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久遠の輪廻 ―アオイ妖忍伝―  作者: 優木悠
第二章 心魂流露

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二之六

 伊賀崎嵐(いがさき らん)は、湯の山越えの峠道を歩いている。

 歩いていると云っても、その速度は速く、常人が駆け足で走るほどの速さなのに、当人は歩いている。現代で云えば、競歩選手のようなスピードと説明すればわかりやすいだろう。

 藤林碧(ふじばやし あおい)城戸鶫(きど つぐみ)の三人で果心居士の庵に行ってから、五日ほども経ったので、ひとまずの報告に東湯舟に帰っていたのであった。報告といってもたいして語ることもない。ただ、碧が滝に三日間打たれていた。翌日目覚めたら、今度は樹海で木を斬らされている。そんなものだ。藤林長門からも、別段変わった連絡はなく、花神の行方はいまだつかめない、ということだった。

 それで、実家で一泊して、庵にもどる途次であった。

 袖のない、裾の短い野良着で、両側に鬱蒼と樹々の生い茂る、人気(ひとけ)のない寂しい道を歩く。

 樹々が道のうえにまで覆いかぶさって、昼間でも追いはぎが出てきそうなほど、陽当りも悪く陰気な感じの道で、もし彼女と行き交う人がいたら、歳頃の娘が一人で歩くのは危険なのではないかと眉を(ひそ)めて見送るところであるが、そこはそれ、素手で妖鬼を叩きのめすような娘である。追いはぎが襲えば、襲ったほうの命を心配せねばならぬところだ。

 彼女の歩行は颯爽、溌剌(はつらつ)としている。

 見えている二の腕も脛も、日に焼けて健康的で、贅肉を極限まで削ぎ落としたように引き締まっていて、羚羊(かもしか)のような脚、というより羚羊を凌駕するほどの野生的な美しさを持っていた。四肢を動かす時にきゅっきゅっと締まる筋肉の顫動(せんどう)が、これがまた鮮やかな肉体美だ。

 嵐はふと、脚を緩めた。

 十間ほどさきにある(なら)の木陰に、一人の旅の僧がかがんでいるのをみとめたからだった。

 網代笠(あじろがさ)に墨染の直綴(じきとつ)を着て、その袖や裾からは白い小袖が見えている。木の幹に錫杖を立てかけてあったし、いかにも雲水然とした格好であった。

 草鞋の紐を結びなおしてでもいるのだろうか、かがんではいるが、いかにも体格のよい、立ち上がればおそらく六尺はゆうにあるであろう背丈に、着物の上からでもわかる隆々とした筋肉が身体を覆っていた。

 嵐が歩速をゆるめたのは、別段理由はない。

 その雲水に怪しむべき気配があったわけでもない。

 嵐が近づくと、雲水はそっと笠をあげて、こちらをみた。

 四角い輪郭をして、彫りの深い造作をしていて、濃くて太い眉に二重(ふたえ)の大きな眼、そして無精髭が顔の下半分に密生していた。

 歳の頃ははっきりせぬが、ちょっと苦み走った雰囲気の、見る人が見ればなかなかの男前であった。

 だが、嵐の好みのタイプではない。

 お互い、ちらと一瞥、一瞬目が合ってそれっきりであった。

 いささかの違和感が(きざ)したとすれば、その一瞬だけであった。

 この人気のない道でただ一人歩く少女をみても、雲水は眉ひとつ動かさなかった。

 だからと云って、彼女はそんなささいな違和感を深く追求する性格をしていない。

 何の気ない様子で、かがむ雲水の前にさしかかった。

 すると、

「もし、娘さん」

 低い、大太鼓のような腹に響く声で、雲水が声をかけてきた。

 嵐は無視して通り過ぎることもできたが、なにか無意識に、脚をとめて、振り返った。

「なんだい、坊さん」

「いや、なに、べつにたいした用事でもないんだ」

 云いつつ、錫杖を鳴らしながら雲水は立ち上がった。まるで装飾のない無機質な輪形に輪っかが通してあるだけの質素な錫杖だった。

 思っていた通りの巨躯で、背の高い嵐よりもさらに頭ひとつぶんほども高く、胸を張ると広い肩幅がずいぶん威圧的ですらあった。

「今日は朝から誰とも口をきいていなくてね。孤影、寥々(りょうりょう)たる峠を歩くのも飽きてきた所だ。よかったら、しばらく同道せんかね」

 こうして笠の下からのぞいてみると、三十なかばくらいの年齢とみえる。

「いいけど、あたし、脚はやいよ」

「ははは、健脚では、まけぬつもりだが」

「ふん、そう」

 そっけなく云って、嵐は歩き始めた。

 雲水は、錫杖の遊環(ゆかん)をちゃりちゃり鳴らしながら、斜め後ろをついてきた。

 ――めんどうだな。

 嵐は内心舌打ちをした。果心居士の庵に向かう樹間の小径(嵐達が最初そうであったように初見ではまったく気づけないほどの筋道だった)まであと一里ほどあった。それまでに、この雲水を()けるだろうか。

「この辺りの農家の娘かね」

「そう」

「どこまで行くのかね」

「峠のあたりまで」

「こんな人気のない道で、怖くはないのか」

「ないね。慣れてるから」

「なんの用で、こんな山奥を歩いているのかね」

「こいつ」と嵐は腰にぶらさげた一升徳利をかるくたたいた。「これを山でこもっている親父に届けるんだ」

 ほんとうは、藤林家から果心居士への手土産の酒であったが。

「ほう、親父さんは何をしに山奥へ」

「柴刈りだよ。冬に向けての薪のたくわえにするんだ」

 嵐の云うのは、当然すべて口からのでまかせであった。

 雲水は、嵐の歩速に息を弾ませることもなく、平然とついてくる。そして、人懐っこい声音で次々に話しかけてくるのであった。一見すると、ずいぶん口の重そうな雰囲気の漂うみてくれなのに。

 家はなにを作っているんだ。今はどんな野菜がとれるんだ、なにがうまいんだ。親父さんは元気か――。果ては、好いた男はいるのか、もうそっちのことは知っているのか、など、僧侶とは思えない下世話な話までしはじめるしまつ。

 嵐はそれらに生返事で答えていたのだが、

 ――これはまいった。

 頭を捻らざるをえない。

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