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カタツムリ生食事件

突然だがウチの娘の話をしようと思う。

大人といわれる年になり、年頃の娘らしい分別もついた今だからこそ笑って話せるが……この娘、幼いころはとんでもない『誤食王』であった。


娘の上には4歳違いのお兄ちゃんがいる。

往々にして下の子はお兄ちゃん、お姉ちゃんを見本として育つから早熟だよとは聞いていた。

しかし……これほどとは!


娘はやっと寝返りがうてるようになったころからすでに、「明確な意思」のようなものを持っている子供だった。

すなわち、並の子のように「ああ、もう、何で泣いてるのかわからない!」みたいな状況の少ない子だった。


そもそもが、あまり泣くようなことがない。

おむつがパンパンになっていても泣くようなことはないし、むしろ親がおむつの中の状況に気を配ってやらなくてはならないほどウンチをため込むような赤ん坊であった。

オッパイについても、ある程度寝返りが撃てるようになった途端、添い寝をしている母親のオッパイを自ら吸いに来るような子供だったので、夜泣きというものをされた覚えがない。


お兄ちゃんが並の子よりぼんやりのんびりした温厚な性格で、自身もちょっとぼんやりのんびりした母にとって、この娘の気の強さは驚愕であった。


そんな娘、ちょっとハイハイができるようになって真っ先に目を付けたのが「ゴミ箱」である。

一体、彼女にはゴミ箱が宝の詰まっている箱にでも見えたのだろうか、とりあえず特攻をかましてひっくり返す。

そのあとは中に入っていたゴミを紙だろうがビニールだろうが口に入れてしゃぶろうとするので、ゴミ箱は足元に置かないことがウチでの暗黙のルールであった。


ところが、4つ年上のお兄ちゃんというのは中途半端に賢い。

おまけに幼い子同士で通じる何かがあるのだろうか、妹にやたら親切でもある。

ゴミ箱を床に戻すとか、自分が食べたお菓子の包み紙を与えるとか、マジでやめてほしかった……。


さて、そのようにして育った娘が一人で庭を歩けるようになった年だから、一歳ごろのことだろうか、事件は起きた。


その日、私は娘を庭で遊ばせながら洗濯物を干していた。

娘がすぐ足元にいたから油断した、それは否めない。しかし言い訳が許されるのならば、本当に一瞬のことだったのだ。


私は娘に何か声をかけたように思う。おそらくは「あったかいね~」などの、赤ん坊に対する優しい声かけというものをしたのだ。

それから手元の洗濯物を竿にかけるため、ふっと娘から目をはなした。時間にしたら、一分にも満たない時間だったはずだ。

洗濯物を竿にかけて、皺をすこし引っ張って伸ばし、そして洗濯ばさみでとめる、たったこれだけの作業を終えて足元に視線を戻した私は、戦慄した。


足元からニコニコと笑いながら俺を見上げる娘が、なにか咀嚼してるぅ!

まだ歯も生えそろわぬ彼女の口元が、もちゃ、もちゃと細かに動いて何かをかみ砕いている。あまつさえ咀嚼の間に「ぱり、ぱり」と薄いが硬質の何かがかみ砕かれる音がするのだから、誤食確定である。


「あんた何喰っとるん! だしゃあて!」


混乱のあまり生まれた地方の言葉で叫んだ母を、娘は一瞬、キョトンとした目で見あげた。そのあとは、母の剣幕が恐ろしかったのだろうか、大きな口を開けて泣き出した。

しかしこれは母にとってはチャンスであった。泣き叫ぶ娘の口に指を突っ込んでその中身を回収する。ぬるりと生暖かい唾液の感覚を、今でもはっきりと覚えている。


娘の口腔から出てきたのは、薄い殻をかみ砕かれてぐちゃぐちゃになった……カタツムリであった。


ここで誤解の内容に断っておこう、アザとー、実は小さい虫とかカタツムリとか怖くない人である。

むしろカタツムリは捕まえてきて飼うほどの小動物好きで……普通の状況であれば指先ほどの大きさのカタツムリなど怖くない。


だがその時の私は、「カタツムリは生食してはいけない食材である」ということに戦慄した。

ご存じのとおり、カタツムリは住血線虫の宿主となりうる生き物である。カタツムリの生食に対するいくつもの良くない話題が私の脳裏を一瞬で駆け巡った。


「アンタ、何しとんの! そんなもんくったらかんがね!」


お恥ずかしい話、咄嗟に手が出た。そのくらいに頭に血が上っていた。

私は火がついたように泣き叫ぶ娘の小さな体を抱えて、無我夢中で近所の小児科へと駆け込んだのだ。


さて、この事件の顛末だが、私の話を聞いた小児科の先生(ベテランの女医である)は半笑いであった。

それはそうだ、カタツムリを生食したからといって百パーセント死ぬわけじゃない。

それにほんの一瞬の事であり、娘はカタツムリを咀嚼はしたが嚥下していない。


どんな名医であっても、「かたつむりくいました~、即運び込みました~」な患者の状態など判断しようもない。


「お母さん、とりあえず落ち着いてください」


女医はとりあえず私のパニクりっぷりが一番ヤバイと思ったのだろうか、いや、本当は笑いだしたかったのを必死にこらえていたのかもしれない……終始半笑いであった。


「とりあえず整腸剤を出しておきます。心配な症状があったらすぐに来てくださいね」


そう言って私を帰らせた女医は、実は名医なのかもしれない。

娘は腹一つ下すことなく、このカタツムリ生食事件は収束した。


しかし、子育てとは油断大敵火がぼうぼう、この半年後、娘は新たな誤食事件を巻き起こすのだ!


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