四之十四
三日後の未明のころ……。
土御門家の周囲に張り巡らされていた結界の除去が終了した。
幸徳井祥馬にとってみれば、結界を解除することなど造作もないことであった。
結界は屋敷を囲む五芒星の形状をしており、その各突起の頂点の位置に貼られた呪符を、それと反する性質をもった呪符で相殺していけばよいだけのことだ。
解除していく順番もあるが、相殺する時に呪文を唱えなくてはならない。鬼巌坊は坊主であるにもかかわらず、この手の作業が苦手らしかった。
最後に解除した呪符は、鬼門の位置にあった。
「さて、次はどうするかの」
鬼巌坊の問いに、
「なに、この眼の前の戸――艮より入って、北斗七星の形に禹歩をとり、巽に抜けるのですが、その七星のうちのどこかの地点に鼎があります。おそらくそこにも結界が張られているでしょうが、そうとう強い結界でもなければ、陽が昇る前に解除できると思いますよ」
祥馬はすらすらとまるで文言を用意していたように答えた。
鬼巌坊は無精髭をなでながら、感心したように聞いていたが、
「おぬしは、普段はまるで喋らんくせに、呪術のこととなると、ぺらぺらと口がようまわるのう」
「ほっといてください」
切り捨てるように云うと、祥馬は、長い塀の途中にある小さな裏木戸を開けて、脚をひきずるようにして入っていった。彼はいつもの黒い着流しに蝙蝠羽織を着けていて、その袖が、一歩進むとともに、ひらりとゆれる。
「その妙な歩き方は、わしもせんといかんのか?」
「御坊は普通に歩いて、ついてきてくださればよろしい」
祥馬は脚を普段通り交互に動かして歩くのではなく、片足を前に出してはそれにそろえるように後ろの足を置き、次は逆の足を前に出す。それを右、左と順番に繰り返して進んでいった。これが禹歩というものであった。
続いて鬼巌坊も門をくぐる。いつも愛用の錫杖は遊環が音をたてないように、細い紙縒りでしばってある。この慎重さが、普段がさつにしか見えないこの坊主にしては意外である。
土御門邸の庭園は――そこは裏庭で、樹木が侵入者を拒むように密生していたが、祥馬はその樹々に触れることもなく歩いていく。彼の云う北斗七星の形に沿って歩くと、樹間を難なく抜けられるようだ。
そうして、その樹林が途切れたさきに……。
月影をさざ波がゆらす翡翠色の池があった。
池の直径は五間ほどで、中ほどに一間ほどの小さな島があり、その島には、五角形の屋根を持つ東屋が建っていた。
東屋の中央には、三尺ほどの高さの台があり、その上に青銅の器が置いてある。
「ほう、まさか野ざらしにしているとは思わなんだ」
「まあ、結界で守られていますから、少なくとも盗難の心配はないわけです」
祥馬は自嘲気味に口をゆがめた。
――それを盗もうとする我らはなんなのだろう。
思いながら、彼は池の水面へ足を踏み出した。
その足は、池のところどころに浮かんだ蓮の葉の上に乗り、次の蓮へ。下に台が設置されているわけでもなく、ただ浮かんでいるだけの蓮の葉なのに、不思議にもしっかりと彼の体重を支えているのであった。
「私の踏んだ蓮の葉以外は踏まないように注意してください」
忠告を素直にきき、鬼巌坊はおっかなびっくりといった態で、丸い葉を足場にして後に続いた。
小島に到着したふたりは、目当ての、お宝を間近に見、その宝石の美しさに眼を奪われる思いであった。
青銅製の器には三本の足がはえており、器の外面に親指ほどの大きさの透明感をもった宝石――緑色の魂魄石がはめ込まれていた。
その意識が吸い込まれそうな、不思議さをもった宝石から、意識的に目をそむけて、祥馬は、
「さて」東屋の柱に貼られた結界札を冷然とした目つきで見て、「うん、これなら簡単そうだ。三カ所の札を封印すれば結界が解けますので、それまで見張りをお願いします」
「うむ」とうなるように返事をして、鬼巌坊は彼に背を向けた。
すると、
「おや、もう気づかれてしもうたわい」
池の向こう岸、さらにその先にある回廊上にあらわれた黒い影に向けて、錫杖を構えた。
「これはこれは、盗人にまでその身をおとしたか、田舎しょもじ」
耳にするだけで不快極まる修次郎の声音であった。
しかし祥馬はその声を聞き流すように、
「しばし、お相手を願います」
「わかっとるわい。じゃが手早く頼むぞ」
そんなやりとりをするふたりを、三白眼の眼でにらみ、口には嫌らしく嘲るような笑みを浮かべ、修次郎は数枚の札を懐から取り出した。




