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久遠の輪廻 ―アオイ妖忍伝―  作者: 優木悠
第一章 地獄恋歌

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一之九

 未明の海風に身震いして、碧は眼を覚ました。

 夜明け前の、まだ真っ暗な時分で、碧は眼を慣らすためにしばらく空を見つめてから、半身を起こした。

 ほとんど同時に、他のふたりも起き上がった。

 鶫は両手の指をからませて伸びをしているし、嵐はまだ寝足りないように、恥もなく大きなあくびをしていた。

 三人はねじったりよじったりのばしたりして、身体をほぐして目覚めさせていると、やがて、半町ほど向こうの篝火のあたりで影が動くのがみえた。見張りの藩士たちが起き出したらしい。

「じゃあ、そろそろ行きますか」と云ったのは、嵐であった。

「ふたりとも疲れは残ってないわね」碧が確認する。

「そういうあなたこそどうなの、なかなか寝付けなかったようすだったけど?」鶫はなにか含みを持ったような云いかたをするのだ。

「いとしい人のことで頭がいっぱいで、一晩中悶え続けてたんだろうぜ」嵐がからかい始める。

「うるさいわね、怒るわよ」

 碧が怒って云うと、ふたりは微笑んだ。碧自身もどこか心がほぐれたようだった。

 筵小屋に行くと、篝火の脇にいた中年の侍が、一瞬驚き、そしていぶかしそうに、三人を眺めてきた。いかにも雑務を押し付けられたといった風情の、くたびれた相貌の男だった。

「伊賀から参りました」

 と碧が云うと、侍は、どこか落胆したような顔をした。

 なんだ女か、しかも小娘ではないか、という侮蔑の感情が眼に(にじ)んでいるようだった。危険な任務に小娘をよこすなど、藤林は九鬼藩をなめているのではないか、と思われたかもしれない。

 しかし、その程度のことは派遣先ではよくあることなので、碧は気にもとめはしなかった。

「妖鬼に対する修練も積んでおります」

 と補足しておいたが、それでも中年の侍は不信感を拭い去れない様子だった。

「話は信じるがな……」

 やがて、声を聞きつけたのか、残りふたりの侍も小屋から出てきて、同じように好奇心と落胆とが入り混じった表情をするのだった。ふたりはまだ三十前後の若さにみえた。

「朝飯は?まだ?じゃあ、喰っていけ」

 なかのひとりが優しさからか仕方なしにか、ぶっきらぼうにそう云って、小屋のそばにある焚火に火をつけた。

 木の棒で即席に作った鍋掛けに、鍋が吊るされていて、昨日の残り物なのだろう、何かがすぐに煮えはじめた。

 そうしているうちに、じょじょに、周囲が明るんできた。

 中年の侍は、篝火を背に、ガレオン船の威容を観察しているようだった。

 船は一町ばかり場所にあるはずなのに、すぐ近くにあるような、反対にずっと彼方にあるような、対比物がないこともあって、まるで距離感もその大きささえもつかめない。それがまた、見る者の心理に作用して、その存在に畏怖を感じさせるのだった。

 碧は彼にそっと近づいた。

「何か変化はありましたか?」

「いや」侍は痰がからんだような声で云った。「なにも変わらんよ」

 そしてまた、しばらく船を見つめた後、話し始めた。

「不気味なものだ。座礁して浸水しているはずなのに、あのまま沈みもしなければ倒れもしない。人が乗っている気配もないのに、向かった者は、誰も帰らない。やっとひとり帰ったと思ったら、すぐに死んだ。もののけが憑いているとしか思えんな。いや、あの船自体がもののけか」

 碧は口を挟まずに、黙って聞いていた。

 しだいに、水平線が赤らんできて、薄く青味がかっていた景色が、眠りから覚めるように色づいてくるのだった。

 波は静かで、ただ規則的に浜辺によせ、よせてはかえす。

「一度な、試しに小舟で近づいて、火矢を放ってみたことがあった。そうしたら、どうなったと思う?」

「さあ」

「消えるんだ。矢が船腹に刺さったり、船べりの上を越えると、ふっと火が消えるんだ」

 不気味なものだよ、と侍はもう一度云って、さあ粥が炊けたようだ、と碧を食事にいざなうのだった。

 彼の挙措や(つむ)ぐ言葉の声容の裏側にはどこか自嘲の響きがあった。

 鳥羽の九鬼家と云えば、織田信長に仕える以前から、水軍を統率してきた名門である。海上はいわば彼らのテリトリーなのである。それが、南蛮船とはいえ、難破船一隻に手も足も出せないのだった。もどかしいものであろう。

 焚火のそばに行くと、嵐は座って手をかざして温まりながらまだ眠そうにあくびをかみ殺しているし、鶫はふたりの侍にうまく取り入ったとみえて、楽しそうに談笑していた。

 碧が自分でやると云うのを制して、中年の侍が、椀に粥をよそってくれた。

 嵐に渡す時、呑気ですまなかったな、と苦笑して彼が云った。嵐も苦笑して椀を受けとった。

 水っぽくて味もほとんどない粥をすするようにして食べ、碧は、では、と侍たちに頭を下げる。

「気をつけてな」

 立ち去ろうとする三人の背に向けて、中年の侍が云った。その声音には、少女たちを危険な仕事に送り出す以外に何もできない、自分の不甲斐なさを慨嘆しているような響きがあった。

 碧は海に向けていた顔を振り向かせて、そっと会釈で答えた。

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