1-8 俺の長年のファンについて
グレーヴ視点の話です。
拝啓
劇団トロピカ グレーヴ様
木々の緑も鮮やかになって参りました。グレーヴ様におかれましては、より一層ご清福にお過ごしのことと存じます。
さて、グレーヴ様の御出演なされた「薔薇はいかにして散るか~リュミエールとロゼッタ最後の3日間~」ですが、無事大千穐楽をお迎えになりましたこと、心からお慶び申し上げます。
今作でグレーヴ様が演じていらっしゃいました「シオネ」は登場回数こそ多くないものの、物語のカギを握る非常に印象に残る存在でした。リュミエールを尊敬する後輩として、またロゼッタを恋い慕う一人の男性として揺れ動くシオネの苦しい心情に涙が止まりませんでした。
グレーヴ様の表現力はきっと毎日の努力の結晶なのでしょうね。グレーヴ様の日々の頑張りを思い、私も同じように頑張りたいと思っているのです。(←毎回同じような事を書いている気がします。繰り返しになってしまって申し訳ありません。でも本当なのですよ。)
ぜひまたグレーヴ様の元気なお姿を拝見できればと思います。次回作も楽しみにしております。グレーヴ様のご健康とさらなるご活躍をお祈りしております。
あなたの応援者 黒猫
追伸
グレーヴ様にお似合いになりそうな生地を手に入れましたので、チーフを仕立てました。触り心地も素晴らしいので、ぜひ一度お手に取っていただけますと嬉しいです。
最後まで読み終えた俺は、便箋をまた封筒に戻した。
ふわりと香ったのは柔らかな花の香りだった。どこかで嗅いだことのあるような懐かしい香りは、いつもこの手紙から漂ってくる。
住所も書いていないその手紙は、俺がまだ舞台の端っこで踊ってた時代から絶えず送られて来た。
露出が増えるにつれ、ファンからの手紙の量も増えた。中には応援の手紙だけではなく、批判的な内容のものもあれば、俺と特別な関係になりたがったりする内容のものもある。
しかしこの古いファンからの手紙は、いつも俺を「舞台役者」として見てくれている。押しつけがましくなく、それ以上でもそれ以下でもない。無条件で「グレーヴ」を愛してくれていると感じられる存在に俺は何度となく救われていた。
頑張れば頑張るほどに、理想としていた自分の姿からは遠ざかっていく。みんな自分の見てくれしか見ていない。自分でも忘れそうになるほどだ。
でもこの手紙が送られてくる度に思い出す――演じる楽しさ、人の心を動かすことへの興奮、そして自由になれるあの瞬間。
俺は同封されているチーフを手に取った。
確かに手触りが良く、柄も自分好みだった。生地も縫製も、素人目に見ても最高級の品だということがわかる。この“黒猫”というファンは時々プレゼントを同封してくれる。どれもこれもセンスが良く高級な品なので、役者仲間にはよく羨ましがられている。
しかし、だ。何度も公演に来ているにも関わらず、俺はこの送り主を見つけられていない。何度も劇場に足を運んでいる常連客の顔は覚えている方だ。だがこの“黒猫”に当てはまる人物は見つけられていない。さらに言うなら自分から名乗り出ることもない。
このチーフのような高級品をたやすく手に入れられるほどの裕福な立場。社会的にも名のある立場かもしれない。しかし身分や金で俺をどうこうするつもりはなく、誰かさんと違って自分の専有物のように言い張ることもしない……。
つまり好意的に取ればこの手紙の送り主“黒猫”は役者としての俺を認め、俺自身の力を信じているのだ。
そして、俺をこの世界に辛うじて繋ぎ止めてくれている存在。
「君はいったい何者なんだ……」
俺は封筒に書かれた自分の名を指でなぞった。ほんの僅かに残ったペン跡が指先に触れ、おぼろげに浮かび上がる“黒猫”の姿を俺は想像した。
お読みいただきありがとうございます。
次話から二章に入ります。