挿話之二
その家は、武家の隠居の住まいのような風情で、百坪ほどの庭は綺麗に手入れされているし、家屋自体も十間に四間くらいの、なかなか結構な造作であった。
佐助はまたもや、塀を軽々と乗り越えて、庭の片隅に潜伏した。家の雨戸はすでに立てられていたが、寒椿の影から様子をうかがうと、人の気配はどうやら東の部屋に集中しているようで、――というより、鬼巌坊という雲水がむやみに大声で話しているから、そう見当がついたのであった。
西側に回り込んで、勝手口からそっと入り込み、納戸の天井から屋根裏にあがり、まったく物音ひとつたてずに、話し声のする方へと進んでいった。
その部屋からは、ほとんど鬼巌坊の声しか聞こえないが、相槌の声や笑い声などから、数人の男女が会合しているようであった。
天井板の節穴から漏れる灯りをたよりに猫のように這っていって、穴から下をのぞいた。
その十畳ほどの部屋は、ほのかな燭台の灯りで照らされていて、橙色の灯火と人々が織りなす影の陰影が不気味なコントラストを描いていた。
そこには、人形のような整った顔をした男が床の間を背に座っていて、輪を描くように、なまめかしく座る女、鬼巌坊、着流しの青年、そして、南蛮人……。
南蛮人は、あの時、九度山の霧の中で一戦交えた、バテレンの神父に違いない。
とすると、この顔ぶれは、伊賀のくノ一たちの云っていた、花神恭之介の一味ということになる。
雰囲気から察して、上座の端麗な顔立ちの男が花神なのだろう。
しかし、なぜ彼らは、大坂城の、しかも大野修理の屋敷内に居を構えているのか。
彼らの前には膳が置かれ、女が妖艶な手つきで、花神らしき男にしなだれかかるようにして酌をしている。
「なんじゃ各務、わしにも酌をせんか」鬼巌坊が女に杯を差し出すのへ、
「ほほほ」と各務は口に手をあてて笑った。「誰がぬしのような生臭坊主に。こればかりは、恭之介様のご命令があったとしても、ごめんこうむるわえ」
「なんじゃい、ケチくさいのう」とまったくはばかることもなく、坊主のくせに杯をあおって、「おい、恭之介、試しに一度命令してやってくれ」
花神はくすりと鼻で笑って、杯を口に運んだだけであった。
「さっきからなんですか、ふたりとも」
と陰気そうな口吻で話すのは、二十歳くらいの青年であった。
「ここでは、日下様とお呼びせねばなりませんでしょう」
「ふん、なんじゃい、真面目くさりおってからに、小生意気な陰陽師め。それにつけても日下蠡毅とは、気障な偽名を名乗ったもんじゃ。まあよいじゃろう、どうせここには我らしかおらんのじゃ。誰が聞いているわけでもなかろうに。気心の知れあった者同士の会合じゃ、恭之介でよかろう」
「壁に耳あり障子に目あり」
ぽつりと神父が口を開いた。
その東洋然とした語句とまったく東洋人らしからぬ風貌の差異に、その座敷は笑声に包まれた。
エミリオ神父ばかりが、何がおかしいのか皆目見当もつかない様子である。
いやもうひとり、屋根裏にくすりとも笑わない少年忍者が。
――日下蠡毅……?
どこかで耳にしたような気もするが、と心の一隅で思いつつも、佐助は彼らの観察を続けた。
「そんなことより祥馬、例のあれはもうできておるのか」
鬼巌坊が話の流れで若い陰陽師に訊いた。
「あれとは、蠱術のことですか」
「うん、あの気味の悪い虫のことじゃ」
「恭之……、日下様からご指示がありました通りの分量をそろえておきました」
「わしは、今度の作戦は気が進まん。虫が嫌なのではないぞ、策の中身が気に入らん」
「気に入る気に入らないは、おぬしの勝手」
各務が棘のある云いかたをした。そしてその妖美な顔を花神に向け、
「恭之介様、やはり私は此度の計画に加えていただけませぬのか?」
「ならぬ」花神ははっきりと言い放った。「お前があの村へ帰れば、その手を血に染めぬわけにはいくまい。それとも己を律しきれる自信があるか?」
「そ、それは……」
「お前は……、お前のその白い手は、この先永劫、もう血で穢したくはないのだ。復讐は我らに任せておけ」
優しく云い諭す花神に、はい、と各務は不満げに了承し、自分の感情を無理矢理押さえつけるように眉根を寄せている。
「しかし」と陰陽師が云った。「私はまだ結界を張る作業が残っておりますし、鬼巌坊殿が参加したくないとなると……」
「私が行くしかなかろうな」
イスパニア人神父のエミリオが身を乗り出すようにして、名乗りをあげた。
「おぬしでは、目立ちすぎはせぬかのう」鬼巌坊は怪訝さ漂う面持ちで問う。
「いや、顔を頭巾か何かで隠せば、けっこう目立たぬものよ」エミリオが平然とした顔で答えた。
「そうかのう」鬼巌坊は懸念が払拭できない様子である。
「心配御無用。志摩からこの大坂まで、なんの問題もなくやって来られたのだから」
「そうかのう」
佐助は、話の内容が飲み込めない気持ちの悪さが、胸にこみあげてくるようであった。
――何かの悪巧みのようだが……。
彼ら全員の既知の事項のようで、肝心な部分はまるで会話に登ってこない。
もっとも、すべてがつまびらかになったとしても、佐助たちは現状多忙を極めているため、彼らの策謀の阻止にまで手が回らない状況ではあったのだが。




