最終話 魔界の王女は推しに会いたい
「ねえ、本当に忘れ物はないかしら」
「殿下、何度目の確認ですか。少し落ち着いてはいかがです?」
侍女は取り繕うことをすっかり止め、あからさまにうんざりとした表情を見せた。それもそのはず、このやり取りをこれまでに何度も繰り返しているからだ。
「だってアスコットとタチアナの結婚式なのよ! 忘れ物なんてしたら大変よ。少しくらい用心深い方がいいでしょう?」
「そうですね。殿下のおっしゃる通りですが、慌てていると視野が狭くなりますよ。忘れ物を失くしたいのなら、まずは殿下が落ち着かれる方が良いかと」
「そ、それもそうね」
冷静な指摘に私は素直にうなずき、その場で大きく深呼吸をした。
あの後、私は大人しく魔界に戻った。
私が向こうで起こしてしまった事件のことは、父のみならず兄や姉、さらには城中の人間の知るところとなっていた。人の口には戸が立てられないとはよく言ったものだと、こちらに戻って来たときに愕然としたことを覚えている。
しかし悪い事ばかりではなかった。
これまで窮屈に感じていたこの国も、そこに生きる人がいるのだとしっかり考えるようになった。様々な性格の人がいて、様々な仕事、思想を持っている。
ちなみに遠慮のないこの侍女は、こちらに戻ってきてから私付きになったばかりだ。良く言えば誠実、はっきり言えば毒舌だ。だが地に足がついた考え方の出来る人でもある。
(私はどうしてこれまで見ようとしていなかったのかしら……。きっと私、ここにいる自分を見たくなかったのね。目を逸らして、自分に都合の良いものだけが見たかったんだわ)
深呼吸をした私はふと机の上に視線を向けた。アスコットの家から持ち帰って来た文箱を見て、私はハッと思い出した。
「ああっ! そうだわ! やっぱり大切な物ほど忘れてしまうのよ。良かった、思い出して」
文箱を開けると、馴染みのある母の香水の香りが舞い上がった。
そこから私が手に取ったのは、紙の束だ。しかしこの紙、ただの紙ではない。なんと魔力を使って、その場の光景を写し取れる「念写紙」と呼ばれるものなのだ。
(うふふ、魔界の中でも最先端の技術を用いて作られたこの「念写紙」。アスコット達の結婚式で使ったら、絶対喜んでもらえるわ。それにこれもそのうち、向こうの国で使ってもらえるようになれば……)
タクス家の一件から高まったむこうの国での政府への不信。その「落としどころ」として、アスコットやタチアナの父が提案したこと――それは「魔界と人間界の段階的な交流の再開」だ。
『どうも魔術具は“未知のもの”ってことで価値があったみたいなんだ。だから魔術について、皆が知ればいいだけなんだよ。知れば怖くない、正しい知識を持てばいいのさ』
アスコットは以前私にそう教えてくれた。
まず再開された交流は「文化」の交流だった。人間界の人々にとって、魔力という未知の力は恐ろしいものだった。そこでアスコットは魔力の正しい知識を伝えることに努めた。
だがそこで予想外のことが起こった。
人々は魔力がどうこうよりも、魔界の階級制度に興味を持ったのだ。
タチアナいわく『身分違いの恋などと聞けば、世の乙女たちは黙っていられませんから』ということだ。タチアナの言葉を裏付けるように、魔界を舞台とした恋愛小説が現在人間界では大流行している。
アスコットは予想違いの反応に肩を落としたものの、ゆくゆくは魔力を込めた薬の有効性を証明して行きたいと思っているらしい。
私は手の中の念写紙に目を落とした。紙の束の一番上には、すでに念写された一枚が乗せられている。
折れ曲がらないように透明な厚手の台紙で挟んだその一枚を見ると、私の気分はぎゅんと高まった。
「あぁっ、やっぱりグレーヴ様は動いていても止まっていても一人だけ輝きが違うわ。存在感からして別格よね」
「その念写紙、とても気に入っておいでですよね。うん、確かに何度見ても皆さま良い笑顔でいらっしゃいます」
横からのぞき込んで来た侍女は素直に感想を口にしたので、私はにっこにこにならざるを得なかった。
「そうでしょうそうでしょう!? 見てちょうだい、子どもたちの笑顔もさる事ながら、グレーヴ様のこの笑顔! 後光が差して見えるでしょう? 素晴らしいわ。この世の宝石を全て集めても、これほどの輝きは得られないと思うわよ」
熱く語る私をと念写紙を見比べながら、侍女もまた、にこにこと笑顔を浮かべていた。
写っているのは、つい最近魔界で催された子どもたちの演劇会での様子だ。
色とりどりの衣装を身に着け満面の笑みを見せる子どもたち。
そして子どもたちの中心でもみくちゃにされながらも、子どもたちに負けない笑顔を浮かべるグレーヴが写っていた。
魔界と人間界との交流が再開されると決まった後、グレーヴは魔界へ渡った。
初めは悩んでいたグレーヴだが、面会に行った際にヘイルから告げられた言葉が大きかったらしい。
『お前は自分の才能に気づいた方が良い、って言われたんだ。まだ俺にどんな才能があるのかはわからないけど、それが何かの役に立つなら踏み出してみたいなと思ったんだ』
とは言え娯楽の少ないこの国で、グレーヴは自分にどんなことが出来るのか試行錯誤していた。
だがある日たまたま私とソーマの手紙の中で『自分の子どもを持ったのをきっかけに、近所の子ども相手に護身術を教えるようになった』という内容を見かけ、「これだ」と思ったらしい。
今では子どもたちに演劇の楽しさを教える一方で、魔界と人間界のどちらにも通用する演劇文化を築くための活動に奮闘している。
さて、人間界の時間でいうと数週間後、アスコットとタチアナの結婚式が開かれる。魔界との交流再開の立役者であるアスコットへの注目もさながら、長年婚約関係にあった二人でもあることから二人の純愛は人々の大きな関心事でもあった。
今回グレーヴは二人から披露パーティーの演出を依頼されていた。ここで結果を残すことで、ゆくゆく人間界でも活動しやすくなるだろうという二人の配慮なのだろう。『荷が重い』とグレーヴは言っていたが、とても嬉しそうにしていた。
――その時だ。扉をノックする音が響き、私と侍女は顔を見合わせた。
「ルティ、向かうのが早すぎはしないか? 私と一緒に行けばいいだろう?」
訪問者の正体は父、イグナスだった。
私が戻って来てからというもの、今まで以上に心配性になった父に私は辟易しつつ、姉たちからは「あと少ししかいられないんだから、多目に見てあげて」となだめられ続けている。
「いいえ、お父様。私は先に参ります。時間は有限ですし、何より心が干からびそうです」
だが、今回は譲れなかった。なにせこちらの時間で一週間もの間、私は彼に会えていないのだ。
「しかしな。向こうに行っても、こっちに戻ってきても、どうせあの男と過ごすのだろう? それにこちらに戻ってきてくれたのは嬉しいが、お前はもうすぐ城を出てしまうのだから、少しくらいは……」
父が嘆くのには理由がある。
私はもうじき城を出て王都で事業を興す予定だ。もちろんそれにはグレーヴも一緒で……。
彼の目標が出来たのなら、私も一緒に目指したいと思ったのだ。幸いにも彼もそれを望んでくれた。その時のことを思い出すと幾晩も眠れなくなってしまうので、ここでは割愛したい。
「お父様。私が城を出たとしても、お父様とお母様の娘であることは変わりませんわ。私、お父様とお母様の娘で良かったと思っております。ありがとう、お父様……。そしてお母様も」
「ルティ……まだ、その言葉を聞くのは早い気もするが、そうか……、そうだな」
私は父に心からの感謝をもって告げた。
私が今、ここにいるのは二人が巡り合ってくれたおかげなのだ。そうしなければ私は彼と出会うことはなく、大切な友人たちとも出会えることはなかった。
そして、何より“自分”とも出会えることはなかった。
自分を演じることで守っていたものは、今でも触れようとすると臆病になってしまう。
けれど、今ならわかる。誰のためでもない、自分を認め、自分のために生きることはとても怖いことなのだ。
だが私には彼がいた。彼に理想を押し付け、都合よく理由にしていたけれど、“私”が昔からずっと変わらずに思っていることは、ただ一つだけだ。
私は部屋を後にした父の背を見送ると、荷物の前で待つ侍女を振り返った。窓から吹き込む風は爽やかに髪を揺らした。
「さあ、準備が出来たなら出発しましょう!
私は一刻も早く、推しに会いたいのですから!」
本編はこれで完結になります。(エピローグはありつつも)
ここまでお付き合いいただきまして心から感謝いたします。
初めてこんなに長い話を書いたので、読みづらい点も多かったと思います。落ち着いたら再び改稿しつつ、もっと読みやすいお話になるよう努力します。書ききれなかった設定など、後日活動報告にあげられると良いなあと思っています。
お読みいただきありがとうございました。




