騎士の死(2)
俺は正直に言って、あの男のことが、あまり好きではなかった。
だって、そうだろ?
俺より年下の癖に、俺より背が高くて、顔がよくて、おまけに剣の腕もずば抜けているのだ。羨ましいを通り越して、妬ましくもなるってもんだ。
剣だけじゃない、他のたくさんの武器を、あの男は全て完璧に使いこなしていた。
それに、体術はおろか、捕縛術なども物凄い技術を持っていたのだ。
そういえば、監獄や王城の地下牢の門番や牢番をしている屈強な男たち。彼らはあの男と、割合親しかった。よく、あの男に個人的に頼み込んで、体術などの指導をしてもらっている姿を見かけた。王太子殿下を唯一捕獲できる男として、あの男は彼らから深い尊敬の眼差しを注がれていた。
……いや、俺もさすがに、曲芸師のような動きで逃げ回る王太子殿下を鮮やかに捕まえるあの男の手際には、思わず拍手してしまったけどな? あれは凄いよ、ほんと。
だが、俺はあの男の雰囲気が嫌いだった。
常に冷静、と言えば聞こえがいいが、あの男は基本的に王太子殿下以外の人間には、およそ冷たかった。
礼儀正しく、誠実な男ではあった。
しかし、誰にでも淡々と感情の読めない顔で接して、馴れ合いを好まなかった。
男も女も寄せ付けようとはせず、王太子殿下が関わらない場所では、あの男は常に孤高を貫いていた。
それでも剣の腕と勇敢さなどから、騎士団内でのあの男の評価は高かった。
それに、あの男は王太子殿下の側近ではあったものの、殿下に媚びを売って出世を望んでいるわけでもなかった。むしろあの男は、王太子殿下とは最も対等な位置にいた。
王太子殿下もまた、あの男を己と対等な存在として扱っていた。それだけの能力が、あの男にはあったのだ。
だから、誰もが心の中ではあの男のことを尊敬していた。
口では悪く言っている奴――そう、俺だって、あの男のことを尊敬はしていたさ。
でも、あの男の冷たい雰囲気、あれが嫌いだった。
全てを拒絶している、人間らしくない空気。あの冷たさが、嫌いだったのだ。
――それがいつの間にか、変わっていった。
「アディート!」
「ハルカ?!」
長い丈の巫女服の裾を持ち上げて、1人の少女が息を切らして男に駆け寄る。
あー、こらこら、ばっちり見えてる白いふくらはぎが、ちょっと危険ですよー。
などと思っていたら、凄まじい形相をしたあの男が慌てて彼女に駆け寄って、即座に彼女の両手を掴んで長い裾を下ろさせた。
「アディート?」
「ハルカ、あれほど服の裾を持ち上げてはいけませんと言ったでしょう! むやみに肌を人前に晒してはいけません!」
「え。だって、わたしは歩くのが下手だから、殿下が転ぶよりはましだから構わないって……」
「それは少しだけなら持ち上げてもいい、という意味でしょう? ハルカは思いきり持ち上げすぎです!」
「ええ? でも、膝くらいまで上げないと、うまく走れないよ」
「膝まで持ち上げるのは、上げすぎです! それに、無理なら走らないでください!」
「え、でも、誰も何も言わなかったよ?」
ここは騎士団内の訓練塔。当然、建物内にいるのは野郎ばかり。
……そりゃ、若い娘さんの生足が見れるのに、誰も文句は言わんだろう。
「……ハルカ、いいですか。男は皆、ケダモノです。騎士にも例外はありません。むやみやたらに、年頃の娘が肌を晒してはいけません」
「え、で、でも……そんな。ほら、今だって、誰もわたしのことなんか見てないよ?」
「当然です」
見ていたら、目玉刳り貫きます。その後、息の根を止めます。ええ、確実に。
……という、実際に口に出してはいないが心の中では確実にそう言っているであろう、生々しい殺害予告が聞こえる本気の殺気が宿った切れ長の目が、訓練場内にいた俺たちをゆるりと一瞥した。
手を止めてさり気なく2人に注目していた俺を含めた全員が、即座に2人から視線を逸らし、各々、行動を再開した。
……まぁ、「怖っ!! 何あいつ、怖っ!!」と皆で小声でひそひそと囁きあったけどな。
「えっと……よくわかんないけど、ごめんね、アディート」
「お願いですから、いい加減自分が年頃の娘だと自覚して、私の言うことを分かってください、ハルカ……」
項垂れた声の男に、なんとなく皆で同情した。
言ってもわかってくれないんだな。色々困るだろう、そりゃ。無邪気に笑いかけられても、こっちには色々と反応してしまう、生理的な機能が備わっちまってるもんな。どうしても抑えきれない本能的な欲求っていうのがあるもんな、男ってのは。
がっくりしている男に、純真無垢な『光の神の使者』である少女は、更なる追撃をかけた。
「……なんか、アディートって」
「はい?」
「そういうところ、お父さんみたいだね」
「…………は?!」
「だって、『男は皆、ケダモノです』とかさ。大丈夫だよ、騎士団の人たち、皆優しいし」
「いえ、あのですね、ハルカ」
「それに、アディートだって、わたしにそんな変なこと、思わないでしょ?」
「………………」
うわ、かっわいそー……。
と、2人の会話を聞いていた俺たちは思った。
男たちの醜い欲望が篭った視線から少女を守ろうと自衛と警戒を諭した結果、彼女はまだ20代前半の親切な男に対して、まさかの父親呼ばわり。
更に、騎士団の騎士――実態が割と『ケダモノ』な男たちを庇われ。
挙句の果てに、「どうせわたしなんて……」などという自嘲ではなく、「だってアディートだもん! 誠実な騎士さまだもの、そんなこと思わないよね!」という、眩しいばかりの純真な信頼の笑顔をもっての、止めの一言。
あいつ、いくら女に冷たくても、女嫌いってわけでもなさそうだしなー。
一応、生理的な欲求の処理として、そういう店でそれなりのことはしてたみたいだし。
見た目や仕草は子どもっぽいとはいえ、使者様、結婚可能な年齢だって王太子殿下も言ってたしなー。困るよなー、身近にいるそういう子にそんな風に信頼されて、色々と無防備に接してこられたら。
無言で頭を抱えている男を、少女は不思議そうに見つめていた。
ある日突然、光の神殿に現れた少女。 光の神が遣わした、『光の神の使者』ハルカ様。
彼女の護衛騎士を王太子殿下から命じられた男は、彼女と過ごしていくうちに、だんだんと変わっていった。
表情が柔らかくなり、温かな温度のある――人間らしい空気を纏うようになった。
驚くほど、わかりやすい変化だった。
緩やかにではあったが、彼女の存在は確実に、男を変えていった。
だから、騎士団のほとんどの人間は、ハルカ様の存在を歓迎した。
彼女のおかげで魔物の大規模な討伐遠征に向かえた、というのもあるし、血と争いを嫌う光の神の使いでありながら、彼女が遠征に何度か同行して、泣きながらも必死に被害者の救助を手伝う姿を見てきた、というのもある。
しかし、俺らが何より嬉しかったのは、彼女のおかげであの男――アディート・ルクスと、ようやく『仲間』らしく接することが出来たことだ。
それまで、丁寧な態度ではあったものの、他者とは明確に一線を引いていた男が、彼女が来てから、その境界線を崩し始めた。
本人にその自覚があったのかどうか、それはわからない。ただ、俺や他の奴らは、以前よりもとっつきやすくなったあの男のことが、少しずつ好きになっていったのだ。
剣技に優れ、頭も良く、礼儀正しく、美しい騎士。
アディート・ルクスは基本的には真面目な男だったが、王太子殿下とハルカ様が関わると、途端に面白い男になった。それが傍から見ていて何だか可笑しくもあり、微笑ましくもあった。
――ハルカ様が来てから、あの男は変わった。
俺たちは、ようやくあの男と『仲間』らしく触れ合えるようになったのだ。
アディート・ルクスの死は、その矢先の出来事だった。
***********************************
「……大丈夫か? ジャン」
夕刻、騎士団の宿舎の一室。
ルークとの相部屋で、俺は寝台に寝転がって天井を睨みつけていた。
そんな俺に、仕事を早めに切り上げてきたルークが心配そうに声をかけてきた。
俺はルークの問いに答えず、ただ、黙って天井を睨みつけた。
彼に心配をかけて、申し訳ない、という思いはあった。
ただ、それすら言葉にするのが億劫なほど、昼間に怒りで昂った精神が未だ落ち着かず、このまま口を開いたらルークに酷い言葉を言ってしまいそうで、それが嫌で沈黙を守った。
同期で入団してからずっと俺と同じ部屋だったルークは、そんな俺の態度には慣れているし、何よりそういう時の俺の精神状態をちゃんとわかってくれている。だから彼は余計なことは言わず、気分を害した様子もなしに、ただ心配そうに俺が落ち着くのを待ってくれた。
――あの後。
昼過ぎに、監獄内の通路でレーミアの言葉に激昂して彼女を怒鳴りつけた俺は、俺の怒声と剣が壁に叩きつけられる音を聞いて駆けつけてきた監獄内の牢番や巡回の騎士たち、そして戻ってくるのが遅い俺をわざわざ探しに来ていた王太子殿下によって、なんとか宥められた。
それでも俺の怒りは中々収まらず、まともにレーミアの顔を見ることも、何があったのかを説明することも出来なかった。レーミアも、突然俺に怒鳴りつけられた衝撃ですっかり動揺して怯えてしまい、泣き出してしまっていた。
「彼女は私が預かろう。そもそも、用事があったのは私だからな。
ジャン、お前は、今日はもう宿舎に戻れ。ひとまず部屋で気を静めろ。ここで彼女と何があったのかという報告は、お前が落ち着いてから聞こう」
そう言ってその場を収めたのは、他でもない王太子殿下だった。
ああ、忙しい殿下に手間をかけさせてしまった。いや、それよりも、ただでさえ仲の悪い魔法使いと騎士団だ。俺がレーミアを怒鳴りつけたことで、レクシスのババアから殿下に苦情が来たら。レーミアに事件の捜査の協力を断られたら。
そのことに気がついて少しだけ思考がまともに戻ったものの、それでもまだ、俺の頭の中にはあの日の光景が何度も何度も蘇ってきた。
だから俺は、王太子殿下に黙って頭を下げて、逃げるようにして隊舎にある自分の部屋へと戻ってきたのだ。
「ジャン、そろそろ飯の時間だけど……。どうする? お前の分、取ってこようか?」
ルークの遠慮がちな声に、俺はようやく彼の方に顔を向けた。
もう、そんな時間か……。
「……いや。一緒に飯を食いに行くよ。……心配かけて悪い、ルーク」
ルークの気遣いによって、ようやく落ち着いてきた俺は、苦笑して身体を起こした。
寝台に手をついた際、俺が爪を立てて傷つけた掌が鈍く痛んだが、気にしなかった。この程度の痛みには、慣れっこだ。
ルークは俺の謝罪に、「気にするな」と豪快に笑った。
ほんと、こいつは明るくていい奴だ。騎士団に入団してからというもの、嫌なことがあって落ち込んだり苛立ったりしたとき、俺は何度もこいつに助けてもらってきた。
今日の夕飯の献立は何かな、などとルークと話しながら部屋を出たとき、通路の向こうから歩いてきた1人の文官が、俺に声をかけてきた。
普通の文官の制服よりも格段に見栄えと質のいい、群青色の制服に身を包んだ、まだ若い男だった。
見覚えのあるその顔に、ルークは「何故彼がここに?」という風にきょとんとして、俺は「せめて夕飯が終わってからにしてくれよ……」と口の中で呟いた。
「ジャン・デステュ殿。王太子殿下がお呼びです」
彼が呼んだ名前に、ピクリと俺の頬が引き攣った。ご丁寧に、そう呼ぶとは。
そういや、殿下、落ち着いたら報告を聞こう、とかなんとか言ってらしたな……。
ああ、今日は夕飯抜き、決定か……。
俺の切ない表情に気がついたルークが、「食堂の係の奴に言って、ジャンの分は取り置きしておくよ」と言ってくれたため、俺は彼に感謝の言葉を言って、わざわざ俺を迎えに来た王太子殿下の筆頭補佐官と一緒に、王城内にある殿下の執務室へと向かった。
「……王太子殿下は、俺のことをお怒りなのか?」
道中、なんとなく思ったことを口にすると、俺の横を歩いていた筆頭補佐官は、不思議そうな顔を俺に向けた。
貴族らしい、端正な顔立ち。金色の髪と青緑の瞳をもつこの筆頭補佐官は、宰相閣下の長男にして、王太子殿下の従兄弟にあたる男だ。
恐らく、王太子殿下が新王として即位され、今の宰相閣下が退官する際には、この男――シャイサース・フォルギオ殿が新たな宰相となるのだろう。
宰相閣下によく似た面立ちをした彼は、常に厳しい表情をしている威厳に満ちた父親に似ず、いつも穏やかそうな、柔和な表情をしている。
しかし、さすがはあの辣腕政治家の息子。彼は王太子殿下の筆頭補佐官として、非常に有能な人物だ。王太子殿下の行われる政策について、多くの重臣や貴族と折衝し、温和な笑顔を浮かべたまま、見事に彼らを掌の上で転がしている。
騎士団内での王太子殿下の忠臣の筆頭がアディート・ルクスだったなら、文官内での王太子殿下の忠臣の筆頭はこのシャイサース・フォルギオ殿だ。彼も王太子殿下の側近の1人として、殿下に非常に重用されている。
シャイサース殿の王太子殿下に対する忠誠は深く、アディート・ルクスと同様に王太子殿下の命令には常に忠実だ。その上、彼は大貴族の子息でありながら、王太子殿下同様、あまり身分に固執した価値観を持っていない。
シャイサース殿はアディート・ルクスの聡明さに早くから気づき、王太子殿下と同じように、殿下の行われる政策に対するアディート・ルクスの意見をよく聞き、彼のことを信頼していた。
時々急にいなくなる王太子殿下の捕獲係をアディート・ルクスに任命するよう、父親である宰相閣下に最初に働きかけたのも、彼だと言う。王太子殿下の突拍子のない行動に、アディート・ルクスに次いで振り回されっぱなしなのが、シャイサース殿だからな……。
「いいえ? 王太子殿下はいつもと変わりありませんが。何故、そのようなことを?」
「……いや。シャイサース殿が、わざわざ私などを呼びに来られたのでな」
「ああ、それは、他に手が空いている者がいなかったからですよ。深い意味はありません」
「……そうか」
にこにこしている温和な筆頭補佐官殿に、俺は曖昧に頷いた。
さすがは大貴族の一員。本心が全く見えない、裏のなさそうな綺麗な笑顔だ。
しかし、まぁ、それはないだろ。殿下の周りに他に手が空いている者がいないとか。ありえん、ありえんな、それは。どんなに忙しい人間でも、王城に仕える者にとって、王太子殿下の命令より優先するものは、今のところはほとんどないはずだ。
……まぁ、確かにシャイサース殿は、王太子殿下の命令で色々なところに顔を出す。
あんた筆頭補佐官だろ、何やってんだよこんな所で、と言いたくなるような王城の隅っこにまで。それも侍女や侍従に命じればいいような、ごく簡単な用事のためだけに。
それは恐らく、王城内に王太子殿下の目が常に行き届いているということを、他の者によくわからせるための行為だ。
広大な王城内では、時々、犯罪紛いのことも起きることがある。王城を訪れた貴族が気に入った侍女を暴行しようとしたり、侍従に不条理な暴力を働いたり、な。勿論、魔法使いの塔や騎士団内でも、そういう事件が過去に起こったことがあるから、殿下の補佐官たちは偶に騎士団内に現れることもある。
それに、国王陛下が病に倒れる前には、陛下の癇癪によって何人もの侍女や侍従、その他の王城の下働きたちが、陛下から折檻され王城から追い出されることがあった。
あの頃は、俺たち騎士も王城内に足を運ぶ際には、陛下の癇癪から彼らを守るようにと王太子殿下から命令されていた。それは王太子殿下の補佐官であるシャイサース殿も同様だろう。
だから、シャイサース殿が俺を呼びにくるのは、何も不自然なことではない。
事実、ルークも彼の姿を見て最初は不思議そうにしていたものの、「ああ、また王太子殿下からなんか適当な用事を言いつけられたのか」といった風に、特に気にも留めていなかった。
……確かに、不自然なことではないんだけど……なぁ。
先だって起きた王太子殿下暗殺未遂事件の捜査のために、王太子殿下の信頼が厚い者たちがあちこちを駆けずり回っていて忙しい今、単に俺を殿下の執務室へ呼びつけるだけなら、補佐官ではなく侍従か侍女で事足りる。
それをせずに、王太子殿下の補佐官――それも敢えてシャイサース殿を呼びに寄越した、というのは……恐らく、何かあるな。筆頭補佐官である王太子殿下の側近が関わるほどの、重大なことが。
ただ、それは今ここでは話題にできないもののようだ。
俺はあんまり頭は良くないが、それくらいのことには気がつける。それがわかっているから、殿下も敢えてシャイサース殿を俺の元へ寄越したのだろう。
俺はそう結論付けて、それからは黙って歩みを進めた。
騎士団の建物から出て広い王城に入り、王太子殿下の執務室を目指す。
その途中、客室が並ぶ4階の廊下で、シャイサース殿は一瞬だけ、その中の一室の扉に視線を動かした。
……なんだ?
視線を動かしたのはほんの一瞬で、シャイサース殿は表情を僅かも変えなかったが、なんとはなしに彼の横顔を見ていた俺には、そのとき彼の目に何ともいえない奇妙な光が宿るのを見た。
しかし、それが何なのかわからず、あの部屋に誰がいるのかも知らない俺は、特に気にせずにそのまま足を進めた。
王太子殿下の執務室は、王城の5階の西側にある。
通常、殿下の執務室に入るためには、その東隣にある取次ぎの間で入室のための手続をしなければならない。入室の際にも、執務室の扉から直接入るのではなく、取次ぎの間にある扉からしか入れない。
しかし、今回は王太子殿下の筆頭補佐官であるシャイサース殿が一緒だったため、そのような面倒な手続はしなくて済んだ。俺とシャイサース殿は、補佐官や重臣、そして殿下自身しか使わない、執務室の正面にある扉から直接入室した。
そして、そこで俺は、王太子殿下……ではなく、意外な人物の存在に大きく目を見開いた。
あれ? 副団長? え、なんでこんな所に?
部屋の北側の大きな窓の前に配置された、王太子殿下が何か書き物をしている立派な執務机。
その前に、騎士団の副団長である壮年の騎士、ダグラス・エオルドが立っていた。
既に陽は落ちており、壁にいくつか備え付けられている燭台の灯りによって照らされた室内には、王太子殿下と副団長以外、誰もいなかった。シャイサース殿以外の3人の補佐官は、他の用事に出ているのか、それとももう本日の職務を終えているのか、そのどちらかだろう。
……しかし、何故、副団長が?
彼は確か、今回の遠征の前に急に体を壊して倒れ、騎士団の職務を外れていたはずだ。今は王都内にある屋敷で、療養していたのでは?
まだ歩ける状態ではないが事務仕事くらいならこなせるから、暗殺未遂事件の捜査で忙しい殿下の代わりに、騎士団内の通常の雑務を屋敷で処理しているのではなかったのか?
現に、副団長の顔や体は以前よりもかなり痩せており、元々白髪の多かった暗褐色の髪が、余計に白くなったように見える。顔色も青白いし、身体は小刻みに震えている。立っているのも辛そうだ。座らせた方がいいんじゃないか?
そんなことを思いつつも、俺は王太子殿下に臣下の礼をとり、とりあえず昼の一件について謝罪しようとした。
しかし、俺のその行動を遮って、王太子殿下が書き物の手を止めないまま、顔も上げずに俺に命令した。
「来たか、ジャン。とりあえず、そこの男を捕縛しろ」
「は?」
え、何だって?
「聞こえなかったか?」
王太子殿下はようやく麗しい顔を上げて、俺を真っ直ぐに見据えた。
力強い意思の宿った翡翠の双眸に強く射抜かれて、俺は小さく息を呑んだ。
「そこの『裏切り者』の男、レガイア王国騎士団≪元≫副団長ダグラス・エオルドを捕縛しろ。今すぐに、だ」
何だって? 『裏切り者』って、どういう意味だ? というか、≪元≫副団長って、いつの間に副団長を辞めたんだ?
――――などと悠長に考えはせず、俺は殿下の命令どおりに即座に動いて副団長……いや、もう副団長じゃないみたいだから、ただのダグラスでいいな。ダグラスを取り押さえ、剣と共に常に腰に携帯している、捕縛用の丈夫な縄で奴の手足を縛った。
ダグラスはもう既に諦めているのか、特に抵抗せずに、青ざめて震えたまま、俺に縛られた。
ダグラスは元々副団長を解任させられるために王太子殿下に呼び出されたのか、何故か帯刀していなかった。
いや、『裏切り者』らしいから、最初から剣を取り上げられていたのか?
一応取り押さえた際に一通り、武器の類を隠し持っていないか確認したものの、どうやらダグラスは丸腰でこの部屋にいたようだった。
……にしても、本当に病気してたんじゃないか? このおっさん。
かなり筋肉が落ちて、身体が細くなっている。それなりの使い手だったはずだが、これではもう、剣をまともに握れないんじゃないか?
そんな俺の疑問は、王太子殿下が告げた一言によって、すぐに氷解した。
「ああ、そうだ。一応、その男は今、病を患っていてな? 優しくしろとは言わんが、あまり乱暴に扱ってやるなよ?」
遅いです、殿下。そういうの、縛る前に言ってください。
衰えているとは言え、一応熟練の騎士だった男だ。騎士として、縄抜けの技術なども学んでいる。
だから、そういうことができない特殊な結び方で、しかもキツめに縄を結んだんだが。
……まぁ、大丈夫だろう。多分。
「ああ、その男は適当にそこに転がしておけ。立っているのも辛そうだったしな。床で寝転んでいる方がましだろう」
「はっ」
一応誠実に返事はしたが、俺はダグラスを、できるだけそっと床に寝かせてやった。
おっさん、本当に顔色が悪い。気を失ってしまいそうだ。
俺にはまだ詳しい事情がわからないんだから、今、このおっさんに気を失われたら困る。王太子殿下の説明に対するこいつの反応を見なければ、それが真実かどうかわからない。
王太子殿下を信頼していないわけではなく、このおっさんが殿下の知っている情報以外のことをまだ隠し持っている場合、その兆候を見逃さないために、だ。
「殿下、一体何があったのですか? 私には、わけがわからないのですが……」
「ああ、そうだな。――シャイサース」
「はい。ジャン殿、これを」
「は………………………………はぁあっ?!」
王太子殿下が先ほどまで机の上で何やら書いていた書類、その中の1番上等そうな紙をシャイサース殿が殿下から受け取り、彼はそれを俺に見せて――否、押し付けるような感じで受け取らせた。
シャイサース殿の垂れ目気味の青緑の瞳が、何故か俺に向かって「ご愁傷様です……」と言っているのを不審に思いつつも、受け取らされたその紙を見て……俺は数秒の沈黙の後、思いっきり奇声を上げてしまった。
――――レガイア王国騎士団副団長に、次の者を指名する――――
その紙は、騎士団の人事異動の命令書だった。
王太子殿下直筆の文面、殿下ご自身の署名、宰相閣下他12名の重臣たちの署名、レガイア王国の紋章。完璧に形式が守られた、公式の書類。
騎士団の団長は王太子殿下だから、団長が指名する形式の人事異動は命令なんだよな、本当に。それはまぁ、わかってるが。
でも、その、あの、殿下!
何故、新たに指名された副団長の名前が、俺の名前になっているのですか?!
「で、殿下?! 何ですか、これは?!」
「見ての通りだ。お前が次の副団長だよ、ジャン」
「はぁっ?! な、な、な……」
人間、驚きすぎると言語中枢が崩壊するらしい。
俺は生まれて初めて、二の句が告げない状態に陥った。
俺は驚愕のあまり、言葉もなく、思わず王太子殿下の執務机に両手をついて、殿下に詰め寄ってしまった。
しかし、にっこりと美しい笑顔を浮かべた殿下は、全く動じない。むしろ近い距離でその笑顔を見てしまった俺の方が動揺してしまった。
む、胸がドキドキする……!! あ、いや、落ち着け俺! 相手はあの王太子殿下だ! 見りゃわかるけど性別・男! 騎士団の実戦訓練で、対戦相手だった熟練の騎士5人の腕を剣と一緒にへし折った恐ろしい男!! ロイドを片手で殴り飛ばして頬骨へし折った、怪力の王太子だ!! 静まれ、俺の鼓動!! この胸のドキドキは断じてトキメキではない、恐怖のはずだ!!
というか! な、なんで俺が副団長?! もっとふさわしい騎士がいるでしょう?!
それに何故、今ここでその文書を見せるのですか?!
呆然として口をパクパクさせている俺を面白そうに眺めている殿下に、溜息をつきつつ声をかけたのはシャイサース殿だった。
「殿下、だから言ったでしょう。順番が逆です、と。先に事情を説明しなければ、ジャン殿が混乱します」
「別にいいだろう? どうせ説明しても、こいつは絶対に私の命令書を受け取らないからな」
にやっと笑って放たれた殿下の言葉に、俺は我に返って青ざめた。
すぐさま殿下の執務机から離れ、片手で握り締めていた恐ろしい内容の紙切れを両手で広げ直し、再度内容を確認して、思わず唸った。
やべぇ。これ、完璧に公式の命令書だ。俺、しっかり受け取っちまったよ。だって、シャイサース殿が押し付けるから。
俺が命令書を両手で掴んだまま恨めしい目でシャイサース殿を睨むと、彼は本当に申し訳なさそうな顔をして、俺からさっと顔を背けた。こら、こっちを見やがれ。
王太子殿下の直筆の命令書――これは国王陛下の勅命と同じくらいの強制力がある。特に、彼が団長を務めている騎士団においては。
何せ、騎士団は一応国王陛下が主ではあるものの、全権は王太子殿下が握っているのだ。彼の意思と言葉で、今の騎士団は動いている。
よって、実戦での指揮系統や内部の人事などの最高決定権者は王太子殿下なのだ。
国王陛下の勅命と異なる点は、一応命令を受ける側にも拒否権がある、ということだ。
王太子殿下の口から直接言われた命令であれば、それを聞いて3分以内。文書による命令であれば、その文書を殿下、またはその使いから直接受け取る前。
その間であれば、例え下っ端の新人騎士であっても、王太子殿下からの命令をしかるべき理由を述べた後に拒否することができる。
……まぁ、拒否した前例は、今のところ存在しないけどな。口頭の命令だって、いちいち時間なんぞ計らないし。結局のところ、王族に逆らうことになるからな。
というか、今回のは、俺、文書に書かれた内容を確認する前に、問答無用で押し付けられたのに。
不条理だ。
そんなことを思っていると、王太子殿下が「まぁ、そうしょげるな」と楽しそうに声をかけてきた。
「……別に、しょげてはおりませんが。
殿下、さすがに何の理由もなしに、私を副団長に指名なさったわけではありませんよね? その理由をお聞かせください。
――それに、そこの……ダグラス・エオルドについても。彼が『裏切り者』とは、どういうことです?」
「2つの質問に、1度に答えることはできんな。どちらについての答えを先に聞きたい?」
……まぁ、その通りだな。
王太子殿下はにやにやしていた表情を改めて、静かな顔で俺の答えを待っている。両手を顎の下で組み、両肘を机について、俺の顔をじっと見つめている。
……俺を次の副団長に指名する件が、シャイサース殿に俺を呼びに来させた理由か?
いや、それでもまず、先に聞くべきなのは……。
「では……。まず、ダグラス・エオルドのことについてお聞かせください。
彼が『裏切り者』とは、どういうことです? ダグラスは病気の療養で、遠征前から王都内の屋敷に帰省していたはずでは?」
「ああ、確かにこやつは重い病でな?恐らく、余命はそう長くはあるまいよ。
――なぁ、ダグラス・エオルド? 貴様はわざわざ病気になるために、自ら毒物に手を出したのだよな?」
その言葉に、縛られて床に転がされているダグラスの体がビクリと震えた。
……って、このおっさん、自分から毒を飲んだってのか?!
「で、殿下? つまり、ダグラスは自分から毒を飲んで、それで体を壊して病気になったと……?」
俺はダグラスの様子を見ながら、言葉を続けた。
ダグラスは激しく動揺しているのか、縛られた体をぐにぐにと芋虫のように動かしている。
その時ふと、俺の頭の中で、何かが一本の線で繋がった。
今この状況で、自ら毒を飲んでいたという、怪しすぎるダグラスが副団長を辞めさせられた、ということは。
……もしかして、そういうこと、か? それなら、俺が疑問に思っていた点に説明がつく。
「……殿下。現在捜査中の暗殺未遂事件の実行犯たちですが、彼らの性格などについて、暗殺の指示書を送った首謀者はあまりに詳しすぎますよね?
もしや、騎士団内、あるいは魔法使いの中に、首謀者たちとあらかじめ内通していた者がまだ潜んでいるのでは?」
そう、あの暗殺の指示書。
それを送られた人間の家族構成や性格を、送り主たちは的確に把握している。
まるで親しい仲であるかのように、あまりに的確すぎるほどに。
名前はまだ口には出せない、けれどあの『3人』が恐らく、今回の事件の首謀者だ。彼らは王城内に住んでいないとはいえ、騎士団と魔法使いの塔には度々出入りしている。
1人は魔法の才能があるので魔法の勉強と修行をするため、あとの2人は剣や弓の稽古をするために。
彼らの母方の家と親しい貴族の取り巻きも、少数ながら未だに存在している。
しかし、それだけの繋がりでは、あれほど実行犯たちの性格を的確に把握することはできない。
――暗殺の実行犯たちは、王太子殿下の敵対勢力といえる保守派に属する者ばかりだった。そして、あの『3人』もまた、保守派の考えを持つ者たちだ。
『保守派』といえば聞こえはいいが、全員、選民意識に凝り固まった、頭の固い奴らばかりだ。
その繋がりで考えれば、実行犯たちが親しくしており、しかし暗殺の実行犯として捕まっていない保守派の者がまだ数名、存在する。
その中で、暗殺実行犯たちの家族構成を知ることができる役職にあり、尚且つ魔物討伐の遠征に赴く部隊の編成の草案を殿下に提出することのできる人物。そして、保守派の中でもあまり目立たず、しかし身分もそれなりにある――あの『3人』が信頼しそうな者。
ダグラス・エオルドは、騎士団の副団長でありながら、あまり目立たない騎士だった。団長である王太子殿下が華やかな方だから。
しかし、ダグラスは一応、伯爵家の出身だ。
騎士団内の保守派の代表格は、表向きはアディート・ルクスの命を奪ったクレイグ・スタンだったが、ダグラスもまた、騎士団内の保守派の騎士のまとめ役の1人ではあった。
団長の指名によって決まる副団長という役職上、ほとんど王太子殿下に反発することはなかったが、それでもアディート・ルクスを何かと目の敵にしていた。それ以外の平民出身の騎士のことも。
ダグラスが副団長になれたのは、それが国王陛下の命令だったからだ。
王太子殿下が騎士団の団長となった際、陛下が古参の騎士を殿下の補佐となるように配慮して命令を下したと、そう聞いている。王太子殿下も自分が経験不足なことをわかっていたので、特に反対しなかったようだ。それに、ダグラスはクレイグ・スタンほどあからさまに選民意識に凝り固まった人間ではなく、騎士としての実績も申し分なかったから。
……だから、か。だから、王太子殿下も他の者も、見過ごしてしまっていたのか。
「殿下。このダグラス・エオルドが、あらかじめ今回の暗殺未遂事件の首謀者たちと繋がっていた、騎士団内の内通者だったのはありませんか? そして魔法使い側の内通者は、恐らく……魔法使いの長である、レクシス様。
この2人は、国王陛下から任命された、あの御3方の剣と魔法の専属の教師でしたよね? そして、あまり派手に行ってはいませんが、殿下の政策に何度か反対を示して、意見を同じくする貴族たちと連名で意見書を提出したことがあると記憶しております。
私は今から5年前、騎士団に関する入団試験の改正が行われたとき――爵位のある者には最初からいくつかの試験を免除していた特別枠制度を殿下が撤廃なされたとき、あのときの騒動しか詳しいことは知りませんが、他にも何件か似たようなことがあったと風の噂で耳にしました。
――殿下。このダグラス・エオルドが、暗殺実行犯たちの家族を彼らへの人質として捕らえることができるように暗躍し、そしてあの事件を引き起こさせた……騎士団内の、『真の裏切り者』なのではないですか? そしてダグラスは遠征前に毒を飲み、あえて体を壊して、騎士団から遠ざかり、疑いの目を逸らした……」
俺の言葉と共に、表情が歪んでいくダグラス。
奴は恐怖と驚愕が入り混じった目で、俺のことを見上げている。
俺はその視線をあえて無視して、王太子殿下の顔をじっと見つめた。
王太子殿下は、形のいい薄い唇を半月状に持ち上げて、翡翠の双眸を細めて笑った。
ぞっとするほど、美しい笑みだった。
「その通りだ。私の追及の手から逃れるために毎日毎日毒を飲んで、今ではその毒の立派な中毒患者になってしまった、そこの馬鹿な男。ダグラス・エオルド、それが騎士団内の『真の裏切り者』だ」
小刻みに震えている、顔色の悪いダグラス。
こいつの震えや顔色の悪さ、それに尋常ではないやつれ具合は恐怖などではなく、毒のせいか。
そういえば、王都で5年前に大規模な取り締まりを行った『レーバス』や『ヴィオス』、そういった麻薬の中毒患者の症状に似ている。
ダグラスは、よく見れば瞳孔が開き気味だし、白目の部分の両端が赤黒く染まっている。唇は紫に近い色をしており、僅かに開かれた口から覗く歯は茶色く濁り、何本かが既にボロボロになっているのがわかる。
俺は薬や毒の類についてそんなに詳しくないが、他国で流行っている一部の麻薬には、摂取した際に昏倒したり、体温が急に上昇したりする効果があるらしい。麻薬に対する知識がなければ、普通の病気と見分けがつかないそうだ。そんなんでも麻薬を摂取した本人は気持ちいいらしいんだから、よくわからんものだ。
ダグラスが遠征前に倒れたのは本当のことだ。彼は騎士団内で倒れたのだから。
多分、この国ではあまり出回っていない麻薬か、それに近い薬を使ったのだろう。
俺は黙って、ダグラス・エオルドを見下ろした。
この男のせいで、何人もの騎士が負傷し、死んでしまった。
俺は実行犯たちに同情はしないが、巻き込まれてしまった彼らの家族は別だ。事件の首謀者たちは、直接にはなんの関係もない彼らを拷問し、指などの体の一部を切りとって、脅迫の『道具』に使用した。……中には、赤ん坊くらいの、小さな子どもの指もあったのだ。
今、生きているのか死んでいるのか、全くわからない人質たち。いや、暗殺が失敗に終わった今、殺されてしまっている可能性が高いだろう。
――彼らは、この男のせいで捕らえられ、苦痛を与えられたのか。
……こんな男のせいで、俺の仲間たちは死んだのか。
せっかく苦労して騎士になったのに、大怪我をして、騎士を辞めなくてはならなくなったのか。
死んでしまった騎士たち。
彼らの家族や友人、恋人たち。
あの葬儀で、どれだけ多くの者が泣き叫び、悲しんでいたと思っているんだ。
――あの葬儀で、泣くこともできず、呆然と立ち尽くしていた者もいたのに。
……俺だって、他の奴らだって。
誰ひとりとして、裏切り者とはいえ自分と同じ騎士に、斬りかかりたくなんてなかったのだ。
騎士団内で多少の反発や諍いがあっても、俺たちは魔物や盗賊、他国の脅威からこの国を――――この国に生きる人々を守る、同志だった。
『仲間』だったのだ。
それなのに。
「……そんなに、アディート・ルクスが騎士団に馴染むのが嫌だったのか?」
俺の問いに、ダグラスが大きく震えた。これは中毒症状ではない、動揺からくる震えだ。
こいつは、多分クレイグ・スタンと並んで、騎士団内で最もアディート・ルクスの存在を忌み嫌っていた。
あの男が孤立していたときはまだよかった。
しかし、だんだんとあの男は、騎士団に馴染んでいったから。
――彼女が来て、あの男は変わった。
――俺たちは、やっとあの男と『仲間』として触れ合えるようになった。
「そんなに、平民出身の騎士がお前らみたいな貴族出身の騎士と同列に扱われることが、気に食わなかったのか?
そんなに、殿下が騎士団の入団試験の改革をなさってから、平民出身の騎士が増えて貴族出身の騎士が減ったことが気に食わなかったのか?」
――あの男のことを、誰もが心の中では認めていた。だから、あの男の変化が嬉しかった。
「自分が平民よりも劣っていることを思い知らされるのが、そんなに屈辱だったのか?
王太子殿下が自分を1番に信頼しないことが、そんなに許せなかったのか?」
――あの男は平民たちの憧れだった。彼は強く、美しい騎士だった。
「身分制度を緩やかなものにする王太子殿下の政策が、そんなに気に食わなかったのか?
だから、王太子殿下を害しようとしたのか?
自分は直接手を汚さず、脅迫なんて汚い手段で他人に実行させて、殿下を害しようとしたのか?」
――けれどあの男は、王太子殿下と彼女の前では、ただの『男』だった。
――俺はあの男が嫌いだった。
――でも、あの2人と一緒にいるときの、あの男は好きだったんだ。
けれどあの男は、もういない。あの男は、王太子殿下を守って死んだ。
他にも17名の『仲間』が死んで、64名の『仲間』が負傷した。
そして今、俺の目の前には、薬物中毒になりながらも生きている、愚かで卑しい『裏切り者』がいる。
「――――何とか言えよ、ダグラス・エオルド。
お前はそんなに、王太子殿下よりもあの3人の王子たちの方が、自分の主君にふさわしいと思ったのか?」
俺の言葉に、ダグラスが大きく震え、奴の目から涙が溢れ出した。
王太子殿下暗殺未遂事件の首謀者である3人の王子。
あの下種たちの配下に成り下がった、愚かで卑しい裏切り者が惨めに泣きながら、今、俺の目の前に転がっているのだ。
――あの事件で多くの『仲間』が死に、あの男もまた、死んでしまったのに。
生きている裏切り者の騎士と、死んでしまった騎士たち。
失われてしまった彼らとの未来が、悔しくてたまらない。




