ざわめく心 Ⅳ
帰りのバスの中で、遼太郎は翳り(かげり)のあるみのりの微笑みを反芻していた。
いつも試合の帰りは、疲れが出て爆睡する。特に勝った場合は、それは心地よい眠りに落ちてゆくのだが、今日の遼太郎は、みのりの些細な変化が気になって、眠るどころではなかった。
勝ち試合だったのに、どうしてあんな顔をし、あんな態度をとるのか解らない。
みのりがいつも向けてくれる曇りのない澄んだ笑顔を、遼太郎は当然のことのように思っていた。
大したことはないのに、気を悪くするようなみのりではないと知っているから、なおさら遼太郎は不安になる。いろいろ考えても、思い当たる節はなく、悶々と思考は深みへはまっていく。
遼太郎は、本当にみのりのことが〝好きだ〟ということを、改めて自覚していた。
みのりを思い浮かべるだけで、心はキリキリと甘く痛み、切なく震える。
寝ても覚めても、頭の中心にはみのりがいて、何をするにもそのみのりに問いかけている。今まで何にも感じなかった水や雲の流れでさえ、みのりというフィルターを通せば、きれいだと感動するようになった。
たった1ヶ月前、みのりへの想いを自覚するまでは、遼太郎は人に恋をし好きになることが、どういうことかさえ知らなかった。
それなのに、今はこんなにもみのりが恋しいし、愛しくてたまらない。自分のどこに、こんな感情が隠れていたのだろうと、遼太郎は改めて思う。
みのりに喜んでもらえるためなら、遼太郎はどんな努力も厭わなかったし、みのりの笑顔さえ見られたら力が湧いた。
それは、勉強でもラグビーでも。
頑張って結果を出せば、少しでもみのりに近づけ、認めてもらえると思っていたからだ。
だけど、今日のみのりは遼太郎に不安をもたらした。
……いくら頑張っても、みのりは自分を対象として見てくれないのではないかと……。
それでも、一度深まった一途な想いは、遼太郎を揺るがさなかった。
みのりがどんなふうに遼太郎のことを考えていようと、遼太郎がみのりを想っていることには変わりなかった。
――でも……、やっぱり俺は、生徒の中の一人じゃなく、先生にとってたった一人の男になりたい……。
そうならないと、卒業してからもずっとみのりとは一緒にはいられない……。
遠くの山の向こうに日が落ち、早く暮れていく秋の燃えるような夕焼けを、遼太郎はバスの車窓から眺めていた。
そして不意に、春の夕陽に照らされた渡り廊下で、一人佇むみのりの姿を思い出した。
あの時、負っていた傷の痛みも忘れて、遼太郎の心は震えた。
……思えば、あの時からこの想いは始まっていたに違いなかった。
週明けの月曜日、試合での遼太郎を見てから、なぜか心がざわめいてしまうみのりは、個別指導をするのが少し怖い気もしていた。
緊張して落ち着かなく、いつもよりも早く出勤してしまい、渡り廊下で遼太郎が来るのを待っていた。
秋の朝の冷えた空気の中、誰もいない渡り廊下に一人座っているみのり。
いつもは自分の方が先に来て待っている遼太郎は、みのりの姿を見つけると少し驚いて、立ち止まってしまった。
この週末、不安でいっぱいだった遼太郎にとって、みのりが先に待っていてくれたことは殊の外嬉しく感じられた。立ち止まったままみのりを見つめ、その感覚を噛みしめた。
みのりは日本史の教授用の分厚い本を手に持ち、足を組み替えて読み始めた。顔にかかる髪を、額の脇から手を動かし耳へと掛ける。
遼太郎が近づくと、その気配を察して顔をそちらへと向けた。みのりは遼太郎の表情を確認するように、少し視線を止め、いつものように柔らかく微笑した。
「おはよう。土曜日は試合、お疲れ様。」
このみのりの微笑みと言葉に、遼太郎の心の中の澱は一瞬にして消え去っていく。硬くなった不安の塊が融けてゆき、代わりに安堵にも似た暖かい感覚が心を満たした。
「おはようございます。応援、ありがとうございました。」
遼太郎は、競技場で言ったのと同じ言葉で礼を言い、みのりの隣に腰かけた。
みのりがもう一度遼太郎の顔を凝視したので、遼太郎は戸惑って視線を返す。みのりはホッとしたような表情で、軽く首を横に振った。
みのりを落ち着かなくさせる遼太郎ではないことを確認できて、少しみのりは安心する。試合のことをもっと労いたかったが、蒸し返すとまた思い出しそうだったので、早速個別指導を始めることにした。
日本史の指導の方は、もう指導の余地がないくらい遼太郎の学力は定着していた。指導と言っても、確認程度で終わってしまう。たまに、ケアレスミスなどはあるが、これはみのりにもあることだ。




