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久遠の輪廻 ―アオイ妖忍伝―  作者: 優木悠
第一章 地獄恋歌

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一之一

 九月の、雲ひとつない澄んだ空の青さが異様に思えるほど、その百姓家は妖しく底気味悪い気配につつまれていた。

 まだ昼過ぎだというのに、まるで真上だけ雲が被さっているように、なにか暗い影が敷地を覆っているのだった。

 その影の一隅に、忽然と小さな紅い影が、ぽっと蝋燭の火が灯るようにあらわれた。

 紅い影は百姓家をつつむ暗い影を裂くようにすっと走った。五尺ほどの高さの生垣を飛び越え、そこにあった古びた納屋に身を寄せた。

 紅色の忍者装束をまとった、女――とよぶにはまだ若い、娘であった。籠手(こて)臑当(すねあて)を手脚につけ、腰には忍刀(しのびがたな)を差していた。

 頭の後ろでまとめている漆黒の髪がふわりと揺れる。

 細面の中庸な顔立ちであったが、その目はするどい光を放ち、油断なく標的の気配を探っていた。

 その少女、藤林碧(ふじばやし あおい)は腰を落として、節穴だらけの納屋の壁に沿って慎重に進み、そっと母屋の様子をうかがうと、どこからか、鼻の奥につんと突き刺さるような生臭さがただよってきた。

 慣れていなければ吐き気をもよおしかねないその臭気のすぐ後に、這いつくばった赤子が、かがんだ彼女の視界にあらわれた。

 その赤子、と見まがうほどのおおきさの生き物は、衣服などはつけておらず、全身が青白く、その腹は異様に突き出し、手足が細く異常に長く、蜘蛛のような格好をしてかさかさと地面を歩いてくるのだった。

 額には小さな角がはえ、顔の大きさにくらべて異常に大きくつりあがった眼を持ち、裂けた口からは白い二本の牙がみえた。

 その蜘蛛鬼(くもおに)が納屋の端から顔を出した瞬間、碧はまったく無表情に、なんのためらいもなく、その生き物のうなじを忍刀で突きさした。

 悲鳴もあげずに絶命したその仔鬼を、刀で貫いたままひっぱりあげて、そのまま後ろに放りなげた。

 異物が抜け飛んで軽くなった刀を脇に寄せ、碧はまた、納屋の影から母屋を見た。

 二の腕と太ももは、動きやすいように素肌を露出させていて、そのむき出しの肌に、ぴりぴりと突き刺さるような刺激をふくんだ空気がからみついてくる。

 集落から三町ほども離れて、山間にぽつんとあるこの百姓家は比較的大きく、百二、三十坪はある広い庭があり、その奥に建つ茅葺(かやぶ)き屋根の母屋は十二間(二十一メートル)に十間(十八メートル)ほどもあったし、その正面には大きな木組みの門があって、庭の向こうには三頭ほど入りそうな馬小屋が見えた。

 しかし、その小屋に馬はもういなかった。

 いや、正確に云えば三頭の屍骸が見えただけだった。

 はらわたも喰いつくされ、首から上もどこに消えたのか見当たらず、蹄と細い脚とわずかに肉の残った胴体が、いっしょくたになって打ち捨てられていて、その上を大量の蠅が飛びまわっていた。

 そして母屋の壁や、庭の隅に植えられた(ほお)の木の幹やその下のうずたかく積もった落葉のなかに見え隠れして、さっきと同じ形状をした蜘蛛鬼が這いずっているのだった。

 碧は、納屋のかどから顔を引っ込めると、地面から跳躍して、壁を蹴りあがり、板屋根の上にのぼった。

 そこにも蜘蛛鬼がいたが、屋根にのぼったと同時に首を()ねていた。

 この百姓家の者たちは、どれほどの人数が暮らしていたかはわからないが、生存はおそらく絶望的であろう。

 男は喰われ、女は鬼の仔を産む器にされる。

 蜘蛛鬼の仔を身籠ると、悲惨だ。

 蛆虫のようなはやさで成長した胎児は、母親の腹を裂き破って生まれる。そして、最初に母の肉を喰って人間の味を覚えるのだった。

 そこかしこに湧いている蜘蛛鬼たちは、そうやって生まれおちたばかりの赤子であろう。

 碧は腰を落として、屋根の棟をつたって母屋へ向かう。

 すると、門のほうから、巨体の妖鬼が現れて庭を横切って母屋に向かうのがみえた。

 蜘蛛鬼の仔鬼たちの親のようだ。六尺半(百九十五センチ)はありそうな体躯で、肥満した腹をゆすりながら、二本の脚でのしのしと歩く。狼のように突き出した口に、やはり大きくとがった赤い眼を持っていて、もじゃもじゃにはえた黄ばんだ白い髪の中からのぞく大きな角、手足だけは不釣り合いに細い。

 肩には小柄の娘を担いでいる。娘は意識はないように見えるが、まだ生きている。両耳の後ろで結んだふたつの房が、大鬼の胸に垂れて、べっとりとぬめりをおびた青白い皮膚に絡みついていた。

 その大鬼は仔鬼にくらべれば、多少の知能は持っているようだが、人目を忍んでことにおよぶような羞恥心も道徳心もありはしない。生きたまま連れ帰って来たのは、捕まえた獲物を、巣に持ち帰ってたっぷり味わいつくそうという本能の所業であろう。

 碧は屋根の端までくると、一足飛びに飛んで、母屋の壁に張り付いた。

 そこにあった明りとりの窓をそっと開けて、中をのぞく。

 部屋と部屋の仕切りの板襖は倒されたり、割られたり、破られたりしていて、ここから居間まで、すっかり見渡せた。

 さっきの大鬼が縁側から入ってきて、娘を囲炉裏の近くに放り投げた。

 ――しまった。

 碧は唇を噛んだ。

 居間の手前、縁側からの光も届かない奥のほうに大鬼がもう一匹いた。

 しかも少し成長した子供の蜘蛛鬼が何匹もいて、床に這ったり壁や天井に張りついたりしている。

 この世のものとは思えない異臭が家中に充満していて、窓から流れ出てきたその臭気が鼻についた。

 想定より、ずっと蜘蛛鬼の数が多い。

 ――どうする、このまま突入するか。

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