1.曹長殿は憂鬱だ
《三月八日木曜、昼下がり》
「お医者さんもう来ますから」
「ありがとアンヂェリカさん」
「この施療院も早く再開できると良いんですけど」
「患者があたしらみたいな者ばかり増えたら、そりゃあ堅気衆の足は遠のいちまうもんねえ。あははは、笑い事じゃないってか」と、頭を掻く。
医者が来る。
◇ ◇
仕事着には今だに僧院時代の服を着ている五十過ぎの還俗尼。
家には助産師の看板しか掲げてないが、エルテスの修道院では礑りと医術士の修行をし、医療・薬剤ギルドにも籍がある。亭主が法医で学者気質なので、女房の稼ぎの方が多いらしい。
若い尼僧アンヂェリカの持ってきた盥の火酒に手を浸しつつ、
「ほれ、尻だせ」
尼僧の持って来た火種で鉗子を入れた盥に火を入れる。
「はい、もうスカート下ろして良し。今日も健康」
尼僧の持って来たペンとインクで検査証に日付を入れて、まだ灯っている盥の火に封蝋を翳し、鑑札に検査証をくっ付けて捺印する。
「そういう事務まで此処でされると、僧院が姐さんの商売公認してるみたいで、嫌なんですよねえ」と、アンヂェリカ
「市で正式にひと部屋借りて、ちゃんと官営にするよう頼むか?」
「わたしたち、此処で施療院再開したいんですってば」
「文句は役所に言え」
「だから、僧院の部屋でやるのは医療行為だけにしてって、いま先生に直接言ってるんですよお」
「それより先に、マダレーナに足洗えって言え」
「あはは、アンジェリカさんの口じゃ、ばばあに敵わねえよ」
「いえ、マダレーナさん足洗いましょうよ。尼僧院入りましょうよ」
「そうだ。病気貰わんうちに足洗え」
「入ったら、あたしの食い扶持誰が稼ぐのさ?」
「部屋代かからないから食費だけ。なんとかなりますってば」
「毎日豆スープだろ。酒も呑めねえし」
「わたし七年間豆スープで健康です。屋敷でバターまみれの食事してた頃よりずっと健やかですよ」
「だから酒飲めねえだろよ」
「正直言うと、エルテスじゃ飲んでたぞ。あそこは修道院で醸造やっとる」
「なんで還俗したのさ」
「宿六に口説かれたからに決まっとろう」
「ばばあが惚気んなよ」
苦笑いして、
「あたしだって岡惚れしてくる初心な坊っちゃまとか居たら嬉々として落籍されるけどね」
「常連のマリオさんとか、どうなんです? 独り身でしょ」
「冗談! 駄目だめ! あいつモグリの街娼とかも見境ないから、正直もう来ないで欲しい。絶対泊まってかないとか普通じゃないし」
「うむ。あの男はお薦めせんな」
「勘でわかる。ろくな死に方しない男だって」
「なら結婚して遺産ゲット標的じゃないですかっ!」
「あんた本当に修道女?」
「そりゃもう正真正銘の修道女です。貴族の娘の訳あり尼僧。生い立ち聞きます? 一昼夜喋りますよ」
「いらねーよ」
「食傷じゃ。尼の前歴なぞ聞くもんじゃない。わしの修道女時代の仲良しなんぞは来たとき八歳でもう一流の殺し屋じゃった。毒物の知識とか、わし医術者として一本立ちした今でもあの頃の彼女に遠く及ばんわ」
「うちらの院長、上級貴族のお嬢さんで、おばあちゃんの今でもすっごくピュアな人ですよ」
「そういう天然記念物もおるのが修道院じゃ」
◇ ◇
マグダが帰るや徐にアンヂェリカ、
「ところで此の小瓶、何だと思います?」
「うん? また毒々しい色じゃな。毒々しいから毒じゃろう」
「いいかげんだなー」
「いや、毒を扱う者はウッカリ自分で浴びちまわんように故意とそういう着色したりするぞ。一服盛る用は無味無臭にもするが、故々こんな色にするんだ、健康飲料じゃあるまいて」
「こっちの美味しそうな色のは?」
「一服盛る用の毒かも知らん。お前様、こんなもん何処で?」
「裏の廃墟の柱の影で、キモいデブが美味しそうな方を飲もうとしてて、急になんかに驚いて逃げてって、その後の落とし物」
「んじゃ、其っちは毒じゃないのう」
「調べます?」
「嫌なこった。危ない物なぞ触りとうない。市警に届けよう」
「なんだ、つまんないの」
「無用な好奇心でリスク背負うのは馬鹿者じゃ。市警に届けりゃ宿六が調査受注して銭んなるわ」
「がめついですね〜」
◇ ◇
そこへノック。
「入るぞ」と遠慮ないのは赤マントの警吏だ。
「あ、いいとこ来た。歩かんで済んだぞ」
「なんだ、探して此処まで来たら、あんたも此ッちに用事か」
「特にあんたに用事ではない。キモいデブの怪しい落とし物があってな、市警に届けにゃと言ってた側からあんたが来たんで有難いって話じゃ」
「キモいデブと言えば、薬局のあいつか」
「すごい! 『キモいデブ』で通じてしまう!」
「あいつの手口なら、片方が毒消しだ。毒を被害者にぶっ掛ける前に自分用心に飲んで置くのだ」
「その蜂蜜みたいな方、飲もうとしてました」
「ふん、紫のやつは見るからに毒っぽいな。手に着いても鬱陶しい。襤褸布か何かで包んどいて呉れ。俺は境内ちっと見回って来る。相談事も有るのだが、被害者出ちまうと拙い。婆さん、まだ暫く居るだろ?」
「ああ、あと四、五人診る」
ニクラウス曹長*、外へ出て行く。 *註:警部補に当たる市警の階級
順番待ちしてる娘らに、足洗えとか仕事世話するとか説教してる声がする。
◇ ◇
境内ひと廻りして曹長、
「キモいデブ公の姿は見えぬ」
中庭に出る。
子供らが野菜を刻んだり、干鱈の塩抜き水を変えたり、わいわいやっている。顔見知りの寺男を見つけたので、アンジェの見つけた危険物の話をして不審者に気をつけるよう言う。
若い娘の悲鳴っぽい声がするので見ると、子供らに取り囲まれた娘がスカート履かずに尻を出している。子供らの悪戯か? いくら子供とはいえ悪ガキに一つ説教でもするかとも思ったが、娘も果敢に反撃してるので当事者に任そう。なんか和気藹々とケンカしてる感じだし。
というか皆んな楽しそうだ。素人娘が尻丸出しでも、此処には十二歳未満と六十過ぎの男しかいない。間違いも起こるまい
二十代の男がいま此処に一人いるのを思い出し、早々にその場を去る。
施療院跡に行くと、診療の終わった娘が帰るところだ。
入れ替わりに、女医に会う。
◇ ◇
「相談事? 何んじゃろ?」
ーー警吏ひと溜息ついて、
「なあ、『気鬱が昂じて首括っちまう』薬とか、無いか?」
「殊と薬のことならば、わしより詳しい薬師が居るんだが、先月からずっと北のトルンカ村に出張っておってなあ。ま、わしで良ければ答えよう。知っとることだけな」
「ひとが奇矯な行動を執るようになる薬のことだ」
「窓から飛び降りて死ぬる毒なら聞いたことがあるがなあ。心に落ち着きが無うなり矢鱈滅多ら走り出す症状と、辺りが暗く感じる症状が両方出て、つい窓に向かって突進するとか聞く」
「首吊りは?」
「陰々滅々鬱々となる薬で朦朧となったところを言葉で詰り続けたら、或いはな」
「人が傍におらんと無理か・・」
「もしかして、また密室で誰ぞ死んだか?」
「すまんな、同僚が無理言って」
「一昨夜のあれは、あちらさん殺人だと隠す気がない。見るからに『自分は密室で人が殺せるのだぞ』と市警相手に誇示し挑発しておる」
「やはり、そうだろうか・・」
「今日また立て続けに似たような事件が有って、今度は自殺らしく見せてるとしたなら、そうじゃな・・多分敢えて、お前さんらにこう言いたいんじゃろ。『こっちの件には手を出すな』とな」
「そうだな。一昨夜も今日も、誰か人のいる部屋を通り抜けないと行けない部屋に鍵が掛かってて、中で人が死んでる。関連に気づかないと思ってるわけがない。こりゃあ・・」
「ふん、メッセージは『手を出すな』じゃのうて、『手を貸せ』かもしれんの。
「まあ、誰も告発してない案件を市警が勝手に調べるのも筋が違う。どう調べても密室な場所で、遺書まで書いて自殺した男がいた。警官がやるべき事は明かな事実を漏れなく調べて記録するのみだ。余計に勘を働かせる必要は無いな」
「それで納得いくならな」
「一昨夜と今日、もう一つ共通点があるんだよ」
「ふうん?」
「死んだやつが『ひとごろし』だ」
◇ ◇
警吏が帰る。
「あいつらしくもない。薬忘れて行きよった」




