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久遠の輪廻 ―アオイ妖忍伝―  作者: 優木悠
第一章 地獄恋歌

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一之七

 碧はうつむき加減に、畳の(へり)を、まるで心のない人形のような目つきでじっと見つめて、兄の話を聞いていた。だがその内容は大半、頭を素通りして反対側の耳へ抜けていて、脳裡では、ただ恋人の端正な笑顔だけが、浮かんだり消えたりしていたのだった。

 そんな妹の心情を(おもんぱか)って、長門は今した苦笑をすぐに消して、またもとの厳粛な顔つきになって、ふたたび話し出した。

「そこでたまたま報告のために帰っていた恭之介に数人を付けて向かわせた」

 きょうのすけ、という名前だけが碧の鼓膜に刺さるように響いた。

「あやつにとっては、一日、せいぜい二日もあれば充分な片手間の仕事のはずだったのだがな。それが、もうすでに五日。なんの音沙汰もない。らしからぬことよ」

 長門は溜め息まじりに、つぶやくように云ったあと、妹の呆けたような顔をみて、声を高くした。

「碧っ」

 呼ばれて碧はぴくりと耳だけ動かした。

「お前たち三人ですぐに志摩へおもむき調査をせよ」

 娘たちは、きっと長門を見た。

「歳若い、しかもお前たちのようなおなごを向かわせるのは、気が引けるところだが、今は時勢不穏の時。里の者も働ける者はみな出払って、まったく人手に余裕がない」

 徳川幕府は情報収集に躍起になっていた。自らの諜報組織である服部半蔵率いる伊賀組を使って、京、大坂に大人数を配して情勢を探っているうえに、豊臣恩顧の大名たちの動静にも気を配らねばならず、地方にも間者を送り込まねばならなかった。伊賀組だけでは手が足りなくなったとみえて、伊賀の里の藤林や百地にも人員を出させたのだった。

「無理はするな」と静かな調子で云った長門の顔は、ただ妹の無事を願う兄の温柔な顔だった。「危険を感じたら、逃げてかまわぬ。とにかく生きてもどれ」

「はい!」

 三人はそろって頭を下げる。


 碧たちを送り出したあと、長門は縁側に立って庭を眺めていた。

 (くすのき)(けやき)のような大型樹のあいだあいだに椿や山吹などの低木が植えてあり、隅にある銀杏(いちょう)が鮮やかに黄色く色づいていて、種子がところどころに生っていた。

 しかし、庭をぐるりと見渡せば全体的にまるで手入れが行き届いておらず、椿も山吹も枝先が伸び放題で、このままで綺麗な花が咲くのかしら、と不安が掻き立てられるのだった。

 夏にはえた雑草も放っておかれているうえに、枯れはじめて葉も茎もしおれて傾いたり倒れたりしていてずいぶん見苦しい。

 最近、多事に忙殺されていて、庭の手入れどころではなかった。

 大坂の件が落ち着いたら、いちど家人総出で植木の剪定と草むしりに汗を流さねばならんな、と今考慮すべきことは他に数多あるのに、なぜか埒もないことが、長門の頭に浮かぶのだ。

「花神は……、生きていると思うか」

 ぽつりと、独り言のように、後ろに控えていた又左衛門に話しかけた。

「おそらく、生きておりましょう」又左衛門は考え深そうな顔で答えて、さらに続けた。「姫の――、碧様の前では口が裂けようとも申せませんが、花神のことは、それがし好きません」

「うむ」うなるように長門はうなずいた。「花神は、危険だ」

「御意にございます」

「かの男が伊賀忍に加わって、もう十年余りになるか」

 伊賀忍は、その土地生え抜きの、まだ幼児のころから特殊な教育をほどこされた者が、忍者となるのが通常である。花神は、家を失った佐和山の郷士の子供であった。猛特訓の末に忍術を会得したというが、他郷の者が、特別な手づるがあったとはいえ、伊賀忍に加わるなど、異例中の異例。

「しかし、亡き父もあの男を買っておったしな。当時の、まだ弱卒のわしでは、異議をとなえるなど思いもよらなかった」

 かつて、花神の眼に、ふとした時に名状しがたい気味の悪さを感じることがあった。どこか冷酷な、なんとも云えない寒気のするような嫌な眼光だった。花神自身それに気づいていたのか、歳長じてからは、そんな眼つきすらうまく隠していたようだった。

「たしかに、花神は、目から鼻に抜けると云いましょうか、才気走ったところのある男でした」と又左衛門が不快さをにじませて云った。「眉目秀麗、頭脳明晰、人心をつかみ、相手の懐にするりと入り込むような魅力も持っていました」

 一頭地を抜くその才気で、先輩の忍を追い越して、どんどん出世をしていったのだった。

「それゆえに、危険よな」

 そう云った長門の眼は、するどい光を放っていた。その光はじつは自分自身に向けて放たれていて、危険な男を野放しにしておいた自分の怠慢を戒めているようでもあった。

「わしはいささか、いや、ずいぶんと悔いているのだ。碧を妻合(めあ)わせようと考えたのも、妹自身が懸想していたこともあったが、花神をどうにか手なずけておきたいという功利的な願望が働いたせいでもあった」

「それもひとつのお考えかと」

 慰めのような又左衛門の言辞は、しかし長門の耳に入っていたかどうか。

 ――できればここで命を落としていてくれれば、気が楽だ。

 長門は、配下の死を願うなどけしからぬ考えだと同時に思いつつも、そういう思考がよぎってしまう自分の素直な気持ちを抑えることはできなかった。

 碧は悲しむであろうが、それも一時のことだ、すぐに立ち直るだろう。

 子供くらいに歳の離れた妹の泣き顔が胸裏に浮かんだが、すぐに頭を振って、感傷的な心象を払い捨てたのだった。

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