四之十五
土御門修次郎は、回廊の上に立ち、短冊状の呪符を数枚、胸の前で扇のように広げて、
「土御門の名において命ずる。妖異なる輩、醜怪なる式ども、闇より来りて我に従属せよ。急急如律令」
前方に――祥馬たちに向けられて放たれた呪符は、風に乗りふたりの方へ舞い寄る。そして舞いながらその形状が徐々に変化していき、それは黒い小鳥のような姿に変貌を遂げた。
飛倉――。
長い年月生き続けた蝙蝠が霊力を持ち妖怪化したものである。一見ただの蝙蝠にしかみえないが、眼は赤く見開かれ、巨大な鋭利に尖った牙が、大きく開かれた口から禍々しく生えていた。
五匹の飛倉が、キイキイと耳障りな鳴き声を発しながら、襲い来る。
鬼巌坊が祥馬を背にかばうようにして、蝙蝠の妖怪を次々に錫杖で撃ち落とす。
だが、飛倉は打ち落とされてもすぐに飛び上がり、翼を大きく素早くはばたかせながら、即座に舞い上がり、また鬼巌坊へと果敢に突進してくる。
払っても払ってもきりがないその攻撃に、雲水はたちまち根をあげた。
「こりゃたまらん。結界はまだ解けぬか。はよう、はよう」
祥馬は、その集中を掻き乱す大声に、辟易するように溜め息をひとつついて、作業を続けている。やっとひとつめの結界を解除できたところであった。
修次郎はその姿を眼にし、侮蔑に顔をゆがませた。
「下等なしょもじめ」
昨日の夕刻に、道を歩いていた修次郎は小柄な少女に呼びとめられ、鼎を狙う賊がいることを知らされた。それが、幸徳井祥馬であることも。
少女は修次郎が数瞬顔をそらした隙に消えてしまった。
しかし、彼はその情報を自分ひとりのものとして隠匿した。
彼女の情報が真実であるという保証がないこともあるが、
――幸徳井め。
彼の幸徳井に対する軽侮が顔をあらわした。祥馬に対する侮蔑だけではない。幸徳井の本家は最近、その再興を企んで、土御門に接近しつつあった。
――誰が幸徳井なんぞに……。
かつて、天文道と歴道が土御門(安倍家)と賀茂(勘解由小路、幸徳井)にわかれていた本来の状態の通り、二系列で陰陽道を継続していこうというのなら、
――俺を分家させればいい。
修次郎はそう思っていた。
聡明な兄の元でいくら頑張ってみたところで、いくらの出世も望めない。だとすれば、その端緒を自分自身の手でつかまねばならぬ。
それには、まず幸徳井を払いのけねばならない。下賤の一族を払拭しきらねばならない。
祥馬を盗賊として捕らえれば、たとえ分家の人間の罪過とはいえ、幸徳井復権の希望の芽を潰すことができるであろう。
それをやるのは自分でなければならない。父と兄の鼻を明かし、己の才能を誇示するためにも、この賊徒は修次郎自身の手で捕えなければ意味はない。
「何をしている、役立たずの蝙蝠ども!」
侮辱の叫びとともに、「霊」の文字を空中に書き、それを指ではじくように、飛倉に向けて放った。
その令呪を受けた飛倉たちは、ひとまわりほども身体が大きくなり、赤いオーラを纏い、攻撃力を増大させて、鬼巌坊に襲いかかった。
彼の得意とする練氣術をもってしても、素早い波状攻撃を間断なく続ける飛倉たちには、効果が薄弱なようであった。
祥馬は二枚目の結界札をはがし終わり、三枚目の解除にとりかかりつつ、戦闘の様子を横目で見た。
彼の心から、憎悪が暴溢するようであった。
その憎悪は修次郎に対して向けられていた。
修次郎は、式として使役している飛倉に術をかけて、その霊力を無理矢理に強大化していた。そんな強引なことをしていては、もう飛倉は役に立たなくなる。どころか、命を失うことにもなるだろう。
それが祥馬にはゆるせない。
主である陰陽師は式を使役するといっても、けっして奴隷のごとく酷使してよいものではない。友のように親交し、兄弟のように慈しみ、育てていくものだ。
現代で云えば、犬や猫の愛好家がペットを虐待する飼い主を憎悪するのに似た感情であろう。
「解!」
一声とともに、手のひらを柱に貼られた結界札に打ちつけると、札はひらりと地面に舞い落ちて行った。




