06.筆を動かしてもいい
毎週地曜日の放課後は、わたしにとってたいせつな時間だ。
地曜日の夜にはウィンちゃんたちとみんなで『夢の世界』に行く。
それもたいせつな時間だけれど、放課後にニナちゃんから精霊魔法と大鎌を習うのは、うまく言葉にできない楽しさがある。
精霊魔法はちいさい頃からつかっていた魔法とはぜんぜん違うみたいだ。
でもニナちゃんが見せてくれた精霊魔法は、とてもきれいだったのを覚えている。
そう思ったのは、精霊の姿がわたしにそう思わせたからだ。
美術部で絵を描くようになって気が付いたけれど、世界って、目を向けたところがどこでも絵になる。
かたづいている図書館の様子も、人でいっぱいの市場の様子も、冬のお日様を浴びる庭園の花も、風でおだやかに揺れている道端の雑草も、ぜんぶが絵になることに気が付いた。
絵になる風景は、絵にしたらきれいになる。
どんなに散らかった風景でも、絵として整理されてきれいになる。
でも本当にそれは、描かれたからきれいに感じるのかな。
きれいな風景をきれいに感じるのは当たり前だ。
でも、よごれた風景もそのままできれいに感じる何かを、隠しているんじゃないのかな。
ニナちゃんの精霊魔法で精霊をみて、まえにそう考えていたことを思いだした。
特別講義で、精霊を感知する練習はできていたとおもう。
『夢の世界』で休憩のときに、ニナちゃんとおしゃべりをして、大丈夫だよって言われた。
そして今日、ニナちゃんから説明があった。
内容が第二段階に入って、『精霊のイメージ形成と出現』と言っていた。
いままでの練習で、近くのどこに精霊がいるのかは、何となく分かるようになっている。
そこにイメージを向けて、人間にちかい姿で精霊の形をおもいうかべる。
ニナちゃんは、イメージのつくり方は全員ちがうと言っていた。
だからわたしは、ニナちゃんが見せてくれた精霊のことをお手本にしようと思った。
きれいだなって感じたこと。
ただ、風景の中にあるだけで、きれいだということ。
どんなに汚れていても、隠れているきれいなものがあること。
うまくことばにできないけれど、目にうつる風景のどこに精霊がいるのかは、わかる気がする。
その精霊に、姿をあたえるようにイメージをする。
きれいなもの
隠れているきれいなもの
ただ目のまえにある風景にひそんでいるもの
そこにいるだけで、きれいな姿を。
パンッ――
大きな乾いた音がして、それにわたしが気がついたときには、目のまえにウィンちゃんがいた。
わたしの顔のまえで、手をたたいたみたいだ。
「ウィン……ちゃん……?」
「……ン! しっかりするのじゃ! アン!!」
しっかりする。
わたしは、どうしたんだろう。
ニナちゃんの声がするほうを見ると、心配そうな顔をしたニナちゃんがいた。
「どうしたの?」
わたしは、すこしぼんやりと考えながら、ニナちゃんとウィンちゃんの顔を見くらべる。
「なにかわたし、しっぱいしたの?」
ふたりにきくと、ウィンちゃんがわたしの背中をさすってくれた。
それで少しずつ、考えがまとまっていく気がした。
「お主は精霊に繋がり過ぎたのじゃ。早めに気付いたゆえ、魔力暴走は防げたのじゃ」
「魔力暴走……。ニナちゃん、わたし失敗したの?」
ダメだったのかなあ。
そう思ってしまったけれど、ニナちゃんは首をよこにふった。
「ちがうのう。アンの場合、成功しすぎたのじゃ。制御を覚える前に、精霊に魂の深い部分でつながってしまったのじゃ。精霊に引っ張られたゆえ、そのままじゃと際限なく環境魔力を集め始めたのじゃ」
それって、失敗とはちがうんだろうか。
「アン。少し休んでから、ニナに細かくコツを聞いた方がいいわ」
「うん、――そうよね」
失敗したなら、やり直せばいいんだ。
ウィンちゃんの言葉で、わたしはそう考えていた。
奇妙な魔力の流れを感じたので、反射的にそちらに高速移動したらアンの気配が普段とは違う感じがした。
表情が平板になって意志が感じられないような雰囲気だ。
ひどく集中している感じだけれど、心がこの場に無いような感じというか。
それでもあたしはニナに聞いていた通り、アンの顔の前で、両手の平で柏手を打った。
両手には風属性魔力を込めていたけれど、タイミング的には大丈夫だったようだ。
共和国では風牙流の使い手が、同じようにして止めるらしい。
異常に気づいて数秒で対処しなければ、魔力暴走発生のリスクが跳ね上がるのだそうだ。
「今のが魔力暴走のなりかけだったのか。強いていえば環境魔力が微妙に集中したような感覚みたいだったけれど、本当に微かな変化だね」
あたし達のところにデボラがマーヴィン先生と共に歩いてきて告げた。
「自然環境の中で起こる変化のようでもあり、環境魔力の取り込みの時に感じる感覚に似ているようでもあり、判別にはコツが必要そうですね」
今日のニナの精霊魔法の特別講義で指導が第二段階に進むということで、マーヴィン先生が見学に来ていた。
魔力暴走が起きかけたということで警戒感を増すだろうかと思っていたけれど、デボラもマーヴィン先生も特に心配そうな表情はしていない。
それよりも練習の手を止めて、特別講義の参加者のみんなが心配そうにこちらを眺めていた。
「大丈夫なのじゃ! 危険な時は妾たちが止めるゆえ、練習を続けてほしいのじゃ」
『はい』
ニナの言葉で、参加者たちは練習を再開していた。
それを確認したあと、ニナはアンにどのようなイメージで精霊の姿を与えようとしたのかを聞き取っていた。
「なるほどのう。絵を描く時の気持ちを元にとな」
「うん。まえにニナちゃんが見せてくれた精霊魔法で、きれいだなって思ったの――」
アンの感覚的な説明を一通り聞き出したニナは、第一声でアンを褒めた。
「アンが精霊に感じた『きれいだ』という思いは、アプローチとして良い方法なのじゃ。しかもそれが、絵の題材によらずに作品になったときに『美』となる理解は、とてもスルドいものなのじゃ」
「するどい? でも失敗したわよ?」
「ふむ。絵で例えれば、アンは絵を描こうとして絵具選びに集中しすぎただけなのじゃ。お主の場合は、もう少し筆を動かしてもいいのじゃ」
「ええと……」
ニナの感覚的な説明にアンが戸惑っている。
あたしやデボラやマーヴィン先生は、彼女たちから一歩引いてやり取りを観察している。
正確には、デボラはものすごい勢いで手帳に何かメモを取っていて、あたしは奇妙な魔力の流れが無いかを気を付けているのだけれど。
「注意深く観察するのは、精霊魔法では大切なのじゃ。しかし第二段階では精霊に姿を与えるゆえ、見ているだけではある意味で『精霊の仲間』にされそうになるのじゃ」
「だから『筆を動かす』の?」
「そうじゃ。きれいだと感じたら、その精霊がどんな姿をしたら、アンにとって一番うれしいかをイメージするのじゃ。精霊に見とれるだけではなく、お主がどうしたいのかを考えるのじゃ」
「うん、やってみるわニナちゃん」
「うむ。精霊には人間の言葉は通じぬのじゃ。精霊魔法の使い手が精霊に語りかけているのは、言葉にすることで自分のイメージを固めているのじゃ。ゆえに、アン、どんな姿がいいのかをイメージするのじゃ」
ニナの説明に頷き、アンは少し休んでから練習を再開することになった。
その後はアンも含めて、参加者のみんなは頑張って練習していた。
「ヒースアイル君はその後、精霊の加護は得ましたか?」
参加者を観察していると、マーヴィン先生から声を掛けられた。
「いえ、あたしはそこまで精霊魔法に未練とか関心はありませんので、試していないんです」
「そうでしたか。私の方も精霊の加護は得ておりません」
マーヴィン先生はそう言って微笑んだ。
でもディナ先生の話では、使い魔を得たんじゃなかったろうか。
そのためには延々と鑑定の魔法を使い続けて、『魔法司書』の“役割”を覚えたんだろう。
「でも先生は、使い魔というのを覚えたみたいですよね? ディナ先生から聞きました」
「そうですね。ご覧になりますか?」
「はい、参考までに」
「分かりました。アンバー、出てきてください」
アンバーというのはマーヴィン先生の使い魔の名前なんだろう。
直ぐにマーヴィン先生の内在魔力が微かに走り、先生の傍らにはブロンドのサイトハウンドが現れた。
長毛種と短毛種の中間で、いかにも狩猟犬ですという感じのスマートな姿をしている。
アンバーは品の良さそうな顔をあたしに向け、じっとこちらを眺めていた。
デボラ イメージ画 (aipictors使用)
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