第二話
ガラクタの山、ガラクタの山、ガラクタの山。
そこは、素敵なごみ置き場のような場所だった。岩肌の茶色い洞窟の中には、手前から奥へと、見上げるほどのガラクタの山がいくつもそびえていて、体育館みたいに高い天井のところどころに埋まった照明の光に照らされていた。それらは、ガラクタの山と表現するほか無かった。家具、電化製品、洋服、おもちゃ、よくわからないが何かの部品。思いつく限りのあらゆるものが、ぞんざいに、だが絶妙なバランスで積み上げられている。ここで探し物をすれば、おそらく大抵のものは見つけることができるだろう。極めて不思議で奇妙な光景なのに、汚れて鈍くなったガラクタの色彩が、そこを神秘の場所というよりも、ただのごみ置き場のように見せていた。だがシロは、いよいよ心臓が絶好調に高鳴るのを感じた。彼女にはここが、新しい発見の詰まった、冒険にうってつけの場所に思えた。どんなに無用なものさえ玩具に変えてしまう幼い物欲と、秘密基地に対する情熱は、普通年齢とともに潰えるが、彼女の中ではまだ生きているのである。
洞窟は奥に続いていた。ガラクタの山はまだまだあるようだ。シロは吸い寄せられるように、山のあいだを進み始めた。
左右の山は、大きかったり小さかったり様々だったが、中には、二階建ての住宅くらいうず高いものもあった。地下のひんやりとした空気に、無機質な表面を晒している。くしゃみでもしようものなら、一気に崩れ落ちてきそうだ。ガラクタの積み方は非常にいい加減で、頂上近い場所にごつい冷蔵庫が乗っかっているかと思えば、最下層でかわいいテディベアが苦しそうにひしゃげていたりした。途中、シロの前を横切るように黒く細い影が地面に落ちていたので、見上げると、ひとつの山のてっぺん付近から、わらぼうきが逆さに突き出している。先端に古風なポラロイドカメラが乗っかっていて、今にも落ちそうにぐらぐらしていた。シロは鼻息でさえ雪崩を起こしかねないとでも言うかのように、呼吸を止めて、そろりそろりとその下を通り過ぎた。さながら、眠る怪物の群れの中を歩いて行くようであった。
しばらく進んだところで、ガラクタの山脈が途切れ、少し開けた場所に出ると、シロは目を丸くした。剥き出しの茶色い地面の沖に、ピクニック用の古びた青い敷物が一枚敷かれていたのである。他のガラクタが、投げ出されたようにひっくり返ったり傾いたりしているのと比べると、ぼろぼろではあるが、端までしっかりと広げられたそれは、なんだかつい先ほどまで誰かがそこで使っていたかのようだった。空の見えないこんな場所で、いったい誰がピクニックを楽しんでいたのだろう?ファミリー用の大きめの敷物も、巨大な洞窟の真ん中にぽつんと敷かれていると、なんとも寂しげだった。
そんなことを考えながら近づいて行くと、シロはさらに驚いてあっと声を漏らした。
その敷物の中央に、あの桃色のタオル地のハンカチが落ちていたのである。まるで、私はここよとでも言うように、青い海の真ん中で、身体を真四角に広げている。
今の今まで、魅力的なごみ置き場の探索に心を奪われ、真理恵のハンカチのことなどすっかり忘れていた。
「ラッキー!」
探してもいないのに都合よく見つけられたので、シロは嬉しそうにそう独り言ちた。
そして、疑うことを知らない素直な変人は、とたとたと敷物に駆け寄る。古い敷物はすっかり汚れて、ところどころ破れてさえいたが、それでも土足で上がるのは良くないと思ったのか、手前で立ち止まり、几帳面に靴を脱いだ。ハンカチを拾おうと、一歩踏み出す。
だがそのとき。
硬い床に押し返されるはずだった足の裏は、踏み出した勢いのままぐんと沈んだ。シロの中の全内臓が、その場に留まろうと、浮かび上がる。しかし、無駄な抵抗だった。何かの割れるばりばりという音とともに、シロの身体は重力に引っ張られ、下へと落ちて行った。目を見開く、口を開ける、悲鳴をあげる。すべての動作が、まったく意志の力を介さない反射により、極めて短いあいだに行われた。
そして次の瞬間には、派手な音を立てて、落とし穴の底に、思いっきり全身を打ちつけていた。と言っても、そのときシロが、自分は落とし穴に落ちたのだとわかっていたわけではない。彼女が自分の身に起こったことを理解したのは、底までの短い旅路を共にした敷物の上でうつぶせのまましばらく茫然とした後、ようやっと脳みそが身体に信号を送れる状態になって、目線をちらと上にやったときだった。
上に見える洞窟の天井は、落とし穴の形に丸く切り取られていた。何事も無かったかのように、ひんやりとした静けさがそこに戻っていた。
派手な音を立てて落ちはしたけれど、敷物がクッションになってくれたのか、どこも折れてはおらず、打ちつけた胴の前半分がじんじん痛む程度だ。シロは、ゆっくりと身を起こした。
もう一度見上げる。どうやら、穴の深さはシロの背丈の一・五倍ほどはありそうだ。勢いよく落ちたせいで、穴の縁の削れているのが見える。変人中学生は、敷物の上にあぐらをかきながら、こんな状況だというのに、ふいにくすりと笑った。こんな古典的な罠にまんまとはまるなんて!自分の間抜けっぷりが、自分でおかしくなったのである。
そのとき突如、洞窟内に聞き知らぬ声が響いた。
「おい、ニコラ!今の音聞いたか?」
「ああ、テトラ。社長のやつ、まんまとかかりやがったぜ」
シロははたと笑うのをやめた。聞き違いではない。確かに、誰かの話す声が聞こえた。そっと立ち上がり、耳を澄ます。
すると、おそらくふたり組だろう、あまり太ってはいなさそうな軽い足音が、こんこんと鳴っている。足音は、どんどんこちらに近づいて来る。
こんな井戸の底に、自分以外にも人が居たんだ。声を聞く限りは、子どもみたいだ。
そんなことを考えながらじっとしていると、とうとう足音は穴のすぐ傍まで来て、止まった。
「へっへっへっ、大成功だ」
「一生懸命掘ったかいがあったな」
愉快げにそう言い交わす。そして、次の言葉は穴のほうに向かって投げられた。
「おい、社長、びっくりしたか?」
「安心しろ、今引き揚げてやるから!」
シロは何も答えなかった。ただ黙って、声のしたほうを見上げる。
だが、穴の縁からふたつの頭がゆらりと現れ、天井の照明を遮ったとき、思わずあっと声を漏らした。
そこに現れたのは、人間ではなかった。
まん丸いフェルトの瞳。布目の付いた肌。毛糸の太い髪。逆光だったが、見間違うことはなかった。それは、人間の頭と同じくらいの大きさをした、人形の頭だった。
シロは驚いた顔で二体の人形のことを見上げていたが、人形のほうも、びっくりしたように口をぽかんと開けていた。こちらを見下ろすふたつの顔は、双子みたいにそっくりだ。しかしよく見ると、一方の鼻の頭には大きなバッテンが縫いつけられていて、もう一方は口元があひるのように少しとんがっている。
バッテンのあるほうの人形が、シロの顔をまじまじと見つめながら言った。
「おい……見ろよニコラ。こいつ、社長じゃないよ」
声をかけられたあひるのほうも、不思議そうに首を捻った。
「ほんとだ……誰だこいつ?」
すると、その思わず漏らした疑問を、自分への質問と捉えたのか、シロは驚いた表情をさっと引っ込め、答えた。
「私、シロだよ」
上下の歯が全部見えるくらい、満面の笑みを浮かべる。挨拶は、笑顔で元気よく。変人の中のルールは、たとえ相手が人形であっても変わらない。
双子の人形はよく似た顔を見合わせた。
あひるのニコラが言った。
「テトラ、もしかしてこいつ、人間かな?」
バッテン顔のテトラが頷く。
「そうかも」
相棒の答えを聞くと、ニコラの艶の無い顔は、にわかに興奮に輝いた。
「おいおいおいおい……なんてこった!社長以外の人間って、存在するのか!」
テトラも、嬉しそうに声を張り上げる。
「まったくだ!おもしろいもん捕まえちまったな!」
人形たちは、口の中の赤い布地を見せ合って、悪魔のようにへらへら笑った。
ふたりがあまりに愉快そうに笑うので、シロもなんだか楽しい気分になって来た。最初に驚いたことなど、もう忘れてしまった。人形が動こうが喋ろうが、無邪気な変わり者にはちっとも怖くない。むしろ、この不思議でおもしろそうなふたりと、もっと絡んでみたい気持ちに駆られた。
「ねえ、きみたち人形でしょ。すごいね。私、喋る人形って、初めて見た」
すると、へらへら笑っていた双子はさっと口を閉じ、真顔でシロのほうを見た。そして、しばらくそうしていた後、人間のかけた言葉には答えず、顔を寄せ合い、自分たちだけで会議を始めた。
「おい、こいつどうする?」
「せっかく捕まえたんだ。何かおもしろい遊びに使わないともったいないな」
「パチンコの的にしようよ。左に当たれば十点、右は十一点」
「そんなのつまんねえよ。的なら他のものでもいいだろ?」
「じゃ、このまま埋めて、三日後にどうなってるか実験するのはどうだい」
「なるほど、よさそうだ。俺、真っ茶色になるに針金五本を賭けるよ」
「俺は、同じのが生えて来るに手乗り迷路を賭けよう」
会議の結論が出ると、ニコラとテトラは気が狂ったようにげらげらげらげらと笑った。
シロも感染したようににこにこ笑う。
「土を運んで来ようや」
そう言ったかと思うと、ふたりの頭は穴の外に消えた。
機嫌よさげだったシロは、つと笑うのをやめた。決して、会議の末自分が生き埋めにされそうな結論が出されたからではない。せっかくおもしろそうなふたりに出会えたのに、そいつらが去って行ってしまうのが寂しかったのだ。
シロは、上げていた目線を落とし、穴の内壁をじっくり観察した。壁はほとんど垂直に近かった。深さも大人の背丈以上あり、容易には抜け出せそうにない。
しかしそれは、あくまでも穴に落ちたのが普通の人間であればの話だ。
変人中学生はまったく落胆してはいなかった。むしろ、この状況に何か問題があるなど、つゆ考えていなかった。落ちたときの痛みももう、喋る人形に出会った衝撃と嬉しさですっかり忘れてしまっている。
シロは、壁の凹凸をしっかり見定めると、すうとひとつ深呼吸をしてから、勢いをつけて飛びついた。そして、不愛想な岩肌から申し訳程度に突き出したでっぱりを掴んで、ほいほいといとも簡単に、九〇度の壁面を登って行く。穴の外に辿り着くのに、ものの数秒もかからなかった。驚くべきことに、シロは自力で罠から脱出してしまった。彼女は、稀有な身体能力の持ち主だったのである。
シロは辺りを見回し、双子の人形の歩いて行く背中が、まだ遠くには行ってしまっていないのを見つけた。
「ねえ、待って、人形さん!」
そう叫んで、駆け出す。
シロの声を聞いて、人形は振り向いた。
そのとき、先ほどは見えなかったふたりの全身が初めて目に入った。ふたりともそっくりな黄緑色のスーツを着て、黄色いネクタイを締め、手袋を付けて、茶色いブーツを履いている。スーツは、遠目に見てもわかるくらい、全体がツギハギだらけだった。
深い穴の底に居たはずの、自分たちのおもちゃが駆け寄って来るを見て、双子はもとから丸い目をさらに丸くした。
だが、シロは相手の驚きにも構わず、走って行った勢いのまま、双子の腹に抱きついた。
ふたりはよろめきながら、自分たちの身体にすがりつく変人中学生をまじまじと見下ろした。
「どどどどうやって抜け出したんだ?」
テトラが困惑気味に尋ねた。
「あんなに深くまで掘ったのに」
ニコラも呆気に取られたようにこぼす。
すると、シロは抱きついたまま視線だけをちらと上に投げた。
「なかなかよくできた罠だね。私もあんなふうなの作りたいな」
そして、見たか私の実力と言わんばかりに、鼻の穴を膨らませる。
ニコラとテトラは顔を見合わせた。ふたりの口は、真一文字に結ばれている。だが三秒後、一斉にシロのほうを向くと、にやりと笑った。
「おまえ、おもしろいな」
そして、この世にこれ以上楽しいことは無いかのように、愉快に、げらげらげらげら笑った。シロもまた、黄緑のスーツのあいだに顔を挟んで、げらげらげらげら笑った。
そのとき、向こうから別なふたつの声が飛んで来た。
「ニコラ、テトラ、何をげらげら笑ってるの?」
「愉快そうな状況、発見!至急、まぜていただくであります!」
シロは声のしたほうに目をやった。
ガラクタ山の斜面を下りて来るのは、先ほどぐらぐらしているところを見かけたあのポラロイドカメラと、枕ほどの大きさのポスターだった。それらは当たり前のように、外部からなんの力を与えられることもなく、自分たちの身ひとつで動いていた。急な斜面をポラロイドカメラが、首掛け用のストラップをばねのようにしてぴょこんぴょこんと跳ね下りて来る。その後ろにポスターが、厚紙特有のべこべこという音を立てながら、着いて来た。黄色を基調としたそのポスターには、"交通安全強化月間"の太い文字と、敬礼する犬の警官のイラストが印刷されていた。
「オイラ、せっかくひなたぼっこしてたのに、そんなにげらげら笑われちゃあ、気になっちゃうよ」
もう山のふもとまで辿り着いたポラロイドカメラが、楽しいあどけなさのこもった声で叫んだ。だが、シロの姿に気づくと、その場に急停止した。
すぐ後ろを歩いていたポスターが、カメラにぶつかった。紙の端を曲げてイラストの犬の鼻をさすりながら、文句を言う。
「ああ、ミスター・パパラッチ、そんな急に止まられては困るであります!」
だが、ポラロイドカメラは何も答えなかった。ぎらぎら光るレンズを、ただ一点、シロの顔に据える。シロはそのレンズに人懐こい微笑みを返した。カメラは、にわかに震え出した。そして、震えは、みるみる激しくなり……
「に、に、に、人間だぁー!」
そう叫んだかと思うと、激しくフラッシュを焚きながら、狂ったようにシロの周りをびょんびょんびょんびょん飛び跳ね回り始めた。
「人間だ!人間だ!人間が居る!」
ポラロイド写真が次々に写真口から飛び出して、方々に散ってゆく。〇・五秒刻みのまばゆい明滅と、バシャリバシャリという音によって切り取られた時間を横切って無数の写真が跳び回るそのさまはまるで、雷雲の中を大きな紙吹雪が舞っているかのようであった。
「に、に、に、人間ですって!」
ポスターもまた驚いたようにそう叫ぶと、紙吹雪のあいだを縫ってシロの足もとに飛びつき、くんくんとシロの匂いを嗅ぐような動作を始めた。
「ああ、人間であります。正真正銘の人間であります!」
シロはなんの抗いもなく、嗅がれるままに嗅がれた。興味津々の表情でポスターを見つめ返す。やかましいシャッター音が聴力を奪い激しいフラッシュが視力を奪ったが、気分は最高だった。舞い狂う写真のうちの一枚が、まともにシロの顔にぶつかり、覆いかぶさった。バシャリバシャリ、くんくん、バシャリバシャリ。シロはもう堪らなく可笑しく、楽しくなり、息もできないほどにあはははははと笑った。
やがて、傍で狂騒を眺めていたテトラが、自分も半ば笑いながら声をかけた。
「おい、マカ!ミスター・パパラッチ!そろそろ落ち着け。このままじゃ写真の山に埋もれちまうよ」
ニコラは跳ね回るミスター・パパラッチのストラップを掴み、乱暴に宙に引っ張り上げた。洞窟じゅうに轟いていた雷鳴が突如止んだ。吹雪の残りがはらはらと舞う。パパラッチは何が起こったのかもわかっていないような茫然とした様子で、レンズをちかちかさせた。惰性でまだ少し揺れている胴体から、じーと鈍い音を立てて最後の一枚が出てきて、ぽとりと地面に落ちた。
「おまえもだよ」
ニコラは、シロの足もとに張り付いていたポスターのマカを軽く蹴った。マカははっとしたようにシロの傍から飛び退いた。
「はっ、申し訳ありません、自分、実に無礼なことをしてしまったであります。つい、捜査せねばなるまいという義務感に駆られて……」
紙面にしわが寄り、イラストの犬の眉が八の字に垂れて、まるで本当にしょぼくれた表情をしているかのようだった。
シロは謝罪を遮るように両手のひらを押し出しながら、優しく言った。
「謝らないで。すごく楽しい時間だったよ。今年でいちばんか、今月でいちばんくらい」
ニコラに吊るされてゆらゆらしていたミスター・パパラッチも、落ち着きを取り戻したのか、さっきの大騒ぎとは打って変わって、みじめっぽく嘆いた。
「ああ、オイラ、またやっちゃった……ごめんなさい」
テトラは慰めるようにカメラの、人間でいう肩に当たるであろう部分をぽんぽんと叩きながら、シロに向かって言った。
「こいつ、興奮するとこうなっちゃうんだよ」
シロは、目を輝かせて魅力的なポラロイドカメラを見つめた。
シロから一歩離れたところに居たマカは、再びシロに、今度はそろりそろりと近づいた。おずおずと言う。
「なんせ、自分たちは社長以外の人間を見たことがありませんから……それで、ずいぶん驚いてしまったのであります。もちろん、他にも人間が居るかもしれないと想像したことはあります。でも、まさか本物に出会うことになろうとは!まったく、ほとんど幻のようなものだと思っていたであります」
シロは尋ねた。
「ねえ、きみたちの言う"社長"ってだあれ?」
ニコラが、ミスター・パパラッチを地面に下ろしてやりながら答えた。
「ええっと、社長は俺たちの親だよ」
「毎日オイラたちの様子を見に来るんだ」
「我々が怪我をしたときは、社長に直してもらうであります!」
ガラクタたちは口々に答えた。
「それって、どこかの会社の社長なの?」
「ううん……よくわかんねえな。偉そうな奴を呼ぶときの呼び方は"社長"しか知らねえから、とりあえずそう呼んでるんだ」
シロはさらに尋ねた。
「きみたちはみんな、ずっとここで暮らしてるの?」
「ああ。気づいたときからずっと!」
「外には出たことないの?」
「外?」
「この洞窟の、外!」
ニコラは考えを巡らすように、頭を捻った。
「この場所以外のことなんて、考えたことなかったなあ……俺たちはここに居てすこぶる楽しいぜ!」
満面の笑みでそう答えた。自分の考えの正しさにはまったく疑う余地が無いとでも言うようだった。他のガラクタたちも、賛同するようにうんうんと頷いた。
「そう?そっかあ。そうだね」
シロも、あっさり納得した。
テトラが、腕を組みながら、わざと評論家よろしく声を低くして言った。
「シロは、人間だが、なかなか理解のあるやつだ」
ニコラはにやりと笑って、頷いた。
「ああ、俺たちは、こいつのことを好きになってやってもいいと思う」
その言葉を聞いて、シロの顔は花が咲いたみたいにぱっと輝いた。最高におもしろそうな奴らと、つるめそうだ!シロは再びニコラとテトラのあいだに割り込むと、抱きかかえるようにふたりの身体を引き寄せ、自分の両頬に押し付けた。綿の詰まった胴体がふんわりと押し返して来て、枕に顔をうずめたみたいに心地好かった。
ニコラはシロと肩を組みながら、上機嫌で叫んだ。
「こうやっていつもと違うことが起きると、一層わくわくするねえ。よし、宴会でもしよう。とりあえずなんかすりゃあ、なんか起こるさ」
「するであります!」
マカも上機嫌だった。
テトラが提案した。
「歌でも作ろうや」
ミスター・パパラッチは賛同するようにストラップをぶんぶんと振った。
「作ろう作ろう」
それから、ニコラとシロとテトラは、肩を組んで連結した体勢のまま歩き出した。シロは、どこに行くともわからぬが、両側からふたりに押されるのに身を任せた。マカとミスター・パパラッチも従った。
ガラクタの山、ガラクタの山、ガラクタの山。
入って来たときと同じ冷たい洞窟の光景だが、今はガラクタたちのてんでばらばらの足音と、目的なき鼻唄とで、まったく違った景色に見えた。ミステリアスだった世界が、明るい遊園地に変わったのだ。
まっすぐ歩けないという子どものさがで、マカとミスター・パパラッチは知らぬ間に追いかけっこを始めた。肩を組んでのろのろ歩くシロたちを待っていられないとでも言うように、パパラッチが、ストラップをびょんとしならせて前へ飛び出した。その背中にマカが叫ぶ。
「こら、そこのカメラ、止まりなさい!スピード違反であります!」
パパラッチは、少し振り向くと、からかうようにフラッシュを二、三発焚いて、駆け出した。
「待ちなさい!」
マカもまた、紙面をべこべこ鳴らしながら駆け出した。
シロは、そんなふたりのたわいない追いかけっこを笑って眺めた。ポラロイドカメラとポスターの姿は、すぐに見えなくなった。
それから三人はとことこ歩き続けたが、ぽっかり空いた空間に、年季の入った真っ黒なグランドピアノが据えられているのが目に入ったところで、立ち止まった。
見ると、ピアノの置かれているところは他より少し盛り上がって、フローリング張りになっている。ちゃちだが舞台のようだ。周りにはピアノの他にも、打楽器から弦楽器、管楽器に至るまで、オーケストラを一団作れそうなほど、多種多様な楽器が置かれていた。舞台のへりには、先に到着したマカとミスター・パパラッチがすっかり仲直りして、並んで座りじゃれあっている。
ニコラが舞台に向かって叫んだ。
「アドルフ!アドルフ!どこだい?」
すると、グランドピアノの裏から、古いがよく磨かれた金色のアルトサックスが、優雅にゆっくりと姿を現した。
「僕ならここだよ、ニコラ。どうかしたかい」
アドルフの低音は、空気を舐めるように柔らかく、シロの胃に気持ちよく響いた。
ニコラとテトラは口々に言った。
「いつもみたいに歌ってくれよ」
「客が来たんだ。宴会しようぜ」
アドルフは、自分の金ぴかのボディが最も美しくきらめくよう計算されたかのような優雅なターンで、ベルをシロのほうに向けた。
「おや、美しいお嬢さん!よくぞお越しくださいました」
そして、音孔を塞ぐタンポの列をはらりと波立たせながら、お辞儀をするみたいに胴を前方に傾けた。その小さな動作すら、どこか気障っぽい。人間を見つけてびっくり仰天跳ね回ったミスター・パパラッチたちとは打って変わって、このアルトサックスは、シロが人間だろうとなんだろうと我関せずというマイペースぶりである。
ニコラは再度頼んだ。
「歌ってくれよ、アドルフ。クリスと一緒にさ」
「ああ、そうしてあげたいんだけどね。彼女は今日、調子がよくないんだ」
アドルフは、真っ黒なグランドピアノの足にすり寄り、一層優しい猫なで声で呼びかけた。
「なあ、クリストーナ?」
すると、グランドピアノの屋根と鍵盤蓋とが、気だるそうにぎぎぎと開いた。
「そうねダーリン、今日は歌う気分じゃないわ。わたくしって繊細でしょう、こうも湿気が多いと駄目なの」
その声はポロンポロンと鳴り、なんとも艶っぽく、耳に心地よかった!シロは、頬にキスをされたような気分になった。思わず目をつむり、聴き惚れる。
「わたくし、中途半端な音楽はお聞かせしたくないのよ。一流の演奏は、少しの音が狂っただけでも全部が駄目になってしまうの。ね、ダーリン。そうでしょ」
「もちろんさ、クリストーナ。きみって繊細だからね。こんな日に無理をしては、弦が傷んでしまう。お客様には悪いけど、今日は歌ってあげられないよ」
シロは、会話の内容などどうでもよく、ただ目をつむってピアノの美しい音色に聴き惚れていた。
だが、ニコラは不満を包み隠さず言い放った。
「なんだ、面倒くせえ奴だな。そんなおんぼろなのに、今さら湿気くらいじゃなんも変わりやしないよ」
そう言うと、自分のブーツの底をぐりぐりとクリストーナの黒い足に押し付けた。クリストーナは怯えたように、高いファのシャープをピンッと鳴らした。
アドルフは驚いて飛び上がった。紳士的な物腰を保ちながらも、ニコラを押しのけるように体当たりする。
「僕のクリストーナになんてことをするんだ」
ニコラも負けじと押し返す。
「痛くも痒くもねえくせに変な音出しやがって。ぶりっ子するんじゃねえよ」
「まあ、まあ、よせって」
テトラがなだめるようにニコラの肩を掴んで、引き剥がした。だが、ニコラの振り上げていた足の先は、アドルフの胴体をかろうじてこすった。金ぴかの身体に泥がついた。
「なんてことを!」
怒ったように、タンポをばたばたと開閉させる。
テトラに後ろから両腕を抑えられたニコラは、目一杯口を尖らせて叫んだ。
「なあにが一流の演奏だよ。音楽なんて、楽しけりゃなんだっていいんだよ」
「ニコラ、きみは音楽というものを理解していない」
「かっこつけやがって、おまえだってたいしてわかってないだろうに」
「なんだって!ぼ、僕は毎日のように音楽を奏でているんだぞ」
「おまえがやってるのは、ただ自分に酔うことだけさ」
「ニ、ニコラ、きみってやつは……」
舞台のへりに座っていたマカとミスター・パパラッチは、いつのまにかじゃれあうのをやめて、心配そうにこちらの様子を覗っていた。
「クリストーナに謝るんだ!」
「はん、誰があんなおんぼろぶりっ子ピアノに謝るかよ!」
ヒートアップしたふたりの喧嘩はもはや、誰にも止められそうになかった。ニコラはテトラに腕を抑えられたまま、もう一度足を振り上げ、アドルフを蹴飛ばそうとした。屋根をぶるぶる震わせて言い合いを聞いていたクリストーナが、耐えかねたようにヒステリックに叫んだ。
「もう、わたくし、こおんな乱暴なお子様なんかのためには一生、歌ってあげないわ!」
そのとき。ずっとわきで目をつむっていたシロが、ふいにニコラとアドルフのあいだにふらふらと躍り出た。
「ああ、なんて素敵な音色!」
虚を突かれたニコラとアドルフは、思わず身を引いて、シロに場所を譲った。
この変人中学生はなんと、今の今まで喧嘩の言葉など一切耳に入らないで、ただじっとピアノの次の音を待っていたのだった!
「ほんと、素敵な音だね。チョコレートを食べたみたい。ずっと聴いていられるよ」
そう言って、うっとりとした表情でピアノに抱きつき、屋根に頬ずりする。
場は静まり返った。シロがぶつぶつピアノの音色を褒め称えるつぶやきだけが聞こえる。彼女の突飛で場違いな振る舞いのために、みなの興奮はすっかり収まってしまった。テトラはいつのまにか捕虜の両腕を放して完全に自由にしていたが、ニコラは棒立ちでシロを見つめるばかりで、もはやアドルフに突っかかろうとはしなかった。
シロがあんまり褒めるので、クリストーナはすっかり機嫌をよくしたようだった。
「わたくし、この子のためだったら歌ってあげてもいいわ」
さっきまでのもったいぶった様子からは一転、けろりと言う。
それを聞いて、シロはぱちんと手を鳴らした。
「歌って!歌って!」
なぜか、ニコラもアドルフも、すっかり機嫌を直してしまった。
「歌おう!歌おう!」
それからはもう、マカもミスター・パパラッチも加わって、楽しい演奏会が始まった。
「お客様に、特等席をご案内しよう」
テトラは愉快げにそう言うと、わざとらしく紳士めいた所作でシロの手を取り、舞台を下りた。そこには、カラフルなステッカーがべたべたと貼られた、巨大なトランクが転がっていた。シロはテトラに促されるままトランクの上に腰を下ろした。舞台の真ん前に位置するその場所からは、演奏会の全容が余すところなく見える。ニコラとテトラはシロの両側からぎゅっと身体を詰めて、無理矢理狭い特等席に座を占め、マカとミスター・パパラッチもその両脇に並んだ。
クリストーナは自信たっぷりに演奏を始めた。湿気なんてものともせず、寸分の狂いもなく正確に、中央より二オクターブ高いラから、一気に駆け下りる。そして、明るい和音で弾むようなリズムを刻み出す。最高のタイミングでぴょんと舞台の真ん中に飛び出したアドルフが、これでもかというほど金ぴかボディをきらめかせながら、明るいリズムにクールなメロディを重ねた。熟練奏者にありがちのもったいぶった、わざとずらしたようなそのメロディは、聴衆の心を掻き立てた。客たちの身体は知らず知らずのうちにリズムに乗り、テトラは手拍子を始める。ニコラが口笛を真似てヒュウッと言う声が舞台に飛んだ。その煽りに答えるように、アドルフは縦横無尽に舞台じゅうを跳ね回る。ときにクリストーナに寄り添って、甘やかすようにとろけた長音を響かせて見せた。クリストーナはまるでくすぐられたみたいに、リズムのあいだに、笑い声のようなピピピンッという高音を鳴らした。
演奏を続けながら、アドルフは小声でクリストーナに話しかけた。
「さっきは嫌な思いをさせちゃってごめんね、僕のかわいいクリストーナ」
「いいえ、わたくし、紳士なダーリンが大好きよ」
観客たちは、そんなふたりの会話にはつゆ気づかないで、リズムに乗り続けた。
ひとりでに上下するピアノの鍵盤に、舞台上を踊り回るアルトサックス。何も知らない人が見れば、恐ろしい怪奇現象である。だが、今この舞台はシロにとって地球上のどこよりも華々しく楽しい場所だった。音楽が洞窟を照らし、入って来たときよりも明るくなっているような気がする。あるはずのない舞台照明が、シロの瞳の中で、最高に粋な演者たちにスポットライトを投げかけていた。
やがて、座って聴いているだけでは満足できなくなったニコラが、ぴょこんとトランクから飛び上がって叫んだ。
「おい、歌わせてくれよ!」
テトラも立ち上がった。
「俺も!」
「ああ、いくらでも、好きなように!」
アドルフは機嫌よく退いて、舞台の中央を双子に譲った。
ニコラとテトラは肩を組みながら舞台の上に飛び乗り、くるりと客席に振り向いた。
「俺たちの即興ソングだ!聴け!」
そして、アルトサックスとピアノの、ボリュームを抑えた伴奏に合わせて、歌い始めた。
さあおいで 俺たちの王国は
そこらじゅう遊ぶものだらけ
ここより楽しい場所なんて
どこ探しても見つかるわけないさ
タイヤ、木の椅子、何かわからない棒
積めばなんでも すべり台になる
それじゃでこぼこすぎるんじゃないかって?
シャッターチャンスを逃すんじゃないかって?
だから余計におもしろいのさ
ヒマを退治せよ
さあおいで 俺たちの王国は
そこらじゅう遊ぶものだらけ
ここより楽しい場所なんて
どこ探しても見つかるわけないさ
鏡、アンテナ、使い古された布
置けばなんでも 秘密基地になる
それじゃばればれすぎるんじゃないかって?
取締りにやられんじゃないかって?
だから余計におもしろいのさ
ヒマを退治せよ
さあおいで 俺たちの王国は
そこらじゅう遊ぶものだらけ
ここより楽しい場所なんて
どこ探しても見つかるわけないさ
とても上手いというわけではなく、だが素晴らしくかわいらしい子どもっぽさに溢れたそのユニゾンは、聴く者に、何かを抱きしめたくなるようなむずがゆさと好感とを与えた。まだまだ伴奏の続く中、歌い終えたニコラとテトラは意味も無くけらけらけらけら笑った。
クリストーナは伴奏のリズムを少し変えて、軽快さを増し加えた。アドルフが叫んだ。
「さあここからは、舞踏会だよ!」
マカとミスター・パパラッチがかまびすしい声をあげて舞台に飛び乗り、くるくる回るように踊り始めた。ニコラとテトラも、ふざけてはちゃめちゃに手足を振り回す。
だが、楽しい景色に心奪われていたシロは、ひとりトランクに腰かけたまま、うっとりと舞台を眺め続けていた。
そんなシロの様子を見たアドルフは、そつない動きでひらりと舞台から下り、その隣に立った。
「お嬢さん、あなたも歌いませんか」
ぼうっとしていたシロはその言葉にはっとした。
「えっと、何を歌ったらいいかな」
するとアドルフは、ウインクをするかのようにキーのひとつをぱちんと閉じた。
「なんだっていいんですよ。なんなら、僕がリードしましょう!」
そして、クリストーナの伴奏に乗せて、簡単なメロディーを奏でる。シロはその音に合わせるように、ぎこちなく歌い始めた。
最初は置いて行かれ気味だったシロも、だんだんコツが掴めてきて、気づけば適当なフレーズを繋ぎ合わせてノリノリで歌っていた。
「なかなかやるじゃないか!」
シロが案外上手く合わせるので、アドルフもテンションが上がり、ときに難しいメロディを繰り出してみたり、シロと背中合わせになって、滅多に出さない高音を長く伸ばしてみたり、なんてことまでした。
ガラクタたちもふたりの歌声に乗って、一層愉快げに踊った。
だが、そうやって歌いながらシロは、ピアノの伴奏が徐々に速くなってきていることに気づいた。ちらと舞台上のクリストーナに目をやる。真っ黒なグランドピアノが何を考えているのかはよくわからない。しかし、心なしか、鍵盤の叩き方がだんだん乱暴になってきているように見えた。ご機嫌なアドルフは、そんな異変にはつゆ気づかず、テクニックを自慢するかのように、シロの隣で細かいキー捌きをして見せている。
そうしているうちにも、伴奏はどんどん速くなった。やがてシロは、速すぎるテンポに着いて行けなくなり、歌をやめてふうふうと息をついた。ガラクタたちももはや楽しげではなかった。ステップを止めて、訝しげに、クリストーナのほうを覗う。激しいピアノ伴奏と、アルトサックスのご機嫌な旋律だけがまだ洞窟中に響いている。ふいに、嗅覚鋭いマカがはっと飛び上がって、急いでシロの傍まで駆けて来た。
「シロさん、大変であります!ク、クリスが、やきもちを焼いているであります!」
その声は、アドルフまでは届かなかったようだ。
いつのまにかひとりで演奏していたことに気づいたアドルフは、自分の胴体をシロの肩すれすれまで傾けて爽やかに言った。
「おや、お嬢さん、やめてしまいましたか?……僕たちのセッション、最高だったのに!」
次の瞬間。
ダーン!
すべての鍵盤が、振り下ろされた。




