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 大した記憶はない。何となく、目立たず、流れるように、流されないように俺は生きていた。生きる事はそういう事で、これから先もそうあることが俺のアイデンティティであり、一歩後ろに引いた場所が俺の在りかなのだろう。




「んっ?」


 暗かった視界が開け、目の前には蛍光灯が見えた。どうやらコタツに入ったまま寝ていたらしい。寝汗でTシャツが肌にくっ付いていた。俺は体を起こし、大きく欠伸をする。壁にかけられている時計を見ると、時間は午後四時。どうやら一時間程寝ていたようだ。

 あちこちに視界を巡らせ、最終的に自身の目の前に行く。コタツの上にはノートパソコンが開かれており、スリープモードになっていた。俺はマウスを動かし、出てきたアイコンをクリックして起動させた。画面にはいくつものウィンドウが開いており、沢山の記号が羅列されていた。仕事をしている途中に寝てしまったことになんとなく気が付いた。


「……確か明後日までだよな。あと少しで、終わるな」


 俺は立ち上がり、乾いてしまった喉を潤すために台所に向かう。

 冷蔵庫を開け容器に入った麦茶を取り出し、コップに入れずそのまま口をつけて飲む。喉の辺りがひんやりと心地良く、寝ぼけた頭も若干スッキリした。

 ガチャンと、唐突に俺の部屋の扉の鍵が開いた音がした。築数十年のアパートで立て付けが悪く、ギィと金属音が嫌に耳に響いた。俺は玄関の方を覗き見る。寝ぼけ顔の少女がランドセルを担ぎ、靴を脱いでいるところだった。


「おう、帰ってきたか」

「ただいま」


 俺の姪である少女、コトは気だるそうな口調で言った。ランドセルを投げ捨てながら俺のノートパソコンが鎮座されているコタツに足を入れ、これ以上自分はここから動きませんといった風に身を縮めた。


「牛乳ほしい」


 早々にして俺に頼みつける。しかし、ついでなのでコトに牛乳を持って行ってやり、コップに注いでやった。コトはそれを勢いよく口の中に流し込んだ。

 コトはホっとした表情を浮かべ、コップを置くとパタリと身を横にした。そろそろ暗くなる頃なので俺はカーテンを閉め、自身の定位置に座り一度身震いをした。


「今日の夕飯何が良い?」

「……鳥肉が食べたい」

「鳥肉……か。買いに行かないとな。着いてくるか?」

「行く。行く時になったら起こして」


 そう言ってコトは早々に眠りについた。

 俺は仕事を再開する。頭の中では仕事と今日の夕飯の事が一緒に踊るように頭を交錯した。器用な奴とはよく言われる。

 コトの顔を覗き見る。とても平和そうに、言い換えれば間抜けな表情を浮かべており、見ているこちらが腑抜けてしまいそうな寝顔だった。


「……」


 阿呆な顔だ。




 コトが居候しに来たのは少し前の事だ。コトの父親、つまり俺の実兄が単身赴任になり、その家は父子家庭で、俺が住むこのアパートは兄の家の近くである事から、コトのことも考え、コトは俺の家に来た。

 それは特に珍しい事ではなかった。元々仕事人間である兄は家に帰るのが遅く、時折コトは俺の家に泊まりに来ていた事があるからだ。だから今回はただ長い間連続的に泊まるだけで、今までとあまり変わらず、慣れているのかコトは自分の家のように俺の家で過ごしている。


「ふぅ」


 仕事に区切りがつき、俺は伸びをした。このところ暇を潰すように仕事をしていたので、あまり寝ていない。座った状態での作業なので、体の節々が凝り固まっていた。

 時計を見ると六時半。飯時として俺にとって少し早い時間なのだが、コトが来てからの生活で考えると少し遅かった。


「飯買いに行くぞ」


 コトの体を揺する。コトは俺の言葉に反応して、コタツから芋虫のように這い出た。まだ完全に起きていないのか、立ち上がった後の動きはふらついており、両手を斜め前に差し出して上着を探している。見当はずれのところを歩いているが。

 しょうがないので、コトの上着を持っていってやる。


「ほら、起きろ」

「んっ……」


 コトに上着を渡し、俺も上着を羽織って財布等最小限の物をポケットに突っ込んだ。諸々の電源を切り部屋の鍵をかけた。

「行こうか」

「うん」


 移動手段は徒歩。車を使うほど行動範囲が広いわけでもないし、自転車を買おうかともたまに思うが行動に至ってない。

 外はすっかり日も暮れて、空には雲がなく、月と星がなんの遮りもなく瞬いていた。風は肌を刺すように冷たく、突風が吹く度に俺は体を丸めた。隣を歩くコトはすっかり目を覚ましたようで、俺とは違って随分と力強く歩いていた。歳の違いなのだろうか。

 横に歩くコトの声に耳を向ける。今日あった事や、前にあった事。年の割には案外しっかりしている言葉でコトは話した。


「小学生に戻りたいな」

「なんで? 私は早く大人になりたいな」

「それこそなんでだ?」

「だって子供って面白くないし。宿題をしても実質的な何かがあるわけじゃないし、大人になって働けばお金がもらえるじゃない」

「まぁ、それ相応以上の働きをしなければならないけどな」


 若干皮肉のこもった言い方だが、コトは上手く理解できないと言いたげな表所を浮かべた。


「学校は楽しくないのか?」

「そういうわけじゃないよ。楽しい、けれどつまらないの。ん~……上手く言葉に出来ない」


 十年以上前の記憶を探った。しかし、小学生の頃の自分はどうだったかはよく思い出せるものではなく、とても感覚的な何かしか残留していなかった。


「大人だってつまらない。まぁ、俺は会社勤めしてるわけじゃないから、俺の職にしては楽な方だけどな」

「働いているの? てっきりニートかと思ってた。パソコンばかり開いてるし」

「前は会社勤めしてたんだけどな。今は働いてた時の同僚や高校大学の先生とかのツテで働いてるんだよ」

「ふぅん。なんで辞めたの?」

「……さあな」


 そうこう話しているうちにスーパーに着いた。それほどではないが客入りが多い気がする。普段遅い時間帯にしか利用しないので、そこら辺も関係しているのかもしれないが。

 とりあえずはカートの上のスーパーの籠に焼き鳥のパックを数個入れる。実際の歳より低く見られるほど小柄なコトであるが、俺よりも飯を食らう。俺が少食というのも一因するが、どこにそんな溜め込む場所があるのだろうかと不思議に思う。

 品の物色中に入れた覚えのない駄菓子が籠の片隅に隠れるようにあり、そ知らぬ顔でカートの前で俺に背を向けて立つコトがいた。

 歩みを止め、少しばかり様子を窺う。コトは何も言わずに、そっぽを向いたままそこに居るだけだった。

 まぁ、気にしないでおく。駄菓子を買ってやる甲斐性くらい俺だって持ち合わせている。わざわざこんな隠れたことしなくも良いのに。


「コト」

「……ん?」


 ゆるりとこちらを向くコトは変に取り乱さないためか不自然に怒った感じの表情をしていた。


「……」

「……」

「これだけで良いのか?」


 俺が駄菓子を籠の中の物をかき分けて取り出して言った。

 すぐに表情は変わらなかったが次第に和らいでいき、そしてコトはお菓子コーナーに駆けて行った。

 その後、予想以上に持ってこられたので、少し棚に戻した。




 コトの要望通りに焼き鳥が食卓に並ぶ。コタツの上に乗っているノートパソコンをどけて、買ってきた惣菜や少し簡単に作った副菜を並べた。


「美味いか?」

「うん」


 我が家の食卓に会話はあまりない。マナー云々の問題ではなく、コトは食べる事に夢中になって無口になり、俺は元々自発的に会話をする性格ではないからだ。

 黙々と食事は進み、早々に食べ終わる。食卓に並ぶ半分以上はコトの胃で消えていくのだが、成人男性なのに小学生と比べて少食であることは、少しばかり情けない感じがするのが否めない。

だけれど、コトは夕飯後に買ってきた菓子も食うので、コト自身が常人よりも大食らいというのもあると思う。きっとそうだ。

 ノートパソコンとは別にあるデスクトップパソコンをいじる。こちらは半分以上を趣味で使っている。ニュース記事を見たり、適当なコラムを見たり、くだらない知識を適当に検索する。それらの行動にはなんら意味もなく、人生の浪費と言っていいものだろう。

 カラカラとロールを回し画面をスクロールする。真面目にそれを見ているわけでもなく、半目で虚ろな表情をしながら俺はそこに書かれている文字列を読んだ。

 コトはというと、テレビでお笑い番組を見ていた。時折ニヤっとするくらいで、終始無表情。言っては悪いが、異様である。

 すると、傍らに置いていた携帯電話が鳴った。納入先の人だ。大学の教授のツテで知り合ったこの人とは何度か会ったことがあり、とても人当たりの良い人だったことを覚えている。俺達は軽く一言二言言葉を交わす。


「あぁ、はい。そろそろ終わるので納入日までには確実に終わりますよ。えぇ、……今後もお願いします。これから先は……」

 それから十数分ほど会話をした後、電話を切った。俺はさっさとコタツの中に戻り、まるで殻のようにコタツの布団に包まった。


「誰から?」

「納入先の人」

「本当に仕事してるんだ」

「まだ信じてなかったのかよ」

「パソコンでネットゲームしてるのかと思ってた」


 まぁ、職業柄家にいるし、パソコンは開いてることに対するコトの結論は少しばかり偏見で物を言っているようだった。まぁ、小学生なのだからそういう考え方でも不思議ではないのだが。


「今馬鹿にしたでしょ」


 その返答には表情で答える。

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