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第三話

 世界中のすべての果樹の果実が一斉に地面に落ちたような、そんな恐ろしい轟音が、洞窟中に響いた。天井からぱらぱらと土くれが落ちる。あまりの轟音に、シロは耳の奥が痺れて、視界がぐわんぐわんと揺れた。

「ク、クリストーナ?」

 まだ鍵盤の音の余韻が空気を震わせる中、ようやっと異変に気づいたアドルフが、タンポの隙間からささやくように漏らした。

 クリストーナは、屋根をぎぎぎときしませた。

「……アドルフ、さっきの言葉、どういう意味かしら?わたくしとのセッションは、最高じゃなくって?」

 その声はもはや、ポロンポロンと鳴り聴く者を心地よくさせる音ではなかった。遠くの雷のように、ゴロゴロと低く響いた。

 シロとガラクタたちはクリストーナのほうを凝視しながら、無意識にお互いの距離を詰めて、団子のように身を寄せ合ったていた。その団子の中から、テトラがそっと片足を上げてアドルフの背中を蹴り、前へ押し出した。

 舞台との段差に躓いて前のめりによろけながら、いまや状況のすべてを理解したアドルフは、慌てて取り繕うように言った。

「い、い、いや、もちろんきみとのセッションは最高だよ、クリストーナ」

「でもさっき、そのお嬢ちゃんとのセッションは最高だとおっしゃったわよね?」

 クリストーナはイライラしたように、鍵盤の左端をボロンボロンと鳴らした。

 アドルフは震え上がった。心なしか、金色のまぶしいボディも、今は鈍い銅色になってしまったように見える。

「そ、それは、ちょっと言葉を間違えたんだ。いいセッションだったけど、その、きみのほうがもっといい」

 クリストーナはますますイライラと鍵盤を揺すった。

「いったい、どういうおつもりなのかしらね。よりによってわたくしの目の前で、他のお方とあんなに楽しそうにセッションするなんて。それも肩まで寄せ合って」

「そ、それは……」

 アドルフは、もごもごとキーを動かした。

 そんな怯えきったアドルフの背中を静かに見守る団子の中で、ひとりだけ少し嬉しそうににやにやしていたニコラが、そっとシロの耳元でささやいた。

「喧嘩だ、喧嘩だ」

 その言葉を横で聞いていたテトラは、後ろから手を回してニコラの口を塞いだ。黙らされたニコラは、目だけで楽しそうにぐふぐふと笑った。

 ニコラを押さえながら、テトラは姿勢を低くし、仲間たちに小声で呼びかけた。

「あれは夫婦の問題だから、解決はふたりに任せて、俺たちは行こうぜ」

 シロとマカとミスター・パパラッチはこくりこくりと頷いた。

 ひとりの人間と四人のガラクタはその場でそっと方向転換し、舞台上のふたりに背中を向けた。静まり返った中を、ガラクタの山が並んでいるほうへ、抜き足差し足で歩いてゆく。

 そのとき背後で、雷が落ちた。

「わたくしもう、あなたなんか大っ嫌い!」

 再び地面がぐらぐらと揺れた。

 もはや忍ぶ必要など無かった。シロとガラクタたちは、一散に駆け出した。脇目も振らず、ガラクタの山のあいだを走り抜けてゆく。背後では、クリストーナの恐ろしい低音の説教がガンガンと鳴り響いていた。ガラクタ一同、一度も振り返りはしなかった。振り返らなくても、恐怖でひしゃげた哀れなアルトサックスの姿は、容易に想像できた。

 しばらく走り続けてようやっと、説教の地響きが内臓を揺らさない程度のところまで辿り着くことができた。ガラクタたちは立ち止まった。全速力以上で駆け抜けてさすがに疲れたシロは、息を切らして、その場にしりもちをついた。頭を巡らすと、景色に見覚えがある。どうやら、方向構わず走っているうちに、地上に繋がるあの梯子の近くまで戻って来たようだ。

 ガラクタたちに肉体の疲労という感覚は無いようだが、精神の疲労は大いにあるらしい。マカは犬の顔にしわを寄せながら、疲れたように、シロの伸ばした足に寄りかかった。

「ああ、恐ろしかった。まったく、アドルフが調子に乗るからであります」

 ミスター・パパラッチもふらふらと近寄って来て、もう一方の足に身を寄せた。

「ほんと、オイラ、ちびっちゃうかと思った」

 すると、ひとり涼しい顔をしているニコラが、いかにも惜しいことをしたというふうに首を振った。

「あーあ、残ってたらきっとおもしろい場面が見れたろうな。アドルフがこてんぱんにやられるところを、写真に撮ってやればよかったのに」

「おいおい、おまえ、そんな調子じゃいつかクリスに殺されるぜ」

 そう言って、テトラはニコラの頭を小突いた。

 そしてみんなで、危機を脱した開放感に包まれながら、愉快にけらけらと笑った。

 そうしていると、笑い声に混じって、向こうから、革靴が地面を踏むようなこんこんという音が近づいて来た。

「おい、今の馬鹿でかいピアノの音はなんだ?こっちまで聞こえたぞ」

 怒っているような口調だった。

 ガラクタたちは笑うのをやめて、一斉に声がしたほうを振り向いた。

 シロも振り向いた。そして、声の主の姿を見て、思わず「えっ」と漏らした。

 そこに居たのは、人間の男だった。

 シロは目をまん丸にして男を見つめた。この変人中学生は、喋り笑い跳ね回るガラクタたちをどれだけ見てもまるきり平気だったというのに、自分と同じ人間をこの洞窟で発見したということにはひどく驚いてしまったのである。

 その男は見たところ三十代半ばくらいで、中肉で背が高く、つばのある帽子をかぶっていた。ズボンのポケットに手を突っ込んでふんぞり返っていて、着ているシャツはだらしなくよれているし、髪も切るのが面倒で伸びているような感じだし、なんだかあまりいい人そうには見えなかった。特に、前髪のあいだから不機嫌そうに覗いている垂れぎみの目が、シロに好ましい印象を与えなかった。

「ちょっと宴会してたのさ、社長」

 テトラが男に向かって言った。

 男は顔をしかめて、むしゃくしゃと頭の裏を掻いた。

「ったく、おまえらはもっと静かに遊べないのか?これじゃ、また幽霊屋敷だとか噂を立てられちまう……」

 そう言いながら、頭を巡らせて、ふいに、驚いた表情で自分を見つめているシロとばっちり目が合った。

 社長は、目を合わせたまま固まった。

 ふたりの静かな睨み合いが数秒続いた後、ようやっと自分の視界に映るものがなんなのか理解したように、あんぐりと口を開けた。

「お、おい、これはどういうことだ……?」

 震えながら、絞り出すようにそうつぶやく。シロの十倍くらい驚いているらしかった。

 シロは無理やり口角を引き上げてぎこちない笑顔を作りながら、おずおずと挨拶をした。

「ええっと、こんにちは。シロっていいます」

 ニコラが場の空気にそぐわぬ愉快な調子で口を挟んだ。

「すげえぜ、こいつ人間だよ。社長以外の人間って居るんだな」

 社長はニコラの言葉を無視してずんずん進むと、シロの前で立ち止まり、見下ろした。天井の電灯を背後にして陰になった不機嫌な大人の顔は、より不機嫌に見えた。シロは男の顔を見上げながら、そっとマカとミスター・パパラッチを自分のほうに引き寄せて両脇に抱えた。

 社長はイライラした口調で尋ねた。

「おい、いったいどこのガキだ?どこから入って来た?」

 怖いもの知らずの変人中学生も、初対面の大人の男に上から凄むように尋ねられて、さすがに身を縮ませた。

 シロは、いたずらをごまかす子どものように、上下の歯を見せて笑いながら答えた。

「あの、井戸から……」

 シロの言葉を聞くと、社長は顔をしかめた。

「いったいぜんたい、なんで井戸に入る必要があったんだ?」

「なんで?なんでって、あれ、なんでだろう……」

シロは首を捻った。そして、またもやすっかり忘れていた桃色のハンカチのことを思い出した。

「あっ、そうだ、落とし物をしちゃって……」

「落とし物をしたから?自分で取ろうと思って下りて来たのか?」

「はい……」

「他人様の家の井戸に、勝手に、許可も取らずに?」

 シロは返す言葉が見つからず、ただ気まずそうに、上目遣いで相手の顔をちらと見つめた。

 社長はふいにそっぽを向いて、腹立たしげに髪を掻きむしった。

「ああ、くそっ!とんでもねえガキだ!まさかあの井戸を下りようなんてやつが居るなんて……」

 突然の大声にシロはびくりとして、また両脇のガラクタたちを引き寄せた。

 マカが慌てて擁護した。

「社長、シロはいい子でありますよ!」

 ニコラとテトラも応戦した。

「そうだ!楽しく宴会してただけで、なんも悪いことはしてねえぜ」

「そんな怒るなよ、社長」

 だが、社長はガラクタたちのほうを振り向き一喝した。

「うるせえ!いい子だろうが悪い子だろうが関係あるか!勝手に入って来やがって」

 そしてシロのほうにぐいと手を伸ばすと、猫の首根っこを掴むみたいにパーカーの後ろを掴んで勢いよく引き上げた。

「ひゃっ」

 シロは引っ張られるままに立ち上がった。マカとミスター・パパラッチがぽろりと両側に滑り落ちる。

「この不法侵入者め、今すぐ出て行ってもらおう。ほら、行くぞ!」

 社長は憎々しげにそう叫ぶと、シロのパーカーを掴んだまま引きずるようにして、梯子のある方向へと歩き出した。

 ガラクタたちはその場に棒立ちになって、追い立てられてゆくシロを見るほか無かった。

 出口の手前まで来たところで、シロは頭を捻ってガラクタたちのほうを振り返り、叫んだ。

「みんな、バイバイ!また今度、遊ぼうね!」

「黙って歩け!」

 社長が頭を小突いて前を向かせたが、心配そうにシロを見つめるガラクタたちの表情は、かろうじて目に入った。

 シロはそのまま、突如現れたこの謎の男に追い立てられながら地上に戻った。長い梯子を上るあいだずっと、下に続く社長がぶつぶつ文句を言う声が、井戸の壁に反射してうっすらと聞こえていた。

 外に出ると、空はもうすっかり黒くなっていたが、屋敷のほうから漏れる明かりに照らされて井戸の周りは明るかった。井戸からすぐ近くの一階の部屋に明かりが点いていて、レースのカーテン越しに、中の様子が見えた。本棚や箪笥が並び、机の上にはごみごみとものが置いてある。そこには確実に、生きた人間の生活があった。この古びた不気味な洋館は実は空き家ではなかったのだと、そのとき初めて気がついた。

 ずっとじめじめした地下に居たので、夜風が気持ちよく、この状況にもかかわらず、シロは思わず伸びをした。

 背後で、社長が井戸をまたぎ出て、草を踏む音がした。

「おい、ガキ」

 不機嫌なその呼びかけに、シロははたと、伸びの姿勢で止まった。些か緊張しながらゆっくりと振り向く。いったい何を言われるのか。

 社長は、梯子を上っている途中に服に付いた土を払っているところだった。

「寒くないか?」

 手を動かしながら、低い不愛想な声でそう問う。

 中学生は、黙って首を横に振った。

 社長は土を払い終えると、両手を腰に当てて言った。

「外に出て、門の前で待っとけ。もう遅いからタクシーを呼んでやる。それに乗って帰って、で、二度と来るな」

 シロは、明かりに照らされてくっきりと影のついた男の顔をじっと見上げた。不機嫌な男はいまだに眉間にしわを寄せていたが、地下に居たときよりは怒っていないように見えた。

 シロは思い切って尋ねた。

「おじさんはここに住んでるの?」

 社長はぶっきらぼうに答えた。

「そうだよ。悪いか?」

「ううん、いいところだと思う」

 そして、好奇心に駆られるまま、さらに尋ねた。

「ね、おじさんってニコラとテトラの親なんだよね?なんであの子たちは動いたり喋ったりできるの?」

「おまえには関係無い」

 面倒臭そうに首を振って、言い捨てる。

「じゃあさ、どうしてガラクタたちを地下に閉じ込めてるの?」

「おまえには関係無い」

「あの子たち、洞窟の外のことはなんにも知らないみたいだったよ」

「それがどうしたっていうんだ?」

「なんだか、かわいそう。ずっと地下で暮らしてて、あの狭い場所のことしか知らないなんて。おもしろいことは地上にもたくさんあるのに」

「うるさいな。あいつらはここで十分楽しく暮らしてるんだ。ほっておけよ」

 うんざりしたようにそう言うと、その場を離れようとした。

「ね、ね、おじさん。また来て、ニコラとテトラと遊んじゃ駄目?」

 社長は振り返って、イライラと叫んだ。

「二度と来るなって言っただろ!」

 地下で怒鳴ったときみたいに恐ろしい剣幕だった。だが、広い空の下に出て生来の肝っ玉が戻ったのか、シロはもう身を縮めることはなかった。意地悪い笑みを浮かべて、食い下がる。

「でもさ、おじさん、ガラクタたちを地下に閉じ込めて、みんなから隠してるんでしょ。ばれたら困るよね。もう来ちゃ駄目って言うなら、私、この井戸のこと言いふらしちゃうよ。人形や楽器が中で歌ったり踊ったりしてる井戸があるって」

 社長は顔をしかめてシロを睨んだ。

「言いたきゃ言えよ。誰も信じやしないから。おまえが頭のおかしいやつだと思われて終わりさ」

「誰も信じない?これがあっても?」

 笑いながらそう言うと、シロはズボンの後ろのポケットに手を突っ込んで、さっと一枚の四角い紙切れを取り出した。

社長は思わずその紙に目をやった。

 それは、ミスター・パパラッチがシロに出会ったときに驚いて撮影した写真のうちの一枚だった。

「お、おまえ、いつのまにそんなものを……」

 その写真には、地下の洞窟に並ぶ壮観なガラクタの山に、紙吹雪の中楽しそうに囃し立てるニコラとテトラ、シロの足もとを嗅ぎ回るマカの姿がくっきりと映っていた。

「ニコラとテトラと遊ばせてくれないんだったら、私、この写真をコピーして、町じゅうのみんなにばらまいて回ることにする」

 シロが勝ち誇ったようにそう宣言すると、社長は先ほどまでの威圧的な様子とは打って変わって、急に顔を真っ青にして狼狽し始めた。

「お、おい……やめろ!それは本当にまずい……」

 そして、写真を奪おうと手を伸ばした。だが、シロは持ち前の反射神経でひらりとかわし、写真をくしゃくしゃに丸めると、ぽいと口の中に放り込んでしまった!

 社長はびっくり仰天して、叫んだ。

「な、なんてことするんだ!」

 素頓狂な声が、静かな夜の空に響く。

 シロはあーんと口を開けて、人差し指と親指で写真を摘まんで取り出した。よだれの糸が一緒に着いて来て、細い橋を作る。

 社長は、いたずらっぽく笑うシロと、目の前にぶら下げられた写真とを、驚いて青ざめた顔で見つめた。取ろうと思えば簡単に取れる距離だったが、よだれまみれの写真を掴む気にはなれないようだ。

「頼む、そんなもの配るのはよしてくれ。本当に困るんだ」

 弱々しくそう言った。

 シロは、べたべたになった写真をぶらぶらと揺らした。

「じゃあ、また遊びに来ていい?」

 社長は、どうしてもイエスと答えたくないような苦々しい顔つきで、言葉を出し渋った。

 その様子を見たシロは、偉そうにふんぞり返っていた態度から一転して、今度は哀願するような調子になった。

「ね。お願い。ここに来て、ガラクタたちと遊ばせてくれるだけでいいの。他の人には絶対言わない。私だけの秘密にする。ね、いいでしょ?」

 社長はまだ渋い表情をしていた。だがやがて、くるりと身を翻し、匙を投げるように中空に向かって言い放った。

「ああもう!なんてむかつく奴!勝手にしろ!その代わり、絶対に誰にも言うんじゃないぞ!」

 その言葉を聞いて、シロはぱっと顔を輝かせた。

 その日から、変人中学生シロとガラクタたちのおかしくて楽しい日々は始まった。

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