熱血教師・水川先生
・後祭町にある廃屋の前で頭を打ち、一週間ほど昏睡状態になる。
・幸いにも意識は戻ったが、記憶喪失になっていた。
・約二ヶ月のリハビリ生活を経て実家で療養。
・不意に記憶が戻り、将来のことを悲観して自殺。
(……こうしてまとめてみると、あまりにもあっけないな)
ミドロたちを家に上げた火山(水川)は、悲し気な息を吐き出した。
「おぅおう、随分とアオに搾り取られたなぁ」
ミドロの、にいと吊り上がる口の端を不気味に感じつつ、水川は曖昧に笑う。
「……で、どうだったんだぁ?それで教え子さんを見たご感想はぁ」
「おや、気づいていたんですね」
菜種は、懐に入れていた水玉を取り出し、机の上に置く。
続けて、映像を送る役目を終えたそれに、黄色の花が活けられた。
「…………正直驚きました。すごく、しっかりした顔になっていたので」
栞や伊織と話す涼多を思い浮かべ、水川は笑みを浮かべる。
「俺の知っている兎火は……その、『大人しい生徒』だったので。だから、伊織さんと勝負を始めたときは、ただただポカンとしていました」
「ほぉ、そんな大人しい生徒が、大蜘蛛の役をねぇ」
「…………劇の役は、くじ引きでしたので」
水川はそう口にしつつも、「だが――」と思う。
どうしても嫌なら、役の変更は可能だった。
(だけど、兎火はそうしなかった。……あのときは、俺も役決めに時間を取られたくなかったから、あまり気にも留めていなかったが)
今思い返すと、役決めのときも練習中も、涼多は常にビクビクとしていた。
まるで、誰かに怯えるように――。
(俺は、「劇慣れしていなさそうだし、大役だから緊張しているんだろう」と思ってしまっていた。……ああ、本当、今なら分かる。兎火が怯えていた理由が)
水川は、目をきつく瞑ると膝の上の拳を握る。
彼の脳裏に、自身を突き飛ばした出錆の嗤い顔が浮かんだ。
◇◇◇
白蛇火祭り当日。
水川は、とある廃屋から、猫の叫び声と複数人の嗤い声を聞いた。
嫌な予感がし、彼は廃屋へと向かった。
事件性を感じたのであれば、警察に通報しても良かったのかもしれない。
だが、水川にはそれができなかった。
事を荒立てたくないという気持ちと、声の一人に聞き覚えがあったからだ。
嗤い声は、聴いているだけで寒気がしてくるほど不気味だった。
水川は、「気のせいだ」と首を振る。
声の主である出錆は、『とてもいい子』なのだ。
きっと話せば分かってくれるはず。
もしかしたら、無理矢理付き合わされているのかもしれない。
いや、そうに違いない!
だが、水川の思いは、全て無駄に終わった。
廃屋前で激しい口論となり、突き飛ばされ、彼は石に頭を打ち付けた。
後で知った話だが、それは首の取れた地蔵であったらしい。
薄れゆく意識の中、水川は、慌てふためく声と遠ざかる足音を聞いた。
次に目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。
両親が喜んだのも束の間、水川は記憶を失っていた。
日常生活に関することなどは覚えている。
ただ、自身のことだけが、すっぽりと記憶から抜け落ちていた。
名前も住んでいる場所も、家族構成も分からない。
水川の両親は、そのことを嘆きつつも、不安に揺れる我が子を励ました。
「……混乱しているだろうから、テレビやスマホなんかは見ないようにね。情報をシャットダウンして、治ることだけ考えて」
両親に何度もそう言われ、水川は不思議に思いながらも従った。
そのほうがいい、と第六感とでもいうべきモノが告げていたから。
彼は後祭町を離れ、実家で療養した。
だが、家にはどうも居づらく、リハビリも兼ねてよく散歩に出かけた。
認めたくはないが、あれが大人になってから死ぬまでの間で、一番、心穏やかな時間だったな、と水川は思う。
しかし、そんな穏やかな時間は、唐突に終わりを告げる。
寒風吹きすさぶ中、橋の上を歩いていたときのことだ。
特に、何かアクシデントがあった訳ではない。
ふっと、すべてのことを思い出したのだ。
平穏だった心が、どす黒い何かに塗りつぶされてゆく。
誰もいない橋の上、記憶の戻った水川が最初に思ったことは――。
(俺は、世間からどんな風に言われているんだ?)
……であった。
如何に両親や周囲が隠していようと(ひと月半もすれば、かなり治まってきてはいたが)、『後祭の行方不明事件』は耳に入ってきてしまう。
記憶がないときは、他人事のように感じていた。
だが、今は違う。すべてを思い出したのだから。
がたがたと水川の体が震えだす。
だがそれは、寒さの所為では決してない。
自身が受け持っているクラスの、三人の生徒が行方不明。
加えて水川は、いじめがあった、という情報も耳にしていた。
(……行方不明は、学校の中で起こった事件じゃない。でも、学校側が何も対応していないはずは。……いや、どうなんだ?ああでも、『いじめがあった』なんて情報が流れているんだ。真偽はともかくとして、学校に何かしらの連絡は来ているはず。……もしかして、前に母さんが電話で応対していた相手は……)
ぐるぐるぐる……不安と恐怖が渦を巻く。
水川は、一年ほど前に見たロべチューブの動画を思い出した。
◇◇◇
『いじめられっ子の中学生が、イジメっ子たちに復讐する話』
そんな内容の漫画を紹介する動画だった。
何となく視聴して、コメント欄を見て胸が苦しくなった。
漫画に登場する教師に対する中傷が、かなり多かったからだ。
『主人公がいじめられていることに気づかない無能』
『てか、序盤で相談していたのに真剣に聞いてない』
『いや、相談しなくても気づけって話』
『ほんとそれ。机の上に、あからさまに花が置かれてんのに』
『花がなくても、自分なら絶対分かる』
『結局は、生徒にそこまで関心がないんだろうね~』
仕方がない、と思いはした。
そういう教師だっているし、漫画的誇張もあるだろう、と。
『学校で教師をしています。昔はどうか知りませんが、今はイジメに対して真剣に取り組んでいます。今の時代に、こんな漫画が出るなんて……』
そのコメントを見て、「おっ、言ってやれ!」と水川は思った。
同じ者として、共感できる言葉だったからだ。
だが――。
『頑張ってますアピかよ。うっざ。本当に教師してんなら効いてて笑える。てか今の時代、生徒にSNSの使い方も教えるんでしょ?』
『こんなコメント書く奴の授業なんて受けたくね~。自分の経験則として、教師と児相はマジで当てにならん。クソ』
頑張ってますアピ……その一文が、嫌に突き刺さった。
同時に、先程までの高揚感が萎んでゆくのが分かる。
次に目を引いたのが、そのコメントにつけられた『よいね!』の数だ。
どれも、100以上ある。
そして、動画の再生回数は十万以上。
水川は、「十万越えか……」と呟き、慌てて首を振った。
(別に、全員が最後まで見ている訳じゃない。たまたま動画を見てしまった人だっている。それに、今回紹介する漫画のテーマが、たまたまそれだったってだけの話だ。……俺だって、普段生徒に言っているじゃないか)
SNSで嫌なコメントを見ても気にするな。忘れろ。
いろんな考えがある、それだけだ。
最終的には、自分で答えを見つけないといけない。
いいか、『よいね!』の数が全てじゃないぞ。
◇◇◇
「…………はははっ」
かつての自分の言葉を思い出し、水川は己を嗤った。
乾いた嗤い声が、冬の空へと吸い込まれてゆく。
『熱血教師・水川先生』の姿は、もう何処にもなかった。
ep.343




