仕事よ
『市川純』――。彼女を囲む女学生達がそう呼んでいたが、私はその名前に聞き覚えは無く、何故こんなにも騒いでいるのかを解らずにいた。
その熱狂は凄まじく、私と環は市川純を取り囲む群衆から押し出されてしまった。
女学生の群がる光景に呆然としていた私とは裏腹に、環はこの状況が当然とばかりに、冷静に揉みくちゃにされた髪や服を直していた。
環の反応から、何故女学生が熱狂しているのか、そして彼女は何者なのか知っており、今の状況を作った彼女に嫌気をさしている様でもあった。
「――どちら様ですの?環さん」
「あら、『市川純』を知らないの?意外とおとめは世間知らずね――彼女、女優よ。活動写真に出たり、舞台演劇、広告塔。彼女を知らない方がおかしい位人気者よ」
「言われてみれば何処かで――」
「街中に貼ってある『我、求ム。』の張り紙も彼女よ――」
『我、求ム。』――兵士募集の張り紙。
何度も目にしていたが、絵と本人では違いがあり過ぎる様な。
しかし、あれが彼女か。人気者なんだな。
で、そんな彼女が一体何故こんな所に?そんな国民的女優を目の前に冷静でいる環は一体。
知り合いなのか?
「――彼女、『バイロン』さんよ」
「えっ!?女性解放戦線の?」
「そう、その彼女。勿論の事『バイロン』は偽名だけど、『市川純』は芸名。本名は知らないけど――あんな姿で来るなんて、彼女何を考えているのかしら」
まさか、彼女が『バイロン』さんだなんて。似ても似つかない様な、変わり過ぎである。
化粧か、それとも髪型の所為か?
私も余り関りの無い人ではあるが、そんな人気女優が女性解放戦線の一員だとしたら、もっと『新しい太陽』に人が集まり、大変な事になりそうだが――それに軍の広告塔に成っているのは一体。
女性解放運動に女優業。
確か彼女は先生もしていた様な――裁判の時とも顔が違い、色々な意味で彼女は一体幾つ顔が有るのか。
――それからどの位経ったか。『市川純』、基『バイロン』さんは、その場に集まった女学生達全員に愛想を振り撒き、彼女達が満足して帰るまで私と環は待たされ、待ちくたびれていた。
流石女優というか、私達の嫌気がさした顔を横目に、まるで気取った態度や嫌がる素振りも見せず、女学生達の好奇な感情に対応していた。
それだけを見ても、その人気の高さが窺えた。
「そんな目で人を見ないで――これが私の仕事なの」