挿話之三
それから四半刻あまり、ほとんど鬼巌坊がひとりで喋りどおしであった。それもまるで埒もない、今日一日の出来事や見聞を語るだけであったが、皆その物語を聞いているのかいないのか、酒を呑んだり食事を食ったりしている。
さきほどの深刻そうな話ももう話題にのぼらないし、こうしてみていると、ただの酒宴にすぎないようでもあるが……。
「さて、鬼巌坊の長話に流されて、云い遅れてしまったが」
不意に日下蠡毅こと花神恭之介が口を開いた。坊主は苦笑して杯をあおる。
「みな、よく集まってくれた。心から礼を云う」
神父は杯を膳に乗せ、陰陽師は箸をおき、妖艶な女は背筋を伸ばして、坊主は笑みを消し、いっせいに花神に顔を向けた。
「志を同じゅうする者達五人、ついに集結することができた。これより我ら一党、冥元衆と名乗ろうと思う」
「めいがんしゅう?」女が返した。
「うむ、世の冥き闇に生きるを強いられた、我ら。世界に見捨てられ、虐げられ、這いつくばって生きてきた、我ら。押し殺し続けた大望を、解き放つ時が、いま来たのだ」
皆、それぞれに頷いた。
「我らは盟友。死ぬまで、いや死してもなお、宿願を成就させるべく大同団結して邁進しようぞ」
「して」と鬼巌坊が珍しく真面目な顔をして、「おぬしはなにを望む。その鬱勃たる野望を秘めた、千思万考果て無き胸裡に何を夢見るか」
「変革」花神は眼を細めてつぶやくように、しかし強い調子で云った。「人が人として、清廉に生き続けるための進化」
「冥き場所に生きる我らが、人の変革を目指すか」
「滑稽であろう」
「いや、面白い」といつもの笑みを鬼巌坊は口に浮かべた。「しかし一朝一夕というわけにはあいならぬ。それには那由多の時が必要だぞ」
「そのための、魂魄結晶よ」
佐助の鼓動がひとつ、大きく打ちつけた。
――魂魄結晶。
その言葉に、あの黄色い宝石が眼に浮かび、同時に、あぐり姫のうなだれた横顔が脳裡をよぎった。
一瞬、気が乱れた。呼吸も乱れた。
刹那、花神の右腕がさっと振られた。
とっさに佐助は身体をのけぞらせる。
今まで眼をつけていた節穴から、懐剣の刃が鼻さきをかすめてつき出た。
「みゃーおっ」
佐助は猫の鳴き声を悲鳴のように発し、脱兎のごとく天井裏を四つん這いのままで駆けだした。
「なんだ猫か」
などと笑って見逃してくれるような、お人好しの連中ではない。
天井裏から納戸へおり、庭へ飛び出した佐助の背に向けて、数本の鞭のようななにかが、うなりをあげて襲いかかってきた。
振り向いて確認する余裕などは、もちろんない。ないが、おそらくくノ一から聞いた妖しげな巫女のあやつる触手であろう。
庭を横切って塀に飛び上がろうと跳躍したところへ、横合いから風を断ち割るような凄まじい錫杖の一撃が振りおろされた。
佐助はくるりと空中で一回転して躱し、塀を蹴って外に出たが、そこはまだ大野修理屋敷の敷地内だ。
息もつかずに、塀と塀の間を走り出す。
大野修理の居館の塀に行き当たって、左に折れたところで、側面から異様な熱気が迫り来るのを感じ、反射的に身をひねった。耳をかすめるように、黒い炎の塊が追い越して行き、暗い空に飛び去っていく。続けて数発の黒炎の弾丸がバテレン神父の手のひらから撃ち出された。佐助は、オリンピック選手も顔負けの前方伸身宙返りを数回連続して繰り出し、最後は宙返りしつつひねりも加えて、それらを躱した。
さらに数人の、いや人とは思えない獣のような足音が複数追尾してくる。
陰陽師の放った式神たちであったが、それも確認している余裕はない。
ちょうど目の前にあった塀に飛び上がり、さらにその向こうの家屋の屋根に飛び移り、後はもう無心になって、足軽長屋や蔵の屋根を飛んだり跳ねたりして逃げた。一目散、そんな形容がぴったりと当てはまるほどわき目も振らずに逃げに逃げた。大野屋敷から遁走すると、近くに布陣していた部隊に紛れて身を隠した。
さすがにここまで人が密集していては、妖術の類は使えまいし、目立った攻撃もできはすまい。
佐助は、ここでやっと、ほっとひと息ついた。気がつけば、額にも脇にも背にも、嫌な汗をかいていた。一心不乱に走り続けたことで湧き出した汗とはまるで違う、冷たい汗であった。
兵士たちがそこここに屯する陣中を縫うように進んでいき、やがて天守閣の落とす巨大な闇に紛れてその姿を消した。




