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第九話

 文化祭が終わった。

 小道具係として果たすべき役割をすべて前日までに完了していたシロは、文化祭当日は仕事が無く、体育館で行われた自分のクラスの劇を、他の客に混じり客席に座って眺めた。ところどころに学校のローカルネタ(すなわち先生の物真似など)や流行りのギャグを織り込んだ劇は、特に大きな失敗も無く進み、まずまずのウケを取っていた。だが、憂鬱な気持ちで満たされていたシロの頭には、劇の内容はほとんど入って来なかった。

 社長のためのサプライズパーティーが散々な結果に終わって以来、ずっとこんなふうにふさぎの虫にとりつかれているのだ。あれ以来、ガラクタたちと社長との関係はなんだかギスギスしたものになってしまっていた。社長はいつも不機嫌だが、それは以前のからかいがいのある不機嫌さとは違って、まるで触れてはいけないもののような雰囲気で、ニコラとテトラは気まずさを感じ、いたずらするのをすっかりやめてしまった。彼らはもはや、いたずらをするほど仲良くはなくなってしまったのだ。ガラクタたちの憂鬱はシロに伝染した。シロは、もとはと言えば自分が彼らにDVDを見せたことがこんな結果を生んだのだと考えると罪悪感に駆られたし、失敗パーティーの後で社長に言われたことを反芻すると余計につらかった。社長は、ガラクタたちが地上について知れば苦しむことになると言った。自分は良かれと思ってガラクタたちに人間の文化を紹介したのに、それは彼らの今までの、場所は限られるが安定して楽しい生活を破壊する行為だったのだろうか?

 文化祭のすべての出し物が終わり、教師たちは学校全体を片付けモードに移行させようとしていたが、まだ余韻に浸りたい学生たちは、模擬店の商品を片手に廊下にたむろし、ぺちゃくちゃと感想を言い合っていた。

 シロは、荷物を取りに戻るため、楽しい話し声と焼きそばの匂いに満たされた人の多い廊下を、ひとりとぼとぼと自分の教室に向かって歩いていた。

「我は、山賊だぞぉ!」

「きゃあああ!」

 廊下の向こうから、役目を終えた山賊の被り物を被ったふたりの女子生徒が駆けて来た。声からして、恵美と四葉だろう。愉快そうに叫びながら人の群れのあいだを走り抜けて行った。山賊の禿げ頭を指差してくすくす笑う、まだお祭り気分の人々。シロの脇すれすれを通って行ったが、ただでさえ狭くなった視界で、生気を失った抜け殻のような顔をシロだとは認知できなかったらしく、夏じゅう時間を共にした仕事仲間に声をかけることはなかった。

 教室の前まで来ると、中から喋り声が聞こえてきた。手に力を込める気すら起きず、気だるげにゆっくりと戸を開ける。がらんとした教室には、真理恵とふたりの傀儡だけが居て、机に腰かけて駄弁っていた。もう劇は終わったというのに、真理恵はまだ自分の役の衣装を着ていたので、すぐに他と見分けがついた。お姫様の格好をした真理恵はいつも以上に美人で、その姿を見せびらかしたいがために着替えが面倒なふりをして着たままにしているのは明々白々だった。

「あはは、これウケるんだけど」

「なにこれヤバい」

「サイテーじゃん」

真理恵は、模擬店で買ったクリームソーダを片手に、もう一方の手に持った何かを子分たちに見せて、けらけらと笑い合っているようだった。

 シロは教室に足を踏み入れると、尋ねた。

「何見てるの?」

 真理恵たちは顔を上げた。

「鵜代じゃん、久しぶり」

 それは、嫌味だった。同じクラスのシロと真理恵はもちろん毎日顔を合わせる。だが、地下室の存在を知って以来シロはガラクタたちに夢中になって、以前は放課後に真理恵たちと遊ぶことすらあったものの、最近ではすっかり交流が減っていたので、いじめっ子はそれを暗になじったのだった。

「最近ネットで話題になってるアニメがあるの。鵜代は知ってるかしら?」

 そう言って、真理恵は左手に持った携帯タブレットの画面をシロのほうに向けた。

 画面には、画素の粗いアニメーションが流れていた。吹奏楽器を組み合わせたコミカルなBGMが流れる中、灰色っぽい夜の道を、OLらしい格好をした女性が、とぼとぼと歩いている。

「見たことないなあ」

 コマ数の少ない安っぽい女性の動きを見ながら、シロは首を捻った。

「なんだ、知らないのね」

 真理恵は、タブレットを引っ込めようとした。

 だが、突如テンポの速い不穏なメロディが流れ始め、映像が切り替わると、シロははっとして、タブレットを掴んだ。

 画面に現れたのは、黄緑色のスーツを着たふたりの若い男だった。お互いよく似た顔をしているが、一方は鼻の頭にバッテンがあって、もう一方はあひるみたいな口をしている。ふたりは視聴者に向かって、顔が裂けそうなほどにんまり笑ってみせると、スーツの下からナイフを取り出し、切先をきらめかせた。そして、次の瞬間、後ろから女性に飛びかかって、首をはねた。切り株になった首から、血が溢れ出す。灰色の景色がみるみるうちに赤く染まっていく中、犯行を終えたふたりの甲高い、狂気じみた笑い声が響く。シロは呆気に取られたように画面を見つめた。

「ちょっと、返してよ」

 シロが、まるで自分の所有物みたいにタブレットに噛り付いて動画を見ているので、真理恵はいらだちぎみに引っ張った。

「こ、こ、こ、これ、なんなの?」

 シロはタブレットを放すと、動揺してどもりがちに尋ねた。

 真理恵は、シロが画面に付けた指紋を不愉快そうに拭いながら答えた。

「ひと昔前、深夜に放送してたアニメよ。"殺し屋ニッティ・アンド・テリー"っていうタイトルで、気の狂った双子の殺人犯を、主人公の探偵が追い駆けるの」

「なんで、こんな……酷い……」

「表現がぶっ飛んでるところがウケてるのよ」

 真理恵の子分Aが横から口を挟んだ。

「探偵が馬鹿なせいで、なかなか捕まらないところがおもしろいんだよね」

「うんうん、今のテレビじゃ絶対放送できなさそうな過激な感じもいいよね」

 子分Bも補足する。

「しかも、脚本家が自殺したせいで、結局犯人が捕まる前に放送が打ち切られちゃったっていういわくまで付いてる」

シロは、ショックだった。だって彼女は、ニコラとテトラは漫才をするために生まれて来たんだと、心の底から信じていたのだから!それが、こんな非道な悪役だったなんて、受け入れたくなかった。確かに彼らは乱暴だ。だが、その不器用さの下には、ただただおもしろいことを追い求める魅力的な冒険心や、好きな人を笑わせるために頑張りたいという純粋さもちゃんと隠れていることを、シロは知っている。液晶画面の中、罪の無い人を殺し狂喜して笑うおぞましいふたりの若者と、自分の大好きな双子の人形が同じだなんて、思いたくなかった。

「わ、私はこんなの好きじゃない……」

 シロは、苦痛に歪んだ顔を隠すようにうつむいて、そう漏らした。

 いつもあっけらかんとしているシロが珍しく深刻な様子でいるのを見て、真理恵は目を丸くした。

「あら、あんたこういうの嫌なの?」

 そして、クリームソーダのストローに口をつけながら、鼻で笑った。

「なんか意外だわ。あんたこそ、こういう残酷なの好きそうじゃない」

 シロは顔を上げた。

「わ、私が?どうして?」

 机の上に腰かけている真理恵の頭は、シロよりも若干高い位置にあった。整った形の口の脇に嘲笑のしわを刻みながら、見下すように言った。

「……だってあんた、"まとも"じゃないもの!」

 シロはまた、頭を殴られたような気がした。

 ショックでしばらく何も言い返せなかったが、やがて、首を横に振りながら、絞り出すように言った。

「わ、私普通だよ。まともだよ……」

 だが真理恵は、冗談でも言われたみたいに、大袈裟に肩をすくめた。

「何言ってんの?あんたは"まとも"じゃないわよ。ね、そうよね?」

「うん、私も鵜代はまともじゃないと思う」

「うんうん。変だと思う」

 子分ABもにやにや笑いながら頷く。

 シロは、信じられないという目つきで、彼女らの顔を順番に見やった。

 ふたりの子分に太鼓を叩かれて勢いづいた真理恵は、シロの顔を真正面から見据えて、とどめを刺すように言い放った。

「ほら!みんなまともじゃないって思ってるわ。あんた、頭がおかしいのよ!ダサいし、馬鹿だし、いつもへらへらしてるし。あたしたちだけじゃないわ。みーんなあんたのこと、ヤバい奴だって思ってるわよ!」

 真理恵がシロに嫌味を言ったり巧妙な形で嫌がらせをした経験は数知れないが、ここまで直接に侮辱したのは初めてだった。今ここでこんなふうに侮辱したのは、ひとつには、格下の存在でなければならないはずのシロに一方的に交流を減らされたことで溜まっていた鬱憤を晴らしてやりたい気に駆られたせいかもしれないし、もうひとつには、長い付き合いで感覚が麻痺して、どうせこの変人はどんな悪口を言われたって傷つきやしないだろうと思っていたせいかもしれなかった。

 だが、シロは胸が抉られたような思いだった。その瞬間、彼女は気づいたのだ。自分はいじめられている!ニコラとテトラとも、遊びの中で悪口を言い合うことはあったけれど、それはお互いがお互いを好きであることを確かにわかったうえでのことだった。彼らとの関係は対等だったのである。でも、今目の前に居る女子中学生たちの表情には、自分より劣る存在を見下して気を晴らしたい慢心しか無かった。彼女たちは友だちじゃなかったんだ。自分は、この人たちにいじめられているんだ!シロは、今この瞬間にようやっと気づいたのだった。

 シロは、涙をこらえながら、現実を打ち消そうとするように首を振った。うつむき、つぶやく。

「私は、おかしくなんかない……」

「いいえ、おかしいわよ。まともじゃない」

 肩を震わす変人に対して、追い打ちをかける真理恵。

 すると、シロはふいにばっと顔を上げた。

「私は、おかしくなんかない!」

 そう叫んだ拍子に思わず振り上げた手が、真理恵の持っていたクリームソーダの底に当たった。カップが勢いよく跳ね上がる。

「あっ……」

 シロはしまったと思って声を漏らした。だが、プラスチックがフローリングを叩くぱかんという音が響いたかと思うと、次の瞬間にはもう、カップはすっかり空になって床に転がっていた。そして、目の前に座る真理恵の桃色のドレスのスカートの上を、白いクリームの線が堂々と縦断していた。

 真理恵は、呆気に取られたように、無残な姿になったお気に入りの衣装を見つめた。脇を固める傀儡たちが、これはまずいぞというふうに目配せをする。惨事によってもたらされた沈黙を、廊下から流れこむ学生たちの楽しいお喋りのモザイクが埋めた。

 シロは焦りで心臓がばくばく打つのを感じた。

「ご、ごめんなさい……」

 ほとんどささやくように言う。

 真理恵はしばらくうつむいてスカートを見つめていたが、きっと顔を上げ、憎々しげにシロを睨んだ。

「ちょっと、最悪なんだけど」

 その表情には、本当に憎しみしかなかった。

 シロは、何も返答が浮かばす、ただただ身を縮めて申し訳なさそうな目で相手を見つめ返すことしかできなかった。

 汚れたお姫様は、あるだけすべての侮蔑の気持ちをわからせようとするかのように、しばらくのあいだシロを睨み続けていた。だが、やがてぷいと目をそらすと、子分たちに呼びかけた。

「行こ。着替えなくちゃ」

 そして、女王様よろしく彼女らを後ろに引き連れて教室を出て行った。その背中を、シロは悲しさや悔しさの入り混じった表情で見送った。

「あれ、真理恵、そのスカートどうしたの?」

「あ、聞いてよ、ほんと最悪なの。鵜代がさー……」

 廊下で"まとも"な人々の交わす会話が、立ち尽くすシロの耳に入り、そして消えて行った。

 長いあいだ部屋の真ん中でひとりぽつんと立っていたが、やがて、やり場の無い気持ちを抱えたまま、シロも荷物を持って教室を出た。廊下で駄弁る学生たちはだいぶ減っていたが、一部のしつこい人たちがまだ残って余韻を引き伸ばしていた。涙の滲んだ目を誰にも見られないよう、シロは顔を上げずに人々のあいだを突っ切り、校舎を離れた。

 洋館への道を辿りながら、胸の内は憂鬱以上の憂鬱としか言い表しようのないもので満たされていた。こうも悪いことばかりが続くと、自分は連なりがちな不幸の途中に居て、もう永遠に抜け出すことはできないのだという気がした。巨大な金槌に余すところなくのされて、惨めにくずおれる漫画絵の鵜代麦子のイメージが脳裏に浮かぶ。その自分を慰めに行くエネルギーすら残っていなかった。

 そのうち、シロの気持ちを反映するかのように雨が降り始めた。小雨だったのはほんの束の間で、やがて、雨粒が傘を打つ音が半径五十センチの世界と外界との繋がりを絶ってしまうほどに、雨脚は強くなった。シロは靴に冷たい水を染み込ませながら、急ぐこともなくとぼとぼ歩いた。

 途中、公園の脇の掲示板の前を通りかかった。弾丸ブリッツの単独ライブのチラシが貼ってあった、あの掲示板である。見ると、チラシはまだ貼ってあった。だが、それを包んでいる防水用のビニールが何かの拍子に破れてしまったらしく、雨水が入り込んで、中の紙がよれよれになっていた。ニコラとテトラにそっくりな弾丸ブリッツのふたりが、滲んで見苦しい姿になっているのを見ると、運命を司る主である自然が、漫才パーティーの失敗を嘲笑い、そして、ニコラを、テトラを、シロを嘲笑っているかのようだった。シロは悔しさに歯を食いしばり、身を翻してその場を離れた。

 井戸の底まで降りると、ニコラとテトラが出迎えてくれた。だがやはり、以前のように意味を持たない大声をあげて歓迎するようなはちゃめちゃな元気さは無く、沈んだ調子だった。

「おや、シロ、濡れてるじゃないか」

 傘の防壁をかいくぐって打ち込まれた冷たい焼夷弾のしずくがシロのズボンの裾から垂れているのを見て、テトラが言った。

「ああ、雨が降ってたから」

「アメ?」

「ええと、あっちではときどき空から水が降って来るんだよ」

 あまり地上の世界のことについて話したくなかったシロは、ごまかすようにもごもごと説明した。

「へえ、そうなんだ。それなら、こっちでもあるよ」

 そう言ってテトラは天井を指差した。

 洞窟の中を歩いていると、確かに、冷たい水滴がひとつ、シロの脳天にぽつんと落ちてきた。どうやら外の天気が悪いと、地下室も雨漏りすることがあるようだ。

 双子と同じく、やはり沈んだ調子のマカとミスター・パパラッチも合流し、シロとガラクタたちは舞台の傍に集まった。今はもう風船がすっかり取り払われて、もとの地味な姿に戻っている。舞台上では相変わらずアドルフとクリストーナが身を寄せて愛をささやき合っていた。マイペースな彼らは、お互いさえ居れば十分というたちなので、他のガラクタたちほどはあの事件を引きずっていないようだった。

 痛みを感じないガラクタたちは、ごつごつした硬い地面の上に、円を描くように寝転がった。シロだけは遠慮して、トランクの上に腰を下ろした。そうしたまま、ずっと黙り込んで、なかなか誰も最初のひと言を発しようとしなかった。ここ最近は、シロがやって来てもずっとこんな調子なのだ。ひとりテトラが、近くで拾ったヒーローのフィギュアを手慰みにいじるカチカチという音だけが、虚しい輪の上に響いた。

 やがて、ぼうっと天井を見つめていたニコラがつぶやいた。

「ヒマだなあ」

 テトラは髪を地面にこすりつけながら、頭をその声のしたほうへ向けた。

「キャッチボールでもするかい?」

 そして、寝転んだ体勢のまま、フィギュアをニコラのほうへ放り投げる。

 だが、ニコラは飛んで来たヒーローに見向きもせず、虚ろな目で天井を眺め続けた。哀れなヒーローは、痛ましい音を立ててニコラの頭の横に不時着した。

「そんなのつまんねえよ」

「そうだよなあ」

 双子は同時にため息をついた。

「俺は……もう一度弾丸ブリッツの漫才が見たい」

「そうだよなあ……」

 地下室にあったお笑いのDVDはすべて、パーティーが失敗に終わった後、社長が没収してしまったのだった。双子がもう一度漫才を見るすべは、ひとつも残されていなかった。以前は漫才なんて知らなくても、毎日そのへんに転がっているガラクタを自由自在におもちゃに変化させて楽しんでいたというのに、一度運命的な喜びに出会ってしまうと、もはやそれ以外のことにはさほど魅力を感じることができなかった。

 ニコラはテトラのほうを向いて物憂げに尋ねた。

「社長は、いったい俺たちの漫才の何が気に食わなかったんだろうな?」

「さあ、わからねえ……」

 すると、ミスター・パパラッチが慰めるように口を挟む。

「ニコラとテトラの漫才は最高だったよ。なんにも悪いところなんて無かった」

 マカも頷いた。

「ええ、その通りであります。あんなにおもしろいものの何がいけなかったのか、まったくわからないであります」

 シロは、パーティーの後に社長と話したことについては、一切ガラクタたちに伝えていなかった。ゆえに彼らは、どうして社長があれほど怒ったのか、今もまだよくわかっていないようだった。

 マカとパパラッチに励まされて少し元気づいたのか、ニコラは腹立たしそうに語気を強めて言った。

「やっぱり、そうだよな?俺たち、怒られなきゃいけないことなんてなんにもしてないよな」

 他のガラクタたちは一斉に、そうだそうだと同意した。

「ほんと社長ってわけわかんねえ。せっかく笑わせてやろうと思ったのによ。あれも駄目、これも駄目っつって怒ってばかりで、なんで駄目かも教えてくれねえしさ」

 ぷりぷりと頬を膨らませる。そして、両腕を投げ出して叫んだ。

「あーあ、漫才がしてえ!俺たち、漫才をするために生まれて来たんだから!」

 ニコラの叫びが、少し湿った洞窟内にぼわんぼわんと響いた。

 その叫びを聞いて、シロは胸にずしりと重石がのしかかるのを感じた。先ほど学校の教室で見たアニメのことを思い出したのだ。女性を殺した後の、双子の狂気じみた甲高い笑い声が脳裏に蘇る。ニコラとテトラをこれ以上落ち込ませたくはなかった。シロは小刻みに頭を振って、嫌な記憶を追い払った。このことはずっと自分の中だけにしまっておこう、そう思った。

 そのとき、舞台の上でアドルフとクリストーナがセッションをし始めた。正確に音と音を重ね、ひとつのメロディーを紡ぎ出す。よせばいいのに、その旋律は、ガラクタたちの今の心情を表すかのようにどこか悲しげで、気だるかった。優雅だし洒落てはいるのだが、こんな状況で聴いているとますます気が滅入るような曲調だ。

 ガラクタたちはしばらく黙ってその曲を聴いていたが、やがて、ニコラは耐えかねたように起き上がり、叫んだ。

「おい、やめろよ!そんな暗い曲!」

 そして傍に転がっていたフィギュアを掴み、アルトサックス目がけてぶん投げる。

 ぴたと演奏がやんだ。

「おっと」

 アドルフは、ぎりぎりのところでひらりとフィギュアをかわした。悲劇のヒーローは、またもやかわいそうな音を立てて、舞台の硬い床の上をスライディングした。

「何をするんだい、ニコラ。乱暴なふるまいはやめたまえよ」

「そんな気持ち悪い曲弾くなっつってんの」

「きみはもっと紳士になったほうがいいと思うね」

 タンポを閉めて、低くなだらかな声で教え諭すようにそう言う。隣のクリストーナも、同意するように屋根をぎいぎい鳴らした。

 ニコラは口を尖らせて金色の紳士を睨んだ。

「ふん。気楽な奴らめ。こんなところでおんなじ曲ばっかり繰り返して、それで満足してるんだから」

 だが、アドルフはその悪態を無視して、愛しいグランドピアノのほうに身体を向けた。

「クリストーナ、今度は百九十七小節目から練習しようか」

「いいわよ、ダーリン」

 そして、再びふたりだけの世界に戻って行った。

 ニコラはぶつぶつ文句を言いながら、切ないBGMを耳に入れまいとするかのように、背を向けた。

 頭の後ろに両手を添えて、投げやりに言う。

「ったく、ここに居ても漫才は見れねえし、なーんもやることがなくてつまんねえや。なあシロ、外の世界ってどんなんだ?お笑い以外にも、何かおもしろいものがあったりするのか?」

「えっ?」

 急に質問されて、シロはびくっと肩を震わせた。そして、困ったように口をつぐむ。ニコラとテトラにはこれ以上人間の世界について教えないというのが、社長との約束であった。彼らを守るために、そうせねばならないのである。

 地面に伸びたままだったテトラも、よっこいせと身を起こした。

「外の世界と言えば、社長が外の世界について話してるのって、聞いたことないよな」

「ああ、確かに。そういう場所があるってことすら、シロに教えてもらうまでよくわからなかった。ちっとも気にしたことなかったけど、今考えてみると変だな」

「わざと隠してるのかな?」

「なんでわざわざ隠す必要があるんだ?あんなにおもしろいものがある世界を」

「さあ、社長ってわけわかんねえからなあ。パーティーのときに怒ったのもわけわかんなかったし。俺たちが楽しいことをすると、困るのかもな。そうだとすると、外の世界には、楽しいことが山ほどあるってわけだ」

 だがそこで、シロが慌てたように割って入る。

「ま、待って。外の世界は……その、そこまで楽しいものがいっぱいあるってわけじゃないよ」

 正直者の変人は嘘をつくのがたいそう下手だった。

 テトラは怪訝そうに目を細めて、無理に笑うシロの顔を見つめた。

「何言ってんだ?シロじゃないか、外の世界のおもしろさを俺たちに教えてくれたのは」

 シロはしゅんと肩を落とした。

 しばし、誰も喋らない微妙な間が空いた。

 シロは、話題を変えようと、明るめのトーンで切り出した。

「……外もいいけど、私は、ここだって広くてたくさん見るものがあると思うよ。何回来ても、新しい場所を発見できるし。ねえ、みんなはこの洞窟のいちばん奥まで行ったことあるの?」

 わざとらしい口調だったが、幸いにもガラクタたちは誰も怪しまなかった。テトラは、考えを巡らすように斜め上に目をやりながらつぶやいた。

「いちばん奥?どうだろうなあ」

 ニコラも首を捻る。

「おんなじような景色ばっかりで、道を覚えられないからなあ。もしかしたら、いちばん奥までは行ったことないかもしれない」

 それを聞いて、シロは顔を輝かせた。

「じゃあ、今から奥まで探検してみるのはどう?」

 すると、傍で寝そべっていたミスター・パパラッチがぴょこんと飛び起きた。

「探検?楽しそう、オイラも連れて行ってよ」

 マカも表面を谷折りにして立ち上がる。

「遠出するなら、自分もご一緒したいであります」

 ガラクタたちの中でもいちばん憂鬱に沈んでいたニコラとテトラは、シロの提案にそれほど乗り気ではないようだった。だが、重苦しい空気の転換を期待して胸を躍らせているポラロイドカメラとポスターの様子を見ながら、無下に断るほど意地の悪い性格でもなかった。やれやれという調子で言う。

「まあ、じっとしてても何もやることはないしな」

「ちょっと散歩するのもいいかもしれねえ」

 ガラクタたちは立ち上がり、最奥を目指して探検を始めた。

 洞窟の中は歩いても歩いてもガラクタの山に突き当たった。まったく統一性の無いガラクタが不規則に積まれた山はどれも、どこかで見たことがあるような気がしたし、同時に、初めて見るような気もした。確かに、道が覚えられないというのも頷ける。

 しばらく歩いていると、高い山のてっぺん近くに、ブロンドの髪と白い肌のまぶしいマネキンが腰かけているのに出くわした。シロは、ここのところ地下室に来てもあまり広範囲をうろつくことが無かったので、ハマサキを見かけるのは久しぶりだ。山のふもとから頂上近くに座るマネキンを見上げる構図は、初めて出会ったときのそれとまったく同じである。だが、今彼女の細い指に握られているのは、掛け時計ではなく、小さな紙切れだった。

 ハマサキは、ガラクタたちがやって来たことには気づいていないようだ。紙切れだけにじっと視線を注いでいる。

「あれ以来ずっと、あんな調子なんだ」

 テトラは横目で山の上のほうを見ながら、そっとシロに耳打ちした。

 渡しそびれたラブレターを見つめる真っ白な瞳は、もとから虚ろなのに、今はいつにもまして虚ろで、その底に深い深い悲しみの沈んでいるのが察せられた。今まででいちばん上手く書けたのだと、かつて嬉しそうに報告してきたときのハマサキの顔を思い出すと、シロの胸は痛んだ。社長とガラクタたちの関係がこじれてしまった今、その最高傑作のラブレターを渡すチャンスは、おそらく二度とやって来ないだろう。

 ガラクタたちは、自分の殻に閉じこもっているハマサキには声をかけずに通り過ぎることにした。もう声は届かないであろう距離まで来たところで、ニコラが顔をしかめながら不満げに言った。

「いったいハマサキは、あんな奴のどこがいいんだろうな?」

 誰もその疑問には答えなかった。

 一行はさらに先へ進んだ。ときどき、雨漏りのしずくが探検隊の頭にヒットする。進めば進むほど、天井の照明が減って、辺りが薄暗くなった。おかげで、同じような景色が続いていても、確かに最奥に近づいていることがわかる。どこまで行ってもガラクタの山は尽きることがなく、シロは内心、社長のおじいさんがかつて有していた財力の莫大さと、その使い道の素朴さに感心した。

 歩き続けて時間の感覚が無くなった頃、疲れるという現象を知らないくせに、途中からシロの肩に乗って歩行をさぼっていたミスター・パパラッチが、前方にレンズを向けて叫んだ。

「おや、あそこ、ちょっと変だよ」

 薄暗い空間の向こうに、ぼんやりと岩壁が広がっている。そのうち一区画だけ、木目の壁と床の打たれているところがあり、ちょっとした机と棚まで置いてあって、まるで地上の家の部屋の一部をちぎって移植したみたいになっていた。机の前に引かれた椅子の背が、誰も居ないのに誰かがそこに座っているようなイメージを想起させ、薄暗さと、静けさと、湿った冷たい空気とあいまって、なんとなく不気味だ。

 一同はちぎられた部屋に近づいた。

 シロは興味津々で、その不思議な領域を観察した。棚は空っぽで、机の上には型の古いデスクトップパソコンとキーボードだけが置かれている。机の引き出しを引くと、腐っているのか、隙間からぱらぱらと木屑が落ちた。中には何も入っていなかった。

「もしかして、ここがいちばん奥なんじゃないか?」

 テトラが辺りを見回しながら言った。部屋の左右には岩壁が延々と続いていて、そのカーブの具合から推して、ここが最奥だとしても確かにおかしくはない。

「なあんだ、意外とあっさり辿り着いたな」

 両手を頭の裏に添えて、つまらなそうにニコラが言った。

「思ったより短い大冒険だったね」

 パパラッチも同意する。

 口々に拍子抜けしたというような感想を述べるガラクタたちの横で、シロだけが熱心に探索を続けていた。背伸びして棚の上を覗いてみたり、あるいは、砂埃の溜まった床に膝をつき机の下を確認してみたり。

マカがぴょこぴょこと寄って来て尋ねた。

「シロさん、何かおもしろいものは見つかりましたか?」

 シロは立ち上がると、ズボンについた埃を払いながら残念そうに答えた。

「ううん……なんにも無いね。いかにも、何かありそうなんだけど……」

 そして、正面の壁を見つめた。机と棚のあいだには一メートルくらい間隔が空いていて、木目の壁が剥き出しになっている。ふと、その木目に紛れて、何か小さな物が壁にくっついているのが目に止まった。目を細めて見ると、それはセロハンテープの切れ端だった。シロは壁に近づいた。

「おおいシロ、なんにも無いんだったら帰ろうぜ。ここ、なんだか陰気臭いし」

 後ろから、退屈したニコラが呼びかけた。

 だが、張り付きそうなほど壁に近寄って観察をしていたシロは、何かに気づいたようにはっとして、振り向いた。

「待って、静かに」

 唇の前に人差し指を立てて言う。

 ガラクタたちは目を丸くした。

 シロは、顔が汚れるのもかまわずに、壁にぴたりと耳をつけ、息を殺した。

 隣に居たマカが、おずおずと尋ねる。

「シロさん、いったいどうしたんです?」

「風の音がするの。この壁の向こうにまだ空間があるみたい」

 他のガラクタたちもシロの周りに集まって来た。

「ここよりさらに奥があるってことか?」

「うん」

 シロは壁から耳を離して、頷いた。

 ミスター・パパラッチはつい先ほど、探検があっさり終わったことでやる気を失くしていたのに、瞬く間に元気を取り戻した。わくわくと身体を揺らして言う。

「すっごい。秘密の抜け道かな」

「だけど、どうやって向こうに行くんだ?扉も何も無いぜ」

 テトラが無情にツッコむ。

 ニコラが、自分の腕の、人間なら上腕二頭筋があるであろう部分を叩きながら、笑って言った。

「壁をぶっ壊せばいいんじゃねえの?みんなで体当たりしてさ」

 だが、シロは首を振った。

「駄目だよ。そんなことしたらこっちが怪我しちゃう」

 そう言って、壁をこんこんと叩く。

「この壁、結構丈夫みたい。そこの机と違って、まだ腐ってないし。きっと、意味があって、簡単に壊れないように作ってあるんだ」

「あんまり強がるなよ、ニコラ。おまえはただの綿なんだから」

 テトラがまた無情にツッコんだ。ニコラはへへへと自嘲気味に笑った。

「隠し扉になってるのかも。どこかに取っ手か何か無いかな……」

 そうつぶやきながら、シロは壁面をまさぐった。薄暗闇に目が慣れてきて、セロハンテープの切れ端がずいぶん黄ばんでいるのが判別できた。それだけでなく、目を凝らすと、ある直線を境に壁の色も微妙に違っているのがわかった。後ろに退いて、全体を見る。かつてその壁に何かが貼ってあったらしい。ちょうど肩ぐらいの高さのところに、他の部分より少し色の濃い長方形の島ができていた。

 シロは考え込むようにあごに手を添えて、その島を見つめた。

 そして突如横を向くと、隣に居たマカの身体をばっと掴んだ。

「シ、シロさん?何をするでありますか?」

 マカはびっくりして叫んだ。後ろで見守っていた他のガラクタたちも、驚いて口をぽかんと開ける。

 シロはマカの叫びを無視して、その紙面のしわを伸ばし、壁にできた四角い島に押し付けた。長方形の島とマカの輪郭はぴったりと重なった。

「やっぱり!」

 見事なまでの美しい一致に、変人の顔は嬉しそうに輝いた。

 身体の両側を押さえつけられたマカは、その嬉しそうな顔を真正面から見ながら、身を悶えさせた。

「ちょちょちょっと、シロさん」

 怯えたような声で呼びかける。

 シロは壁からポスターを剥がすと、しっかり掴んだまま、左右を見回した。すぐ隣の机の上に置かれたデスクトップパソコンに目をつける。ガラクタたちが呆気に取られて眺めているのもどこ吹く風、腐り落ちそうな椅子にどっかと腰かけると、パソコンの電源スイッチを押した。前のめりで画面を見守る。数十年前のものであろうその機械は、驚くべきことに、ブーンという鈍い音を立てて、億劫そうに息を吹き返した。汚れて白っぽく濁った画面が、ふいに真っ青に染まり、鋭い人工の光が闇に馴染んでいた眼球を刺激する。数秒後、青い世界は立ち消え、代わりに、画面の真ん中に白い横長のボックスが現れた。ボックスの左端で、小さな縦棒が文字の入力を促すようにちかちかと点滅している。

 シロは、怯えるマカの身体を乱暴に裏返して、背面に書かれたメモを見た。


 小松菜 4束

 マカロニ 2袋

 かつお節 3パック

 蜂蜜 3瓶

 ルッコラ 1個

 茄子 1個


「おいシロ、さっきからいったい何やってんだよ?」

 食らいつくようにマカの背中を睨んでいるシロの後ろから、テトラが困惑したように眉をひそめて尋ねた。

「シ、シロさん、そんなにじっくり見られると恥ずかしいであります……」

 身を縮めるように紙の端を丸めて、マカがつぶやく。

 シロは、興奮ぎみに答えた。

「これは、買い物メモじゃなかったんだ!きっと、隠し扉を開ける暗号だよ……忘れないようにここに書いて貼っておいたんだね……」

 そう言いながらも、視線は黒い糸くずのような文字列から離さなかった。口をつぐみ、わくわくと考え込む。

 ニコラとテトラは顔を見合わせ、肩をすくめた。シロの言葉の意味がいまいち呑み込めなかったようだ。ただ、わけはわからないが、シロがあんまり夢中になって自分の推理に勤しんでいるので、幼い子を庭で遊ばせる親よろしく静かに見守ることにした。

 シロはしばらく糸くずと睨み合っていたが、まもなく満足げににやりと笑った。

「うん、簡単だね。きっと……」

 そう独り言ちて、マカの身体を放した。ようやっと解放されたマカは、逃げるようにふらふらと恐ろしい探偵の傍から離れた。強く握られていたせいで、両脇がよれよれになっている。

 シロは、昔風の大袈裟に突き出たキーボードをカチカチと叩いて、画面上のボックスに文字を入力した。


 "ナカオミルナ"


 最後に、「これでどうだ」と言わんばかりに、ぴんとエンターキーを弾く。

 画面からボックスが消えて、真っ黒になった。パソコンの作動音が遠くにキーンと響く中、シロとガラクタたちは、じっと箱の中の黒い世界を見守った。

 再び画面の真ん中に、ぱっと四角いボックスが現れた。


 "ロックが解除されました"


 ボックスの中に並べられたその文字を見て、シロは思わず小さくガッツポーズを決めた。

「ビンゴ!」

 嬉しそうに叫ぶ。

「なんだこれ?どういう意味だ?」

 文章の意味を理解できないニコラが、頭を傾けて尋ねた。

 だがシロは、その質問には答えずに席を離れ、木目の壁の前に立った。深呼吸をしてから、壁にそっと両手のひらを当てる。徐々に上半身を傾け、体重を前方に預けた。ガラクタたちは、そんなシロの背中を、不思議がるような顔で見つめた。

 長らく誰にも開けられていなかったのだろう、人間が凝った肩を鳴らすように、危なっかしいめきめきという音を立てて、木目の扉がゆっくりと前方に開いた。

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