第三話 廃工場
廃工場の中は暗く、ガランと広い空間から始まった。
ここには大型の機械があったのだろう。
今はすべて取り去って、床にのみ固定されていたような土台の跡があった。
去年まで何度も出入りしていた俺の記憶が間違ってなければ、右奥に部品を置く倉庫や電力室がある。
そしてその廊下の突き当たりにはトイレがあり、側にある階段を上がれば、二階には休憩室らしき部屋と事務室があったはずだ。
……ここの工場は移転したんだよな。確か、納品するのに便利な場所があったからって。
だから、ここにはおどろおどろしいいわくなど皆無である。
それなのに、高宮はいかにも不安そうな顔で周りを見渡す。
「あぁ……奥から寒い空気が流れてくるわぁ」
などと、いかにも霊がいるような空気を醸し出している。いるのかもしれないが、見えない奴にとっては単なる寒い廃墟でしかない。
「冬だからな…………あ、田村、暗いから懐中電灯使おうぜ」
「そうだな。オレ、二つ持ってきたから、三阪さんと平安さんで一つ使いなよ。こっちの大きい方さ」
「あ……ありがとう……田村くん」
灯りを渡されてホッとしたのか、三阪さんの顔が少し緩んだように見えた。
「シロく〜ん! アタシ、灯りないから一緒に…………」
「はい。俺も二つあるから貸したげる。先頭行くならひとりで一つ持って歩いてくれ」
「え〜……」
「足元危ないから。それに俺はスピリットボックスも持ってるし」
これ以上、腕に絡んでこられてはたまらない。
霊能力を持つ者なら、率先して普通の人間を導いてくれ。
「ちぇ……せっかく…………し、できると……」
「…………?」
何かをブツブツと呟く高宮を先頭にし、俺は実験のためと称して最後尾についた。
「ねぇ、ジョーモン?」
「…………なに?」
三阪さんと手を繋いでいる平安が、小さな声で俺に囁く。
「正直、高宮さんって霊感無いと思うよ?」
「…………あぁ、俺もそう思うけど……でも心霊スポット知ってるから教えてもらってんだ」
「それ、一番危険だからね?」
「…………え?」
「霊感をエサにして、人の興味を引くの…………良くないんだよ」
平安がムッとしたような顔を向ける。
「高宮さん、あんたのこと気に入ってるでしょ? この心霊スポット巡りをデートだと思ってるよ? このあと、彼女と付き合う気でもあるの?」
「は? こんなのがデートな訳ねぇし。付き合うとか、そんな勘違い…………」
「ちょっとシロくん! 早く来てってばー!!」
平安と話していると、高宮が間に入ってきて俺の腕を引っ張った。
「ほらほら、こっちでスピリットボックス使ってみてよ! ぴよりと平安は下がってて!!」
「………………」
高宮はあからさまに平安を睨み付けていく。「ひっ……」と三阪が小さく悲鳴をあげたのが聞こえた。
高宮は俺の手を引っ張り、みんなを抜かしてどんどんと先に進む。少し距離が取れたところでやっと腕を放してくれた。
「もう! シロくん、なんで平安とばっかり話してるのよ!?」
「へ? ばっかりって…………今、話してただけだけど?」
「仲良いの!?」
「別に。昔、知り合いだっただけ」
「ふぅん?」
…………なんだ? 何で話しただけで怒られる?
まるで嫉妬だ。
今日会ったばかりで、俺はこいつの彼氏じゃない。
『それ、危険だからね?』
さっき平安に言われた言葉が頭を過ぎった。
これは、ちゃんと言っておいた方が良さそうだな。
「高宮、俺はお前に実験に協力してもらってるだけだから」
「え? それは知ってるよぉ! アタシちゃんと協力するから♡」
「言っとくけど俺、霊感があるとか無いとか興味ねぇから。今回これの性能調べたいだけで、ベタベタとした馴れ合いしに来た訳じゃねぇから」
「え……あー、うん。分かってるよぉ、大丈夫、アタシだってそんな気、少しもないしぃー……」
高宮の声には明らかに戸惑いが感じられる。
言葉は遠回しだが“お前と仲良くする気は無い”と言ったのが伝わったようだ。
ちょっと冷たい言い方かもしれないが、勘違いされて彼女面されてはたまらない。きっと、期待を持たせてしまえば後から悲しむのは高宮の方だから。
「……………………」
さっきまで馴れ馴れしい態度をしていた高宮が、打って変わって急に大人しくなった。
その隙に一階を見て周り、スピリットボックスを試してみたが反応は無し。
「……下の階は何も無いみたいだし、二階に言ってみるか。特に心霊現象も起こらねぇなぁ」
「う、うん……そうだね……」
自称『霊感女』も何も言わないし、ここにいる全員が何も感じてないようなので、サクッと二階を見てここの探索は終わりにしようと考えた。
廊下の突き当たりの階段を上がり二階へ。
工場の作業場が二階までの高さがあるらしく、当の二階は一階と同じくらいの廊下と、並んで6畳の和室と十畳くらいの事務室があるだけの空間だ。
「なんか、あんまり怖くないな。廃墟っていってもそこまで崩れてないし……」
「人が居なくなって何年くらいかな?」
廃墟にも慣れてきたのか、田村や平安もトコトコと好き勝手歩いて周りを見ている。
一通り二階を見て、高宮が「ここ、ヤバいかも……」と自信なさげに言った、一番奥の休憩室前で確かめてみることにした。
ここから機械をつけながら階段まで歩いて、そのまま帰ろうと思っていたのだ。
「はーい、じゃあスピリットボックスつけまーす!」
「ラストチャンス!」
「…………よし。もしもーし! 誰かいますかー?」
神社や一階でも検証したように、フロアに響く声で呼び掛けてみる。
シャー…………ザザザ…………『ーーー』……
すると、今度は雑音に混ざって音がした。
「お?」
「今、なんか聴こえたな?」
「…………まだわかんねぇな」
ちょっと郊外でも、ラジオの電波が入ったのかもしれない。さっきもこれくらいなら反応があったからだ。
シャー………………『ーーー』…………
「あ、また!」
「…………ここに居る方ですかー?」
ザザザ…………『ーーーーーーっ!』……
「おぉっ! 何か言ってるぞ!」
「でも、人の声って感じじゃねぇな……こんなもんか?」
まるで電子楽器の一音を鳴らしたように、人の声にしては不確かな音がスピリットボックスから発せられた。
シャー…………ザザザ……『ーーーっ』……
廊下を歩く。数歩ごとに音がする。
「……あなたは女性ですか?」
ザザザ…………『ーーーっ』……シャー……
何となく『はい』と言われたような、言われないような…………何とでも解釈できる音が続く。
スピリットボックスは曖昧な音を出している。
そして、そろそろ一階へ向かう階段が見えてきた時、
「…………きゃっ!?」
「あっ!」
「うぉっ! …………と、三阪さん大丈夫?」
足元に落ちていたブロックの破片につまづいたのか、三阪さんが転びそうになった。
危うくゴミの散らばる床に倒れそうなところを、田村が受け止めて事無きを得る。平安も助けようとしていたのか、彼女の服を掴んでいた。
「あ……ありがとう…………」
「怪我無い? 危なかったね、立てる?」
「う、うん……」
怖かったのか膝をガクガクと揺らしながら、三阪さんは田村腕を支えに歩き出した。
「ちょっと、ぴより! そんなにくっついたら、田村に迷惑じゃないの!?」
「え、あ、ごめ…………」
高宮が自分のことを棚にガン上げして、三阪さんを怒鳴りつけている。ふるふると涙目になる三阪さん。
しかし、田村が笑いながら手で高宮を制した。
「あぁ、別に良いよ。三阪さん、腰抜けそうになってたみたいだし……」
「ごめんなさい……」
…………うん、田村の野郎がイケメンムーブをかましておる。おぬし、やりおるのぅ。
そういえば、高宮は田村を気に入ってたんだよな。三阪さんが仲良くするのが悔しいのかな?
ちょっとだけ高宮に制裁が下ったように思えて、俺はこっそり笑いを堪えた。
よく見ると、平安も口の端がふよふよと揺れているので、こいつの性格も大概だなぁ……とよけいに愉快になる。
「……何よ、ふんっ!! こんなところ何もないじゃない! 早く帰るわよ!」
「あー、帰ろ帰ろ……」
ぷぷっ……最初にここが『マジヤバい』って言ってたの誰だよ?
俺が内心笑い転げていた時、手に持ったスピリットボックスから再び雑音が聴こえ…………
シャー…………『ーーーっ』……ザー…………『ーーーーーっっ』………………ザザザ、ザザザ…………
今までになかった連続の反応。
そして、
…………『……ケン……ナ……』…………
「ん?」
……『フザケンナ』…………
「えっ!?」
……『フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!!』…………ザザザ…………『フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!!』……シャー……ザザザ……
「「うわぁあああああっ!!」」
「「「きゃああああああっ!!」」」
壊れた警報機のように、その声は俺たちが廃工場から逃げ出すまで鳴り響いた。