第十話 暗闇の音
「とうとう来ちまったぜ……」
約束の土曜日。
現在の時刻は午後四時半。
俺は例の廃工場の前に立っていた。
今日は朝から雪がちらつき、空はどんよりと曇っている。心霊スポットの陰鬱さを倍増させるのに絶好の日和ではないか。
「…………よぅ、来たぞ」
シャー…………ザザザ…………
スピリットボックスの電源を入れて呼び掛けたが、工場の外では何も反応が無かった。
「…………歓迎してくれなくても、今から入るからな!」
やはり何も返答は無い。
自転車を敷地の端に停めて、窓に打ち付けられた板のうちの一枚をそっと外す。この前、みんなで入った時もこの方法だった。
……よく考えたら、俺…………独りで建物に入ってなかったんだよなぁ。
中学生の時まで部品取りに堂々と侵入していたのだが、俺はこの入り口を知らなかった。実は独りでは建物内に入ったことはなかったのだ。
それなのに、俺は当たり前に建物の構造を知っていた。
ボルトやらナットやらの部品を拾っていたのは建物の周りだったのに、俺は一度も入ったことがないはずの工場の間取りが記憶にあったのだ。
普通は廃墟でも、建物や正面の門とかも施錠されてるもんだろ。すんなり入れたのにも、何の疑問も浮かばないのは変なのに……。
そこからが既におかしい。それを何とも思ってなかった自分がヤバいと感じた。
俺は部品取りをする中学生より前、小学生の頃にここに通っていたんだ。もしかしたら、ずっとここに呼ばれていたのかもしれない。
……無意識って怖ぇな。
それがわかった今、本当はここへ来ることは恐怖だった。しかし、それも今日で終わりにするんだ。
持ってきた懐中電灯をつけて辺りを照らしてみる。
今のところ、何処にも人の気配はないし、スピリットボックスもシャーと通常の音だけで、声やおかしな雑音はしなかった。
「…………誰かいるか……?」
ボソッと呼び掛けてみたが、これに対する反応も無い。
壁や天井、柱の影……懐中電灯の灯りは何もとらえることが無かった。
「……やっぱ、上しかねぇか」
俺が思い出した記憶。
それはこの工場の二階で起きたことだった。
階段に光を向けると、ゾクリッと背中に悪寒が走って足がすくむ。
「ははっ……やっと心霊スポット巡りらしくなってきたじゃん…………」
シャー…………ザザザ…………
反応は無し。
残念な気持ちよりも、ホッとしてしまう方が上回ってしまった。それでも重い脚を引きずるように階段へ向かう。
懐中電灯の光は踊り場を照らすがそれ以上は深い闇。
人の気配は無く、二階への道のりは静寂そのものだった。
「ふぅ……」
動悸が早くなって、目がチカチカする。
自分の吐いた白い息が光に反射して見える度に、それが人影に見えてしまうほど神経が過敏になっている。
この間の三倍の時間を掛け、俺はやっとのことで二階の廊下に到着。直線で二十メートルほどの廊下は、最後に見た時とさほど変わらない。
あとは真っ直ぐに、一番奥の休憩室へと向かうだけだ。
…………休憩室……夏休み…………夕方……
色々なことが頭の中を駆けていく。
シャー…………ザザザ…………ザー……
やけにスピリットボックスの音が大きく聞こえて、本当なら今すぐに電源を切ってしまいたい。しかし、それは無理だ。
シャー…………ザザザ…………ザー……
手前の事務室の前を通り過ぎ、さらに奥へと進んでいく。
シャー…………ザザザ…………ザー……
だんだんと廊下の奥、休憩室へ近付いてきた。
シャー…………ザザザ…………ザー……
休憩室は最初に鉄の扉があって、靴を脱いで入る和室がある。
そして……鉄の扉は閉まっていた。
この間来た時には開いていたのに。
シャー…………ザザザ…………ザー……
「よし…………」
自分を奮い立たせるために呟いて、俺はドアノブに手を掛けてゆっくりと開く。
シャー…………ザザザ…………ザー……
「……………………………………」
中に入り、小上がりの和室の前で足を止める。
シャー…………ザザザ…………ザー……
――――――……誰かいますか?
そう、声を出そうとした。しかし、声は出ず口はなかなか開かない。
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………『ーーー』…………ザー……
「…………………………」
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………ザザザ…………ザー……
「………………………………」
シャー…………『ウシロ』…………
「っっっ!?」
がッッッ!!
「ぐっ!?」
突然、後ろから首を絞められた。
おそらく人間の手だが、それは恐ろしいほど冷たかった。
――――――ヤバい!! 殺られる!?
咄嗟に俺はその両手を掴んでその場にしゃがむと、スウィングさせるイメージで身体を反転させて床に転がった。
身体ごと回転し勢いがついたため、俺の後ろにいた奴は和室の段差にぶつかって片手が離れた。
「っ!? このっ……」
まだ首にしがみつこうとしていたもう片方の手を振り払い、すぐに立ち上がった俺は首を絞めてきた相手に向けて懐中電灯で照らす。
「………………高宮っ……!!」
そこにはボサボサの髪の毛で、黒っぽいコートを着た高宮がうずくまっていた。
傍には缶バッジが付いたカバンも転がっている。
「シロくん…………なんで?」
風邪を引いた時のような、かすれた声がうずくまる高宮から発せられた。
何が『なんで?』なんだよ…………
「ゴホゴホッ……はぁ、はぁ……高宮、それはこっちのセリフ…………」
「シロ……くん、ねぇ…………どうして?」
「…………………………」
高宮はさらにボソボソと『なんで?』『どうして?』と、機械のリピート再生みたいに繰り返す。
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………『コロ、ス』…………
「はっ……!!」
「なんでよぉおおおおおっっっ!!」
急に起き上がった高宮は、ものすごい怒りの形相で掴みかかろうとしたが、俺はすんでのところでその手をかわして和室から飛び出した。
高宮は俺に避けられたことでバランスを崩し、再びその場に転んだ。
その隙にすぐに鉄の扉を閉めて、近くにあった長い鉄パイプを廊下に直角に寝かせ、つっかえ棒のようにして扉を押さえ付ける。
中では相当お怒りのようで、ガンガンと鉄の扉が内側から叩かれた。
マジかぁぁぁっ!?
これ、気を抜いたら俺殺されるっ!?
何とか高宮を閉じ込めたが、実はこの休憩室の奥には非常口があって、出ようと思えばそこから外へ出ることは可能だ。
……まずい。事態はずっと深刻だった。
高宮が扉を叩いている間は、その非常口には気付いていないという証拠。俺はその音がしているうちに、隠れて高宮を遠ざけなければならない。
このまま高宮を置いて逃げてしまいたい。しかし、それをやったら一生つきまとわれるはずだ。
ガンガンガンガン!!
高宮が鉄の扉を叩く音に紛れて、俺はこっそりと休憩室の向かい側の壁沿いを探る。
確か、ここに………………あった!!
乱雑に置かれた棚や廃材に隠れて、壁に普通よりも小さな扉を見付けて開けた。
その扉をくぐると、そこは工場の吹き抜け部分の通路で、一階の広い工場を見渡せる場所である。
細いベランダのようで、配管などの点検や整備に度々使われる通路なのだ。
俺は通路を進んで、機械が置いてあったであろうくぼみを見付けて座り込む。さらに懐中電灯のスイッチを切る。
休憩室の前の廊下は暗い。
正気を失っている奴に、この通路への出入り口は探せないだろう。
考えろ……まず、俺はここに潜んで高宮をやり過ごす。
高宮はそろそろ休憩室から出てくるだろう。
置いた鉄パイプも少しずつ振動でズレてきている。もしかしたら、休憩室の奥の脱出口に先に気付くかもしれない。
どちらにしても、俺がいるこの通路はそう簡単には見付からないはずだ。
耳を澄ますと扉を叩く音がしていない。高宮が一休みしたか、脱出したかのどちらか。
…………とにかく、俺はもう一度休憩室へ行かないといけないんだ。休憩室じゃないと意味がない。
俺は息を殺して辛抱強く待ち続けた。
しばらくして『カン、カン』と外の非常階段からだろう、微かに物音が聴こえた。
どうやら、高宮は非常口を見付けて外へ出たようだ。このまま諦めて帰ってくれると助かる。
…………もう、6時か。
工場に入って一時間半が経過した。
外は完全に暗くなった時間だ。工場の窓からのなけなしの光も無くなり、電気も通っていない廃工場には暗闇しかない。
高宮は帰ったのか、外からも何の音もしなくなった。冬の夜は何もかもが止まっているかのように静かだ。
「…………………………」
誰もいないとは思ったが、念の為に音を立てないようにそっと休憩室前の廊下へ戻った。
鉄の扉に掛けていた鉄パイプを外し、休憩室へ再び入っていく。
休憩室にはゴミが散らばり、湿気で畳はぐにゃぐにゃに曲がっていた。
少し抵抗があったものの、和室の真ん中に座り、持ってきた照明を目の前に置く。
落ち着いたところで、ポケットからスピリットボックスを取り出した。
シャー…………ザザザ…………ザー……
「……ここにいるなら、話をしませんか?」
柄になく、丁寧な言葉で語り掛けてみる。
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………ザザザ…………ザー……
「俺は、話を聴きに来たんだ。何でもいい、話を………………」
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………ザザザ…………ザー……
シャー…………『ーーーーー』…………
シャー…………『ナンデ……?』…………
「話したい。いや、そっちの話を聴きたい。『あの時』ちゃんと聴いてあげられなかったから……」
シャー…………『ーーー』……ザー……
「今さらだって思うだろうけど、俺は…………」
シャー…………ザザザ…………ザー……
………………『フザケンナ』………………
「………………え?」
思考が凍り付いた。その時、
ズガァアンッ!!
「ぐわぁっ!?」
背中に激痛が走り、前のめりに倒れ込んでしまった。
「なっ……うわっ!? 痛てっ!!」
ガン! ドカッ!!
倒れた俺に硬い棒が振り下ろされる。
ぼんやりとした光に照らされたのは、鉄パイプを握り俺を睨み付ける高宮の姿だった。
クソッ! 外に出たと思ったけど引き返してきたのか!?
「高宮!! や、やめろっ!!」
「〜〜〜っ!!」
長い鉄パイプを無理に振り回しているせいか、力はそこまで強くない。でも頭をガードしている腕に何度も当たってさすがに痛い。
「高宮やめろ!! 高宮!!」
何度も呼び掛けるが、高宮は一心不乱に俺目掛けて鉄パイプを振り回しいる。
高宮……いや…………ここは……
「や……違う、俺は違うっ!! あの男じゃない!!」
たまらず、俺は呼び掛けを変えた。
「やめてくれ!! 『早坂のお姉ちゃん』!!」




