九之二十一
舞台上はたちまち、蜂の巣をこん棒で殴ったような大混乱となった。幹部や巫女たちは、もはや狂乱の態で逃げ惑っている。蜂に刺されるくらいならばまだよかったであろう。すでに幾人かが、なすすべもなく妖鬼の歯牙にかけられてしまっている。
しかし不思議なことに、舞台の下にいる信者たちは、まだ霊魂を吸収されていない者さえも、跪拝したまま岩になったように動かないのだった。
「碧!」
舞台の北よりの場所に鶫に投げ飛ばされ、転がっていた碧のもとに嵐が走り寄ってきて背中の二本の刀を投げて渡した。
それを受け取った碧の左肩に鋭い痛みが走った。
見ると、二の腕に三寸ばかりの傷があり、血がにじんでいた。皮膚がうすく切れている程度の浅い傷であったが、先ほどのカヌタヒトの抜き打ちの一撃でつけられたものだった。
――完全に躱したつもりだったのに。
碧の背に悪寒が走るようだった。
もう少し、身体をよじるのが遅ければ、今頃左腕が舞台のうえに転がっていたことだろう。
立ちあがりつつ手早く刀を帯び、鞘から引き抜いた。
そこへ急激に肉薄した一匹の蜘蛛鬼が身体を起こし、右腕を振り払った。
碧は刀でうけようとかまえた。が、視界を覆い隠すほどにせまった鬼の腕に、細い紐のようなものが絡みつき、動きがとまった。鶫の鋼糸であった。碧は反射的に走り込んで宝刀暁星丸をふるい、鬼の腕を切り落とす。即座に嵐が飛び込んできて、鬼の頭に蹴りをいれて、その首が音を立てて折れた。鬼は地に崩れ落ちる。
ふりかえった碧は、鬼の腕からほどかれて持ち主のもとに戻る鋼糸を眼でおった。
「どういうつもりだ!」
と怒鳴ったのは嵐であった。
「どうもなにも」鶫はいぶかしむように、嵐と碧を交互にみた。「助けてあげたんじゃないの、なにがいけないのよ」
「どうして助けてくれたの」と碧が訊いた。
鶫はしばらく、あっけにとられたような顔をした。そしてあきれたように首を振った。
「ひょっとして、あなたたち、聞いてないの?」
「聞くって、なにを?」
「花神のもとにとどまってしばらく情報を集めるからって、市蔵さんを通じて頭領に伝えてもらったはずよ」
今度は碧と嵐があっけにとられる番であった。
碧は唇を噛んだ。
考えてみれば、ずっとおかしかったのだ。根来寺で闘ったときは、深夜にもかかわらず人を呼び寄せるほど轟音の攻撃をはなってきたし、反対に真聖神惶教の神殿では周囲に碧の侵入をしらせなかった。会話が噛み合わないと感じたこともあったし、彼女らしくもなく口をすべらせて「淡路」などという機密を碧にもらした。それに、碧が鶫のことを市蔵に報告したとき、彼はちょっと妙な顔をしていたのも思い出していた。
「頭領も人が悪いわね」鶫は首を振り振り云うのだった。
「たぶん」と碧もあきれ気味に云った。「私たちに教えてしまうと、鶫の潜入に支障をきたしかねないとでも考えたんでしょうね、兄上は」
「まったく。私、碧が狂言に付き合ってくれているものとばかり思っていたのよ」
「し、知らないわよ。おかげで、半分本気であなたのことを、嫌いになりかけてたわ」
「まあ、私も大坂城で置き去りにされたのは、いまだに腹が立ってるけど」
「あれは、どうしようもなかったって何度も云ってるでしょ。けど、誤解が大きくならないうちに解けて良かったわ」
「そうね」
そうして碧と鶫は、はははと笑った。しばしの間喧嘩をして絶交していたが、言葉をかわしてみればやっぱり友達だった。そんな笑い声であった。
「ははは、じゃねえよ!」言葉通りに煮え湯を飲まされたような顔で嵐が怒鳴った。「あやうく本気で殺し合いをしかねなかったんだぞ、あたしたち」
「私に怒らないでよ、文句なら頭領に云ってよ」鶫はふてくされた顔をして云った。
そこへ、
「おい、聞こえたぞ、鶫よ」
鬼巌坊が横合いから話に割って入ってきた。
「げえっ」鶫はうめいた。「なんであなたがいるのよ」
「嵐と共同戦線ちゅうじゃ、ばかもの」
「な、なんてこと、この一件がかたづいたら、また花神のところに潜入するつもりだったのに」
「もう遅いわ。まあ、わしらはお前をまるっきり信用しとらんかったから、別段かまわんのじゃがの」
「え、そうなの?」
「そんなことも見抜けなんだか。しかしこれで、祥馬にはさらに怨みを買ったぞ、鶫よ」
「ふん」鶫はさあらぬ態である。
「因果応報、自業自得。奴の怨み、甘んじて受けるのだな、鶫」
「ふん」
せいいっぱい強気な顔をして、振った男のことなど気にもかけない態度をみせながら、鶫のその瞳には憂いの光がにじんだようだった。




