一瞬の抱擁 Ⅰ
十一月に入り、3年1組の教科書を使った授業は終了した。これから中旬に行われる全県模試までは演習をすることにしているが、その後の二月の仮卒まではどんな授業をしようかと、みのりはいろいろと思案していた。
もちろん25人の内、本試験で日本史が必要になる生徒もいるけれども、多分それは一人か二人で、後の残りは指定校推薦や一般推薦で進路を決めてしまい、試験で点を取るための勉強は必要なくなる。
今のところ、一人本試験を受ける生徒が判っていて、すでに個別指導を始めていた。
3年1組の授業が終わり、ホッと一息ついて職員室へ戻ろうとしていたみのりに、二俣が近づいてきた。
「みのりちゃん、一昨日は応援来てくれてた?分かんなかったんだけど。」
いつものように、教壇の下から教卓へと肘をつき頬杖をつく。
「なあ、遼ちゃん?」
と、二俣は遼太郎へと同意を求めたが、今日の朝の個別指導の時、特に遼太郎はそのようなことを言ってなかった。
「俺は気づいてたけど……。」
と、遼太郎が答えると、
「えっ!?そうか、さすが遼ちゃんは……。」
と言いかけて、その後の言葉を引っ込めた。
「ちょっと遠くから見てたから、二俣くんからは見えなかったのね。でも、二俣くんが2本もトライを決めたのはバッチリ見てたよ。特に、2本目の22mラインからの独走はすごかったね。2人もハンドオフしてかわすなんて、さすが二俣くんだよね。」
みのりが話した再現ビデオのような昨日の試合の場面は、実際に観戦したものでなければ知りえないことだった。
『さすが』と言われた二俣は、顔を赤くする。
「22mラインとかハンドオフ……って、みのりちゃんこそ結構ラグビーに詳しいんだな。」
テレを隠しながら、二俣がみのりの方へと話を振ると、「それは…」と言いながら、みのりはチラリと遼太郎へ目をやった。
「狩野くんに頼んだら、いろいろと教えてくれたのよ。ね?」
首をかしげながら、みのりは遼太郎に同意を求めた。その何気ない仕草と優しい視線に、遼太郎の息が止まり、体は硬直して立ちすくんだ。
二俣も遼太郎を振り返ると、ジッと探るようなめつきで見つめた。
「……遼ちゃん、って結構スケベだな…。」
「……ス……!?」
硬直していた遼太郎は、追い打ちをかけられ言葉を詰まらせた。
二俣は意味ありげな視線を投げ、みのりと親密になりたい遼太郎の下心を訝っていた。
「……スっ、スケベって、どういうことだよ?」
遼太郎は真っ赤な顔をして、ようやく二俣に反論した。
「何を言ってるの、二俣くん。君だって、スケベでしょ?」
みのりが遼太郎を加勢すると、二俣は不意打ちを食らって動揺する。
「…な!な、な、何で俺もスケベなんだよ!」
「だって、健康な18歳の男の子で、スケベじゃない子を探す方が難しいんじゃない?」
カラリと笑って語られる達観したみのりの意見に、〝健康な18歳の男の子〟二人は赤面して黙り込んだ。
「それはそうと、前の試合の時から訊きたかったんだけど……。」
二俣が口を開いて、話題を変える。
「みのりちゃん、この前の試合の後、元気なかっただろ?一昨日だって、見えないような所にいるし…。」
はっきりとした質問にはなってなかったが、二俣の訊きたいことは、遼太郎にもよく解った。遼太郎が気になったことを、二俣も気づいていたらしい。
みのりは二人の顔を見つめ、ため息を吐く。授業道具を教卓の上でトントンと揃え、教室のドアへと足を向けた。
見えないような所から観戦したのは、試合に臨む遼太郎のあの戦う顔を、再び見るのが怖かったからだ。
いつも戦闘的な顔つきをしている二俣ならば、試合中にあんな顔をしても何の違和感もないが、遼太郎は普段は物静かで優しげだ。
そんな遼太郎の試合中のあの顔を見たら動揺して、自分の心なのに制御ができなくなる――。
前の試合の直後は、その平常心ではない状態だったから、そっけない態度になってしまったことを、みのり自身よく解っていた。
…でも、それを遼太郎の前では言えない。みのりは必死で他の理由を探した。
ドアを出たところでみのりが足を止めたので、付いて来ていた二俣と遼太郎は、それぞれ戸口にもたれ掛った。
「一試合終わるごとに、君たちのプレーを見る機会が一つ減っていくんだ……と思って。ちょっと寂しくなっちゃってたの……。」
言い繕いではなく、それも、みのりの本心だった。
本当に寂しそうにみのりがそう言うと、二人はみのりの心が伝染し再び黙り込んだ。




