一大事 Ⅲ
月曜日の朝、遼太郎はいつものように渡り廊下でみのりのことを待っていた。
全県模試が終わったので、申し合わせていた通り、今は推薦入試の面接指導を受けている。進路指導室で調べてきた質問の内容に対して、自分がどう答えるか考えてきたものを、みのりに添削してもらうのだ。
自分の回答を見直していると、職員室のドアを閉める音の後、軽い足音が聞こえてきた。すぐにみのりのものと判別できる遼太郎は、顔を上げた。
「おはよう。さすがに朝のここは寒くなったね。」
みのりが笑顔で声をかけると、
「おはようございます。」
遼太郎も軽く頭を下げた。
「土曜日は急に応援に行けなくなっちゃって、ごめんね。でも、勝ったからホッとしたわ。22対14だったらしいけど、楽勝だったのかな?」
遼太郎は、自分は「勝った」という短いメールしか送っていないのに、みのりがスコアを知っていたので、二俣がメールをしたのかと想像を巡らせた。
「いや…、楽勝とは違います。それどころか……。」
遼太郎は苦い顔で言葉を途切れさせた。
「それどころか……?」
みのりは隣に座り、長机に肘をついて遼太郎の顔を覗き込む。
それどころか……、遼太郎はなかなか集中できずに焦っていたことを言おうかと思ったのだけど、みのりから返してもらったタオルで平常心に戻れたことを思い出して、思い留まった。
みのりの薫りが残るタオルを嗅いで正気に戻れたなんて、いささか変態じみてると、自分でも恥ずかしく思ったからだ。
「いや、それどころか、じゃなくて。……先生のおかげで、勝てました。」
遼太郎のこの言葉に、みのりは首をかしげた。
「……江口先生のおかげで勝てたの?」
みのりの問いに、遼太郎は首を横に振る。
「いや、仲松先生の……です。」
「私!?なんで?応援にも行ってないのに?」
みのりのこの疑問は当然だったが、遼太郎はただ含みを持たせた笑みを見せるだけだった。
みのりは訳が分からなかったが、肩をすくめて気を取り直す。
「さて、面接の質問に対する返答を、考えてきた?」
と、指導の本題に入った。
遼太郎が返答を考えて書いてきたノートを差し出すと、みのりはその返答に目を通し始める。……しかし、しばらくすると、みのりの表情は徐々に曇り始め、眉間には皺が寄ってきた。
「……ちょっと、これは……。」
そして、最終的には容赦のないダメ出しのオンパレード。
遼太郎が久しぶりに、みのりに恐れをなした。
少し傷ついたような顔つきを遼太郎が見せると、
「だって、ダメよー……。こんな適当じゃあ……。」
と、みのりはため息を吐いた。
「狩野くん、自分が行こうとしている大学の学部でどんな勉強ができるか分かってる?推薦入試なんだから、もうちょっとその辺理解してないと…。それが理解できてないから、こんな上っ面を滑っちゃうような返答になっちゃうんだと思うよ。」
ズバズバ核心を射抜くその言葉に、遼太郎は縮み上がる。
目の前にいるみのりは、この前第2グラウンドで今にも泣きだしそうな顔をしていたみのりと、とても同じ人間とは思えない。
「あと2週間ないからねー…。うん、法南大学の環境学部の資料を集めてあげるから、それでちょっと勉強しよう。勉強してる間に、質問の答えも自然に考えられると思うから。」
遼太郎は情けないような、すがるような目でみのりを見つめた。
「先生が資料を集めてくれるんですか?」
「本当は狩野くんが自分で集めた方が勉強になるんだろうけど、狩野くんは試合もあるし、放課後は練習もあるし。資料集めは、私の方が手早くできると思うし…ね。」
「はあ…、すいません。お願いします…。」
遼太郎は拳を太腿に置いて、頭を下げた。
情けなくてかっこ悪い自分を、殴ってやりたい気分だった。
「あ!でも、明日は個別指導できないんだった。明日は筝曲部の新人大会があって、引率でいないのよ。」
困ったように、みのりが自分の額を指先でつつく。
「うん、集まった資料を今日の終礼でも、明日の朝礼の時でも、澄ちゃんに預けるから、それに目を通しておいて。明後日の朝の個別指導から返答を練り直そう!…ね?」
みのりは頼もしい教師の顔で、遼太郎を安心させようとした。
けれども、遼太郎は自分の不甲斐なさと、みのりに醜態をさらしてしまったことにショックを受けていて、なかなか立ち直れそうになかった。




