第1話 転生
はじめまして!
数ある作品の中から、本作を開いてくださりありがとうございます!
本作『転生魔物は湯けむりを夢見る』は、カクヨムにてメインで連載中の作品です。
このたび、より多くの方に読んでいただければと思い、小説家になろうでも投稿を始めることにしました。
なお、本作には、作者がこれまでに触れてきた他作品から影響を受けている部分がございます。
あくまで自分なりに考え、物語として形にしたものではありますが、そうした点について、あらかじめご了承いただけますと幸いです。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです!
それでは、本編をお楽しみください!
「……よし、本日最後のデッドライン、これにてクリア!」
ディスプレイの右下に表示された時刻は深夜2時を回っていた。
黒ずくめのデスクの山から、三十七歳のサラリーマン――佐伯蓮は、ゾンビのような動きでガクッと上半身を起こした。
肩を回せば、ギシギシとまるで錆びついた機械のような音が鳴る。
全身を支配しているのは、言語化しがたい猛烈な倦怠感と、骨の髄まで染み渡るような冷えきった疲労だ。
だが、蓮の脳内は不思議とクリアだった。
希望という名のガソリンが、乾ききったエンジンを無理やり回している。
今夜も彼を支えたのは、仕事終わりの楽しみである、スーパー銭湯の存在だった。
午前三時まで営業している家の近くの『天然温泉 恵みの湯』。
そこにある、全身の毛穴という毛穴が歓喜する四十二度の熱めのお湯と、キンキンに冷えた水風呂、そして思考のフリーズする外気浴スペースの『ととのい椅子』が、今この瞬間の蓮の全宇宙だった。
「待ってろよ……。電気風呂で腰のコリを完全破壊してやるからな……。」
オフィスの重い扉を押し開け、夜風の吹く街へと繰り出す。
空はあいにくの雨模様だったが、今の蓮にとっては最高の冷却水にすら思えた。
足取りは軽く、鼻歌まじりにアスファルトを踏みしめる。
――あと十分歩けば、極楽が待っている。
そう確信していた、帰り道の途中だった。
突然、頭上から世界を引き裂くような不気味な金属音が響いた。
「――っ?」
反射的に顔を上げた瞬間、視界の端で街灯の光がギラリと乱反射した。
頭上にそびえ立つビルの一角、高所で進められていた夜間工事の現場だ。
そこから、何トンもある巨大な鉄骨が――まるで糸の切れた操り人形のように、無慈悲に宙を滑り落ちてきていた。
回避する思考の余裕すらなかった。
ただ、「あぁ、これ終わった。」という諦めめいた雑念が脳裏をかすめ、次の瞬間――
――ドガンッ!!!
重い地響きと、耳をつんざくような破壊音が夜の静寂を打ち砕いた。
アスファルトがクレーターのように抉れ、周囲に飛び散るコンクリート片。
跳ね上がった水飛沫と雨粒が、混ざり合うように赤く染まっていく。
工事現場の警告灯だろうか。
チカチカと点滅する赤色の光が、無機質に雨の夜道を照らし出していた。
「――おい! 誰か巻き込まれたぞ! 救急車!」
「ダメだ!体が潰れているんだぞ…! 」
遠くで誰かが叫ぶ声が聞こえる。
冷たい雨が、容赦なく倒れ伏した体を打ちつけていく。
赤色のランプが雨に濡れたアスファルトに反射し、ドロドロとした血の池のように視界を染め上げていた。
地面に投げ出されたその顔には、泥水と雨粒が冷たくまとわりつき、力無く見開かれた黒い瞳には、もはや何の光も宿っていなかった。
転生魔物は湯けむりを夢見る
〜人魔共生の温泉街を目指せ!〜
全身を襲う凄まじい衝撃と、冷たい雨の感触が、嘘のように消え去っていた。
代わりに感じるのは、ひんやりとした湿気と、泥のような、しかしどこか不思議なヌメッとした奇妙な浮遊感。
頭を悩ませていた三十七年分の肩こりや腰の痛みも、残業地獄の疲労感すら綺麗さっぱり消え失せている。
「……あれ? ……俺……さっき……ってか、ここ……どこだ?」
佐伯蓮――だったものは、重く閉ざしていた意識をゆっくりと浮上させた。
違和感を覚えて視線を巡らせる。
あたりは、どんよりと湿った岩肌に囲まれた薄暗い洞窟の底。
足元や壁のあちこちに、七色に怪しく、かつ鮮烈な光を放つ奇妙な鉱石が埋め込まれており、それが洞窟内をサイケデリックに照らし出していた。
「…なんで俺……洞窟に?」
思い出すのは、夜道の工事現場、頭上から落ちてきた巨大な鉄骨、そしてあの赤い光と冷たい雨。
どう考えても、あのままアスファルトの上でペシャンコになってお陀仏だったはずだ。病院の霊安室ならまだしも、なぜこんなRPGのダンジョンみたいな場所にいるのか。
「………」
状況を把握しようと、身体を動かそうとする。
しかし、手足を動かそうとしても、肩を回そうとしても、一向に応答がない。ただ、全身がタプン、タプンと波打つだけだ。
「……ん?」
嫌な予感がよぎり、蓮は必死に自身の「視界」をグッと下に向けてみた。
そこに広がっていたのは――。
人間のものではない、透き通った乳白色の、ぶよぶよとした『半球状のドーム型ボディ』。
さらにその下部には、でゆらゆらとたなびく、クラゲの触手のような無数の触手が気ままに漂っていた。
「……なんだこれぇ!!!!」
反射的に蓮だったものの叫び声が、洞窟に響いた。
「えっ!? 俺、クラゲ!? え?! なんで俺がクラゲになってんだよっ!?」
パニックを起こした拍子に、身体がびよーんと伸び縮みする。
すると、ふと目の前の空間に、どこか見覚えのある半透明のブルーのウィンドウ(ステータス画面)がぽーんと浮かび上がった。
そこには、見慣れない文字でこう記されていた。
【種族名】 ポイズンスライム
【レベル】 1
「ポイズンスライム……ポイズン…スライム…ってことは、俺、スライムに転生したってこと!? ……なんかどっかで聞いたことある気がするけど……。」
涼しげな洞窟のどこがで水滴がポツポツと落ちる音が響く。
「あ゛ぁ゛〜考えても始まらん!」
妙な納得の仕方をしながら、蓮だったものはぷるぷると身体を震わせた。
現実逃避とも言うのだろうか、ここでパニックを起こしても誰も助けてはくれない。
まずは自分の『スペック』を把握するのが、社会人の基本というものだ。
「よし、まずは自社製品……じゃなくて、この新しい肉体の性能テストとでもいこうか。」
洞窟の湿った岩場を、ぬぷ、ぬぷ、と這い回りながら、蓮だったものは自身の身体を観察する。
七色に光る鉱石の明かりに透かしてみると、相変わらず乳白色のボディが見える。
「ポイズンスライムって名前で……このクラゲみたいな見た目ってことは……この触手、毒を持ってるんじゃね?」
興味本位で、ふと近くの硬い岩肌に触手をぴとっと這わせ、それっぽく念じてみるてみる。
「いでよ!毒!」
直後、ジリジリ、と嫌な音を立てて、岩の一部がみるみる溶けてえぐれた。
「うわっ、出た!ってか強酸じゃねえか! 危険物取扱者の資格持っててよかったぜ……って持ってねえよ! 手袋もなしに猛毒分泌すんな!」
ビビって触手を引っ込める蓮だったもの。
しかし、これは立派な攻撃手段だ。
アニメで見るような異世界に転生しているのだとしたら、この気づきは大きい。
そこから、『魔物狩り』という名の実験が始まった。
洞窟の暗がりからフラリと現れた、一見して凶暴そうなトカゲ型の低級魔物に対し、蓮だったものはスライムの身体を駆使して奇襲を仕掛けた。
「おらっ、挨拶代わりの毒液タッチ!」
ずるりと忍び寄り、背後から触手をぺとりと貼り付ける。
次の瞬間、強力な毒素と酸が魔物の皮膚を焼き焦かし、相手はまともな反撃すらできないまま、泡を吹いてぐったりと倒れ伏した。
「これで十二匹目っと……うん、我ながら恐ろしい。」
倒れ伏した魔物の残骸からスルスルと触手を引き抜きながら、蓮だったものは自身の身体をぽこぽこと波立たせた。
この洞窟をうろつく雑魚を狩り続けたおかげで、今の自分に何ができるのか、だいたいのスペックが頭に入ってきたところだ。
「まずは基本の『毒の生成・分泌』だ。これ、めちゃくちゃ汎用性が高いぞ。」
前世で培った妙な好奇心と、仕事における無理難題をカタチにしてきたノウハウが、なぜかこのスライムの肉体と奇跡的な化学反応を起こしている。
自分で頭の中でイメージさえすれば、神経毒から強力な酸、あるいは麻痺性の粘液まで、望み通りの『ある程度の毒』を自在に生成・コントロールできるのだ。
しかも、ただじわじわと分泌するだけじゃない。
「意外と、液体以外の形で出すこともできるんだよな。例えば――これ。」
蓮だったものは触手の先へ意識を集中さる。
すると、クラゲ状の身体の端と端、その二本の触手の間に、ぐにゅりと粘り気のある光が宿った。
ゆっくりと両の触手を引き離すと、ネバネバとした不気味な紫色に輝く液体が、まるで一本のロープのように引っ張り出されていく。
――名付けて、『毒糸!』
「毒の糸で縛り付けじわじわと相手を溶かすことができるのだ!」
…………うん。
「……まぁ使い道は……今のところあまりないかもしれないけど……。」
自分で作り出しておきながら、ネバネバと紫色の光を放つ糸を見つめ、蓮だったものは小さくため息の代わりに気泡をぽこっと浮かべた。
そもそもこの閉ざされた洞窟の中には、拘束を必要とするような強敵もいなければ、ハンモックを編むような優雅なスローライフの予定もない。
ただの低級魔物相手なら、さっきの毒液タッチで一撃だ。
蓮だったものは気付けばこの薄暗い洞窟の中で、すでにかなりの時間を過ごしていだ。
時計もカレンダーもないが、体感では何日、あるいは何週間もこの七色の鉱石の光を眺め続けている。
「……待てよ?」
ふと、それまで淡々と『作業』としてモンスターを狩り続けていた蓮だったものの脳裏に、ぞっとするような現実がよぎった。
「俺は……この洞窟から出られないのか? !ってことは! この世界のどこかにあるかもしれない、湯船にも浸かれないのか!?」
異世界に転生し、スライムになり、生き残るためにせっせと毒の開発したというのに、この狭い洞窟の壁打ちだけで一生を終えるだなんて、そんなバッドエンドがあってたまるか。
「そんなのいやだぁ〜〜っ!!」
蓮だったものは完全に理性をかなぐり捨て、真っ白でぷるぷるしたクラゲの巨体をそのまま洞窟の固い岩肌の上でゴロゴロと盛大に転がせた。
タプンタプン、ジュプジュプと、なんとも締まりのない音が洞窟内に虚しく響き渡る。
その時だった。
「だれ゛がぁ〜だずげで〜!!!!!!!」
洞窟の湿った反響音を乗せて、耳をつんざくようなグッシャグシャの悲鳴が轟いた。
泣き叫んでいるのか、鼻水をまき散らしているのか、聞き分けがつかないほどに必死すぎる絶叫だ。
「……ん?」
ゴロゴロと床を転がっていた蓮だったものは、ピタリと動きを止めた。
今の今まで自分の不遇を嘆いていた脳裏に、突如として現実の『イベント』が叩き込まれる。
「いまの、めちゃくちゃ人間っぽい声じゃなかったか……?」
スライムの体を引き締め、急いで音のする方へとぬぷぬぷと這い進んでいった。
七色に光る鉱石の洞窟がパッと開けた小広場のような場所。
そこに飛び込んだ蓮だったものが目撃したのは――。
「ひぃっ、こっち来るなぁ! あたしはまだ死にたくないんだよぉ!」
ボロボロのローブをまとった、手のひらぐらいの小さな人型の何かが、尻もちをつきながら必死に手足をジタバタさせて泣き叫んでいた。
そして、その目の前には、牙を剥き出しにした凶暴なイノシシ型の低級魔物が、まさにトドメを刺さんとばかりに突進の体勢をとっている。
(やばい!このままだとガチで食われる!)
前世で培った社畜の「見捨てるわけにはいかない!」という謎の正義感(あるいは、ここで見過ごしたら後味が悪いという心理。)が、蓮だったもののスライムボディに電流を走らせた。
「おい、そこのデカブツこっちを向け!」
蓮だったものは思い切り身体を膨らませると、編み出したばかりの紫色の特製ネバネバを構える。
低級魔物は蓮だったものに狙いを定め
ドドドドッ!
っと怒り狂ったように地面を蹴り、岩を砕きながら一直線に突進してきた。
「あっぶ!」
蓮だったものは体を翻しそれを避け、二本の触手を突き出す。
『毒糸!』
毒糸はそのまま勢いよく飛び出し、低級魔物を文字通り一瞬で包み込んだ。
「グガァァガァ!!!!!!!」
と低級魔物が毒の繭の中で対抗する鳴き声が聞こえる。
「そんなに暴れても無駄だぞ〜。」
直後、毒の繭がキュッと閉まり凄まじい酸性と毒素が反応を起こし、巨体だったはずの魔物は音もなくジュウゥと泡を吹いて溶け消えていく。
「いっちょ上がり!」
蓮だったものはプルンと身震いして毒糸を回収した。
そして、その場でぬぷっと体を起こし、まだ尻もちをついている小さな人影へと歩み寄る。
「大丈夫か?」
「ス、スライムが喋った…」
ビクビクと身体を震わせながら、少女は目を丸くして蓮だったものを見上げていた。
だが、次の瞬間には先ほどまでの恐怖が嘘のようにすっ飛んだのか、パッと立ち上がり、蓮だったものをプニプニと触り、フンと誇らしげに鼻を鳴らす。
「もっ、もちろん平気よ! あたしが自力で撃退しようとしたところに、ちょうどいいタイミングでアシストが入っただけなんだからね! 別に助けてもらったわけじゃないんだから、礼を言ってやってもいいわ!」
「どこから目線なんだよ……。助けてやったの俺だろ。」
呆れたように蓮だったものがゼリー状の身体を脱力させると、その少女は両手を腰に当て、胸を張った。
「あんた、このあたしを誰だか知らないようね!
あたしは五大覇王の一角にして! ここ温水の霊峰を統べる者! 水の大精霊フィーネ様よ!」
「……五大阿呆?」
「五大は・お・う!! 誰がアホよ!」
キーッと顔を真っ赤にして地団駄を踏むフィーネと、それをどこか冷めた(しかしどこか楽しげな)目で眺めるポイズンスライム。
まだ、この世界は知らない。
この出会いが後に世界を揺るがすことになることを。
次回 第二話 魔導回路




