第36話 狂双龍
「……やれやれ。面白くない冗談だね。」
エン=リドは葉刃を滑らせて衝撃を殺しながら、冷ややかな視線で左右の二人を見据える。
至近距離で攻撃を防がれたラグナとリグナは、驚くどころか、そのサメのようなギザギザの歯を剥き出しにし、ニィッ! と狂気と愉悦に満ちた不気味な口角をどこまでもつり上げるのだった。
「ヒハハハ! 良いねぇ! 最高だよお兄さん!」
「キャハハ! でもいつまで持つかなぁ〜?」
二人の叫びが弾けた瞬間、空間の密度の均整が崩れた。
右から迫るラグナの蹴りが、空気を両断しながらエン=リドの側頭部を狙う。
エン=リドは首をわずかに傾けてそれをかわすが、頭上を通過した脚風だけで背後の巨大な石柱が削れ、微塵となって吹き飛んだ。
間髪入れず、左から肉薄したリグナの手刀が、空間そのものを切り裂き、エン=リドの首筋へと刺し込まれる。
龍族の圧倒的な身体スペック。
筋肉の収縮音すら置き去りにする異次元の踏み込みと、硬度を誇る龍鱗が覆う拳足。
エン=リドは両手に構えた葉刃を交差させ、リグナの手刀を受け止める。
――ガキィィンッ!!
鉱石と鋼が激突したかのような高音が大広間に響き渡り、火花が夜の闇のような遺跡を瞬時に照らし出す。
リグナは凶悪な笑みを浮かべたまま、空いた左手の爪をエン=リドの胸元へと突き立てようと振り下ろした。
「甘いよ。」
エン=リドは静かに囁くと、脚元から無数のしなやかな蔓を生み出し、リグナの腕に巻き付け、その軌道を強引に逸らす。
だが――。
「甘いのはどっちかなぁ、お兄さん!」
ラグナが力任せに蔓の群れを素手で掴み取った。
強靭な龍の爪によって、メリメリと音を立てて蔓が千切れ、弾け飛ぶ。
二人はそのまま跳躍し、天井の崩落跡から差し込む陽光の柱を背にして、左右から同時にエン=リドへと襲い掛かった。
幾重にも重なる連撃の嵐。
空中を、壁を、床を縦横無尽に蹴り飛ばしながら繰り出される連撃は、もはや一つの暴風波となってエン=リドを包囲していた。
エン=リドは足元から巨大な樹木を急成長させ、堅牢な木造の盾を瞬時に形成してそれを防ぐ。
しかし、ラグナの回し蹴りが直撃した箇所から木の盾が砕け散り、リグナの爪がその隙間を縫ってエン=リドの衣を切り裂いた。
「ハッ、随分脆いんだねぇ!」
ラグナが空中から旋風のように降り立ち、地面を踏み荒らしながら突進してくる。
エン=リドは表情を変えず、静かに手のひらを前にかざした。
「なら、これでどうだい。」
エン=リドは、周辺の草木が光合成により蓄えたエネルギーを転用し、過密な光の弾幕を張る。
エン=リドの周囲に数百を越える光槍が生成され、一斉にラグナへと向かって射出された。
空気が灼熱の熱量で歪み、遺跡内が眩い光に埋め尽くされる。
逃げ場のない光の豪雨。
だが、ラグナはニヤリと不気味な笑みを浮かべると、直進しながら右手を開き、迫り来る光弾の群れへ五本の指を向けた。
――『喰界』
ラグナの五本の指先が空間に触れた瞬間、絶大な熱量を持っていた光の弾幕が一瞬にして吸い込まれるように掻き消えた。
指先から生じた不可視の歪みが、エン=リドの放った光を綺麗に喰らい尽くし、無力化してしまったのだ。
「……ご馳走様。」
ラグナはペロリと舌を出し、嘲笑するように舌鼓を打つ。
エン=リドの目がかすかに丸くなり、その光景にほんの僅かな驚きを浮かべた。
一瞬、彼の集中が揺らぐ。
その隙を、リグナは逃さなかった。
「ねぇ、お兄さん。」
不意に、背後からリグナの濡れたような声が耳元で囁かれる。
いつの間に回り込んだのか。
エン=リドが振り返るよりも早く、リグナの手のひらが彼の背中にそっと添えられていた。
「自分の魔導を、受けたことはある?」
――『奪界!』
ドォンッ!!!!
直後、先ほどラグナが『喰界』で喰らい尽くしたはずのエン=リドの光槍が、リグナの手のひらを媒介にして、何倍もの威力となってエン=リドの背中にゼロ距離で解き放たれた。
「グッ……!」
圧倒的なエネルギーの破裂。
背から胸へと貫通した光槍はエン=リドの身体を激しく吹き飛ばす。
エン=リドの身体は砲弾のような速度で大広間を突き抜け、遺跡を支えていた巨大な石柱を二本突き破り、崩れ落ちた瓦礫の奥深くへと深く埋もれた。
ゴゴゴゴ……ッとけたたましい崩落音が響き渡り、大広間全体に濃密な煙幕と粉塵が立ち込める。
「キャハハハ! 自分の魔導で貫かれる気分はどうですかぁ〜? 最高に痛いんじゃないですかぁ〜?」
リグナは空中をくるりと軽やかに一回転し、猫のように静かに着地しながら甲高い笑い声を上げた。
ラグナもまた、倒れた石柱の上に腰掛け、首をポキポキと鳴らしながら口角を吊り上げる。
「もう終わりかい、お兄さん。意外と呆気ねぇなぁ。千年前の三賢の方がまだ骨があったよ。」
ラグナが退屈そうに再び舌を鳴らした、その時だった。
舞い上がる濃密な土煙の中で、ひときわ眩しい一筋の深緑の光が、ふわりと舞った。
ざぁっ、と神秘的な風が吹き抜け、立ち込めていた粉塵が一瞬にして吹き払われる。
瓦礫の山を押しのけて歩み出てきたエン=リドの姿に、土汚れひとつ、傷一つすら存在しなかった。
完璧な美しさを保ったまま、彼はその翠の瞳で二人を静かに見つめている。
「喰って、奪う……。なるほど、面白い魔導回路だね。それに、……見事な連携だ。」
「……は?」
リグナの笑みがピタリと止まり、真紅の瞳が不快そうに歪む。
(無傷……? いや、ワタシは絶対に直撃させた。手応えもあった……。ワタシの『奪界』は確実にアイツを捉えていたはず……!)
ラグナも石柱から立ち上がり、目を見開いてエン=リドを凝視する。
(つまり……お兄さんは、何らかの方法で再生ができる……。)
「……ヒッ……ヒハハハ!!! 面白いねぇ! 食いがいがあるよぉっ!!」
ラグナの足元から殺気が噴出し、彼の全身を黒い龍気の衣が包み込む。
対するエン=リドは、楽しむかのようにかすかに口角を上げた。
その姿は、どんな攻撃すらも包み込み、受け止める絶対的な原初の精霊そのものだった。
エン=リドは五大覇王であり深緑の精霊。
その権能は、植物を自在に生やし、硬化させ、光のエネルギーを還元・放出して万物を穿つことにある。
「さて、ギアを上げるとしようか。」
エン=リドが静かに地面を踏みしめると、彼の足元からぶ厚い木の幹が爆発的に膨れ上がり、幾重もの巨大な槍となって突き出した。
『創世の植槍』
空気を引き裂く音を立てて飛ばされる無数の木槍。
ラグナとリグナは左右に散り、鋭い爪でその槍を破壊しようと手を伸ばす。
――ガシィッ!
「なっ……!?」
ラグナの爪が木槍に接触した瞬間、衝撃で彼の指の皮膚が弾け飛び、黒い血が飛び散った。
光合成の熱によって極限まで熱を圧縮された植槍は、エン=リドの手によってドリルのように回転しながら飛来する。
その威力は龍族の硬度の高い皮膚すらも容易に破る。
「キャハッ!そうこなくちゃ!」
リグナは腕の皮膚が割裂するのも構わず、爪に『奪界』の歪みを纏わせて植槍を力任せに叩き折る。
黒く焦げた血を撒き散らしながらも、二人はそのまま弾丸のような速度でエン=リドへと肉薄した。
上空からリグナ、地上からラグナが襲いかかる。
エン=リドは蔓の網を多重に展開してそれらを防ごうとするが、二人の死力を尽くした連携によって蔓は次々と破られていく。
破られた蔓の破片が舞う中、リグナの爪がエン=リドの頬を浅くかすめ、ラグナの拳がエン=リドの脇腹へと叩き込まれた。
――ドカァンッ!
衝撃波がエン=リドの体を揺らす。
だが、エン=リドはその攻撃を受け止めながら、かすかに微笑んだ。
「……全力で行くよ。」
その言葉が静かに発せられた瞬間。
――チチ……ッ。
世界から全色彩が抜け落ちたかのように、時間の流れが急激に引き延ばされ、スローモーションのように歪み始めた。
跳躍の体勢のまま固まりかけるラグナとリグナの視界の中で、エン=リドの周囲に圧倒的な密度の神聖な気が収束していく。
大気が、地面が、崩れた天井から降り注ぐ光すらもが、彼の存在を中心に旋回し始めた。
エン=リドは静かに瞳を閉じ、その美しい唇を滑らかに動かし始める。
「原初の精霊が語る。
星は巡り、命は芽吹く。
おちた大地でさえ、いつか新たな森へと還る。
されど世界は未だ争い、過ちを繰り返し続ける。
ならば僕は歩もう。
失われた理想を抱き、あるべき未来へ。」
その詩のような響き。
圧倒的な密度の魔導が膨れ上がっていくのを感じ取り、二人の顔から余裕が消え去った。
(なっ……! コイツ……この土壇場で、こんな詠唱を……!?)
「止めろリグナ! お兄さんに歌わせるな!!」
ラグナとリグナはプレッシャーを力任せに打ち破ってエン=リドへと突進した。
爪を立て、牙を剥き出しにし、その喉笛を食い破ろうと必死に手を伸ばす。
だが、エン=リドの周囲に展開された光の力場が、二人の接近を強烈に拒絶する。
(くそっ……! コイツ、詠唱し慣れてる……!!)
攻撃を受けながらも、一切の揺らぎなく、淀みなく紡がれる美しい言の葉。
エン=リドは二人を見つめ、一切の妨害を許さず、ついにそれを言い遂げる。
「星の息吹よ、大地の記憶よ。
幾千の生命を繋ぎし原初の理よ。
今こそ眠れる力を解き放て。
我が権能をもって、滅びし世界に新たなる芽吹きを刻む。」
『万象を穿つ創世の雷霆!』
言葉が結ばれた瞬間、雰囲気が一変した。
大広間を満たしていた緊迫感が極限に達し、圧倒的な物量が世界を塗り替える。
――ゴォォォォォォォォォン……ッ!!
エルドア遺跡の全地面が、神々しいまでの黄金の輝きに包まれた。
ひび割れた石畳の隙間から、無数の美しく純白な花々が一瞬にして咲き誇り、大広間全体を一面の花畑へと変貌させる。
そして、咲き誇る白花から放たれた果てしない密度の光の粒子が、エン=リドの上空へと一点に収束していった。
収束した光は巨大な束となり、天空から舞い降りる神の雷霆となって、迫り来ていたラグナとリグナの頭上から直撃した。
――ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!
光の濁流が二人を飲み込む。
『喰界』も『奪界』も追いつかない、圧倒的な質と量の光の奔流。
ラグナとリグナは咆哮を上げる間すら与えられず、黄金の光の渦の中で地面へと叩きつけられ、飲み込まれていった。
光の束は大気を焼き、遺跡の最深部を極彩色の輝きで満たした後に、静かに収束して消えていった。
静寂が、エルドア遺跡を包んでいる。
一面に咲き誇っていた白い花々は、光の収束とともに静かに光の粒子となって消えていき、そこには荒い息を吐きながら床に倒れ伏すラグナとリグナの姿があった。
二人の両腕は消し飛び、強靭な皮膚は黒く焦げつき、全身から血を流している。
ブランクがあったとはいえ、エン=リドの圧倒的な物量の前に、二人は完全に力を使い果たしていた。
エン=リド自身も、その肩をわずかに上下させ、かすかに息を乱している。
(……封印という長年のブランクが彼らにあったからこそ、僕の術式が滑り込めたようなものだね。万全な状態の彼らなら、こう易々とはいかなかっただろう……。)
エン=リドは自らの疲労を隠すように、いつものように穏やかな、かすかな笑みを浮かべた。
そして、動けない二人に向かってゆっくりと歩み寄ると、その手のひらに一輪の美しい花の幻影を咲かせた。
――『生命の雫』
ぽたり、と花からこぼれ落ちた輝く雫が、ラグナとリグナの体に優しく振り注ぐ。
すると、二人の全身を覆っていた深刻な火傷や裂傷が、みるみるうちに塞がり、消し飛んだ腕が再生を始め、荒かった息が急速に整っていった。
ラグナは驚きに目を見開き、上半身を無理やり起こすと、見上げるようにエン=リドを睨みつけた。
「……何の真似だ、お兄さん。トドメを刺すどころか、傷を治すなんて……。」
「とんだお人好しのバカなのかな?」
リグナも半身を起こし、整っていく体に眉をひそめながら刺々しい視線を向ける。
エン=リドは黄緑色の長髪を風になびかせ、静かに二人を見下ろした。
「ワタシたちを力尽くで従わせようなんて思わないことだね。」
「そんなことする気は毛頭ないさ。言っただろう、僕は君たちに『協力』をしてほしいと。」
「協力だぁ……?」
ラグナは怪訝そうにエン=リドを見つめ――その胸の奥に漂う、圧倒的で異質な気配の正体に勘づいたかのように、その真紅の瞳をだんだんと見開いていく。
「お兄さん……キミ……。」
ラグナの反応を追うように、リグナもまたハッと息を呑み、エン=リドの真意に気づきを得た。
「そう、僕も君たちと同じゼーレの使徒さ。別に僕の言うことを聞けって押し付けるつもりはないのさ。」
「ハッ! そういうことかよ。」
「な〜んだ! だったら最初から言ってくれればよかったのにねぇ!」
リグナはぷくっと頬を膨らませて悪態をつく。
「ふふ、その前に問答無用で襲いかかってきたのは君たちだろ?」
エン=リドが可笑しそうに肩をすくめると、リグナは『てへッ⭐︎』と可愛らしく舌を出して白々しく笑ってみせた。
「とにかくだ、僕らは利害の一致する同胞ということだ。ご理解いただけたかな?」
「まぁーね。」
リグナは再生した爪についた血をペロリと舐めとると、衣服についた埃をパンパンと払いながら軽やかに立ち上がった。
「っで? ワタシたち兄妹に何をしてほしいってわけ?」
「いやぁ、せっかく起きてもらったのに申し訳ないけれど、今すぐ何かをしてほしいってわけじゃないんだ。」
ラグナはあからさまにつまらなさそうな顔をし、チェッと盛大な舌打ちを鳴らす。
「ちぇっ、なんだよ。せっかく暴れられると思ったのにつまんねぇの。」
「君たちには、とりあえずは好きに動いてもらって構わないよ。」
エン=リドはそこで一度言葉を切り、柔らかく、けれど静かな冷気を孕んだ声で言葉を紡ぐ。
「まぁ、ただどうしても暇だというのであれば……ルミネーアかフェーネに行くことをお勧めするよ。」
「ルミネーアに? あんなガラクタの物置のどこが良いんだ? 壊したって腹の足しにもなりゃしねぇよ。」
ラグナが興味なさそうに吐き捨てると、リグナも首を傾げて問いかける。
「それにさ、フェーネってどこよ?」
「人魔共生を目指している新生都市さぁ。今いろいろと大変な時期みたいだから……行けば、なかなか楽しめるんじゃないかな。」
「はっ、人魔共生だぁ? そこの頭は本気のイカれ野郎だな。」
ラグナが狂気的な笑みを深めて舌を鳴らすと、エン=リドは深遠な笑みを崩さないまま、言葉を付け加えた。
「ちなみにルミネーアにもね、事前に僕がちょっとした『根回し』をしておいたんだ。近いうちに、あそこも君たちにとって心地よい混乱に包まれるはずさ。」
「ふ〜ん! じゃあワタシ、ルミネーアに行ってこようかなぁ! ラグナはフェーネにでも行って味見してくれば?」
「……ったく、こういう時は先に選ばせてくれねぇよな、リグナ。まぁ、暴れられるならどこでもいいけどよ。」
二人の邪気あふれる会話に満足そうに頷くと、エン=リドはそっと手を胸に当て、優雅に一礼した。
「それじゃあ、僕の今回の目的は果たされたし、ここら辺で失礼させてもらうよ。あぁ、そうそう。フェーネに行くのならフィーネには気をつけなよ。彼女は僕より強いからさ。」
「へぇ〜、フィーネね。面白そうだ。」
その言葉にラグナはじゅるりと舌なめずりをする。
エン=リドは呆れたような顔で笑うとパチンッと指を鳴らした。
「それじゃあね。また『その時』が来たら、君たちに呼びかけることにするさ。」
「はーい、じゃあねぇ〜お兄さん!」
リグナがひらひらと手を振ると、エン=リドの身体が幾重もの鮮やかな光のオーブとなって弾け、風に乗るように跡形もなく姿を消した。
残されたラグナとリグナの兄妹は、狂気に満ちた不気味な笑みを浮かべながら、崩れかけたエルドア遺跡の天井から覗く青空を静かに見上げるのだった。
次回 第37話 剣の王




