星月夜の下で
名月の家を出たアオとミドロは、川沿いを適当に歩いていた。
月は山に隠れて見えないが、光鈴と星のお陰で、辺りはかなり明るい。
「この辺でいいかぁ。はあ、夜寒が身に染みるぜぇ」
ミドロはアオにそう言うと、ずっと鼻を啜った。
アオは、土鈴の入った袋から、朝顔電話の入った木箱を取り出した。
寒梅屋に入った際に、店主から貰った物だ。
「…………あぁ?まあ、繋がらなかったら、それはそれでいいだろぅ?」
アオの勾玉が何度か点滅し、ミドロは眉を顰めた。
彼が電話をかけようとしている場所は、白蛇の町でいうところの石火隊だ。
成淵探しが縁で、本部には、朝顔電話が幾つか置かれている。
時代が時代。皆、定時で帰ってしまっている可能性が高い。
そもそも、定時までいなければならない理由もない。
そのくらい、やること(事件など)がなくて暇なのだ。
ミドロは「くっくっくっ、この町は、お堅いこって」と電話をかける。
『…………はい、こちら――』
「おぉ、出てくれるとはあ、思わなかったなぁ」
じっとりを孕んだミドロの声を聴き、電話の向こうにいる相手は、『はあ、出るんじゃなかった』と溜息を吐いた。
「おいおいおい、つれないねぇ」
『だって、面倒事を運んできそうな声ですし』
(確かこいつは、狐の妖怪だったな。……なら、好都合だ)
脳裏に、紺色の着物を羽織った狐を思い浮かべ、ミドロはにいと笑った。
「ちょ~っと、『新顔』の家まで、ひとっ走りしてくれねぇかあ?お前さんのお早い足ならぁ、あっという間に着くだろお?」
勝算は、十二分にあった。
電話の向こうの相手は、『人間寄り』な存在だからだ。
少しの沈黙の後、『はあ、あの人の名前を出されちゃあな。はいはい、分かりました。……ひとっ走りして、どうしたらいいんですか?』と返答があった。
「くっくっくっ、朝顔電話を渡してくれるだけでいいぜぇ。涼多たちと違って、幽霊だから扱えるだろお?んじゃあ、頼むぜえ」
「…………了解」
ごとっ、タッタッ、ガラリ、ぱたん、タッタッタッタッ……。
保留音、何てものはないので、戸の閉まる音や走る音が、朝顔越しに聞こえる。
待つこと約五分。新顔……火山の家に到着したようだ。
ぼそぼそ、とやり取りが聞こえた後、『はい』という声が耳朶に届く。
相も変わらず草臥れた声だ、とミドロは思った。
「あぁ、遅くにすまねぇ。お前さんに、聞きたいことがあってなぁ」
『聞きたいこと……ですか?』
鸚鵡返しに問いかけて来る火山に、ミドロは口角を吊り上げる。
ワクワクしているのか、アオの頭部が、淡く美しい光を放つ。
「本当に、涼多たちに会わねえのかぁ?…………水川先生よぉ」
長く重い沈黙が落ち、ミドロは、自身の周りの温度が、急激に下がったような錯覚を覚えた。彼は、「おーい」と朝顔電話に声をかける。
『…………ええ、俺に、会う資格なんて……ありませんから』
漸く返ってきた言葉に、ミドロは思い切り、眉や口を歪めた。
「ふぅん、教科書を作る資格はあるのにかよぉ?」
彼なりに、上手く返したつもりだったのだが、また沈黙が降りてしまった。
朝顔電話から、寒さとはまた違う、鼻を啜る音が聞こえてくる。
嬉しそうに飛び跳ねるアオを眺めながら、ミドロは溜息を吐く。
(アオに目を付けられるとは、本当に、お気の毒だねぇ)
彼は、憐み半分うんざり半分の気持ちで、水川が落ち着くのを待った。
『……ぅ……うっ、……す、すみ……ません』
「あー、はいはい」
ミドロ自身、誰かの感情に寄り添うことを苦手とするタイプだ。
故に、ぶっきらぼな返答をすることしかできない。
『ですが、前にお話しした通り、涼多たちに会うことも、話をすることも、絶対にできません。…………俺は、どうしようもなく、醜い人間ですから』
「おーおー、卑下するねぇ」
クソ面倒くせぇ、という言葉を、ミドロはどうにか呑みこんだ。
「でもなぁ、涼多たちの性格からして、礼をしたい、と言い出すぜぇ。会えないんなら、朝顔電話で礼だけでも、ってなあ」
『そ、れは…………お願いした通りでお願いします』
「お願いお願いうるせえなぁ。未練が出て来るから云々……だろぅ?」
『……はい』
ホッとしたような水川の声に、ミドロは心中で舌打ちをする。
(ったく、そこまで隠したいんだったら、教科書も問題集も、最初から、作らなければよかったじゃねぇか。本当、ややこしい人間だ)
自身のことは知られたくない。
でも、涼多たちの為にできる事があるのなら、それはしたい。
(つくづく、身勝手で臆病で、陰のヒーロー気取りな聖人君子様だ)
見ている分には嫌いじゃないのだが、自分が巻き込まれるとなると話は別だ。
悪態の一つや三十、吐きたくなってしまう、とミドロは思う。
しかし、拾った側の責任、というものがある。
「……あぁ、お前さんたちが作った教科書と問題集、凄く分かりやすい、だとよぉ。なんだかんだ、喜んでいたぜえ、良かったなぁ」
『ほ、本当ですか?……良かったぁ!』
弾んだ声を聴いたアオが、ミドロをぱしんと叩く。
水川から摂取できる『負』が、隠れてしまったことが気に食わないようだ。
顔を顰めつつも、ミドロは「仕方ねえだろぅ」と言った。
「伝えなきゃいけねえことはあるんだからよお。それに、朝顔電話越しの『負』なんて、たかが知れてんだろうがぁ」
やっぱり生だろ、と言われ、アオは、「それもそうか」と矛を収めた。
アオは、「帰ったら、思う存分腕を巻きつけてやろう」と心に決める。
「……まぁ、まだ俺の勘でしかねぇけどよお。教科書と問題集のお礼に、菓子とか渡されるかもしれねぇが、それくらいは、受け取れよ?」
ミドロは、「いい大人が、そこまで駄々こねたりしねぇよなあ」と(彼の中では及第点な)威圧的な声を出す。
『は、はい……』
「くっくっくっ、ま、何も渡されねぇかもしれねぇけどなぁ」
これ以上は、特に話すことはない。
ミドロが通話を終えようとしたとき、アオがばっと頭部を上げた。
「ん?どうし…………あ」
視線の先に、白蛇の屋敷から帰ってきたであろう、ルテの姿が小さく見えた。
赤い欄干の橋を渡っている彼を見て、アオの頭部が点滅する。
ミドロの頭に、アオの、やたらと上機嫌な声が聞こえてきた。
先程の不機嫌さはなくなっていたが、幼子が、笑顔で虫の翅を引き千切って遊ぶような無邪気を孕んでおり、ミドロは再度、溜息を吐く。
「水川先生よぉ。お前さん、丸眼鏡の神さんに会ってみたくないかぁ」
『……えっと、丸い眼鏡だけを守護する神様……ですか?』
(どんな神だ、と思ったが、『八百万』ってくらいだから、案外いるかもな)
笑いをかみ殺しつつ、ミドロは「違う違う」と言った。
「丸眼鏡の神さんはな――」
◇◇◇
『――お会いして、みたいです』
話を聞き終えた水川は、真剣な声でそう言った。
「くっくっくっ、会えるかどうかは、あっちの都合にもよるけどなぁ。……でも、お優しい神さんだから、聞き入れてもらえるだろうぜぇ」
ミドロは、ルテが渡って行った橋を見る。
当たり前ではあるが、今は誰もいない。
(……こっちに気がついてはいたみたいだが、丸眼鏡の神さんといえど、話の内容までは分からねぇか。千里眼も順風耳もお持ちじゃねぇし)
アオも、それを見越してのことだろう、とミドロは心中で呟いた。
次いで、彼は朝顔電話に向けて、口を開く。
「まぁ、期待せずにまってろよなあ」
『……はい』
水川の声を最後に、通話は終了した。
アオは、萎れた朝顔を持ち上げると、ひゅんと川に放る。
(あ~あぁ、帰る時が楽しみだな)
山から顔を出した月を見上げ、ミドロはくつくつと笑った。




