一大事 Ⅱ
時間を忘れて講義に没頭していると、いつの間にか講義も終了時間になり、お昼になっていた。
ラグビーの試合も終わっているはずだ。それに気が付くと、途端にみのりの心がざわめいた。
試合が終わってもすぐにはメールを打てないのは分かっているが、確認せずにはいられなかった。職員室に戻って、急いで携帯電話を開いて見ると、メールが1件来ている。
『 勝ちました。』
みのりの鼓動が、ドキン!と一つ大きく打った。一言だけの短いメールは、遼太郎からのものだった。
きっと試合が終わってミーティングなどをする合間の一瞬を盗んで、すばやく送ってくれたのだろう。
みのりは、絶対に負けたりしない…と言い続けてきたにも関わらず、試合を実際目で見て確かめられていないので、にわかに信じられなかった。
「本当に?」と遼太郎に問い直したい感覚もあったが、メールの文面をもう一度確認してみる。
送られてきた時間も、試合が終わってすぐの時刻だ。
――勝ったんだ…。
どっと、みのりの中に安堵感が押し寄せてきた。
その後に、じわじわと歓喜に満たされる。あまりの感動の大きさに、携帯電話を握る手がブルブルと震えた。それをギュッと抑え込むように、胸に握りしめて、みのりは職員室のベランダへと出た。
心を満たした歓喜を落ち着かせるのに、胸の拳の上に顎を載せて、目を閉じる。
ようやく喜びの鼓動が収まった後は、しばらく晴れ渡った空を眺めた。
――本当に、決勝戦まで来たね。
今日の試合内容はどうだったのかは分からなかったけれども、次の決勝戦はきっと厳しい内容の試合になるだろう。
だけど、まだ夢は繋がっている――。
みのりは今はただ、その夢が繋げられただけで嬉しかった。
もちろん、今日の試合は楽勝というわけにはいかなかった。
それどころか、遼太郎はみのりがいないことにやはり動揺していたのもあるし、何としても勝たなければならないと息巻きすぎて、試合前のウォーミングアップの時もなかなか集中できなかった。
どうしたら、前の試合の最後のプレーの時のように、心を鎮められるのか分からない。
自分がこんなに浮き足立っていると、チーム全体も絶対にまともなプレーはできないと、遼太郎の焦りは募る一方だった。
荷物のところに戻り、タオルを取り出して、ウォーミングアップで流れ出た汗を拭く。
不意に、遼太郎はみのりがそこにいるかのような感覚にとらわれた。目を上げ振り返っても、そこにみのりがいるはずもない。
もう一度タオルで顔を拭いたときに気が付いた。それが、みのりから昨日返してもらったタオルだと。
いつもみのりが側に来た時に感じる、花のような澄んだ空気のような薫りがする…。
思わず、遼太郎はタオルに顔を押し当てた。
みのりに抱擁された時の感覚が、遼太郎の体と心に甦ってくる。大きく一息つく毎に、あの時のように気持ちが落ち着いてくるのが分かった。
「狩野さん。」
2年生のウイングの選手が、遼太郎に声をかけた。遼太郎が振り向かないので、もう一度呼ぼうとしたところ、
「今は声かけんな。」
と、二俣が肩を掴んで引き留めた。
いつも一緒にいる二俣は、今の遼太郎の気持ちが手に取るように解っていた。試合を目前にして、どうにかして集中しようとしている遼太郎を、邪魔したくなかった。
集中した時の遼太郎は、ものすごい気迫で周りの者も取り込んで、思ってもみないような力を発揮する。その遼太郎の集中力は、チームの勝利のためには不可欠なものだった。
しばらくして、遼太郎は顔を上げた。
そこには不安や動揺はなく、研ぎ澄まされた戦う男の顔つきになっていた。