Ⅱー1
月が替わり、十月。
コバルトブルーの表紙の本があまりにも面白くて、その作家の他の小説を読破するため、今月もミステリー月間を続行することにした。
自分ルールなので無理にジャンルを変える必要もない。
お昼のお弁当を食べ終えて、早速読みかけのミステリー小説を開く。
人の気配がした。
振り向くと、清水さんが神妙な面持ちで側に立っていた。
「茅野先輩、いよいよ明日です」
清水さんの声は微妙に震えている。
何のことだろう……? と思ったのは一瞬で、彼女の頬が朱色に染まっていくのを見て、すぐに先月の話を思い出した。
同時に近頃清水さんの様子がおかしかったのは(なんだかいつもより小さなミスが目立っていた)、そのせいだったのかと妙に納得がいった。
「えっと、ウル……スタのコンサートでしたよね」
「はい。でも、実は桐原さんが熱を出してしまって」
そういえば、昨日から桐原さんは欠勤している。
「熱が四十度近くあって、明日のコンサートには一緒に行けそうにないんです」
まさかまたウルスタのせいということはないだろう。微熱程度なら分かるが、そんな高い熱なら普通に風邪かインフルエンザかもしれない。
「心配ですね……」
わたしは言った。
「勿論桐原さんのことは心配ですけど、何が何でもコンサートには行こうと思っています!! 彼女も気にせず楽しんできてほしいって言ってくれました。それで……代理みたいで申し訳ないのですが、茅野先輩コンサートに一緒に行ってもらえませんか?」
突然の思ってもいない誘いだった。
わたしはどう返していいのか分からず、ただ呆然と清水さんを見てしまう。
「ダメですか?」
彼女は真剣な顔でそう聞いた。
「……わたしアイドルとか全然分からないし、もっと……あの、若い同年代の子を誘った方がいいと……思います」
慎重に言葉を選んだせいか、わたしの返事はたどたどしくなってしまった。
「いえ、ぜひ茅野先輩と一緒に行きたいんです!!」
間髪開けずに、清水さんが勢いよくそう言った。
自分で言うのもなんだが、常に本ばかり読み、人付き合いをしないわたしからは、いつだって『他人に関心がないオーラ』が出ているはずだ。
それなのに、彼女だけはどんなときでも明るくにこやかに声を掛けてくれる。きっと孤立した人間を放っておけない、気配りのできるいい子なのだろう。
彼女は少しだけ田舎の妹に似ていた。
「わたし、コンサートって今まで一度も行ったことないんです。ウルスタ……のことも全然分からないですし……。わたしなんか行っても……」
清水さんは何も言わず、首を左右に振る。
「……本当にわたしが行っても大丈夫……ですか?」
普段ならとても考えられなかった。ここは百パーセント断る場面。
あまりにも彼女が熱心だったから……? 自分でも自分のことがよく分からない。
もしかしたらその謎の『ウルスタ』、もしくは『理央様』を見てみたいという思いが、わたしの中にほんの少しくらいはあったのかもしれない。
「勿論です!!」
清水さんは笑って言った。
わたしが「……じゃあ、よろしくおねがいします」と言うと、「よかった。ありがとうございます!!」と彼女は更に全開の笑顔で笑った。
彼女のおじいさんが運よく引き寄せた大事なチケット……。
お礼を言わなくてはいけないのは、どう考えてもわたしの方だろう。
アイドルのコンサートなんて本当に未知の世界。
でもどんな非日常だとしても、一瞬にして終わるに違いない……。その時のわたしは、単純にそう考えていた。