ざわめく心 Ⅴ
隣で問題を解く遼太郎の横顔を見つめて、とても頼もしく思った。
努力に裏付けられていて、しっかり結果が出せることが分かっているからこそ、安心して見ていられる。
それは、日本史だけではなくラグビーでも同じだった。チームメイトも遼太郎に全幅の信頼を寄せていることは、おとといの試合を見ていてもよく分かった。
――この調子なら今度の全県模試は、何も心配いらないね……。
そう思って、みのりは少し寂しく感じた。
その全県模試が終われば、遼太郎とのこの朝のひと時も終わる。そしてその後、この朝の時間は、他の生徒の個別指導に当てることになるだろう。
遼太郎があまりにも問題をサクサク解いていくし、あまり解説の余地もないので、用意していた問題が終わっても、随分時間が余ってしまった。
このまま個別指導は終わりにして、遼太郎は教室へ行かせ、みのり自身は職員室で仕事をしても良かったのだが……、みのりはこの残り少ない時間を大事にしたかった。
普段の遼太郎に接しることができて、試合での衝撃が薄れてきていたみのりは、試合のことが訊いてみたくなった。
「おとといの試合は、勝てて良かったね。でもまだ、これからだもんね。これから毎週末試合があるから、大変だね。」
「勝てば……、ですけど。」
と、遼太郎は肩をすくませる。
この大会で負けたらそこで終わり、遼太郎は引退となる。
「大丈夫、負けないから。都留山高校と芝のグラウンドで決勝戦するまでは。」
みのりが断言するように言うので、遼太郎は面食らってみのりを見返した。
「おとといの試合を見てて、そう思ったの。狩野くんや他のみんなも、すごく練習したのね。9月とは比べようもないくらいいいチームになってた。チームのみんなも、狩野くんのことを信頼してるのが………よく分かったし……。」
みのりは話をしている途中で、少し言葉を途切れさせた。
不意に試合中の遼太郎の表情が脳裏に浮かび、背筋に電流が流されたように震えが走った。
でも、目の前にいる遼太郎の褒められて少しはにかむ様子は、いつもと変わらない……。
みのりは平常心を取り戻し、気を取り直す。
「……ところで、狩野くん?『ダンボー』って何?」
「……は?」
突然、みのりが話題を変えたので、遼太郎は戸惑って目を丸くしてみのりを見た。
「試合中に、狩野くん言わなかった?『ダンボー』って。」
「聞こえたんですか?」
「もちろん、狩野くんの声とも思えないような声だったけど。狩野くん、あんな大きな声を出すこともあるのね。びっくりしちゃった。」
「……そりゃ、試合中ですから……。」
遼太郎はほのかに顔を赤くし、首の後ろを掻いた。
「ダンボーというのは、down the ballのことで、ボールをその場に置くことです。」
「ああ!そういうこと。それじゃ、わざとラックにするために、そう言ったの?『ラックにしろ』とも叫んでたよね?」
「ああ、それはですね…。」
みのりが試合の細かいところまでよく覚えてくれていることを、遼太郎は嬉しく思った。
「ラックの方がオフェンス側に圧倒的に有利で、早い展開ができるからなんです」
と、遼太郎が説明すると、みのりはさも感心したように瞳を輝かせた。
「そうだよね。あのラックの後、トライを決めたんだもんね。そういうことを、あの一瞬で判断できるんだから、狩野くんってすごいんだね。」
「……いや、先生…。」
称賛された遼太郎は恥ずかしそうに、首を振った。
「戦略には大体パターンがあるし、それにいつも上手くいくわけじゃありません。」
「そうかもしれないけど、臨機応変にそれを指示したり実行できる狩野くんはやっぱりすごいし、それに応えてくれる仲間もすごいね…。」
優しい微笑みを湛えて、みのりは遼太郎を見つめた。
みのりに目を逸らされてしまう不安は払拭され、遼太郎は大きな愛情でみのりが包んでくれているのを感じた。
とても居心地のいい愛情で、みのりへの想いを自覚するまでの遼太郎なら、それで心が満たされていただろう。
でも、今の遼太郎は、自分が求めているものとは違うと思った。
「きっと試合をするたびに、もっと強くなれそうね。応援に行くのが楽しみだわ。」
翳りのない満面の笑みで、みのりは励ましをくれる。
その笑みの中に大きな期待が込められているのが、遼太郎にはとてもよく分かった。そして、その期待に応えたいと思った。
その期待に応えることができた時に、みのりの言う〝いい男〟になれるのだろうか。
〝いい男〟になれれば、みのりは自分を一人の男として見てくれるだろうか…。
いい男になれた時は、その時こそみのりに打ち明けようと、遼太郎は思った。
……心の底から好きだということを。




