透明な遮眼革
「そ、そうなんですか……」
ルテの言葉に、奏は戸惑いながらもそう言った。
「はい。不吉、とまでは言いませんが、どうにも心がざわつくのです。……きっと、血の色を連想してしまうのでしょうね」
あの人たち……両親の首から流れていた色。
思い出してしまった今、余計に避けたくなる色だ。
「それでも、生命や陽の明るさを表す色だからでしょうか。吸い寄せられてしまう色であることも、また事実なのです」
田の神だってそうだ。
血のように赤く、活力に満ちた色をしている。
だから銅鐸に姿が描かれていたり、『勝ち虫』としても大切にされてきた。
本人たちは、どちらかというと穏やかな性格をしているが。
「とある古墳では、全体が赤く塗られた石棺が発見されたという話も聞きます。恐れ、畏れ、切っても切り離せない色、と言ったところでしょうか」
だから、気づいたら彼岸花ばかり透明粘土で作っていた時期もあった、とルテ語る。突発的に、手を付けたくなる色なのだ、と。
「距離を取りたいと思っているのに取れない、不思議な色です」
「そこまで、考えたことなかったです……」
奏としては『血の色だから嫌だな』と思っただけだ。
それに、蕉鹿のあの姿を間近で見てしまったから。
今、彼が羽織っているポンチョモドキは草色なので、少しホッとしている。
奏の心中を察したのか、ルテはふっと微笑んだ。
「……きっと、遮眼革が外れたのだと思いますよ」
「え?」
「目には見えない遮眼革が……ね」
言い終わった直後、びゅうう、と強い風が吹いた。
舞い散る粉雪の量が、心なしか増えたような気がする。
ルテが「そろそろ中に入りましょうか」と土間へと続く扉に手を伸ばす。
(……名月が残念がりそうだな)
雪曇りの空を見上げ、奏は思った。
彼女は、無季商店街に寄ってから、長屋に来る予定だ。
新粉細工を買いに土用三郎に行ってくる、と言っていた。
(朝起きた時は「これでもか」ってくらい、いい天気だったのに……)
それが、一時間ほど経ったあたりから怪しくなった。
(で、今はこれだもんな……)
あたしの勘も捨てたものじゃないのだ、と言っていただけに――。
「……っ!眩しっ!!」
時折雲が切れ、隙間から漏れた太陽の光によって、瓦がキラキラと光る。
雪が解け瓦が濡れている所為で、目に入ってくる光が余計に眩しい。
しばらく目を瞑り、軽く瞬きをする。
「……長屋の裏は、無事だったんですね」
「壊れたのは店先の一部だけでしたので。商品を入れると、もっとですが」
扉に手をかけたまま、ルテは奏に言った。
長屋以外の場所も、もう殆ど工事は終わっている。
『一部分だけ綺麗だと、違和感が凄いのだ』
躑躅百貨店で、名月は直された壁を触りながら、そう呟いていた。
白雨屋を見た時もそうだ。
元に戻ったようでいて、爪痕はそこかしこに残っている。
「……あの、ルテさん」
「はい。なんでしょう」
「変なことを聞くようで、申し訳ないんですけど……」
どう伝えようか迷う奏の言葉を、ルテはじっと待っていた。
「ルテさんたちは、俺を恨んだりしないんですか?……その、俺がいたから、蕉鹿は大怪我をしたの――」
「それ以上言うと、怒りますよ」
ぴしゃり、と言葉を切られ、奏はひゅっと息を吸った。
目の前の彼は、怒った顔も悲しそうな顔もしていない。
どちらかというと「何言ってんだコイツ」が一番近いまである。
ルテは、「コホン」と咳ばらいをすると、奏に近づき口を開いた。
「それなら最初から、契約なんてしていません」
奏の手を取り、契約が施されている手首をスッパーンと叩く。
反射的に手を引っ込めようとするが、思いのほか手を掴む力が強い。
ルテは大きく溜め息を吐くと、「では伺いますが……」と奏に問う。
「……あの場にいたのが他の方だった場合も、音律さんは、私に同じような質問をしましたか?そうではないでしょう」
言葉に詰まる。
ルテは「ほらね」と呟くと、叩いた謝罪をし、すっと手を放す。
「見誤ってはいけませんよ」
奏も目を真っすぐ見据え、ルテは静かに告げる。
「あんなことが起こらなければ、良かっただけの話なのですから。……まあ、結果的に誰も死んでいないからこそ、言えることなのかもしれませんが」
「…………すみません」
「いえいえ。さっ、早く中に入りましょう」
ルテがそう言った時、再度強い風が吹き、山茶花の枝がポキッと折れた。
彼は「拾うので、先に入っていてください」と奏を促す。
「わ、分かりました。あの――」
もう一回、謝りそうな奏の背中を押し、半ば強引に家の中へと押し込む。
一人になった庭で、ルテは山茶花の枝を拾い上げて溜め息を吐いた。
目の前の山茶花は、皮肉なほどに美しい。
(もし、蕉鹿が死んでいたら……あまり考えたくはないですね)
悲しみは勿論あるが、自分たちもどうなるか分からない。
(そうでなくても、『恨む』というのも、ありえたかもしれません……)
覚悟を決めていたとはいえ、『それでも』が先に出てしまいそうだ。
熱を出して倒れた時(全てを思い出した直後)は、それなりに恨みや怒りが、身体の底から湧いて出てきたのだから。
命三つで村人全員の心に希望を灯した、と言えば聞こえはいい。
しかし、裏を返せば、その所為で両親は死んだのだ。
(そして私は、生贄として穴に落とされ死んだ……)
全て、仕方がなかったことではある。
人の力が及ばない『何か』を、どう宥め、満足させ、そして自分たちを守ってもらうか、極限状態の中、とにかく必死だったのだから。
でも、それとこれとは話が別だ。
頭では分かっていても、心が納得できないでいる。
あれから、村人たちがどう生きたのかは分からない。
『きっと雨は止む』と、希望を持って死んでいったのだろうか?
それとも、真逆だろうか?
もしかすると、村から逃げた者もいたかもしれない。
生きていけるかは、望み薄だが。
いずれにせよ、滅んでしまったのだけは確かだ。
あまりにもあっけない。
去来した思いはただ一つ『自分たちの死は何だったんだ?』だ。
(思い出した後、『もし、自分が村人側であったなら』とほんの少し思えるように、言い聞かせられるようになったのは――)
実を言うと、薄氷たちに話した事には、嘘が混じっている。
本当は、かなり恨んでいた。今でも、どちらかと言えばそうだ。
この思いは、自分の命が潰えるまで、完全には消えないだろう。
軸こそ違うが、大蜘蛛の気持ちが、ルテには少し分かってしまった。
(……まあ、分かったところで、相容れない存在なことに変わりはありませんが。あの強い『恨み』を持続させられる理由は、理解できますね)
それでも、今はちゃんと踏みとどまれる。
踏みとどまるに足る理由が、この町には数多あるのだから。
「ルテさーん。まだ山茶花を見ているんスか?」
数多の一つが、ひょっこりと顔を出す。
蕉鹿はルテの手にしていた枝を見て、さっと顔色を変えた。
トストスと近寄って来て、「……折っちゃたんスか?」と小声で問う。
「違いますよ!風で折れたので、拾っただけです」
「ああ、よかった!てっきり――」
「……貴方が普段、私をどう見ているのかがよく分かりました」
「冗談っスよ!冗談!!」
慌てたように手を振ると、「入りましょうよ」と踵を返す。
調子の戻りつつある蕉鹿を見て、ルテは「……ええ」と頷いた。




