名も知らぬ鳥
しゃららん……しゃららん……
もう鳴ることのない花鈴の音が、聞こえたような気がした。
「ん、涼ちゃん、どうしたの?」
伊織に顔を覗き込まれた涼多は、ハッと我に返る。
「い、いえ、……少し、思い出したことがあって」
涼多は、『椿の帯留』という言葉を聞いたからだろうな、と思った。
春が壊してしまった事は伏せ、涼多は「花鈴という綺麗な音の出る楽器が、少し前に壊れてしまいまして――」と伊織に説明する。
壊れてしまった物は仕方がないのだが、どうにも不安で仕方がない。
ただ、何を不安がっているのか、自分自身にも分からない。
そう説明すると、伊織は真剣な表情になり、腕を組んだ。
暫く考え込んだ後、彼女はゆっくりと口を開く。
「……うう~ん、『厄を取ってもらった』と思うしかないかも」
「厄……ですか?」
思いもよらない言葉に、涼多は目を丸くする。
伊織は、涼多に断りを入れると、スケッチブックに鉛筆を走らせた。
「人形なんかも、物によっては『厄』を引き受ける役目を持っているでしょう?それと同じで、涼ちゃんに降りかかる筈だった『厄』を、代わりに引き受けてくれたのよ!!……落としどころとしては、いい答えだと思うんだけど」
胡桃色をした力強い目が、涼多をジッと見つめる。
涼多は、伊織の形容し難い気迫に押され、素直に頷いた。その時――。
「お待たせしました」
静かに襖が開き、ルテが部屋へと入ってきた。
彼は、肩にかけたフェイスタオルで、髪を乱暴に拭いている。
それを見た伊織が「勿体ない……」と呟いた。
部屋に流れている空気の変化を感じ取ったのだろう。
栞は、ぱちりと目を覚ますと、大きな欠伸をした。
「すみません、起こしてしまいましたか……」
「ううん。だいじょうぶです」
寝ぼけ眼を擦り、栞はルテに向かって、首を横に振る。
次いで、「お水もらってきます」と階段を下りて行った。
「足元に気を付けてね!……あと、お水飲んだらもう寝なさい」
伊織がそう言うと、階下から「はーい」と声が聞こえてきた。
栞の声を合図に、涼多も着替えを持って風呂場へと向かう。
ルテと伊織しかいない部屋に、ざあざあ、と雨音が響く。
「……私のこと、裁かなくていいんですか?勘が鋭い方じゃないんでアレなんですけど、途中から、聞いていましたよね?」
伊織は「盗み聞きなんて、趣味がよろしくないですよ」と笑う。
笑みを受けたルテは、小さく肩をすくめた。
「…………襖を、開けるに開けられなかったのですよ」
ルテは、言い訳がましくそう言うと、すいと伊織から視線を逸らす。
子供じみたそれに微苦笑を浮かべ、伊織は窓枠に腰かける。
次いで、彼女は「それで、いいんですか?」とルテに問う。
「裁くもなにも、私は『裁きの神』ではありません。……それに、私も、大切な方たちを欺き続けている身なので」
「あらあら。上手く纏められちゃったわね」
伊織は「ふふっ」と笑うと、光鈴に照らされている幟を見た。
幟の近くを、干乾びたミミズの集合体のような姿をした妖怪が、ささっと駆け抜けてゆく。妖怪が去った後の地面には、青竹が四本置かれていた。
「良かった。池ではめちゃくちゃに殺気を飛ばしてきていたけど、ちゃんと持って来てくれたみたい。……まぁ、ヒダル神様の言葉なら、彼らも聞くか」
伊織の言葉に頷きながら、ルテは、ヒダル神のいる芝居小屋へと目を向けた。
とはいえ、見えるのは光鈴と闇ばかりではあるのだが。
「意外と、そういうのも人と変わらないんですね」
失礼ともとれる言葉ではあるが、ルテが気にした様子はない。
「ええ、物を浮かせたり、多少風を操れること等を除けば、人間とあまり変わりはありませんよ。千里眼もなければ、透視能力もない」
(その『等』っていうのが、気になるところなんだけどね。……聞いたところで、どうという訳ではないんだけど、でも、気になってしまう)
自身の好奇心を呪いつつ、伊織はルテの手元に目を向ける。
彼が両手で抱えている竹籠の中には、椿の苗が四つ入っていた。
◇◇◇
雨降る夜が明け、雲一つない青空が姿を現す。
雨に濡れた青竹の周りに、菜種が土を少量撒き、呪文を唱える。
伊織曰く、結界台や幣堂近くの土なのだそうだ。
加えて、ルテが名月の家の庭から持って来た土も、混ざっているらしい。
菜種の隣では、ルテが短刀を持ち、目を閉じていた。
白蛇の鱗と成淵の鉱物で作られた短刀だ。
短刀は、日の光を受け、痛いほど眩しく煌めいていた。
朝のひんやりとした空気の中に、厳かな気配が漂う。
「……あの、これから何が始まるんですか?」
「それは……見てのお楽しみですね」
疑問符を浮かべる涼多に、ルテは「効果があるか分かりませんし、……少し、照れくさいのですが」と要領の得ない言葉を発し、目を伏せた。
「くっくっくっ、まぁ、精々、大人しく待ってるこったぁ」
アオの腕に、胴体を拘束されたミドロが、にいと笑みを浮かべる。
「……まっ、そうしておくしかないか。それか、また首だけになる?」
「おぅおう、惨いことをお言いになるねぇ」
ミドロは、御免蒙る、と言わんばかりの目を伊織へと向けた。
二人の会話に涼多は戸惑うが、栞はどこか楽しそうにしている。
「涼多お兄ちゃん!もうちょっと食べておいたら?これから、ヒダル神様の所に行くんでしょ?はい、どうぞ!!」
栞から煎餅を受け取り、涼多はパリパリと咀嚼した。
醤油と海苔の良い香りが、鼻腔をくすぐる。
ピィーヒュルルルル……。
涼多は、甲高い名も知らぬ鳥の鳴き声を、聞いたような気がした。
◇◇◇
菜種の呪文が終わり、涼多は、二メートルほどの青竹を伊織と共に担ぎながら、ヒダル神のいる芝居小屋へと向かった。
涼多たちの後ろを、ルテたちは連なって歩く。
時折、栞が土鈴を振り、軽やかな音をあたりに響かせる。
「おーおー、アオがかなりご機嫌だぁ」
勾玉を点滅させるアオを見上げ、ミドロは「くくっ」と笑った。
長い石段を上り、涼多たちは芝居小屋へと辿り着く。
階の前にはヒダル神が立っており、涼多たちに会釈をした。
舞台の上には何もなく、鳥も飛んでいない。
加えて、明かり一つ灯されておらず、昼間だというのに薄暗い。
そんな舞台の上に、ルテは青竹を(地鎮祭で使う忌竹のように)四方に丁寧においてゆく。青竹で囲まれた場所は、畳四帖ほどの広さがあった。
(……あの竹、風が吹いたら倒れないかな)
涼多はそう思ったが、その心配は、直ぐに杞憂に終わった。
菜種が再度呪文を唱え、倒れないようにしていたからだ。
ヒダル神も青竹に一本ずつ触れ、「ひゅうひゅう」と何事かを呟いている。
(儀式めいた何かが始まることは分かるんだけど、本当に、何を始めるんだろう。……舞台だし、劇をしたりするのかな)
門火高等学校での劇を思い出し、涼多の胃が微かに重くなった。
白蛇役だった出錆の嗤い声と、水川の笑みが頭によぎる。
(水川先生も、どうしているのかな。僕たちがいなくなったことで、何か言われていないといいけど。……学校で起こった事じゃないから、大丈夫かな)
希望的観測だとは思いつつ、涼多は「そうであってほしい」と強く願った。
願っても意味がないことだと、知る由もなく――。
「では、始めましょうか」
四角形に区切られた舞台の中央に、ルテは椿の苗を置いた。




