第35話 郷愁のプリンと、魔王の夢
夕方の喧騒が嘘のように静まり返った夜の厨房で、俺は銀色の粉末が詰まった小瓶を眺めていた。
せっかくできたこの世界で初めての砂糖。
何を作るか色々と案は出てくるが、一番最初の使い道は決まっていた。
「……まずは、やっぱりこれだな」
俺は手慣れた手つきでボウルと鍋を取り出す。
作るのはプリンだ。以前も一度作ったことがあるから、工程は頭に入っている。
魔獣の卵と特殊な植物を混ぜ、蒸し上げる。シンプルな料理だが、シンプルだからこそ素材の味が仕上がりを左右する。
だが今回の一番の目的はそこじゃない。
「問題は、こっちだ……」
小さな手鍋に銀糖を入れ、極少量の水を加える。
火にかけじっくりと熱を通していく。
これまでは手に入らなかった『砂糖』がある今なら、あのほろ苦くて甘い、琥珀色が作れるはずだ。
ふつふつと泡立ち始めた銀糖が熱によって色を変えていく。
透明から薄い金色、そして食欲をそそる深い褐色へ。
「……良かった、ちゃんとできた」
香ばしく、どこか切ないような甘い香りが無人の厨房に広がる。
「――やはりここか。いい匂いがするな」
背後から響いたのは聞き慣れた声。
振り返ると、隠しきれない疲労を色濃く滲ませたセルガが立っていた。
「セルガ。仕事、終わったのか?」
「……あぁ、やっとな。ライゼルに、ヴァルドレイクの緊急運用の件で散々絞られてな。それに途中で放り出したエルフとの会談の仕切り直しと、気が遠くなるような量の書類を片付けてきたところだ」
セルガはふぅ……と深い溜息をつき、近くの椅子に身体を預けた。
とても疲れているように見えるが、今回の件については大体自業自得な気もする。
「部屋にお前の気配がないから……また俺の手からいなくなるかと思って、少し肝が冷えたぜ」
冗談めかしているが、その瞳には切実な響きがあった。
昼間のあの、プロポーズにも似た重すぎる誓い。
あの時は軽く流したが、こうして二人きりの静寂の中で改めて向けられると、なんとも言えない居心地の悪さが胸の奥から湧き上がってくる。
「……ただ、ちょっと試作をしたくてさ」
俺はそれには答えず、そっと視線を外して型を指差した。
底では銀糖から作った琥珀色のカラメルが、ランプの光を反射して静かに輝いている。
「……これで、プリンとしてはちゃんと再現できたかなって思うよ」
不自然なほど明るい声を出してしまった自覚はある。
だがセルガはそれを追及することなく、眩しそうな目で俺の手元を見つめた。
「……そうだな、やっぱりプリンにはカラメルがのってこそだ。……食べていいか?」
子供のように素直な問いかけに、俺の強張っていた肩の力がふっと抜けた。
自分がこの世界に来て初めて再現した『完成形』の味。
それを一番に伝えたい相手は、結局こいつなのだ。
「もちろん。お前に食べさせたくて作ったようなもんだし」
そう言ってスプーンを添えて差し出すと彼は一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから「そうか」と、本当に嬉しそうに低く笑った。
セルガはプリンを惜しむように口へ運び、最後の一口を飲み込むと深い満足感に満ちた溜息をついた。
その表情からは先ほどまでの疲労が綺麗に消えている。
「うまい……。初めて食べた時もそうだったが、日本にいた記憶が戻ってくるみたいだ」
「この国……いや、世界って極端に甘いもの少ないしな」
俺はセルガの向かいに腰をかけ、空になった器を見つめた。
人間領に甘味が全くないわけではない。
だけどあの十年で俺が見たのは花の蜜漬けか、果実を煮詰めただけのものくらいだった。
「争いにばかり目がいっている世界だからな。……だが、俺やナツカはあの頃の記憶がある」
セルガの黄金の瞳が、ランプの炎を反射して静かに揺れた。
「だからこそ、争いは最小限に抑えて、魔族領をもっと発展させていきたいと思ってるんだ。……コノエ、お前には自由でいて欲しい。だが……」
そこでセルガが言いにくそうに言葉を止めた。
前世では腐れ縁と言っていいほど一緒にいた仲だ。
彼が何を口ごもっているのか、視線の揺らぎだけで痛いほど伝わってくる。
「……魔族領の発展を、俺にも手伝ってほしい……だろ?」
「……あぁ」
観念したように、セルガが短く頷く。
「戦うんじゃなく、こうして料理を披露するくらいならいつだってお安い御用だよ。お前たちが俺の料理好きなのは、知ってるから」
俺が少し茶化すように笑うと、セルガの表情が劇的に和らいだ。
張り詰めていた肩の力が抜け彼は再び椅子に深く背中を預ける。
「……そうか。……助かる。お前がそう言って、俺たちの傍にいることを選んでくれるだけで、この五百年が報われるってもんだ」
「大袈裟なんだよ」
俺は苦笑しながら、夜風の入り込む窓の外を眺めた。
かつては殺すために使っていたこの『直感』が、今、新しい味を生み出している。
料理しかしない俺に出来ることは小さなことかもしれない。でも、決して悪い気分ではなかった。
「なぁ、コノエ」
不意に、セルガが穏やかな声で俺を呼んだ。
「なんだ?」
「……この銀糖が魔族領中に広まって、誰もが今日のような顔をして食卓を囲めるようになったら……その時は、またお前の手料理で祝杯を挙げさせてくれ。もちろん毒見抜きで、な」
「……気が早いな。まずはライゼルに、量産計画でも立てさせてやれよ」
俺は照れ隠しに立ち上がり、洗い場へと向かう。
背中越しに、セルガの低く心地よい笑い声が聞こえた。
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