九之二十五
背中の長巻の柄に手を置いているだけで、悠揚とかまえるカヌタヒトに突っ込んでいった嵐は、野生的ともいえる勘がふっと働いた。
――なにかまずい。
直感した嵐は、慣性の法則を無理矢理ねじ伏せるようにして、走り続けようとする身体を後ろへジャンプさせた。
転瞬、すっと鋭利な刃風が胸元をよぎった。
忍服が胸元で三寸ほど、真一文字に斬れている。
後ろに跳んだ嵐が着地した時には、カヌタヒトの長巻は背中に戻っていた。
まだ間合いの外だ、と思っていたのに、抜き放たれた刃が胸元でぐんとのびたような印象だった。
「見えたか」嵐の斜めうしろで立ちどまった鬼巌坊が訊いてくる。
「いや」
「わしは見た」
「じゃあ、説明しろ」
「今の剣技は奇術みたいなもんだが、ちとちがう。奇術というのは仕掛けがわかれば、なんだ、となる。だが今の技が奇術と違うのは、仕掛けを教えてやったところで、どうにもならん、というのがわかるだけじゃ」
「ごたくはいいから、はやく教えろ」
「ごたく……」片眉をぴくりとひとつ吊りあげてから鬼巌坊は嵐の耳に口をよせた。「よいか嵐よ、あの男はまず右手で鍔元を握って刀を抜く。抜いた瞬間に左手を添え、(遠心力を使って)両手の中で長い柄を滑らせる。そうして柄の先端握って振るから、間合いが広がるのだ。嵐は刀身に意識が集中していたからそれが見えなかった」
「だから、切っ先が伸びたように見えたのか」
「そうじゃ。で、どうする」
「ふん、考えるんじゃねえよ。考えるからどうにもならないように思えてきて、実際どうにもならなくなるんだ」
「あきれるわ、お前の無思慮には」
「突っ込むぞ、クソ坊主。あんたは、あたしに合わせてくれればいい」
「ふふふ、よかろう」
「いくぞ!」
嵐が、まさにあらしの風速で走り出し、鬼巌坊が後に続く。
カヌタヒトは、女が長巻の間合いに入ったと充分みきわめた。
そして、抜手を見せず、というありきたりな形容がまさに適当な、神速と云っていい速さで、背中から長巻を引き抜く。
引き抜かれた長巻の柄を両手で握り、勢いのまま手の中でずずっとすべらせた。
間合いの伸びた刀身は、突き進んでくる女の左側面に向かう。女は左手の鉄籠手で防ごうと腕をあげた。あの鋼鉄製の籠手がいくら堅固であろうとも、長巻の刀身にかかる遠心力はすさまじい。女の身体ごと跳ね飛ばすであろう。
刀の刃が女の籠手に当たった。
と手ごたえを感じた瞬間、女の身体が沈んだ。刀が跳ね飛ばしたのは、左腕だけであった。それも籠手の強度が充分だったとみえて、腕がくるりと振り子のように回転しただけであった。
すべりこむように床に倒れた女の後ろから雲水が飛び越えてきた。
想定以上に振りきってしまった長巻を、カヌタヒトは強引に返した。
だが、一瞬遅かった。
つばめ返しに返った刀身は空を切り、腕を振りあげた雲水の脇に柄が当たった。刹那、雲水は腕をおろして、鍔元を抱え込んでとまった。
雲水の巨体の影からすでに起き直った女が飛びだし、カヌタヒトのふところに入り込んできた。
しまった、とカヌタヒトが思ったのと同時に、彼女の右こぶしがのびてきた。
みぞおちに拳が当たった感触はあったが、どうも手ごたえがおかしい、と嵐は感じた。
殴られた長巻の男は、鬼巌坊につかまれた武器の柄をはなして、数間先まで飛んでいった。
――しとめそこなった。
という感覚だった。
嵐の拳が男の腹にあたると同時に、男は身を引いてパンチの衝撃を殺していたのだ。
だが、いくらかの痛手はおわせたようだ。
四つん這いになって立ち上がろうとする男が、かっと血を吐いた。




