04.君らの好みからはズレる
王都ディンルークの商業地区にある定宿で、赤の深淵の幹部である『三塔』の者たちが話し込んでいる。
ルーチョが話を聞き取っている相手は、秘神オラシフォンを憑依させているセラフィーナだ。
ゼヴェロも同席していたが、儀式が話の主体になりそうだということで、ルーチョに秘神の応対を任せていた。
「十一芒星のそれぞれの頂角に何を対応させるのかは、この子に説明しておいたでござる」
オラシフォンはセラフィーナの身体でそう告げて、再度胸に手を当てる。
「君らの暮らすこの星があるところとは別の星の海に、地球と呼ばれる星があるでござる。そこは神々の保養地として発達しているでござるが、カバラと呼ばれる教えが存在するでござる」
「その教えなら、私たちでも扱えると?」
「然り。教えの詳細はこの子から聞くでござるよ。そして、君らの好みからはズレるでござるが、生食を含む料理を屋台で出し、供物の代わりとしたでござる」
オラシフォンの言葉にルーチョはようやく得心する。
「そのような仕掛けがあったのですね。私たちの活動資金の案を示して下さったのかと愚考していました」
「その辺りはついででござる。さらについでに、この地の情報収集もできるでござる。一石三鳥でござるよデュフフ」
セラフィーナの身体で妖艶に嗤うオラシフォンに、ルーチョとゼヴェロは頷く。
「それなら私たちは、これらの地点で屋台の活動を行えばよいのですね?」
「で、ござるね。生ハムは獣の生肉、コラトゥーラは生き血、チーズは腐食した命を象るでござる。食事とは本来、儀式的なものであり、命にも死にも寄り添うものでござる」
オラシフォンが憑依したセラフィーナの目には、どこか深淵さを秘めた狂気が感じられた。
その気配にある種の畏怖を覚えつつ、ルーチョが告げる。
「なるほど、街を行く群衆が食べるだけで、魔法的な供物の儀式は進むのですね」
「生肉と、生き血と、腐食した命を介して、行きずりの者たちがそれと知らずに、供物の儀式を前に進めるでござる」
オラシフォンはセラフィーナの身体で、蕩けるような表情をして告げた。
「これを十一か所で二重に行い、本番では動物で十一芒星を描き、“目的地”にて――デュフフフフフ」
「ならば、贄の選定を進めねばなりませんね? 私たちや、例えばクレールなどの同胞たちでは、贄になりませんか?」
ルーチョは、自分たちが禁術の贄になり得るかをオラシフォンに訊く。
だがこれは自己犠牲というよりは、贄となることで“彼らにとっての名誉”を得る機会と考えた言葉だった。
「よい覚悟でござる。しかし、――ふむ、適性は無いでござるな」
「それは……、率直に申し上げて、やっぱり残念でございます」
ルーチョが心底残念そうな表情を浮かべるのを見て、オラシフォンは嗤う。
「デュフフ、それらしき候補を示せば、拙者が判定するでござるよ?」
「分かりました、仰せのままに」
そう告げてルーチョが頭を下げ、それに合わせてゼヴェロも頭を下げた。
「――――その年の最初の白ワインを聖餐のために選ぶように、丁寧な態度だったわ二人とも」
「秘神様はどうなった?」
それまで、ルーチョに受け答えを任せていたゼヴェロが口を開く。
「大河が水量で流れを変えるように、圧倒的な神気と共にわたしから離れられたわ。またわたしを使ってくれる時が、いまから楽しみでたまらないのだけれど」
「どうしますかセラフィーナ、詳しい話があれば伺いますけれど」
ルーチョが問えば、セラフィーナは「神気の余韻を楽しみたい」という趣旨のことを告げて、宿の自室に戻っていった。
存在の虚数域に仮初めの疑似的な三次元空間を作り出し、秘神オラシフォンは寛いでいた。
例えるならf(t)という関数をムリヤリf(t,x,y,z)に変形して拡張し、認識の上でのみ三次元空間を作り出している。
具体的にオラシフォンが作り出したのは、禅の庭――枯山水とそれを望む日本家屋の畳の部屋だった。
畳に胡坐をかき、湯呑みで抹茶を啜っていたオラシフォンは、先ほどまでのルーチョ達とのやり取りを振り返っていた。
神の身とすれば、彼らが欲するような供儀を要する禁術について、倫理的な忌避感などが存在する余地は無かった。
それは神であるゆえに、生命への態度が人類と違うことがある。
加えてオラシフォンは邪神と呼ばれる存在であり、自らの権能を磨き続けることが彼の行動原理だった。
「そして拙者の権能とは、知の収集でござるよ」
そう告げて虚空――こちらの方をじっと見る。
その視線には普遍的な狂気が含まれているが、その底の抜けた虚ろさが却って静謐さを含んでいる。
「メタな話をすれば、観測者がいる限り意味を持つでござる。相互に意味のやり取りは出来ずとも、畢竟、世界とはそのように出来ているのでござるよ」
その場にいない誰かに説明をしているのか、あるいは本気で観測者なる任意の誰かを想起しているのかはオラシフォン自身にも確信は無かった。
だが語ることで彼が思考を整理していることも、この場では真実である。
「権能を磨くのは、神として当然でござる。拙者がそのために知を集め、それが積み上がったときにできる完成形は、あるいは全ての宇宙の総和と等しいのかも知れないでござる」
オラシフォンは自身の言葉に、アカシックレコードを想起していた。
「然るに、拙者は究極的には、全てか、無か、全てであり無である者か、その全てになりたいのでござる」
そう告げてオラシフォンは嘆息する。
「意味とは結局、他動的なのでござる。これは本当に――」
そう告げてオラシフォンは枯山水を見やる。
「残酷でござるよ」
そう告げてから彼は、その場で考え込んでいた。
夕食後は自室に戻り、あたしは一息ついたあとに日課のトレーニングを始めた。
今晩の時点で『魔神の加護』を得てから四十二日目だ。
『魔神の加護』は魔法や魔力を使う技の上達が速くなるけれど、あたしは十二倍の効果がある。
だから加護が無い人が五百四日修行したのとおなじ効果を、あたしは得ている。
それはいいのだけれど、ゴッドフリーお爺ちゃんから教わった【加速】と【減速】が伸び悩んでいる。
お爺ちゃんの話では一年のトレーニングで一割まで効果が出るようになるけれど、そこからは何十年もかけて三割までで頭打ちという話だった。
「あれ……? でもお爺ちゃんからはどういう“役割”で練習したとか、詳しい話を聞いて無いわね」
フィル先生からの謎かけっぽい指導で、あたしは風魔法師と時魔法師を覚えている。
お爺ちゃんが見落とすとも思えないけれど、月輪旅団の仕事に参加するときに、みんなはそこまで魔法が得意というわけでも無さそうだった。
「お爺ちゃんがどの段階で時魔法師を覚えたのかで、話が変わってくるのかしら」
そこまで考えて、結局練習しなければ上達は無いよなと頭を切り替えて、勉強机の椅子に座ってトレーニングに入った。
まず環境魔力の取り込みのトレーニングを行う。
クラウディアから以前教わった方法だけれど、頭頂部から環境魔力を通して尾てい骨からそれを通過させる。
つぎに【加速】と【減速】は【純量制御】を重ね掛けして、大豆を箸で移すトレーニングをする。
今のところ【純量制御】を重ね掛けして組合わせることで、【加速】と【減速】の効果を最大で三割アップまで上昇させられている。
「この時点でお爺ちゃんの時魔法の効果は追い付けてるけど、お爺ちゃんはスキルやら効率的な身体の使い方でも速度を上げてる予感がするんだよな……」
そんなことを呟きつつ、トレーニングを続ける。
【減衰】と【符号遡行】、【符号演算】を順にこなす。
最近は【減衰】で葉っぱを萎びさせ、【符号遡行】でそれを直すのとセットで練習している。
【符号演算】は相変わらずサイコロの出目のコントロールを続けている。
そして地魔法の【回復】の練習だけど、葉っぱを使って行うのが結構スムーズになってきている気がする。
「といっても、『魔神の加護』があっても一年ちょっと練習したのと変わらないだけなのよね」
医師を目指してはいないけれど、病院での治療を行えるレベルまで鍛えるのには、何年かかるんだろうな。
医師志望の生徒が学院を卒業しても医師見習いになる。
それを考えると、ちょっとスムーズになったくらいじゃあ安心はできないのだろうか。
『時輪脱力法』の練習は、サイコロに【加速】【減速】【純量制御】を順番に掛けて、掛け声とともに指先で触れて解除するのを行っている。
「あらよっと」とかの掛け声は小声でもまだ必要みたいだ。
これは将来的には無くしたいかな。
始原魔力を纏わせる練習は、結構安定して出来ていると思う。
言葉は不穏だけれど、【回復】に比べて壊すための魔力の方が練習は気楽な気がする。
時属性魔力を手刀に纏わせるトレーニングも特に変化は無し。
といっても、カンタンに発散してしまうことは無くなっているので、時属性魔力の性質に慣れてきているんだろう。
次に内在魔力を循環させた状態でチャクラを開き、『風水師』のスキル『環境把握』を練習する。
周囲の気配や環境魔力の動きを探るスキルだけれど、フィル先生の『主動機法』のイメージが何となく頭に過ぎる。
スキルでは無くて魔力制御で出来ないかを、いつも考えてしまうからだと思う。
「もうちょっとで何か掴めそうな気がするんだけれど、難しいなあ」
風魔法の【風壁】は覚えてしまっている。
【振動圏】と同様で、上級魔法や特級魔法の全力を自室でぶちかませないから手のひらの上で発動する。
【風壁】はミニチュアの風の刃の塊で、【振動圏】はいつもの“調査”の効果でのトレーニングだ。
覚えたての【粒圏】も手のひらで発動するけれど、こちらは威力を抑えている訳じゃあ無くて、単純に砂しか出せないだけなんですよ。
サラサラーっと目の前の机の上に、少しずつ砂の山が出来ていく。
「これは……、ホントに先は長そうねぇ」
急いではいませんけれども。
最後に窓際にあるローズマリーの鉢植えに手のひらを向けて、植物の気配を読むトレーニングをする。
分かるような分からないような、微妙な感じだ。
耕作者という植物の気持ちが分かる“役割”を覚えられるかも、ということで続けているけれど、正直手ごたえは無い。
でもやらないよりはやる努力じゃないだろうか――――ラクをするためには。
そんなことを思いつつ気配を読むのを切り上げて、ローズマリーの観察日記を書いてトレーニングを終えた。
日課のトレーニングの後はハーブティーを飲んで一息つく。
スウィッシュを呼び出し、そろそろ教皇さまに話に行くことを決めなきゃねとお喋りをしてから寝た。
クラウディア イメージ画 (aipictors使用)
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