騎士の死(1)
「さらばだ、アディート。また、いつか会おう」
静かな声と共に、王太子殿下の剣があの男の胸に突き刺さった。
剣は正しく男の心臓を貫き、既に瀕死の状態だった男は数回痙攣した後に、そのまま息絶えた。
王太子殿下の声と表情からは、一切の感情が消えていた。
彼はただ静かに、自分に最期を頼んだ騎士――側近であり、親友であった男の死を見守った。
王太子殿下は完全に息絶えた男の胸から剣を抜きとると、血を払ってそれを鞘に収めた。そして、常に嵌めている両手の白い手袋を脱ぎ捨てると、男の手に握られたままだった男の愛剣――その切っ先に右手の人差し指を当て、その指をぐっと押し引いて、傷つけた。
武人にしては整った形の、白い指先から滴り落ちる真紅の雫。王太子殿下は指先の痛みにも一切表情を変えないまま、男の両腕を重ね合わせ、組んだ指に確りと剣を握らせた。
戦場で死んだ騎士を送る姿として、それは最も美しい姿だった。
もともと端正な顔立ちをした、見栄えのよい男だった。光の神の化身だと噂される、神々しいまでに美しい王太子殿下の横に並んでいて、全く見劣りしないほどに。
出血も酷かったが、毒のせいで男の顔色は悪かった。
血の気の失せた、真っ白な顔、紫色の唇。
それが更に、死んでしまった男の生来の美しさ、怜悧さを引き立てていた。
王太子殿下は自分の焼却石を取り出し、それを男の組んだ手の上に置いた。
それから男の端正な顔を左手でそっと撫でて、その額に軽く口付けた。
死後の旅の安寧を祈る、祈りの口付けだ。しかし、彼は光の神への祈りの言葉を一切口に出さず、そのまま黙って数秒、瞑目した。
そして、血が流れ続けている右手の人差し指を焼却石の上に翳し、数滴、赤い雫を垂らした。
純白の焼却石から小さな赤い炎が噴出し、瞬く間に男の身体を全て包み込んだ。
王太子殿下はすぐに男から離れ、黙ってその炎を見つめていた。
赤く揺らめいていた炎はやがて青白くなっていき、最後に純白の炎となって、煌くように強く燃え上がった。
炎が燃え上がり、そして消えていくまで、さほどの時間はかからなかった。
俺には、永遠のように思えた。しかし実際には、ほんの僅かな時間だった。
純白の炎が消えた後、残ったのは、何もない地面だけだった。
灰すら残さぬ、焼却石の炎。
炎が消えた後、男がそこに存在していた痕跡は、何も残っていなかった。
「――現状を把握したい。行くぞ」
周囲の喧騒から切り離され、沈黙だけが支配していたその場の空気を動かしたのは、王太子殿下の力強い一声だった。
呆然と固まっていた周囲の者が、その声を受けて、ようやく動き出した。ぎくしゃくと、ぎこちなく。
王太子殿下はいつもどおり、颯爽と歩き出した。慌てて他の騎士が追随した。
俺もまた、慌てて彼の後を追った。――何度も、あの男が死んだ場所を振り返ってしまったけれど。
王太子殿下は、1度も振り返らなかった。
乱戦状態になっている戦場を俯瞰し、裏切り者を的確に割り出して拘束命令を放ち、同時に魔物を倒す指揮を執って、事態をあっという間に収束させた。
怪我人の保護と犠牲者の確認をして、あの男以外に4人の騎士が『友の手による最期』と『焼却』を選んだことがわかった。後の者はそれを拒んだり、言う暇もなく死んでいた。
先に王城へ連絡をする者を数名送り、城に残っていた騎士団の迎えを待っている間も、王太子殿下はいつも通りだった。
王城からの迎えに捕らえた裏切り者たちを引き渡し、新しく到着した騎士たちに後片付けを命じて戦場を去る際にも、彼は1度も後ろを振り返らなかった。
けれど、最後に。
王城に入る際、王太子殿下は足を止め、目の前に高く聳え立つ巨大な王城を見上げた。その何処かにいる誰かを探すように視線を暫く彷徨わせた後、彼は1度だけ後ろを振り返った。
戦闘に疲れた騎士団の騎士たちと、広い王都しかないそこを、1度だけ。
彼の求める存在はもう何処にもいないであろう、その場所を1度だけ振り返った。
そして、王太子殿下はそのまま黙って身体を前に向け、王城内へと入っていった。
俺たちも、それに従った。
皆、突然の事態に驚き、疲れ果てていた。
だから、現場に居合わせなかったほとんどの騎士が、あの男の死を知らなかった。
怪我は酷いかもしれないが、きっと巫女や神官の手によって治療中なのだろう、そう思っていたらしい。
現場にいた俺や他の者は、あの男の死を、きちんと認識できていなかった。
男の死に際は、酷くあっさりしたものだったから。
あの男は苦しみに呻くこともなく、死にたくないと喚くこともなかった。
男は死の間際、醜い姿を一切晒さなかった。
腹を短剣によって刺され、更に引き裂かれたことで大量に出血していたあの男は、それでもぎりぎりまで意識を失わず、小さな声で何かを王太子殿下に伝えていた。毒で麻痺していたはずの口を懸命に動かして、何かを王太子殿下に頼んでいた。
王太子殿下は最初、男の頼みを強い言葉で断り――結局、押し切られてしまった。
2人が何を話していたのか、それは俺たちにもわからなかった。
男の口元に耳を寄せて、聞き取りづらいであろうその言葉を懸命に受け止めていた王太子殿下。
彼は男の耳元に唇を寄せ、必死に囁きかけていた。かつて見たことのないほど、必死な顔をして、そして苦渋に満ちた強張った顔で、男に何かを言い続けていた。
あの2人の間に、誰も割ってはいることができなかった。
1度、王太子殿下を逃がしに来た騎士は、激怒した彼に殴り飛ばされていた。
王太子殿下は最後の最後まで、男をなんとか助けようとしていた。
あの男の死は、本当に、酷くあっさりとしたものだった。
王太子殿下の方が、よほど取り乱していた。それくらい、あの男は自分の死に、やけに冷静だった。
彼は最期に、何故だかひどく安心したような、満足そうな笑みを浮かべて、王太子殿下の剣をその胸に受けた。
僅か15歳で騎士団の入団試験を突破し、平民でありながら王太子殿下の側近になった男。
常に冷静で、どんなに酷い嫌がらせを受けても泰然とした態度を崩さず、逆に王太子殿下と共に次々と輝かしい功績を打ち立てては、周囲に実力を認めさせていった男。
あんた実は曲芸師なのかと言いたくなるほど逃亡技能の高すぎる王太子殿下を唯一発見し、捕獲することのできた男。
常に第一線で魔物を狩り、王太子殿下を暗殺者の手から守り続けた、騎士団内では王太子殿下と唯一対等に渡り合えた、凄腕の剣の使い手だった男。
王太子殿下に最も信頼され、身分を超えた友情を育んでいた男。
3年前、突然現れた『光の神の使者』である少女に最も信頼されていた、彼女の支えとなっていた男。
漆黒の髪と薄い青色の瞳をもつ、長身の、怜悧な美貌の騎士。
アディート・ルクスの早すぎる死は、騎士団内に潜んでいた、裏切り者の暗殺者から王太子殿下を庇ってのものだった。
あまりに立派で、あまりに呆気ない死だった。
現場に居合わせた者ですら、あれは幻だったのではないかと、そう思ってしまうほど。
あれだけ輝かしかった男の死は、酷くあっさりとしたものだった。
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「……ロイド。大丈夫か?」
騎士団の建物に向かう途中、俺はかねてから会いたかった人物と遭遇した。彼は怪我で休養していたため、色々と動き回っていた俺とは、時間が合わなかったのだ。
先だって起こった王太子殿下暗殺未遂事件において、騎士としての職務に忠実に、王太子殿下に危険な場所からの退避を促したにも関わらず、その守るべき対象に殴られたロイドは、そのせいで頬骨を骨折してしまった。でも、それ以外には特に大怪我がなくてよかった。
……いや、いいのか? 王太子殿下に殴られたせいで負った怪我が、1番の大怪我で。
ロイドは黙って、俺の言葉に頷いた。少し顔を顰めるようにして、苦笑いらしきものをしている。
高位の巫女と神官が必死に治癒してくれたおかげで、骨折自体はすぐによくなったらしい。顔も特に変形していない。ただ、間接がまだちゃんとくっついていないため、暫くはあまり口を動かせないようだ。
「殿下に殴られたの、あんただって気がつかなくて悪かったな。俺、呆然としてて」
俺の謝罪に、ロイドは「気にするな」というように片手を振った。
少し年は離れているとはいえ、一応、同期で入団した者同士、それなりに仲は良かった。なのに俺は、殴り飛ばされた騎士がロイドだと気がつくどころか、彼に駆け寄ることもできなかった。
すまん、ロイド。
ロイドはあの後、きちんと王太子殿下から謝罪されたらしい。そして、傷が完治するまで、暫く休暇をもらったそうだ。ロイドには王都内に妻子がいるから、そこで暫く過ごして、傷が癒えたらまた騎士団に戻ってくるようだった。
ロイドと別れて、俺は騎士団の訓練用の塔に入った。何人かが剣や得手の武器の訓練をしている。
しかし、皆どこか、精彩を欠いている。いつもなら、馬鹿話をしながら賑やかに動き回っていると言うのに。
――無理もない、か。
王太子殿下を狙った暗殺未遂事件から、まだ2週間と経っていない。
騎士団内では32名、魔法使いでは2名の裏切り者がおり、18名の死者と64名の重軽傷者を出した。そのうち、騎士として働けなくなるほどの大怪我を負った者が、16名。彼らは騎士を辞め故郷に帰り、あるいは騎士団内の内勤の仕事に就くことになった。
俺は幸い、特に大怪我をすることもなく、無事にあの事件現場から生還することができた。
まぁ、だからこそ、色々と忙しいんだけどな。
「ジャン? 何をしてるんだ?」
「ルーク。レーミアを知らないか?」
訓練塔の中を歩いていると、宿舎で同室のルークが俺を見かけて声を掛けてきた。
ルークは今29歳、俺と同い年だ。短く刈り込んだ金色の髪と屈強な体をもつ、「騎士」というより「戦士」という言葉の方が似合う男だ。
今回の暗殺未遂事件が起こった遠征部隊に入っていなかったルークは、怪我という怪我もなく無事に帰還した俺のことを、とても喜んでくれた。
何人かの顔見知りの騎士が亡くなったり、引退せざるをえなくなってしまったのだが、それでも彼は俺の無事を喜んでくれた。裏切り者たちを捕らえたり、魔物を倒すのに特に活躍したわけでもない、へっぽこな俺の無事を喜んでくれるなんて、本当にいい奴だ。
「レーミア? あの魔法使いの女の子か?」
「そうだ。見てないか? 魔法使いの塔に行ったら、騎士団に向かったと言われたんだ」
「いや、見てないな。……ああ、もしかしたら、監獄じゃないのか?」
「あ? なんで?」
騎士団内の施設のひとつ、監獄。囚人を捕らえておくための場所で、王城の地下にある地下牢より収容人数が多い。基本的に王城の地下牢に放り込まれるのは、王族に対する罪を犯した者か王城内で犯罪を犯した者だけだ。
王城付近――騎士団内や神殿内など――での犯罪者や騎士が直接捕らえた犯罪者は、そのほとんどが監獄に収容される。ちなみに王都内での犯罪者は、王都の東西に設けられた警邏隊の施設に収容されることになっている。レガイアの王都は広大で、治安維持のための施設を一箇所にまとめることはできないからだ。
……しかし、レーミアの奴、何だって監獄なんかにいるんだ? あいつ、怖がりじゃないか。騎士団にだって、びびっていっつも1人じゃ来ないくせに。
俺の疑問に、ルークが少し顔を顰めて、それから声をひそめて言った。
「ほら。例の事件の暗殺実行犯のうち、魔法使いが2人いただろ? その内の1人……確か、カシムとかいう男がさ、レーミアって子の先輩だったはずだ。彼に会いに行ってるんじゃないのか?」
「はぁ?」
なんだ、そりゃ。処刑確実の相手に会って、どうすんだ?相手は国家反逆罪を犯してるんだぞ?
俺がよほど変な顔をしていたのか、ルークは困ったように囁きかけてきた。
「まぁ、色々あるんだろ。お前も事情は知ってるだろ?暗殺実行犯とはいえ、彼らは家族を人質に捕られているんだから」
「だから? 何にしろ、相手は重大な犯罪者だぞ?
あの流血沙汰が嫌いな魔法使いが、人殺しに会いに行って何してるんだよ」
「あー、それは俺も知らないけどさぁ。ま、監獄には牢番がたくさんいるし、今は騎士が常時詰めてる状態だから、変なことはしないだろ」
「変なこと?」
「ほら。この間は、暗殺実行犯の関係者が面会に来てさ、ちょっとした騒ぎになっただろう?」
「ああ……」
確か、一昨日のことだな。いやー、あれはまだ揉めてるだろ、多分。
「レーミアって子、俺はよく知らないけど、ちょっと気弱な感じの子だろ? カシムって先輩が暗殺実行犯だって、すぐには信じられないんじゃないかな。魔法使いは閉鎖的な分、先輩後輩の仲が良いから」
「あー、なんか面倒くさいことになってそうだな……。まさかカシムの助命とか減刑を願おうだなんて馬鹿な考えをもってないだろうな、レーミアの奴」
「さぁ……。それは俺には何とも言えないけど。とにかく、あの子に用事があるんなら、監獄に行ってみたらどうだ?」
「そうだな。ありがとな、ルーク」
俺は顔を顰めて、ルークに礼を言って監獄に足を向けた。
歩きながら、俺はレーミアの姿を思い浮かべた。
王都で繁盛している織物商家の娘で、お嬢さん育ちの魔法使い。
年は22歳くらいだったか? いつも茶色の長い髪を2本のお下げに纏めていて、動くたびにそれがひょこひょこ動く。なかなか可愛い顔立ちなのに、臆病で、そのくせ気の許せる相手には生意気になる。
正直言ってあんまり会いたい女じゃないが、王太子殿下からのご命令じゃ仕方ない。
レーミアは探索魔法が得意だからな。暗殺実行犯を脅すのに『使用』された『部品』から、ある程度人質の居場所を割り出したいのだ。
……あんな『部品』、見たら絶対にレーミアは悲鳴をあげて倒れるだろうが、無理矢理にでもやらせるしかない。騎士団と割合仲の良い別の魔法使いに聞いたところ、レーミアは他の魔法は全然駄目だが、探索魔法だけは王城に仕える魔法使いたちの中で抜群に精度が高いそうだ。
今回の暗殺未遂事件は、騎士団内で王太子殿下に対して反感を持っていた者たち、彼らの心理と弱点を上手く突いたものだった。
現在のレガイア王国の身分制度を緩める方向で政策を進めている王太子殿下。彼に反感をもつ保守派の騎士や魔法使いの中で、王都から離れた場所に家族がある者。そして、脅されても殿下や仲間に言いそうにない者。更に自分1人が暗殺を命じられているわけではないと知ったら、容易く殿下を裏切れる者。……そういう者に、暗殺の指示書が送られていた。
暗殺実行犯である騎士32名と魔法使い2名、その中で生きたまま捕らえられたのは騎士12名と魔法使い1名のみ。あとは全員あの場で殺された。まぁ、途中で魔物が現れたせいで、それにやられた奴もいたのだが。
あの大乱闘の後、どうして暗殺実行犯の数が明確に割り出されたのかというと、彼らが全員、同じ封筒に入った同文の暗殺指示書を所持していたからだ。
あの封筒を最初に差し出してきて、どうか家族を助けてくれ、と言った騎士。奴のおかげで、死んでしまった暗殺実行犯の割り出しが可能になった。
そう言えば……あの封筒を見て、あの時、王太子殿下は無言で顔を顰めたのだ。
俺にはよくわからなかったが、何人かの騎士がその封筒を見て顔色を変えていた。彼らは皆、王太子殿下に近しい騎士ばかりだったから、王族特有の物品についても詳しかったのだろう。
茨に囲われた剣と盾の金の紋章が裏面の右下に押された、純白の封筒。
製紙業の盛んな領地カトスで生産される上質な高級紙を使用したそれは、王族が私信を宛てる際に使用する、公式のものではない、特殊な封筒なのだそうだ。当然ながら王太子殿下の持ち物ではない。
――だとしたら、誰のものなのか?既に、その答えは出ている。だが、まだ、口には出せない。
俺は監獄の前で足を止めた。
屈強な門番に、名前と身分証である騎士の証――焼却石を見せる。
門番に頷かれて、俺は石造りの門をくぐり、堅牢な監獄へと足を踏み入れた。
入り口のすぐ近くにある詰め所で名前と来訪目的を名簿に記入し、管理者に許可を得て、監獄内を歩く。
「ルークの言ったとおりかよ……」
監獄に収容されている者への面会者の有無の記録を管理をしている者に、レーミアがここに来ていないか尋ねたら、名簿にあったレーミアの名前を見せられた。
内心舌打ちしつつ、カシムが収容されている牢へと向かう。
石造りの無機質な監獄は、全部で4階建てだ。それとは別に地下にも収容部分があるが、これは王城の地下牢と同じで、重大な犯罪を犯した者のみが収容される。今回の暗殺未遂事件の実行犯たちは、全員が監獄内の地下牢に容れられている。
――王城内の地下牢は、事件の首謀者たちのために空けられているのだ。
途中、何人かの巡回騎士とすれ違いながら、俺は地下牢へと到着した。
入り口と一定の距離ごとに、それぞれ監獄前にいた門番と変わらない体格の、屈強な牢番が控えている。毎回思うんだが、本当にすごい筋肉だ。……羨ましい……。俺も鍛えてんだけどな、体質的に筋肉がつきにくいんだよな。どうにもひょろく見えて情けない。
まあ、ここの牢番や門番たちは特殊な鍛え方をしているからなぁ。
彼らは剣を使わず、殺さずに囚人を取り押さえる、捕縛術と体術の達人だ。この国で剣を使っていいのは、基本的に騎士だけだからな。貴族は一応、全員嗜みとして剣術を習うが、それはあくまで形だけだし。まぁ、王族は別だが。
そこらへんの悪党よりも遥かに強面な牢番たちに目礼されつつ、俺は目当ての牢に辿り着いた。
王城仕えの魔法使いの証である、金糸で茨模様が描かれた深緑のローブを纏った若い女が、牢の中の男と話しこんでいる。とは言え、女の横には騎士が1人控えていて、余計な話をしないように見張っているのだが。
見張りの騎士は面識のない、明るい茶色い髪をした若い男だった。俺より年下のようだから、新人だろうか。そいつは俺を見て、少し驚いた顔をした。
「ジャンさん、どうされたんです?」
「ん、ちょっとな。――おい、レーミア! 探したぞ」
何だ、俺の名前知ってんのか……。ってことは、俺が何回か指導したことのある奴なのかな。
うーん、俺、人の顔覚えるのが苦手なんだよな。こういう特徴のない顔の奴は、なかなか覚えられん。
そんなことを思いながら、俺はしゃがみ込んだ姿勢で話し続けているレーミアに声をかけた。
レーミアは俺の声に驚いたように体を揺らし、慌てて立ち上がって俺を見た。
「ジャン…? な、何の用よ」
「ああ? 何だ、その言い方は」
俺を睨みつつも微妙に動揺しているレーミアを不審に思って、思わず口調がきつくなる。
案の定、レーミアは怯えたように顔を強張らせたが、すぐに俺から視線を外して、代わりに牢の中にいる男を見た。
俺もなんとはなしにレーミアの視線を追って、魔法使い用の牢の中にいる、強力な魔法封じが刻み込まれた特殊な枷を首と両手に嵌められた、壮年の男――カシムを見遣った。
カシムは40代後半の、灰色の長い髪をした、枯れ木のように細い男だ。
しかし、カシムは確か……そう、弱そうな見かけによらず、攻撃魔法が得意だった。今回以外にも、何度か騎士団の魔物討伐の遠征に同行して、剣を通さない硬い鱗や殻を持つ魔物に雷や炎の魔法を放って、討伐に貢献してくれた魔法使いだ。
……ま、今回に限っては、その攻撃魔法で俺たち騎士団を攻撃してきたんだけどな。
カシムの魔法によって大火傷を負って、現在生死を彷徨っている騎士も何人かいるし、3名ほどの騎士はカシムの魔法によって殺されたのだ。
俺の視線に気がついたカシムは、怯えたように俺を見てきた。痩せすぎているために、皺の目立つ顔。人の良さそうな、穏やかそうな男だと思っていたが、なんのことはない、簡単に王太子殿下を裏切りやがった卑怯者だ。
俺が目を細めてカシムを睨むと、カシムは慌てて俺から視線を外して、レーミアの方へ顔を向けた。
「レーミア、頼むよ……?」
「は、はい、先輩。任せてください」
あ? 何を頼むんだ?
会話内容を不審に思った俺が、レーミアではなく見張りについていた若い騎士を見ると、そいつが俺に近寄って、そっと囁いた。
「カシムの保管していた魔法書を彼女に譲る、という話です。ただ、中には高価な本もあるので、彼女が保管するのが難しいようなら、レクシス様に相談するように、と。大体、そのような内容でした」
「ふうん? 魔法書、ねぇ……」
2人に聞こえないように囁きながら、俺は眉を寄せた。
どうにも、言葉通りの内容を話していたようには思えない。
レクシス。王城に仕える魔法使いたちの長だ。
喰えない性格のババアで、俺はあんまり好きじゃない。これは王城に仕える魔法使いのほとんどに言えることだが、なんつーか、思いっきり俺ら騎士を馬鹿にしてるんだよな、あのババア。
魔法使いは魔法の才能がある人間にしかなれないから、確かに「選ばれた者」ではあるんだろうが、だからといって、必死で勉強と訓練をして入団試験を受けて騎士団に入り、そこで駆けずり回りながら働く俺たち騎士を見下す必要はないだろう?
なのに奴らときたら、魔物討伐のための遠征に同行してほしい、と王太子殿下が要請しても、なかなか首を縦に振らない。
魔法使いは少数しかいないから、魔物討伐について行って、万が一のことがあったら困るから、という理由らしい。レガイアが他国に攻め込まれたときに、王城を守る人間がいなくなると困るからって……あほかっつーの。んなことあるかよ。魔法使いの力は確かに強力だが、奴らは呪文を唱える時間が必要で、その間に首を斬られたらお終いだ。騎士の方がよほど頼りになるっての。
王城に仕える魔法使いの全部が全部、そういう嫌な性格をしているわけではない。
それは俺や他の騎士もわかっている。だが、レクシスを始めとしたほとんどの魔法使いがそういう性格なもんだから、王太子殿下も魔法使いのことをあまり信用していない。
今回の事件も、あまり魔法使いの力を借りたくはなかったのだろうが、人質の居場所が割り出せないため、王太子殿下は仕方なく魔法使いの助力を請うた。
魔法使いも騎士団と同様、本来の主は王太子殿下ではなく国王陛下だ。陛下が病に倒れられている現在、国の実権を握っているのが実質的に王太子殿下であるとしても、彼が魔法使いに「命令」することはできないのだ。腹立たしいことに。
しかし、レクシスは王太子殿下の捜査協力の要請を拒んだ。
魔法使いは血なまぐさい事件に慣れておらず、今回のような重大な事件に関わることは出来ない。それに、普段は魔法使いがこのような事件の調査に関わるのを騎士団は拒むくせに、今回に限って協力を請うのは虫がよすぎる。魔法使いの中にも裏切り者がいたのは事実だが、彼らを止められなかったのは騎士団の責任だ。優秀な王太子殿下とレガイア王国騎士団なら、魔法使いの力など借りなくても、事件を解決できるだろう――などという、滅茶苦茶な理由で拒みやがったのだ、あのババア。
それを聞いた王太子殿下は、見る者全てを凍らせるような笑みを浮かべていた。
……かなり怖かった。殿下、本気で怒っていたな、あのとき。
だから王太子殿下は正式に魔法使いの長に協力要請をするのではなく、それぞれの魔法使い個人に協力を要請することにした。俺のような、騎士団内の騎士の中で魔法使いの知り合いがいる者に命じて、魔法使いたちに協力を働きかけたのだ。
現在、4名ほどの魔法使いが王太子殿下の元で指示を受けて、捜査に協力してくれている。
王城仕えの魔法使いは、長であるレクシスがまとめ役になっているものの、騎士団のように統制のとれた組織ではない。
王家の庇護を受けて、それぞれが自分の得意分野や興味のある分野の魔法の研究を行っている、言うなれば学者の集団だ。割と個人で活動している者が多いので、魔法使い個人が自分から捜査協力を申し出てくれても、レクシスには彼らを咎めることができないのだ。
この事件は、正直、時間との戦いなのだ。暗殺実行犯たちの脅迫に利用された彼らの家族、その安否が今は大問題となっている。
生きたまま捕らえられた実行犯たちから、彼らの家族が事件の首謀者の人質となっていることを聞き、その真偽を確かめるために、彼らの家族が住む領地へ安否の確認を命じる指示書がすぐに出され、各地の領主や警邏隊によって確認が行われた。
その結果、本当に暗殺実行犯たちの家族の何人かが消息を絶っていることがわかり、急いで人質たちの居場所を割り出す捜査が行われたものの、それが難航しているのだ。
――暗殺未遂事件の首謀者が誰なのか、捜査にあたっている誰もが知っている。
――だが、まだ、手が出せない。
実行犯たちの家族が人質になっていることも、現時点では秘匿されている。
余計な情報が流れて、逆にこちらの捜査が混乱したら困るからだ。
俺はカシムと見つめ合っているレーミアに、再度声をかけた。
「レーミア、悪いが王太子殿下がお呼びなんだ。俺と一緒に来てくれ」
「えっ?!」
王太子殿下、の言葉にぎょっとしたレーミアを無視して、俺はもう1度、牢の中にいるカシムを睨んだ。カシムは青ざめて顔を俯け、震えていた。
見張りについていた若い騎士に、後でレーミアとカシムの会話の詳細を俺に報告するように小声で命じて、俺はレーミアを引き摺って地下牢から出た。
王太子殿下に呼ばれているのだ。さっさとレーミアを連れて行かなければ、と思って、早足で監獄内を歩く。
「ちょ、ちょっと! お、王太子殿下があたしなんかに何の用よ?!」
「ああ? 今の状況を考えろよ。お前に用事があることなんて、ひとつだろ?」
俺の言葉に、レーミアは少し考え込んで、それからはっとした。……頭がとろいな、この女。
「もしかして、あの事件のこと……? で、でも、あたし、遠征には同行してないじゃない?!」
「お前、声でかいっての」
歩きながらきゃんきゃん喚くレーミアに顔を顰めて注意すると、レーミアは慌てて声の大きさを小さくした。
「ね、ねぇ……。あたし、王太子殿下に会っても、何の役にも立たないわよ? そりゃ、カシム先輩とは親しかったけど……」
そう言うレーミアは、顔を曇らせて俺を見つめた。淡い緑色の瞳が、不安そうな光を宿している。
「お前が役に立つか立たないかは、お前が判断することじゃない。それに、騎士団の捜査に協力するかどうかはお前の自由だ。殿下から話を聞いて自分で判断してくれ。それと、カシムのことは関係ない。遠征に同行した魔法使いたちについては、既に殿下が本人たちとレクシス……様に事情を聞いているからな」
「そ、そう……。……ね、ジャン。あ、あのね? あの事件って、本当に王太子殿下を狙った暗殺未遂事件なの?」
「――は?」
俺は思わず立ち止まって、レーミアの顔を見た。
レーミアは真剣な顔で俺を見上げて、囁くような小声で言った。
「だって、おかしいでしょ? どうしてカシム先輩とかが王太子殿下を殺そうとするのよ。あの方は次の国王となられる方なのに」
「あ、あー、そういうことか。それには色々と事情があるんだよ。お前はまだ知らないことだが、多分王太子殿下がご説明されるはずだ」
そうか、レーミアは人質云々の話を知らないんだったな。あの話は騎士団内でも、遠征に出ていた者と殿下の信頼が厚い部隊の騎士たちしか、今の所、知らないから。
俺がそう言うと、レーミアは悲しそうな顔をして、「そう」と呟いた。
「……じゃあ、カシム先輩は、本当に暗殺の……実行犯だったのね……」
「あ? お前、何当たり前のこと言ってんだ? でなけりゃ今頃、地下牢にあいつは入ってないだろうが」
「それは、そうかもしれないけど……。ねぇ、カシム先輩はどうなっちゃうの? まさか……処刑、なんてされないわよね?」
「は? ――お前、何言ってんの?」
俺はまじまじとレーミアの顔を見つめた。
本当に、こいつは何を言っているんだ?
いくら家族を人質にとられていたとは言え、脅迫状兼暗殺指示書が送られてきた時点で王太子殿下に申し出ていれば、すぐにでも家族の捜索が行われたはずだ。それをしないで、ギリギリまで黙っていたから追い詰められてしまって、結果、カシムはあの時いきなり俺らに対して魔法をぶっ放してきたのだ。
脅迫されてたのは同情するが、本来するべきだった殿下への報告を怠り、クレイグ・スタンの行動に乗せられて暗殺に加担した時点で、カシムは立派な暗殺実行犯だ。
「だって……王太子殿下はご無事じゃない」
「……だから?」
不思議そうに言うレーミアに、俺はだんだんと体の芯が冷めていくのを感じた。
――まずい。
なんとなく、レーミアが次に口にする台詞が予想できた。そして、それを言われた際の俺の反応も。
お嬢さん育ちのレーミア。
気弱で、だけど生意気な女。
そんなに悪い奴じゃないんだが、こいつは素直すぎる。いい意味でも、悪い意味でも。
だから言うな、頼むから俺の予想通りの言葉だけは言うなよ。
俺の予想通りの言葉を今、お前に言われたら、そうしたら、俺は……
「だから、って……。
だって、王太子殿下はご無事で、死んだのは殿下を守った騎士たちだけでしょ? それだって、そんなに多い人数じゃないし……。
『光の神の使者』様が来られてから始まった、半年間くらいあった遠征、あれの方が騎士たちの死亡者の数が多かったじゃない。たった20人足らずの死亡者で、しかも死んだのは全員騎士。その人たちは、自分の仕事で死んだんだから、しょうがないじゃない。別に、治癒の術が使える巫女や神官が死んだわけでもないし。そんなに大したことではないでしょう?
それに、王太子殿下ご自身はご無事なんだから、まさか国家反逆罪にはならないはずよね? 魔物が出たせいで死亡者が増えたっていうのもあるんだろうし。それで処刑されてしまうなんて、ちょっと酷すぎるわ」
レーミアが言った、俺の予想通りの言葉。
その言葉に、俺はふっと自分の意識が飛ぶのを感じた。
***********************************
「――アディート?!」
一瞬のことだった。
王太子殿下のすぐ後ろにいた俺――その真横にいた壮年の騎士。厳格そうな顔の、いけ好かない男だったクレイグ・スタンが、いきなり抜き身の短剣を手に王太子殿下に襲い掛かったのだ。
目の前で起こったことなのに、きちんと見ていたはずの俺には何が起こったのか、わからなかった。
王都まであと少し、というところで、兵装を解いて休憩中のときのことだった。
王太子殿下は王都の方角を見つめて、何やら物思いに耽っている様子だった。俺は王太子殿下の背中で揺れる黄金の長い髪を、何とはなしに見つめていた。
そのとき、突然クレイグが唸り声をあげて王太子殿下に突進したのだ。
抜き身の短剣を両手で握り締めて――それを視界の端に確認した王太子殿下が反応するよりも、クレイグが殿下の元に辿り着く方が速かった。
そして、少し離れた場所にいたはずのあの男が、剣を抜きつつ王太子殿下とクレイグの間に身体を割り込ませる方が、もっと速かった。
何が起こったのか、わからなかった。俺の目の前で起きたことなのに。
クレイグは30年くらい騎士をやっているだけあって、年齢の割に筋骨逞しく、そして熟練した剣の使い手だった。あの男が剣を突き出すより速く、クレイグは短剣を突き出していた。
しかし、その短剣は王太子殿下を無理矢理押しのけた男の腹に到達した。
男は呻き声ひとつあげず、衝撃に身体を震わせることもしなかった。
あの男は、短剣が刺さった瞬間に左手に握った剣を一閃した。クレイグも短剣を勢いよく引き抜こうとし、けれど利き腕を男の剣によって跳ね飛ばされて、短剣はその勢いによって男の腹を引き裂いた。
恐らく、そういうことが起こったのだ。
俺には、よく分からなかった。
ただ、俺と同じく全てを見ていて、そして俺とは違ってきちんと状況を把握していた王太子殿下が、後でそう説明したのだ。俺も多分、彼の説明で合っていると思う。
利き腕を跳ね飛ばされ、絶叫してがむしゃらに逃亡したクレイグ、それを追えと怒鳴った王太子殿下の声、暗殺者だ、裏切り者だと叫ぶたくさんの声、そして突然始まった、騎士団内での乱戦――――
「アディート、しっかりしろ!! 駄目だ、諦めるな!!」
声もなくその場に崩れ落ちた、自分を庇った男に対して、懇願するかのような叫び声をあげた王太子殿下。
必死で彼の腹の出血を止めようとする騎士、治癒の術を使える神官や巫女を探すために大声をあげる騎士。
数名の騎士が男のために動き回る中で、俺はただ、呆然としていた。
何もできなかった。何が起こったのか、わからなかったんだ。
けれど、あの黒い髪の、あの騎士は、もう――――
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――――ガンッ!!
「ひッ?!」
勢いよく、監獄内の堅牢な石の壁に、剣を鞘ごと叩きつけた。
じりじりと、冷め切ったはずの体の芯が再び熱くなってくる。
くらくらするほどの熱が体の奥底から湧き上がり、頭がガンガンと激しく痛んだ。
目の奥が赤く染まって、全身が震えた。
――怒りだ。
俺は、目の前で真っ青になって俺を見ているレーミアを、きつく睨みすえた。
右手は剣を握ったまま、ブルブルと激しく震えている。絶対に鞘から剣を抜かないように、剣を強く壁に押し付けたまま、ギリ、と歯を強く食いしばった。
そうでないと、咆哮をあげてレーミアに斬りかかりそうだった。
俺の予想通り、最低の言葉を吐いた、レーミアに。
「ジャ、ジャン……?」
「…………ざ……な」
あの日から、俺の目に焼きついて離れない光景がある。
あの男が王太子殿下を庇って、短剣をその身に受けた瞬間。
あの男に、王太子殿下が止めを刺した瞬間。
あの男の身体が純白の炎に包まれ、完全に消失してしまった瞬間。
俺が面倒をみていた後輩の新人騎士、彼が裏切り者の兇刃に倒れた瞬間。
苦楽を共にした気のいい仲間たちが、次々と負傷し、倒れていく瞬間。
――あの光景を作り出した奴らに、処刑が重すぎると、そう言うのか、この女は。
「――――ふざけるな!!」
俺の腹の底からの怒声に、空気がビリビリと震えて、レーミアが悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
その声を聞いた監獄に詰めていた騎士や牢番たちがこの場に駆けつけるまで、俺は必死で自分の体がこれ以上動かないように、歯を食いしばってひたすら耐えていた。
これ以上動いたら、俺はレーミアを斬り殺してしまう。
だから、必死に耐えた。
握り締めた拳の、その掌に伸ばしっぱなしにしていた爪が突き刺さり、血が流れても。
俺の行き先をルークから聞いて監獄に向かっていた王太子殿下が、騒ぎを聞きつけてこの場に来られるまで。
俺は必死に耐え続けていた。
あの日の悪夢のような光景と、あまりに傲慢で無神経なレーミアの言葉、そして何より何も出来なかった俺自身に対する、腹の底から湧き上がってくる怒りを。
俺は、必死に耐え続けていた。
死ぬために戦っていたわけではない。
守るために戦った。
捨て駒の命では、なかった。




