
◇◇◇
『杭に異常は見られない』
名月たちの言葉は、どれも同じだった。
薄氷は、安堵の息を吐き出すと、涼多たちと共に仕事場を出る。
ふと、川の方に視線を移すと、勾異紫陽花の並木道が見えた。
(桜が散り、初夏の風が吹き、勾異紫陽花が咲き、そして――)
「あっという間ですね……」
薄氷の横顔を見て、何かを察した涼多が、ぽつり、と呟いた。
こちらを急かすような音はなく、どこまでも落ち着いた声だ。
「……ああ、あっという間だ」
薄氷は静かに頷くと、涅色の髪を靡かせて歩き出した。
「ねぇねぇ、風の噂に聞いたんだけど、かなぁり棒術が上手くなったんでしょ?明日、魚取ってよ!そんで、それを昼ごはんか夜ご飯にすんの!!」
篳と篥が、涼多の腕を左右から掴む。
その後ろでは、笛が夢の二の腕を、つんつんとつついている。
「本当だ。前に会ったときも、それなりにしゅっとしているとは思っていたけど、今は、それ以上に綺麗に筋肉がついているわね」
「えへへ、どうもありがとう!」
照れる夢の手の甲を、鼓が「でも――」と優しく撫でる。
「ちょっと肌が荒れているかも。クリームでも塗っておいた方がいいんじゃない?お母さんも、尻尾の肌の荒れ具合で、この間、大きな溜息を吐いていたから。……まぁ、年っていうのもあるんだろうけど」
「一言多い」
笛は、呆れた様子で鼓の抗議の声を無視し、彼女の髭を引っ張った。
同時に、薄氷の脚が、ぴたり、と止まる。
涼多たちが何かを問う前に、颪の根が、彼らを取り囲む。
土道の上に、ドリームキャッチャーのような紋様が出現した。
それを認めた瞬間、薄氷は溜息と共に構えを解いた。
「……やぁ、久しぶりだね。りくたっぼ君」
「そうかなぁ?ここ一年、ありえないくらいの頻度で会っていると思うけど」
のんびりとした声と共に、青白い手が紋様から出てくる。
颪も、逆立てていた毛を戻し、木の根の檻を解いた。
「やぁやぁ、皆さんお揃いで~!」
ずるり、とりくたっぼが現れ、涼多たちに真っ赤な歯を見せて笑った。
「うう~ん、やっぱり、結界の中だとすぐにバレちゃうねぇ。……いや、アンタや眼鏡のお兄さんは、結界の外でも、りーの存在に気づけたかな?」
りくたっぼは、利休鼠の色をした前髪の髪の隙間から、黒白目を覗かせる。
そよ風が吹き、編み笠に吊るされたお守りが、かちゃり、と揺れた。
「いやぁ、もうすぐ勾異紫陽花の季節でしょ?暫くの間、この近くの里か村に滞在しようと思ってね。長い道を、えっちらおっちら、やって来たんだよ」
「すぐ、と言っても、あと一ヶ月以上はありますよ」
「おやおやぁ、異なことを仰る」
颪の言葉に、孔雀の刺繍が施された羽織を翻し、りくたっぼは眼を瞬かせた。
そして、カンガルーを思わせる足で、地面をポンポンと叩く。
「それが、あっという間であることを、知らない訳でもあるまいに」
芝居がかった口調と共に、りくたっぼはぴょんと跳躍した。
近くにあった岩の上に着地すると、「でしょ?」と颪を見下ろす。
どうにも掴みどころのない存在を前に、颪はただ頷いた。
「しかし、珍しいですねぇ。いつもは、一週間くらい前に、お宿を予約しに来られるのに。……まぁ、予約せずとも泊まれますけどね」
「いやなに、珍しいことが起こっている間は、りーも珍しくありたいと思ってさぁ。なんだかんだ、この町とは、腐れ縁紛いなものもあるし」
自虐を滲ませる颪の肩を、りくたっぼは、ポン、と叩く。
だが、視線は薄氷の方を向いていた。
視線を受けた薄氷は、微苦笑と共に肩をすくめる。
しかし、それ以上の会話はなかった。
「……ああ、そうだ。さっき、魚を獲るとかどうとか聞こえた気がするんだけど、まだ、痩せ馬に重荷なんじゃない?」
すっと目を細め、りくたっぼは涼多たちを見る。
夢の隣に立っていた笛が、「そんな大袈裟な……」と呆れた声を出す。
「だって、りーからしてみれば、まだまだ腰かけ程度、って感じなんだもん」
「で、では、明日の朝、見に来てください!」
小馬鹿極まれりな言葉に、涼多は思わず反論する。
意外な人物からの発言に、りくたっぼは「おお?」と目を丸くした。
しかし――。
「やだよ。なんで朝っぱらから結界の中に入らなきゃいけないのさ。今この瞬間も、目の前が赤みがかっていて、どうにも落ち着かないっていうのに……」
りくたっぼは、「昼も嫌だよ?一週間ほど間を開けないと、結界の中に入りたくない」と涼多が口を開く前に言った。
「じゃあ、なんで挑発めいたことを言ったんですか?」
「別にぃ、アンタらがそう受け取っただけ」
自身を見上げてくる夢に、りくたっぼは、ニッと笑みを浮かべた。
続けて、懐から大きな巾着袋を取り出すと、颪に向かって放る。
「宿代。ここいらじゃ採れない、珍しい薬草。それと、別の町で売っていたふりかけ。味は、美味いんだか不味いんだかよく分からないけど、珍しいことに変わりはないから。足りないんなら、お守りもつけるけど?」
「分かっているでしょうに。充分ですよ」
颪はそう言うと、自身の懐に巾着袋を仕舞った。




