教養としての日本近代文学史③ 浪漫主義
〇浪漫主義
封建制からの解放・近代的自我の目覚め。
雑誌「文学界」。雑誌「明星」(与謝野鉄幹・晶子)
泉鏡花
「外科室」
<梗概>
【上】
医学士・高峰は、貴船伯爵夫人の手術を行うため、麻酔剤を服用させようとする。しかし伯爵婦人は承知しない。伯爵からも諭されるが、夫人は聞き入れない。
伯爵夫人「そんなに強いるなら仕方がない。私はね、心に一つ秘密がある。麻酔剤はうわ言を言うと申すから、それが恐くってなりません、どうぞもう、眠らずにお治療ができないようなら、もうもう治らんでもいい、よしてください」
伯爵「わしにも、聞かされぬことなんか。え、奥」
夫人「はい、誰にも聞かすことはなりません」
伯爵「何も麻酔剤を嗅いだからって、うわ言を言うという、決まったこともなさそうじゃの」
夫人「いいえ、このくらい思っていれば、きっと言いますに違いありません。もう、御免くださいまし」と投げ捨てるように言い、背中を向ける。
顔色が動かないのは、医学士だけだった。
看護師「お胸を少し切りますので、お動きあそばしちゃあ、危険でございます」
夫人「なに、わたしゃ、じっとしている。動きゃあしないから、切っておくれ」
看護師「それは奥様、いくらなんでもちっとはお痛みあそばしましょうから、爪をお取りあそばすとは違いますよ」
夫人はここにおいてぱっちりと目を開けり。気もたしかになりけん、声は凛として、
夫人「刀を取る先生は、高峰様だろうね!」
看護師「はい、外科科長です。いくら高峰様でも痛くなくお切り申すことはできません」
夫人「いいよ、痛かあないよ」
看護婦たちが夫人を抑えつけようとすると、
夫人「どうしてもききませんか。それじゃ治っても死んでしまいます。いいからこのままで手術をなさいと申すのに」と言うと、玉のごとき胸部をあらわにし、
夫人「さ、殺されても痛かあない。ちっとも動きやしないから、だいじょうぶだよ。切ってもいい」と、決然と言い放つ。
高峰は身を起して椅子を離れ、「看護婦、刀を」
「ええ」と看護婦の一人は、目を見張りてためらえり。一同ひとしく愕然として、医学士の面を見守る時、他の一人の看護師は少しく震えながら、消毒したる刀を取りてこれを高峰に渡したり。
医学士は取るとそのまま、靴音軽く歩を移して、つと手術台に接近せり。看護師はおどおどしながら、「先生、このままでいいんですか」
高峰「ああ、いいだろう」
看護師「じゃあ、お押さえ申しましょう」
医学士はちょっと手を上げて、軽く押し留め、「なに、それにも及ぶまい」言う時早くその手は既に病者の胸をかき開けたり。夫人は両手を肩に組みて身動きだもせず。この時医学士は、誓うがごとく、深重(しんちょう・深みがあり、重々しいさま)厳粛なる音調もて、「夫人、責任を負って手術します」 その時の高峰は、神聖で異様なものであった。
「どうぞ」と一言答えた夫人の真っ白な両頬には、紅が差していた。じっと高峰を見つめたままで、胸元のナイフにも目をつぶろうとはしなかった。
雪のような胸から血潮がつっと流れ、白衣を真っ赤に染めたが、夫人の顔は元のように青白く、全く動ぜず、足の指も動かさなかった。
医学士はあっという間に夫人の胸を裂き、刀が骨に達すると思われた時、「あ」と深刻な声を絞って、夫人は半身を跳ね起こし、刀を持つ高峰の右手の腕を両手でしっかりと握った。
高峰「痛みますか」
夫人「いいえ、あなただから、あなただから」 そう話しかけて夫人はがっくりと仰向きつつ、凄冷(せいれい・冷たい表情や態度)極まりなき最後の眼に、高峰をじっと見守り、
夫人「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」と言うやいなや、高峰が手にした刀に片手を添えて、乳の下深く掻き切りぬ。医学士は真っ青になりて戦きつつ、
高峰「忘れません」
その声、その息、その姿、その声、その息、その姿。伯爵夫人は嬉しげに、いとあどけなき微笑を含みて高峰の手より手をはなし、ばったり、枕に伏すとぞ見えし、唇の色変わりたり。
そのときの二人が状、あたかも二人の身辺には、天なく、地なく、社会なく、全く人なきがごとくなりし。
【下】
九年前の五月五日、高峰がまだ医科大学の学生だった時のこと。小石川植物園で高峰は、護衛に守られつつ歩いてくる貴族の女性三人と行き過ぎる。一人は既婚の女性、真ん中の一人は水際立った美人だった。高峰は、思わずうしろを振り返る。高峰は、「ああ、真の美の人を動かすことあのとおり」(あのような本当の美が、人の心を動かすのだ)としみじみ述べる。
高峰は、その夫人について親友にも一言も話したことがない。高峰の年齢・地位を考えると、夫人がいてもよさそうなものだが、彼の品行の謹厳さは、学生時代から今日まで続いており、高峰は未婚だった。
青山の墓地と谷中の墓地。場所は違うが、夫人と高峰は同じ日に逝った。
「高野聖」
…高野山の僧が旅の途中で道連れとなった若者に、かつて体験した不思議な話を聞かせる物語。
<梗概>
修業僧であった時、富山の薬売りの男が危険な旧道へ進んでいったため、彼は後を追う。怖ろしい蛇や気味悪い山蛭の降ってくる森をなんとか切り抜けた後、馬の嘶きのする方角へ向うと、妖しい美女の住む所へたどり着いた。僧は傷ついて汚れた体を、親切な女に川で洗い流して癒してもらうが、女もいつの間にか全裸になっていた。猿やこうもりが女にまとわりつきつつ二人が家に戻ると、留守番をしていた馬引きが、変らずに戻ってきた僧を不思議そうに見る。
翌朝、女の家を発ち、僧は里へ向かいながらも美しい女のことが忘れられず、僧侶の身を捨て女と共に暮らすことを考え、引き返そうとする。そこで馬を売った馬引きと出くわし、女の秘密を聞かされる。馬引きが売ってきた馬は、女の魔力で馬の姿に変えられた助平な富山の薬売りだった。女には、肉体関係を持った男たちに息を吹きかけ、獣の姿に変える妖力があるという。僧はそれを聞いて正気に戻り、あわてて里へ駆け下りた。
「婦系図」
<梗概>
早瀬主税とお蔦の暮らす家に、お妙がやってくる。早瀬は新進のドイツ語学者だが,少年時代は隼の力とあだ名された掏摸。縁あってお妙の家で書生をしており。二人は兄妹のような関係だった。お妙が来ると、お蔦は隠れる。実は、お蔦は早瀬の正式な妻ではない。元は芸者で、早瀬と相思相愛になり、足を洗って一緒に暮らすようになった。
ある日、お妙に河野英吉との縁談がもちあがる。財閥の家柄であることを理由に、妙子について探ろうとする河野。早瀬は縁談に反対する。
お蔦のことを知られ、別れる決意をする。早瀬は生まれ故郷である静岡に行くことにし、お蔦は髪結いの修行に。離れ離れになった二人だが、心では繋がっていた。
「歌行灯」
<梗概>
冬の月の夜、うどん屋の店先で酒をあおる旅芸人の若者は、按摩を前に、三年前に起こった出来事を語り始める。「私はね……按摩を一人殺しているんだ」
芸人は恩地喜多八という、かつて能楽界の鶴と呼ばれた男であった。三年前、按摩上がりで謡が上手な宗山という男がおり、その不相応な芸名と妾を三人囲うとの噂を聞いた喜多八は若気の正義感に駆られ、客を装って宗山と対面し、その謡に鋭い拍子を入れて宗山のプライドを傷つける。宗山はその日のうちに命を絶つ。
徳富蘆花
兄は徳富 蘇峰。国家主義的傾向を強める兄とは次第に不仲となり、蘇峰への「告別の辞」を発表し、絶縁状態となる。1907年(明治40年)、東京都世田谷区に転居、死去するまでの20年間をこの地で過ごした。病に倒れ、伊香保温泉で蘇峰と再会して和解後、58歳で死去。彼の名前は世田谷区立芦花小学校・世田谷区立芦花中学校、京王線芦花公園駅などに残る。
「不如帰」
結婚して幸せな海軍少尉川島武男と妻浪子であったが、浪子が結核にかかってしまう。武男の出征中、結核を理由に姑に離縁され、浪子は実家に戻り療養するが、その甲斐も無く死を迎える。
題名の「不如帰」は、「ああ、つらい! つらい! …もう婦人なんぞに…生まれはしませんよ…あああ!」という浪子の最後の叫びが、「鳴いて血を吐く」不如帰のようだということから。
□「不如帰」について
(http://ameblo.jp/classical-literature/entry-11024203852.htmlより)
「普通のラブストーリーは色々な障害があって、結ばれて終わりますけども、この小説はある意味ゴールから始まる感じです。物語の主人公カップルは、川島武男とその妻の浪子。もう本当に仲睦まじい夫婦なんです。
幸せな新婚生活を送る2人。ところが、この2人の周りを、何人かの悪いやつらがうろうろするわけです。いや悪いやつらって、別に犯罪者とかではないんです。それぞれの思惑があって動いているんですが、それが結果として2人を引き裂こうとする動きになる。
まず千々石安彦という男が登場します。川島武男の従兄にあたる青年ですが、両親が亡くなってしまって川島家に引き取られたことから、ちょっとねじ曲がった人格になってしまっているんです。安彦は、浪子に好意を持っていた。こっそり恋文を渡したりしていました。ところが3ヶ月ほど遠くに行っている間に、川島武男と結婚してしまっていたんです。これが千々石安彦の心をさらに歪めることになります。
つづいては山木兵造という男。山木の娘のお豊は川島武男のことが好きだったんです。そこで、お豊をなんとか武男に添わせてやろうとする。兵造は腹黒いというか、機を見るに敏という感じのタイプです。
他にも浪子の敵がまだいます。まず実家の母親は、後妻ということもあって、浪子に辛くあたっていたんですね。実家を出て、旦那さんに愛されて幸せいっぱいかと思いきや、姑がいるわけです。この川島武男の母親が本当に嫌なやつで、浪子をいじめるんです。依頼する仕事の要求度が高くて、浪子は決してできない女性ではないんですが、なかなか認めてくれない。それでも愛さえあれば大丈夫かもしれませんが、川島武男は戦争に行ってしまいます。海軍少尉なんです。離ればなれになってしまう2人。
浪子はある時、血を吐いてしまいます。肺結核になってしまったんです。浪子の叫びは有名です。
「なおりますわ、きっとなおりますわ、ーーあああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ! 死ぬなら二人で! ねエ、二人で!」
川島武男はまた戦争に行きます。浪子の周りに陰謀が張り巡らされていきます。千々石安彦、山木兵造、姑によって。そして浪子は思わぬ立場に追いやられます。愕然とする展開です。特に姑に対して本当に腹が立ちます。温厚なぼくもいい加減怒りますよ。腸煮えくりかえりそうになりました。
病と闘う浪子の運命はいかに? 引き裂かれそうになる川島武男と浪子の愛の行方は果たして!?
とまあそんなお話です。文章は読みにくいですし、戦争がからんでくるという厄介さもあります。愛する2人が引き裂かれそうになるという展開は、ベタながら心揺さぶられます。ある種ラブストーリーの王道と言えて、号泣ものの元祖とさえいえる名作」。
北村透谷
浪漫主義文学の先駆者。島崎藤村らと雑誌「文学界」創刊。
「楚囚之詩」
…日本最初の自由律詩。政治犯として獄中にある「余」の孤独な思いを歌う。自由民権運動挫折後の透谷の内面的葛藤を投影した代表作。「楚囚」は、囚人の意。
「曽つて誤つて法を破り 政治の罪人として捕はれたり、 余と生死を誓ひし壮士等の 数多あるうちに余は其首領なり」。
(以前、誤って法を破り 政治の罪人として捕らえられた、私と生死をともにすると誓った血気盛んな同士たちの、私はリーダーである)
「蓬莱曲」
…蓬莱山(富士山)を舞台に、苦悩する魂を描いた劇詩。
現世を捨てて蓬莱山に来た青年に、大魔王が自分こそこの世の物質的な繁栄と破滅を支配していると告げ、自分に服従せよというが、青年はそれを拒み蓬莱山頂で死ぬ。青年は透谷自身をあらわす。
「厭世詩家と女性」
…評論。妻ミナとの愛をふまえ、恋愛の意義を述べる。
冒頭「恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり、恋愛を抽き去りたらむには人生何の色味かあらむ、」
(恋愛は人生の秘密を解く鍵である。まず恋愛がありその後に人生がある。恋愛を除外してしまったら、人生に何の情趣があろうか、いや無い。)
「内部生命論」
…評論。精神の重視
冒頭「人間は到底枯燥したるものにあらず。宇宙は到底無味の者にあらず。一輪の花も詳に之を察すれば、万古の思あるべし。造化は常久不変なれども、之に対する人間の心は千々に異なるなり。」
(人間はまったく干からびた存在ではない。それと同じく、宇宙も味気ないものではない。一輪の花も詳細に観察すると永遠を感じるだろう。造花はずっと変化しないが、これに対する人の心はさまざまに違うのだ。)
「人生に相渉るとは何の謂ぞ」評論。
民友社の山路愛山が、「文学は人生に相渉る」という文学即事業の功利的文学論を説いたのを批判し、文学の価値は、「人間の霊性(精神)を構築」することにあると説いた。
国木田独歩
自然美を描く。浪漫主義。
「山林に自由存す」
…詩。自然の中で自己の魂を解放。
冒頭「山林に自由存す われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ 嗚呼山林に自由存す いかなればわれ山林を見捨てし」
(「山林には自由がある。」私はこの言葉を歌うと、血がわき上がるのを感じる。ああ、山林には自由がある。どうして私は山林を見捨てたか、いや、見捨てない)
「武蔵野」
…詩的散文。武蔵野の自然美。
「牛肉と馬鈴薯」
…小説。「牛肉党」(現実主義)と「馬鈴薯党」(理想主義)との討論。理想主義に基づく自我の解放を希求。
与謝野晶子
浪漫派の歌人
「みだれ髪」…歌集。青春の愛と官能。
有名な和歌
●やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
(私の若々しく柔らかい肌の下に流れる熱い血に触れてみようともしないで、さびしくないのだろうか、人の生きるべき道を説くあなたは。私の秘めた愛にも気付かずに、真面目な理屈ばかりこねていないで、わたしを抱きしめなさい)
●髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ
(普段は固く結い上げている長い髪を水の中にやわらかく解き放つ。でも、あなたへの恋心は決して見せないわ)
●その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
(その女の子はいま二十歳。櫛に従って流れる黒髪は、青春のほこらしさやうつくしさをあらわしているよ)
「恋衣」
…詩歌集。三人の女性歌人の集。日露戦争出征中の弟の無事を祈念した「君死にたまふこと勿れ」の詩が有名。
□与謝野晶子について
23歳で結婚し、生涯で12人の子供を授かり、歌人・作家の才能で家計を支えた。スランプ続きの夫、与謝野鉄幹を立ち直らせるべく資金捻出し、パリへ留学させる。自分も数ヶ月渡欧しヨーロッパ各地で見聞を広げ帰国。帰国後は女性運動に参加。文化学院(御茶ノ水駿河台に開校。芸術や文学による人間教育を目指し、日本で最初の男女共学を行った)を設立。
夫・与謝野鉄幹は、文芸誌「明星」を創刊し、石川啄木ら数々の有名歌人を見出す。恋の歌が得意なだけあって女癖が悪く、教師でありながら生徒でも弟子でも年下でも手を出してしまう。晶子の才を見出したことは素晴らしいが、結婚後妻はどんどん脚光を浴び、その陰でスランプに陥って行く。
晶子の名歌に、日露戦争時に弟を想い詠んだ歌がある。
「君死にたまふことなかれ
あゝおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや」
(弟よ、死んではいけない。ああ、弟よ。あなたを思うと涙がててくる。弟よ、死んではいけない。末っ子として生まれたあなただから、親があなたを思う気持ちは強かったのに、親はあなたに刃を握らせて、人を殺せと教えただろうか。人を殺して死ねと、二十四歳まで育てただろうか、いや、違う)
この歌を明星に発表した晶子は、反乱 賊子(ぞくし・反逆者)と大きな批判を受けますが、その時晶子は「真実の心を歌わない歌など、誰の心も動かすことなどできないのです」と猛然と反論し、凛とした態度を貫いた。