Ⅱー5.特別な女性
「理央はそんな人間じゃない」
『理央様』の代わりに、柚木さんがきっぱりと言った。
更に続ける。
「……すまない。こちらが変なことを頼んでいるのは分かっている。でも、君は理央がやっと見つけた女性だ。すぐに付き合えと言っているわけじゃない。別に友達ぐらい問題ないだろう?」
「柚木……」
『理央様』が彼の名を呼ぶ。その声は柚木さんを制しているように聞こえた。
先程、『理央様』と話しているのを聞いて薄々思ってはいたが、柚木さんの口調が最初に会って話した時と明らかに違う。
こちらが素なのか、冷たい雰囲気は変わらないけれど、今の話し方のほうがその風貌には合っている。
いや、今は彼の口調なんてどうだっていい。
『理央様』は俯いたまま考え込んでいる。
芸能人に関わるなんて、わたしには起こりえない異常な状況。わたしなんかを友達に望む理由が、本当に全く分からない。
わたしは何も返せず、再び沈黙が流れた。
「……ふみさん。遊びでもゲームでもないし、勿論ふざけて言っているつもりもありません。あなたは僕にとって特別な女性です。理由は、今は言えませんが必ず話します。とにかくまずせめて、僕を知って欲しいんです」
長い沈黙の後の言葉は重く、『理央様』は真剣な瞳でわたしを見ている。
話し方や表情から誠心誠意話しているのが分かった。そこに偽りの欠片さえ見受けられない。
何か言い返さないと……と思う。けれど、やっぱりどうしてもうまく言葉が出てこなかった。
リア充なんて、真っ平御免。
『理央様』に限らず、できれば誰とも一切関わらず、早いとこ隠居生活に入りたいというのが本音。
「……わかりました。わたしでよければ友達に」
でも、どうしてか気持ちとは裏腹にそう答えていた。
今度こそ絶対に断るべき場面。これでは、今日のコンサートに誘われた時の二の舞だ。
本当にどうしてしまったのだろう。
自分が信じられない。
真摯な表情で話す『理央様』を見ていたら、断ることができなくて……。
『理央様』があの時の清水さんに思えてきた。
わたしは案外、押しに弱いのかもしれない。
「良かった。本当に嬉しいです」
そう言って、安堵したのかようやく彼は再び綺麗な笑みを向ける。
それからわたしたちは、お互いの連絡先を交換した。
「理央はこの後まだ仕事があるから、今日は俺が送っていく」
柚木さんがそう言った。
わたしは理央さんにお辞儀をし、楽屋を後にした。
「少しここで待っていろ」
通路の前を歩いていた柚木さんが急に足を止めた。
気付けばさっき会ったばかりだというのに、彼からはずいぶんぞんざいに扱われている。でも、わたしはただ黙って従った。
ふわふわとして何か返す気力もない。
しばらくして、戻ってきた柚木さんは両手に花束を抱えていた。
失礼だが全く似合っていない。
「貰いものだけど持っていけ」
彼はガサツな感じで、わたしにその大きな花束を渡してきた。
優しさのつもりかもしれないけれど……怖い。他にもっと渡し方があるだろう。
それから、柚木さんはまた足早にわたしの前を歩きはじめた。
「悪いけど、俺にはあまり近づかないでほしい」
振り向き、ついでのように彼はそう言った。
そしてまるで気分が悪いと言わんばかりに、手のひらで口元を押える。本当にずいぶんな態度だ。
でもわたしの方も柚木さんをどうでもいいと思っているからか、特に腹は立たなかった。
もしかしたら、彼は潔癖症なのかもしれない。そうでなければ単純に変わり者か……。まあ、芸能業界は変わった人も多いだろう。
わたしは彼から更に少し距離を取り、一定の距離を保って歩いた。
会場の外に出ると、またしばらくこの場で待つようにと指示される。
十五分くらい待って、柚木さんは慣れた感じで社用だと思われるワゴン車を回してきた。
わたしは後部座席の対角線上に座り(極力距離をとるために)家まで送るという彼に、駅まででいいと強く断った。
まだ二十時過ぎ。充分、電車で帰れる時間だった。
「……わかった。最寄りの駅で大丈夫か?」
わたしは頷く。
「君、家はどこだ?」
「なんでそんなこと聞くんですか?」
駅まででいいと言ったのに、全く意味が分からない。
「勤め先でもいい」
勤め先なんて知ってどうするのだろう?
携帯の番号やメールアドレスは、さっき『理央様』と交換したし、そのやり取りは彼も側で見ていたはずだ。
「疑って悪いとは思うが、連絡先が本当とは限らない。君が通信を拒否したり変更したりしたらそれまでだ」
柚木さんはそう言った。
そんなことまるで考えてもいなかった。そんな突飛なことを考え付く想像力に驚く。
想像力というより、わたしを信用していないからそういう発想に至ったのだろう。
でも、普通そこまで考えるだろうか?
失礼な人なのは間違いないが、それ以上に頭の回転が速い人だと思った。
「教えてもいいですけど、だったらそれだって嘘かもしれないって……思いませんか?」
わたしは答える。
「それならそれで構わない。他にも手は打ってある。君が理央に教えた連絡先は嘘なのか?」
「そんなことはしません」
わたしは言った。さすがに、『理央様』に嘘をついたと思われるのは心外だった。
わたしは柚木さんに、簡単に自分の住所と勤め先を伝えた。
約束通り最寄りの駅で降ろしてもらった。
駅で一人になり、うちわをそのまま持っていたことに気付く。
うちわは大きくて、わたしが持っているバッグには入らない。花束と『理央様LOVE』のうちわの組み合わせはかなり目立つが(どうみてもわたしは熱狂的な『理央様』ファンだ)、仕方がないのでそのまま電車に乗った。
柚木さんと離れて、ようやく少し落ち着いてきた。
常識的に、芸能人がそんな気軽に関係ない一般人に会ったりすることはないだろう。ましてや『理央様』はその名の通り、ウルトラミラクルスーパースター……。
直接会うなんて、これきりのような気がする。
それから急に、他に手を打ってあると言った柚木さんの言葉を思い出した。
でも、それも分からない。もう今日は非現実的なことばかりで疲れていた。
電車に揺られている間、やはり危惧した通り、うちわと花束にはたくさんの視線が降り注がれていた。




