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第36話 選定の直感と、不本意な引っ越し


 セルガたちがエルフ領から帰還し、あの『ひと悶着』とその後の甘く穏やかな時間を共有して迎えた翌朝は、

 昨夜の余韻がまだ体温に残っているような不思議な感覚だった。

 

 一人で戦い、一人で生き延びるのが当たり前だったこの十数年。

 それが今、俺とセルガたちの関係は『魔王に守られる珍しい来賓』という不安定な立場から一歩先へ進んだような気がしていた。


「――これから先、二度とお前を危うい場所に置くような真似はさせん」


 目の前のセルガは、昨夜の申し訳なさを塗りつぶすかのように強い、それでいて切実な執着を瞳に宿して断言した。

 もう二度と俺を不安にさせたくない、二度とあんな残酷な夢を一人で見せたくない――そんな重すぎるほどの思いが改めて専属の護衛とメイドをつけるという強硬な態度となって現れていた。


 案内された広間には既に数人の男女が整列していた。


「コノエ様。貴方の安全は、魔族領全体の利益に直結します。……これは『不自由』ではなく、貴方が自由に動くための『保証』だと考えてください」


 今この場にいないナツカの代わりにセルガの手伝いをしているライゼルが、淡々と――だがかつての冷たい”監視”とは違う、俺という個人を尊重する実務的な響きで告げる。

 眼鏡の奥の瞳も、今は落ち着いた色をしていた。


「分かってるよ。……でもこの前も言ったけど、自分の直感で判断させてもらうからな」


 俺は一歩、候補者たちの前に進み出た。


 並んでいるのは騎士が五名、メイド候補が三名。

 俺は意識を研ぎ澄ませ、《生存本能》に集中する。

 言葉の裏側、呼吸の隙間――相手が俺という存在をどう定義しているか。それらを直感で見抜く。

 

 まずは護衛候補の列を順に見ていく。

 三人はセルガの顔色を伺っていて、一人は俺への好奇心が強すぎるのが少し鼻につく。

 その中で、列の端にいた男に目が止まった。まるで岩のように静かな佇まいだ。

 

「名前は?」

「……ハルク、と申します」


 膝をつき淡々と答えるその瞳には、人間への侮蔑もなければ珍しいものを見る熱狂もない。

 

 「ハルク。俺はこれからも厨房に籠もるし、急に誰も知らない実験を始めるかもしれない。そもそも護衛なんて本来必要ないと思ってる。それでも、文句を言わずに背中を任せてくれるか?」

「それが主の歩みであり、守るべき日常であるなら。謹んで、盾となりましょう」


 地に足のついた、湿り気のない声だった。

 英雄として崇めるのでもなく人間として見下すのでもない。


 ただ『そこに在る影』としての空気感が、俺の直感にピタリと合致した。


「決まりだ。護衛はハルクにお願いしたい」


 次にメイド候補の三人に目を向ける。

 皆が”銀糖を作った功績”に目を輝かせる中、一人だけ、俺の服の袖についた僅かな汚れを申し訳なさそうに見つめている少女がいた。

 桃色の髪を短く切り揃えた小柄な少女だ。


「俺の服、そんなに気になる?」


 声をかけると、彼女はハッとして顔を上げた。


「あ……申し訳ありません!その、コノエ様が素晴らしいものを作られたというのに、そのお召し物が汚れたままでは……!今すぐお洗濯をさせてください!」


 彼女が守ろうとしているのは、俺の名声ではない。

 俺が今ここで過ごしている生活そのものだと、直感が告げていた。


「……いいな。リリィ、採用だ」


 選定が終わるとセルガが二人の前に立った。

 広間の空気がわずかに重くなる。


「ハルク、リリィ。貴様らの命は、今この瞬間から俺ではなくコノエのために使え。万に一つでも、彼の平穏を損なうようなことがあれば――」

「セルガ、脅すなって。……二人とも、これからよろしく。まずは銀糖を使った新しい試作の手伝いから頼むよ」


 俺がセルガの前に出て手を差し出すと、ハルクは厳かに、リリィは元気よくその手を取った。

 掌から伝わる、魔族の少し高い体温。

 共に歩むための足音が、今、俺の日常に加わった。


 ◇


 その手を二人がしっかりと取ったその時だった。

 広間の扉が勢いよく開き、騒がしい足音が飛び込んできた。


「おーい、コノエ! 準備できたぞ、引っ越し作業完了だ!」


 軽快な調子で現れたのはナツカとバルハだった。


「引っ越し……?部屋って、何かあったっけ?」


 俺が首を傾げると、セルガが待っていましたと言わんばかりの顔で頷いた。


「あぁ。メイドも護衛もつくんだ、手狭だろうと思ってな。これを機に、お前の部屋を俺の部屋の隣に移すことにした」

「……は?」


 思わず間抜けな声が出た。

 隣――王の寝室の隣といえば城の最深部、この国の心臓部と言ってもいい場所だ。


「凄いだろコノエ、魔王様の隣の部屋だぜ!セキュリティばっちり、何かあればセルガが壁をぶち抜いて助けに来てくれる距離だ!まぁ、そもそも扉一枚で繋がってるけど」


 ナツカが親指を立てて笑うが、ちっとも笑えない。

 横でライゼルが眼鏡を押し上げながら、深い溜息を漏らした。


「私は止めたんですよ。そこは本来、魔王の伴侶……つまり王妃が使うための部屋だと。いくら友人とはいえ、外聞というものがあります」

「そうだよな!?お前何してんだよセルガ!俺はただの友達で、お前の嫁じゃねーぞ!」


 全力で抗議するが、セルガは微動だにしなかった。

 それどころか俺の肩を掴み、獲物を追い詰めたような熱のこもった瞳で見下ろしてくる。


 「昨日、自分で『プロポーズか』と言ってたろ。今更『ただの友達です』なんて面をするな。理屈はどうでもいい、お前は黙って俺の隣にいろ」

「……っ、横暴すぎんだろ!バルハさんも、何か言ってくれよ!」


 たまらずバルハに助けを求めた。

 だが彼は優雅に一礼すると、穏やかな笑みを崩さずにこう返した。


「コノエ様。私はしがない執事ですので、陛下が決めたことであれば従うまででございます。それに、主の近くに愛すべき友人がいるというのは、仕える身としても安心いたしますよ」


 にこやかに、かつ有無を言わせぬ態度で肯定されてしまった。

 昨日の夜、あの雰囲気に飲まれて少しだけ心を許したのが仇となったか。俺はとうとう天を仰いだ。


 ふと隣を見ると、ライゼルが「心中お察しします」とでも言いたげな、諦念の混じった同情の視線を送ってきている。


「……ハルク、リリィ。お前たちの主人は、これほど強引な男の隣で暮らす羽目になったらしい。頼むから、俺の平穏を守ってくれ」


 藁にもすがる思いで二人に頼むと、ハルクは一切の表情を変えずに「御心のままに」と頭を下げ、リリィは「王妃様の部屋! 腕が鳴りますね!」とさらに明後日の方向へ気合を入れ始めていた。


「あー……もう、勝手にしろ!」


 俺の叫びが、広間に虚しく響く。

 魔王城での本格的な生活は、どうやら俺の想像よりも遥かに、逃げ場のない場所から始まることになりそうだった。

ご一読いただき、ありがとうございます。

完結まで走り抜けられるよう、一話一話大切に更新してまいります。

もし少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】で応援いただけると、執筆の大きな励みになります!

次回もよろしくお願いいたします。

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