Day1.苔とコケコッコー
僕の名前は佐藤雨衣。
職業、パティシエ。日々甘いお菓子と真摯に向き合い、小麦粉と砂糖の海に揉まれているうちに、気付けばアラサーと呼ばれる年齢になっていた男だ。
そんな僕のささやかな癒やしといえば、自宅のベッドで寝転びながら観るサバイバル動画や、時間を忘れて没頭する生活シミュレーションゲームだった。
過酷な大自然の映像は、冷暖房の効いた部屋やコンビニ弁当という現代の「当たり前な便利さ」の有り難みを思い出させてくれるし、ゲームの中で仮想生活を積み上げる時間は、子供の頃に放課後の裏山で夢中になって作った「秘密基地」への憧憬を呼び覚ましてくれる。
――そう。画面の向こう側の出来事だからこそ、それは至高の娯楽だったのだ。
「……なんで、こうなったのかなぁ」
冷たい風が、僕の『全身』を容赦なく撫で上げていく。
遮るものは何もない。文字通り、何もない。一糸まとわぬ生まれたままの姿――つまり、完全なる全裸で、僕は見知らぬ鬱蒼とした森の中に放り出されていた。
肌寒さと恐怖でガタガタと震える僕の目の前には、一匹の『奇妙な生き物』が佇んでいる。
苔のような深緑色の体毛に覆われた、ぽてっとした二頭身のフォルム。ずんぐりむっくりのその身体は、どこか古びたぬいぐるみを思わせる。テーマパークにいてもおかしくない、実に愛嬌のあるゆるキャラだった。
そいつは、パチパチと無垢な瞬きをしながら、気の抜けた声を出す。
「あう。ボクはユミえもん。君をここに呼びました」
「ユ、ユミえもん……?」
「あの、この森に秘密基地を作ってください。完成したら、元の世界に帰します」
(ええーっ、何この状況〜!?)
脳内で絶叫する。
見知らぬ森で全裸、そこまではまだ百歩譲って異世界転生(?)のテンプレだとしても、初対面のゆるキャラから「秘密基地を作らないと帰さない」と軽めの脅迫を受けるなんて、どんなラノベのプロットだよ。
僕は必死に震える声を絞り出し、その自称・ユミえもんに問いかけた。
「ユ、ユミえもん……? 僕の名前は佐藤雨衣です。ここ、一体どこなんですか? 秘密基地って急に言われても……っていうか、まず服! 服とかありませんか!?」
「あう。ここはミュルクヴィズ、暗い森。秘密基地ないと、困る。……着るもの欲しい? わかった」
ユミえもんはのんびりと頷くと、短い手で自分のお尻のあたりをごそごそと掻くような仕草をした。そして、
「ぷぽぱぽぴ! 『ナーリの裁縫針』〜」
どこからともなく、一本の古びた針を取り出して僕に差し出してきた。
(……え、まじでどこから出したの!?)
四次元的な何かが彼のお尻(あるいは背中)にあるのだろうか。ツッコミたい気持ちを抑えて針を受け取るが、金属の冷たさが指先に伝わるだけだ。
「あの、ユミえもん。針だけじゃ服は作れないよ? 糸とか、もっと大きな布とかは出せないの?」
「あう。一日一個」
「一日一個しか出せないの!?」
僕は頭を抱えた。先に言ってくれよ! 食べ物も飲み物もないこの極限状態で、ただの針一本を握りしめたまま、全裸で24時間を過ごせというのか。絶望感に襲われながら、僕は空を見上げる。木々の隙間から見える景色は、心なしか薄暗い。
「ユミえもん、今、何時?」
「あう。夕方」
「ざっくりだなあ...」
僕のサバイバル生活は、間違いなく最悪のスタートを切った。
僕は諦めて、冷たいミュルクヴィズの地面にドサリと腰を下ろした。
サバイバル動画で培った記憶を総動員し、現状を整理しようと試みる。だが、手元にあるのは小さな針が一本だけ。
「はぁ……」
ため息をついた瞬間、手から滑り落ちた針の先が、地面に積もった一枚の落ち葉に触れた。
チリ、と奇妙な音が響く。
「え……?」
目を見張った。針が触れた瞬間、茶色く枯れていたはずの落ち葉が、まるで魔法のようにクタッとしなびて、柔らかな『布地』へと変化したのだ。
「すごい……! 落ち葉が布になった!?」
慌ててその落ち葉を拾い上げ、手の中で揉み込んでみる。すると、繊維が解けるようにして、瞬く間に一本の丈夫な『糸』へと形を変えた。
ただの裁縫針じゃない。これは魔法の道具か、あるいはユミえもんの超テクノロジーか。
「これなら……これなら服が作れるぞ!」
パティシエの血が騒ぐ。モノづくりなら僕の専門分野だ。
僕は夢中になって地面に這いつくばり、落ち葉を針でツンツンと突きまくって大量の糸を採取した。さらに、近くにそびえ立つ巨木の幹に狙いを定め、その硬い樹皮を針の先で突いていく。
読み通り、針が触れた部分の樹皮がベリベリと剥がれ、大きな一枚の布地へと変わっていく。
裁縫のプロのような知識はない。だけど、お菓子を作る要領で、頭の中で立体を組み立てる。採取した樹皮の布地を糸で繋ぎ合わせ、見よう見まねでざっくりとしたフード付きの衣服――フーディを二着、作り上げた。
「僕は、天才だ!」
出来上がったフーディに袖を通す。
「……。繊維が元は木だからゴワゴワして擦れるけど、全裸でいるよりは一億倍マシだな」
生きるための第一関門クリアだ。
僕はふと、足元でじっと僕を見上げていたユミえもんに目を向けた。その二頭身を見ていると、なんだか放っておけない気持ちになる。
「ほら、ユミえもん。君の分もあるよ」
「あう。あったかい」
小さな身体に樹皮のフーディを着せてあげると、ユミえもんは嬉しそうに目を細めた。
(くそ、ちょっと可愛いな。少し頭の弱い感じが、なんだか憎めない)
ひとまずの衣類を手に入れた僕たちだったが、本当の地獄はここからだった。
夜の帳が下りると、ミュルクヴィズの森はその暗さを何倍にも増した。
それと同時に、肌を刺すような寒気が周囲を支配し始める。夜の森を舐めていた。じっとしているだけで、体温が急速に奪われていくのがわかる。
「寒い……。樹皮のフーディだけじゃ、さすがに限界があるな……」
歯の根が合わない。パティシエの手は冷やしてはいけないが、今は全身が凍りつきそうだ。
僕は少しでも暖を取るため、なりふり構っていられず、無言で隣にいたユミえもんをギュッと抱きしめた。
「つ、つめたあっ!?」
思わず叫んで身を引いた。ユミえもんの身体は、信じられないほど冷たかったのだ。まるで冷えた石像か、永久凍土の塊のようだった。
「ユミえもん、寒くないの……?」
「あう。寒くない」
平然と言うユミえもんを見て、僕は悟った。
(そうか……この子は哺乳類じゃないんだ。)
頼みの綱の湯たんぽ(ユミえもん)は使えない。このままでは確実に低体温症で夜を越せない。焦燥感が募る中、僕は手の中に残された唯一の希望――『ナーリの裁縫針』を見つめた。
(落ち葉を糸に、樹皮を布に変える針。なら、もっとデカいものを変えたらどうなる……?)
一か八かだ。僕は立ち上がり、目の前にある、見上げるほどの巨木に歩み寄った。
そして、その幹へ向けて、祈るような気持ちで針を深く突き刺した。
ズルズルズルッ、と静かな衝撃音が森に響く。
「うわっと!?」
次の瞬間、目の前が樹木の布で埋め尽くされた。
針が深く刺さったことで、巨木の質量そのものが一気に変化したのだ。樹皮を失った巨大な大木が、まるで積もった砂山のように、圧倒的なボリュームの『布地の山』へと姿を変えた。
「これだ……!」
僕はユミえもんの短い手を掴むと、「おいで!」と引っ張って、その押し寄せる布地の山の中へと滑り込んだ。
カサカサと音を立てる布の波を掻い潜り、中心部へと潜り込む。
中は狭く、視界は完全に閉ざされていた。けれど――驚くほど温かかった。雪国で作られる『かまくら』のように、僕たちの体温が狭い空間に閉じ込められ、外の極寒を完全に遮断してくれている。
「ふはぁ……助かった……」
命が繋がった安堵感で、全身の力が抜ける。
暗闇の中、すぐ隣にいるユミえもんが、申し訳なさそうにポツリと呟いた。
「あう。ボク、冷たいでしょ」
役に立てなくてごめんね、とでも言いたげな声だった。
僕はふっと笑って、その苔むした丸い頭を撫でてあげる。
「いいんだよ。いてくれるだけで」
冷たい身体かもしれないけれど、この見知らぬ世界で、独りきりじゃない。その事実だけで、僕の孤独に震えていた心は十分に温められていた。
「ユミえもん、明日は水を頼むよ。さすがに喉がカラカラだ」
布に包まれながら、僕は明日の希望を口にする。
「あう。まかせて」
頼もしいのか心許ないのか分からない返事を聞きながら、僕はゆっくりと目を閉じた。
【佐藤雨衣のサバイバル記録:1日目】
衣:樹皮で作った即席フーディ(ゴワゴワするが裸よりマシ)
食:空腹(まだ耐えられる)
住:布化した巨木のかまくら(極めて狭いが暖は取れる)
【所持アイテム】
『ナーリの裁縫針』(何でも繊維に変える魔法の針)
「コケコッコー――!!」
どこからともなく響く、やたらと美声のニワトリの鳴き声で、僕の目が覚める。
ミュルクヴィズの、二日目の朝が始まった。




