姉弟喧嘩
「中は段差が多いので、転ばないよう気を付けてくださいね」
朝、涼多たちを蚕室に連れて行ったルテは、軍手片手にそう言った。
空は薄く雲がかかっており、ぼやけた太陽が見える。
涼多は、目の前にある二階建ての民家を見上げた。
瓦屋根が美しく、時代劇で見た『庄屋の屋敷』を彷彿とさせる。
所々、改装や修繕はされているようで、扉と一部の窓は、ステンドグラスのついた洒落た造りになっていた。
がちゃり、と扉を開け、一行は中へと入る。
ずっと閉じられていたからだろう。埃っぽい空気が届く。
中は思っていた以上に明るく、十四帖ほどの部屋には、大小さまざまな機械が、布をかぶせられた状態で置かれていた。
部屋の隅には、巨大な鳥籠のような道具や木箱。
後は、真っ二つに折れた尺定規もあった。
ルテが指を軽く振り、片っ端から障子を開け放つ。
さらに明るさが増すと同時に、夏であれば心地のいい風が入ってくる。
「……すごい、風通しのいい家ですね」
二の腕を擦りながら、涼多はポツリと呟いた。
「ん~と、確か『蚕室を温める《温暖育》と、風通しのよさを利用した《清温育》のいいとこどりをした形』とかなんとか言っていた気がするよ。ほら、二階を見てみな。格子のついている場所があるでしょ」
晩稲は、すいと指を天井へと向ける。
確かにあるが、絨毯でも敷いているのか二階の部屋は見えない。
「一階で火を焚いて、換気窓なんかを使って内部を温めるんだってさ。……もっとも、今は薄の私物置き場になっているみたいだけど」
一階は雀たちの荷物置き場で、二階は薄氷の私物置き場のようだ。
綺麗な建物だけに、涼多は、もったいないな、と思った。
それは、夢も同じようで「ちょっと紅葉食堂に似ているし、カフェとか開けそうなのになぁ」と部屋を見渡している。
「まあ確かに、編み上げブーツのお嬢さんや、ニヒルな文豪さんが出てきても不思議じゃない見た目だよね~。……ただ、如何せん立地がね」
町の中心部からはかなり離れているし、人通りも少ない。
晩稲は「そういう場所って、結構あるでしょ」と続ける。
「それでも儲かるんだったらいいけど、ここじゃちょっと厳しいかな」
窓枠を指で一撫でし、指先についた埃を「ふっ」と飛ばす。
「……半年誰も来なかったら、やっぱ埃ぽくなっちゃうね。それに、夏の空気が閉じ込められたまま腐ったような感じがする」
「だから、空気を入れ替えるんスよ」
蕉鹿は、晩稲の撫でた窓をカチャリと開ける。
「では皆さん、始めましょうか」
「はい。よろしくお願いします!」
「私は部屋の中の機械を廊下に出しますので、皆さんは木箱や工具を運び出してください。持ち上げられないものがあれば言ってくださいね」
「くれぐれも無理しては駄目っスよ」
「腰をやられると、あとが辛いから。いや、マジで」
ルテの言葉に、蕉鹿と晩稲も続く。
四人はコクリと頷き、作業に取り掛かる。
「雀製糸工場でも、こんな感じの掃除をしたね」
叶望は、目の前にあったガサついた木箱を持ち上げた。
底に穴が開いているのか、中に入っていた工具が落ちる。
拾い上げると、小さく雀のマークが彫られているのが分かった。
「……心なしか、春さんが作った雪像に似ている気がする」
近くにいた涼多が、「あの時は大変だったね」と眉尻を下げた。
「うん。何事もなくてよかったけど」
ふたりして、あの時のことを思い出す。
涼多が薄氷と共に居酒屋に行った日。
薄氷が春から報告を受け、晩稲と酒を飲み交わした後の出来事だ。
◇◇◇
雀製糸工場に向かう薄氷を見送り、名月が「あたしたちも、そろそろお暇するのだ。今日は食堂で夕食にするのだ!」と躑躅百貨店に向かっていたとき――。
「はあ……」
結界台の近くで、落ち込んだ様子の春と出くわした。
「おや、春。そんなにシュンとしてどうしたのだ?」
春と蛍は、一時間ほど前に家路に就いたはずだった。
「いえ、大したことではないんです。……少し、蛍と喧嘩をしてしまって」
喧嘩とは無縁のふたりにしては珍しい、と名月は目を丸くする。
「なんでまた」
「…………私が、世話を……焼きすぎてしまって」
頬を膨らませた蛍に「余計なことしないでよ!」と言われたのだそうだ。
それを聞いて、名月は人差し指をこめかみに当てた。
思い当たる節はいくつかある。
春自身、「過保護すぎでしょうか」と何度か質問してきたことだ。
「それで、でも心配だから、と言ってしまったんです。そしたら、結界台の方へ走って行ってしまって……」
焦って追いかけ、名月たちに声をかけられて今に至る。
春は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
ふたりの過去を知っているだけに、涼多は、何とも言えない気持ちになった。
ただ、蛍の気持ちも分かってしまう。
(誰にだって、一人でいたいときとか話しかけないでほしいときってあるよね。六百年も一緒にいたら、尚の事……)
それにしても、喧嘩をするほどとは。
よっぽど、あれやこれやと世話を焼いてしまったのだろう。
「でも、もう真っ暗だよ。子供が一人で出歩いていたら危ないんじゃ……」
夢は「いくら光鈴が飛んでいて明るいって言ってもさぁ」と名月を見る。
彼女の言う通り、光鈴が数十と飛んでいようとも、太陽の光には敵わない。
奏が「人攫いに遭ったりなんてことは……」と不安げな声を出す。
どれだけ平和な場所であれ、そういったことはある。
だが、それはないのだ、と名月は首を振った。
結界台に視線を移し「これがあるからな」と腕を組む。
奏も、「あ、そうか」と淡い光を見つめる。
そして、「……どこかに落っこちていないといいが」と眉をひそめた。
人通り多い場所なら誰かが見つけてくれるだろうが、そうでないなら――。
「まさか……」
春は青ざめた顔のまま、胸の前で手を組んだ。
涼多はたまらず「蛍君を探しましょう!」と名月に言った。
他の三人も、我が意を得たり、と勢いよく頷く。
「うむ、さっそく行くのだ!」
散り散りになれないのが辛いところだが、六人で捜索を開始した。
「……ありがとうがざいます」
涼多の袖をくいっと引き、春はそう呟いた。
今にも離れていってしまいそうな、控えめな手つき。
伏せられた瞳からは、以前見た狼のような光は感じられない。
「あ、あの、暗くて危ないですから、……どうぞ」
自分でもよく分からないままに、涼多は春に手を差し出す。
春は目をぱちくりとさせ、言葉の意味を探っていた。
みるみるうちに頬が赤く染まり、「……失礼します」と涼多の手を握る。
その手が異様に冷たくて、思わず懐に入れていた温石を渡す。
多少の逡巡の後、春は温石を受け取った。
「ありがとうございます。涼多さんは、大丈夫ですか?」
「意外に平気です」
もう一度、涼多は、少し温かくなった春の手を握る。
長屋を出る際に晩稲が渡してくれたので、十分に石は温かいはずなのだが。
(幽霊だから?それとも、冷え性だったりするのかな……)
母を思い出し、涼多は胸が締まる思いがした。
「あの、もしよければ、これも……」
首に巻いていた頭巾を解き、春に差し出す。
「いえ、……手がとても温かいので、その、大丈夫……です」
頭巾を巻きなおし、涼多は「そ、そうですか」と前を向く。
ぎゅっと、強く手を握られる。
蛍が見つかるまでの三十分、手を繋いだまま、ふたりは町を歩いた。




