八之十二
納屋に帰ってひと晩じゅう、碧は筵にくるまってまんじりともせずに思考をめぐらし続けた。
――根来寺は一揆に関与していない。
根来寺の座主はああ云いながらも、裏で何らかの策動をしている疑いもなくはないが、まず、無関係と判断してよいだろう。
思えば、最初から矛盾だらけであったのだ。
紀州の土豪たちが一揆を起こすならば、できるだけ隠密裏にことを運ぶのがよいはずで、わざわざ注意を引くようなまねをするのはまるで理にかなわない。女を伏見城に送り込み、妖術を使って公儀を恫喝するなど、まったく無益な行為であった。
真田のあぐり姫をさらったのも、意味がわからない。人質を取るなら、徳川方の姫君を誘拐するのが本当で、豊臣方の、それもいち雇われ武将にすぎない真田左衛門佐の娘をさらってなんの得があるというのだろう。
鶫のふと漏らした、
淡路――、
という言葉が碧の胸の入り口にひっかかっていた。
――淡路の策略にまんまと乗せられて……。
彼女はそう云った。
淡路の策略……、淡路とははたしてなんのことだ。碧は考えた。
一番素直に考えるならば、淡路島のことだ。淡路島に拠点を置く何者かを指しているのだろうか。
他に考えられるとすれば、淡路を名乗る武将である。
最初に碧が思い浮かんだのは、脇坂氏である。淡路守脇坂安治は、賤ヶ岳七本槍のひとりで、豊臣恩顧の大名である。あやしいと云えばあやしい。他にも淡路守の官位を持つ大名は複数いるし、淡路を名乗る侍は数えきれないほどいる。
または、現在淡路国を支配している洲本藩の池田忠雄であることも考えられる。
ちなみに、忠雄の兄忠継が死去して、忠雄は備前岡山藩の藩主となり、洲本藩は廃され、淡路国は阿波の蜂須賀家に与えられるのであるが、そういうあわただしい変遷をたどっているのはちょうどこの時期のことであり、今の碧には知るよしもない。
――結局のところ……。
と碧は思う。淡路、というだけでは、なんら確証を得られない、無意味な単語でしかなかった。
鶫に対しては裏切られた悔しさよりも、そこまで彼女を追い込んでしまった自分に責任があると碧は思っている。自分自身に対する悔恨があった。
しかし忍という隠密組織を裏切った以上、鶫には制裁をくわえねばならない。裏切られた責任があるのなら、碧自身の手で決着をつけねばならない。
そういう結論にたどり着いてしまうと、碧の心の底から暗い得体の知れない泥濘のようなものがわきでてきて、たちまち心全体がどんよりと澱んでくるのだった。
いや、信じるのだ。
あの思慮深い鶫のことだ、何かしらの意図を胸に秘めているのやもしれない。だが信じきれるだろうか。昨夜のあの攻撃はあきらかな殺意が一手一手ににじみでていた。むやみに信用してしまうと手ひどい痛撃をあびる危険をはらんでいる。
かつての親交は忘れ、打倒すべき敵として認識するべきなのかもしれない。
花神と同様に。
気がつけばもう陽がずいぶん高いようだ。ひとりで考えこんでいると、どうもくさくさと気分が滅入ってくるので、気晴らし半分に村へ聞き込みに出かけようと立ちあがり、戸を開けた。
雨はすっかりあがって、心地よい陽射しが降りそそいでいた。ぬれた地面に照り返す陽の光に眼を細めると、ふと、まだぬかるんでいる地面を歩いてくる数人の足音が聞こえてくる。
反射的に戸板を閉めた。
木々の陰で、その者達からは見られていないはずであった。
碧は耳をすませた。
納屋は庭の南西のすみにあって、母屋は東側で西向きに建っている。
その母屋の縁側に向かって、男が声をかける。
「伊野どの、ご在宅か。いらっしゃるか」
そう大音声で訪っている。
戸の隙間から、そっと外をのぞくと、辺りを見回していた女と眼が合った。碧はさっと身を引いた。
――杉谷善珠……。
ぞっと総毛立つ思いであった。
実際はこちらのほうが暗く、陽の下にいたむこうからは見えなかったはずだ。
が、こと戦闘に関しては勘の秀でたあの女のことだ、油断はできない。
用心しつつさらにうかがうと、訪れた者達は、壮年の侍の男がふたり、それに善珠一味三人である。碧の記憶にはないが、先日のあぐりをとらえていた屋敷にも、ふたりの侍はいたかもしれない。
なかから縁に出てきた伊野栄次郎と二、三言葉をかわすと、侍のふたりは縁側から居間へとあがっていった。善珠は縁側に腰をおろし、ゼニヤスとトロハチは立ったままで、周囲を見張っている。




